肩越しの青空

蒲公英

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知り合いましょう 2

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 5月の終わりという時期が、幸いだったのかどうか、よくわからない。先輩は実家を離れ、市内でひとり暮らししているらしい。二度目は予定を決めずに待ち合わせた。
「なんで?通えるんでしょう?」
「自分で稼げるようになったんだから、自分で生きろって追い出された」
 そういえば我が家の親も、あたしには帰って来いと言ったのに、弟には言わなかったな。

 川越の街をぶらぶらと歩きながら、自分が一緒に歩いている人は誰だろうと考えていたりする。話すときにいちいち上を向くと首が疲れるので、歩きながらの会話はポツポツとしか進まない。歩幅はまるっきり違うのに歩くペースが同じことに気がついて、彼があたしに合わせて歩いていることを知る。
 良いお天気が気持ち良くて、途中でお弁当を買ってお寺で広げた。
「あ、ペットボトルとお弁当箱、同じ袋に入れて捨てちゃダメ。あとで分別する人が大変」
 何気なく言った言葉で、先輩はくしゃっと笑った。
「ふうん?エコ云々じゃなくて、分別する人の手間を考えるわけだ」

 実は、エコ云々っていうのは自分の目にうつりにくいから、あんまり自覚はないのだ。だけど、ゴミを広げて分別する人の大変さは、一度見ればわかる。あたしもお祭りの後始末を何度か手伝ったけれど、日常的にその作業をする人のために、少し気を使ってもいいと思う。ゴミの仕分けっていうのは手作業で、少なくとも可燃ゴミと資源ゴミは別々にする必要がある。
「篠田って、俺が思ってた通りの考え方する」
 満足げに頷く先輩は、あたしをどんな女だと想像しているんだろう。エコロジーよりも人力の苦労を考える女、なんてね。

「なんで、あたしに声かけたの?」
「隣のマシンにいた人が拭き取らないで立ち上がった時、普通の顔して隣の消毒してたから」
「はあ?」
「なんでもない顔して隣拭いた後にさ、スタッフじゃなくて、その人に直接文句言ったの」
 あ、それは覚えてる。スポーツクラブでマシントレーニングをしていて、隣のマシンの人は立ち上がるやいなや他のマシンに向かった。汚れたままだと次に使う人は気持ち悪いだろうなあって汗を拭きとって、アルコール消毒までしてやって、それから腹が立った。
 だって、使う人間の常識じゃない。いくらお金を払ったジムだって、自分が使ったものの後始末くらい、自分でしようよ、大人なんだから。

 ――あの、すみません。マシン使い終わったら、汗を拭き取るようにと注意事項があるんですが。
 ――え? 汗なんか、乾いちゃうから関係ないだろ?
 あたしより何歳か上の男の人。
 ――直後に使いたい人は、困ると思います。
 ――いいじゃないか、そのためにスタッフがいるんだから。
 次のマシンを使っていた男の人は、立ち上がってあたしの顔をバカにしたように見下ろして、(あたしが小さいからだ)つまらなそうにトレーニングルームから出て行った。チクショウ! またマシン消毒してないっ! 腹を立てながら、仕方がないのでアルコールスプレーを掴む。
 スタッフさんが気が付いてあたしに謝りに来たけど、謝られる筋合いはない。あたしが彼に注意したくて、注意したんだから。あたしが勝手に他人の後始末して、勝手に怒ってるんだから。

「スタッフに言いつけるとか、他人の不道徳を軽蔑しつつ黙ってるって選択肢は、ないんだ?」
 実はそれで何度も痛い目は見ているのに、あたしは懲りてない。黙って他人が言いだすまで待って同意するだけなら、余計な揉め事も不愉快も格段に少なくなるに違いない。
「性分なんだもん」
「あの日に、篠田と結婚することにした」
 することにした、とか言われても、困るんですけど! 

「猫だ。鮭の皮、食べるかなあ」
 植え込みの隙間から顔を出した猫を見て、慌てて話題を変えた。知りもしない男と、結婚話なんてしたくない。口を結んだビニール袋を開けて、中から食べ残した鮭の皮を出す。
「ノラ子に餌やるのはいいけどさ、触るなよ。引掻かれたりすると、感染症もらうから」
「え?」
 鮭の皮を持った手を、思わず引いた。
「ま、飼い猫でも持ってるけどね。日和見感染っぽいから、健康体ならそうでもない。ただ、子供だと発症……」
「あたしが子供だって言うの!」

 思わず立ち上がって、ベンチを見下ろす。そんなに大層な差がないのが、悔しい。ニヤニヤするな、余計悔しいから!
「子供と結婚しようとは思ってない。ロリコンでもない。でも、身体のサイズはそうでしょ?」
「無駄に大きいより、絶対マシ!」
「別に悪いとか言ってない。少なくとも俺にはマイナス点じゃない」
 そう言ってから何を思ったか、先輩は私の腰をひょいっと掬って立ち上がった。

 うわ、視界が変わる……ってか、何この体勢。腕の輪っかの上に座る、いわゆる「子供抱っこ」の形。
「何すんの、下ろしてっ!」
 じたばたして落っこちるのが怖くて、肩にしがみついた形で抗議する。
「俺の高さで周り見てみ? 俺は腰を屈めれば篠田の高さになれるけど、篠田が俺の高さに合わせられたりしないだろ」
 周りにいる人の視線が気になって、それどころじゃない。抱き上げてる熊は、そんなことお構いなしだ。
 でも、そうか。38センチって、こんなに視界が違うのか。見える木の枝が違う。建物の高さが違う。

 すとんと下ろされて、笑われてやしないかと他人の視線を窺ってしまった。そして、ひとつ気がついたことがある。
「先輩、もしかしたら、歩いてる時ってあたしの頭の天辺しか見えないんじゃ」
「うん。気にしてないと踏み潰しそうになるけど、そんなのは園児達で慣れてるから」
「園児ほど小さくないっ!」
 この熊っ!


「原口先生?知ってる知ってる。うめ組さんで、折り紙が上手なの」
 会社のパートさんから、そんな話を聞いた。お子さんの保育園の名前が出た時に、原口先輩の勤め先だと気がついたのだ。
「背中とか腕とかに、常に子供がぶら下がってる感じ」
 あの分厚い手で折り紙を折るんだと思ったら、笑いが止まらなくなった。

 ―折り紙が上手な先生、今日は来てなかったね。
 ―待ってた?悪かったなあ。
 ―待ってませんから、ご心配なく。
 変なメール出しちゃったなあ。実はボクササイズのクラスで一緒だった男の子と、ラウンジでお茶を飲んできたのだ。何度も顔を合わせている相手だし、ヒマだったし、ちょっと可愛かったし。
 年下の男の子って、精神的にこっちが優位だから、すごく喋りやすい。

「彼氏、いるんですか?」
「そんなこと聞いて、どうするの」
 そう突っ込んだだけで話を打ち切るのは、あわよくばって考えが丸見えでちょっと興醒めるけど、よくある会話だ。
 言っちゃ何だけど、見かけで寄ってくる男は少なくない。華奢で小さくて色が白くて、細い褐色の髪と大きい瞳。見た目のおとなしそうなイメージが先行しちゃって、「喋ると台無し」なんて失礼なことを言われることも多い。
 ごめんね、ストレートな性格で。でもあの熊は、そこが気に入ったと言う。

 実際のところ、原口先輩のことは何も知らない。身体頑健は見ればわかるし、職業の裏づけも取れた。映画の趣味はやや子供で、歩く時に歩幅を合わせる程度には、あたしに気を使ってくれてる。そして、突然突拍子もないことをする。
 悪い人ではないんだよね。だから一緒に出掛けるのも喋るのも、苦痛じゃない。それが「結婚」には、結びつかないけど。
 そして、お茶を飲んでいる時にやけにキョロキョロしちゃったのは、超機密事項。
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