最後の女

蒲公英

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 アルバイトから帰宅した茜がポストを確かめると、数通のダイレクトメールやチラシと共に野暮ったい封筒があった。印刷された差出人は、区役所だ。
「……あれ?」
 面接から一月あまり過ぎ、やっぱり不採用だったと諦めたところだった。
「文化財課って、そうだよね」
 ドキドキしながら呟いて封筒の縁を切り、二枚重なった紙を開く。
「うわ、やった……ってか、どうしよう。バイト辞めるって言わなくちゃ。いつから勤務になるのか、秀さんに訊いてみよう」
 秀一に訊いて、どうする。

 着替えてもう一度、採用決定通知書と添付書類を見直した。意思確認と詳しい説明があるので、指定された日に来るようにと書いてある。そして不採用が前提だったときには考えなかったことに、気がついた。
「そっか、土日祝日って、当然お休みじゃないよね。秀さんとのお休み、お盆とお正月しかなくなっちゃうんだ」
 一緒にスーパーに買い物に出るとか、秀一がテレビを眺めているのを邪魔するとか、ウトウトして膝掛け毛布をかけて貰うとか、本当にどうでもいい休みだが、それが消えてしまう。茜がいない休日に秀一はひとりでビール片手にテレビを眺め、秀一がいない休日に茜はひとりで平日に溜めた家事をする。
「え、やだ。さびしいよ、そんなの」
 ファーストフード店のアルバイトのシフトは、ある程度自分の希望を考慮してもらえる。だから今まで、なるべく日曜祝日は仕事を入れないでいたのだ。週に一度しかない秀一のまとまった時間に、自分も一緒に部屋にいたいから。
「私って、バカ……」
 封筒を開いたときの高揚した気分はしぼみ、現実が背中に水をかけた気がした。


「秀さん、おかえりー」
 帰宅した秀一を出迎えて、いそいそと上着をハンガーにかける。
「今日はね、サトイモとイカの煮物。あとはサンマの蒲焼」
「じゃ日本酒だな」
 カロリーを考えて、酒を呑むのならば米は一口程度である。血圧やら中性脂肪やらと、多少なりとも気にかけないと、あっという間に中年は身体にエラーが出る。秀一自身は気にも留めていないが、実は茜はこっそりと気にしている。おっさんが早くに老け込んでは、新婚としては悲しいものがある。秀一が風呂を使っている間に、ザク切りにしたキャベツに塩昆布を乗せ、ごま油で和える。簡単なサラダだが、酒のアテには丁度いい一品である。
 ご飯食べ終わったら、相談しよう。秀さんだって、お休みがひとりになるの、嫌がるかも。

「お、このサトイモ旨いな。ねっとりしてて」
「お義母さんが送ってくれたやつ。この前市場から魚送ったから、お菓子も一緒に送ってくれた。後で出すね」
「甘いもんなら、全部食ってくれ」
 平和な平和な夕食だ。秀一の機嫌は悪くない。茜は晩酌はしないので、酒を呑む秀一の向かい側で夕食をしたためる。男のいない家庭で育った茜は、この時間が一番秀一を感じる。自分が持っていた以外の習慣を持ち、逆に自分にとっては苦でもないことが不得手な男が、目の前で機嫌良くしている。これがどうでも良い男ならば、生活習慣は自分に合わせようとさせたのかも知れないが、目の前で猫を助け、金魚の世話をしていた秀一である。
 少しでも多く、一緒にいたかったのだ。会話の内容が噛み合わなくても、お洒落しても気がついてくれなくても、修一のそばにいることが幸せだと思って、一緒に住みたいと駄々をこねたのだ。その時間が減ってしまう。

「あのね、採用通知が来たの」
 自分の食器を片付けて、茜は通知書を秀一の前に広げた。
「ふうん? 狭き門、よくくぐったな。いつからだ?」
 先に連絡してくれれば、ケーキくらいは買ってきてやったのに、と秀一は思う。(秀一が買って帰るのは、コンビニスイーツだが)それよりも、茜のテンションは微妙に低い。受けると言ったときは、俄かに興奮気味だった気がするのだが。
「うん、詳しくは説明聞きに行くんだけど」
 茜の言葉の歯切れが悪い。
「考えてみたら、日曜祝日休みじゃない……就職しちゃうと、秀さんとの休みがとれなくなっちゃうから、どうしようかなあって」
「どうしようかって、何がだ」
「お休み一緒じゃないと、さびしいなあって」
 タン、と音を立てて、秀一は飲み終えたコップをテーブルの上に置いた。

「失礼だと思わないのか」
 秀一の声は低かった。
「結構な人数の受験者がいたんだろ。その中で選ばれたのに、そんな理由で辞退するのは失礼じゃないのか」
「だって、お休みのこととか考えてなくて」
 やだ、秀さん怒った? 秀さんは休みに私がいないこと、さびしくないの?そう考えて、茜は怯んだ。
「仕事をどう考えてるんだ。子供のころからやりたかった仕事じゃないのか。何百万も金出して大学に行ってまで、やりたい仕事じゃなかったのか」
 確かにそうだった。秀一と結婚する前までは、それを目標に貯金していた。
「俺はな、俺のためにお前の行動の制限をするのはイヤだった。だから大学に行って、外を見ろと言ったんだ。区の資料館の契約職員程度で休み云々ってんなら、お前が本来希望していた場所はどうなんだ?」
 秀一は普段、口数は多くない。仏頂面だが、声を荒らげることもない。

「希望職種で全部思い通りになるなんて、甘いこと考えてんじゃないだろうな?職業をなんだと思ってんだ」
 こんなことを言われるとは、思っていなかった。契約職員程度の求人ならば、ここのところ話が進んでいた来年の大学受験の件を考えて、気が進まないなら辞退しろと言われると思った。
「大学の入試もあるし……」
「アルバイト辞めて受験勉強するつもりだったんなら、理解するけどな」
 じろりと睨みつけられて、言葉に詰まる。ファーストフード店のアルバイトは続けながら、学力で無理のない大学に行くと言ったのは、茜本人だ。公立で通学できる場所は限られているから、私立の入学金を貯めるのだと、確かに言った。
「その程度で諦めるような仕事なら、向いてない。止めちまえ、学芸員も大学進学も」
「だって……」
 言い返せなくて、泣きそうになる。イメージだけで希望して、何も考えていなかった自分をずばりと言い当てられたみたいだ。

 寝息を立て始めた秀一の横から、茜は布団を抜け出した。襖をそっと閉めて、灯りをつける。自分のためにコーヒーを淹れ、座卓に採用通知書を広げた。
 秀さんって、ちゃんと真面目に仕事してきた社会人なんだ。私の将来のことも、多分私より真剣に考えて、背中押してくれてたんだ。
 他人よりしっかりとものを見て、考えているつもりでいた。同級生たちを子供だと思ったことはあっても、自分が子供っぽいとは思っていなかった。経験と実績は、想像力を積み増すのだ。「年齢としには勝てない」その言葉を実感しながら、もう一度採用通知を見る。
 やってみなくちゃ、わかんない。
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