最後の女

蒲公英

文字の大きさ
28 / 60

28.

しおりを挟む
 夜景の見える鉄板焼きの店にしようと決めると、さっさと予約をする茜を秀一は不思議そうに見ている。
「メシ食うのにも、ケータイか?」
「週末だから、予約しないと入れないと思うよ?外で待つの、イヤだもん」
 予約が必要な店になんて行ったことのない茜ですら、そんなことは予測がつく。かっこつけるってのは面倒なこっちゃ、と秀一はちらっと頭の片隅で思う。娘に贅沢をさせてやろうという親心を、自分の怠惰で無碍にしてしまうわけにはいかず、しぶしぶネクタイを締めなおした。
「やっぱりこの前のピンクのネクタイ、買っとけば良かったかなあ」
「絶対締めねえ」
 ピンクだの花柄だののネクタイは、秀一には許容範囲外である。いかに茜が自分の着るものをコントロールしようと、そこだけは譲れないのだ。
「日焼けしてるから、サーモンピンクのシャツなんかでもー」
「冠婚葬祭用の白だけで充分だ」
 日常的に着ないものを、タンスの肥やしにしておく趣味はない。それでなくとも、タンスの半分と押入れ下段は茜に占拠されているのだ。唇を尖らせた茜を促し、コートを羽織る。十年物のトレンチである。

 酒のリストを見て機嫌が良くなるなんて、現金なものだ。
「これ、十四代って今あるんですか」
 秀一が指差したのは、茜が友人とのランチにかける金額よりも高価い。たまの(っていうか、はじめての)贅沢だからと、茜も口を出すのは差し控えておく。窓の外に広がる夜景や目の前で調理されて供される料理は、日常生活の中にはないものだ。繊細な切子の猪口で口に運ぶ酒は、香り良くすっきりと旨い。美味しいね、綺麗だねと言い合える相手がいることは、幸せだ。
「次は獺祭もらおうかな」
 そろそろ三合目である。茜はデザートにアイスクリームを鉄板焼きしてもらい、満腹になっている。秀一が機嫌良く飲んでいるのだから、あまり水は差したくない。差したくないが、そろそろ店を出て歩きたいところだ。
「上善如水ってのも、いい酒だぞ」
「……それで、終わりにしてね」
 まだ八時前なので、秀一には少々物足りない。
「おまえも飲めばいいだろうが」
「一応、新婚旅行のつもりなんだけど」
 横に座っている茜の耳に、秀一は小声を吹き込んだ。
「忘れてねえ。大丈夫だって、ちゃんと可愛がってやるから」
 酔いの上気でない赤みが、茜の頬に上った。
「そーゆーこと言ってるんじゃないの! まだ街を歩ける時間だし、歩きながら夜景見られるしっ!」
 声を張り上げられない内容なのが、なんとも悲しい。

 ゆりかもめ一駅分くらい、歩くのはなんでもない。暮れのお台場は、あちこちクリスマス仕様だ。電気代の無駄遣いだなどとケチをつけるつもりは、秀一にもない。きらきら光る街を、茜ははしゃぎながら秀一の腕にぶらさがって歩く。その仕草は無邪気で子供っぽく、やはり庇護しなくてはと思ってしまう。
―――私だけは最後まで、秀さんと一緒にいるの!
 そうなのか? 本当にいつまでも、俺と一緒にいてくれるつもりなのか? 若いうちの思い込みなんじゃないのか?
 その危惧はいつでも秀一の頭の片隅にあって、時折妙な焦りが出る。茜を信用していないわけじゃない。信用していないのは「若さ」だ。

 歩いてホテルまで帰りミネラルウォーターを半分ずつ飲むと、茜はバスルームに消えていった。アメニティグッズのバスバブルを試したいらしい。秀一はシャワーブースだけで問題ないので、ソファに座っテレビをつけた。少し酔っているかも知れない。窓の外の夜景が、殊更に美しく見える。
 脱いでしまったものをクローゼットに収め、秀一もシャワーを済ませる。自分の家よりも遥かに上等なタオルで頭をこすっていると、バスルームの扉が開いた。

 備え付けてあったナイトシャツじゃない。茜は白いスリップ姿だ。光沢のある生地を繊細なレースが縁取り、前にあるスリットが、足の付け根まで切れ込んでいる。普段のショートパンツでそんな下着を身につけたりはしないので、わざわざ購入してきたのだろう。なかなか大人っぽいデザインのチョイスではある。
「新婚旅行だしな」
「そうだよ。だから、ちゃんとサムシングブルー」
 ちらりと裾を捲って見せると、ショーツの脇に青いリボンが見えた。
「気合入ってんな」
「新婚旅行だも……きゃぁ!」
 秀一はスリップのストラップに指をかけて、するりと外した。
「期待してたか?」
「そっちの期待じゃない! 見てよ! 輸入のレースなんだよ? 綺麗でしょ?」
 慌ててストラップを戻しながら、茜が窓まで後ずさる。

「ああ、脱がせながら鑑賞してやる。パンツより中身の鑑賞のほうが好きだけどな」
 窓まで後ずさっているのだから、押し付けてしまうのは簡単だ。
「カーテン開いてるぅぅ!」
「高層階の窓なんて、どこから覗けるって言うんだ、バカ」
 茜の足の間に膝をこじ入れ、秀一はもう一度ストラップに手をかけた。
「ま、こんなのも一興だな。夜景見ながらやるか」
「ちょっと待って! ここで? そこに、大きなベッドがあるのに?」
「どっちがいい?」
 言いながらスリップの裾をたくし上げ、秀一の手はショーツにかかる。
「せっかく、ロマンチックにぃぃ!」
「俺は西山一之じゃないからな。ロマンチックなら、求める相手が間違ってるぞ?……なんだこれ、結んであるだけか」
 ショーツのサイドを支えるリボンを解き、茜の唇を舌で割る。首に腕が回されると、茜の一番の弱点である耳に息を吹き込んで、スリップの上から身体の線を確かめはじめてから、夕方の会話からの疑問を口にした。
「ところで、ラグジュアリーってどういう意味だ?」
 ロマンチックじゃない夜は、それなりに更けてゆく。 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

会社員の青年と清掃員の老婆の超越した愛

MisakiNonagase
恋愛
二十六歳のレンが働くオフィスビルには、清掃員として七十歳のカズコも従事している。カズコは愛嬌のある笑顔と真面目な仕事ぶりで誰からも好かれていた。ある日の仕事帰りにレンがよく行く立ち飲み屋に入ると、カズコもいた。清掃員の青い作業服姿しか見たことのなかったレンは、ごく普通の装いだったがカズコの姿が輝いて見えた。それから少しづつ話すようになり、二人は年の差を越えて恋を育んでいくストーリーです。不倫は情事かもしれないが、この二人には情状という言葉がふさわしい。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

ヘンタイ好きシリーズ・女子高校生ミコ

hosimure
恋愛
わたしには友達にも親にも言えない秘密があります…。 それは彼氏のこと。 3年前から付き合っている彼氏は実は、ヘンタイなんです!

処理中です...