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第一部:王国追放と聖域保護同盟
第1話 氷点下の追放劇と、掌のぬくもり
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「エリアナ・ルミナス! 貴様との婚約を破棄し、聖女の称号を剥奪する!」
突きつけられたのは、あまりに身勝手な断罪の言葉だった。
王城の大広間。天井に吊るされた巨大なシャンデリアが、逃げ場のない冷たい光で私を照らしている。その下で、第一王子ジークフリートが傲慢に胸を張り、私を指差して言い放った。
私の隣では、義理の妹であるミラが、勝ち誇った笑みを隠そうともせずに彼に寄り添っている。
「殿下、そんな……お姉様がかわいそうですわ。……ただ、聖女様のお仕事には、向いていなかっただけですわ」
ミラの短い言葉が、毒のように大気に溶ける。
周囲の貴族たちが口元を扇で隠し、クスクスと忍び笑いをもらした。かつて私を「聖女様」と崇め、教会の階段に跪いていた者たちが、今は手のひらを返して私を嘲笑っている。
彼らは何も知らない。
この国の広大な結界を維持するために、私がどれほどの祈りを捧げてきたか。
食事の間も、浅い眠りの中でも、私の魔力は絶え間なく彼らの平和のために吸い取られ続けてきたのだ。肌は乾き、目の下には消えない隈が張り付き、心は摩耗しきっていた。
「ミラ、お前は優しすぎる。エリアナ、貴様のような無能を置いておく余裕はこの国にはない。今すぐ北の最果て、死の森へと立ち去るがいい!」
心ない罵倒が続く。だが、私の心に湧き上がったのは、悲しみでも怒りでもなく――底知れない「安堵」だった。
(……ああ。やっと、終わるのね)
もう、誰のために祈らなくていい。
自分を切り売りして、恩を仇で返すような者たちに尽くす日々は、今この瞬間、終わったのだ。
私は無言で、頭に乗っていた重すぎる聖女の冠を外した。冷たい大理石のテーブルにそれを置くと、重厚な金属音が静まり返った広間に響く。
「――承知いたしました。殿下、ミラ。どうぞお幸せに」
私は深く、最後の礼をした。
その瞬間、背負っていた巨大な重圧がふっと消えた。代わりに、王都を包む目に見えない天井に、パキリ、と不吉な音が響く。
けれど、煌びやかな光に酔いしれる彼らが、その崩壊の音に気づくことはなかった。
*
数日後。私は雪の吹き荒れる「死の森」の入り口に立っていた。
持たされたのは、穴の空きそうな薄い防寒着と、数日分の硬い保存食が入ったカバン一つ。
吐き出す息は真っ白で、鋭い風はナイフのように肌を刺す。けれど、不思議と私の足取りは軽かった。
「……静か。なんて自由なのかしら」
見渡す限りの銀世界。聞こえるのは風の音と、雪を踏みしめる自分の足音だけ。
義務も、重圧も、私を「便利な道具」としてしか見ない家族も、ここにはいない。
自由とは、これほどまでに心細く、そして美しいものだったのか。
あまりの静寂に、自分の鼓動が聞こえるほどだった。
一歩、また一歩と雪を沈ませ、森の奥へと歩く。
このままでは凍死するかもしれない。そう自覚しながらも、心はかつてないほど凪いでいた。
古い伝承では、一歩踏み入れただけで命を落とすとされていた森だ。けれど、私にとっては初めて手に入れた「誰の許可も得ずに、ただそこで眠れる場所」だった。
ざりっ、ざりっ、と雪を踏みしめて歩く。
手足の感覚が麻痺し始め、意識が混濁しかけたその時――視界の端に、雪に埋もれた小さな「黒」が映った。
「……あら? これ、なに?」
駆け寄って雪を払うと、そこには一匹の子犬が横たわっていた。
掌に乗るほど小さな、漆黒の毛並み。
体は氷のように冷え切り、消えてしまいそうなほど呼吸は浅い。小さな肩はもう、震える気力さえ失っているようだった。
「大変、こんなところで……。大丈夫よ、私が今、温めてあげるわ」
私は迷わず、その小さな命を抱き上げた。
国を守るための魔力は、もう一滴も残っていないと思っていた。
けれど、この子の冷え切った心臓を動かすくらいの熱なら、まだ私の奥底に、本当の私が隠し持っている気がした。
私は子犬を自分の胸元、一番温かい場所に抱き込み、本能のままに指先から力を流した。
【古の浄化】。それは生命が本来持っている輝きを呼び覚まし、あるべき姿へ還す、慈しみの奔流。
聖女として求められてきた「守護」ではなく、目の前の命を愛おしむための「祈り」。
「お願い、生きて……!」
指先から溢れ出した黄金の光が、子犬を包み込み、周囲の雪を一気に溶かしていく。
凍てついた森の空気が、そこだけ春の陽だまりのように染め替えられた。
光の粒子が舞い、子犬の凍りついた睫毛を震わせた。
「……きゅ、ぅん」
小さな、か細い声が私の胸に響いた。
ゆっくりと持ち上がったまぶたの奥。そこには、星空をそのまま凝縮したような、深い藍色の瞳があった。
子犬は驚いたように私を見上げると、ちろりと私の指先を舐めた。
その掌から伝わる、トクン、トクンという確かな鼓動。
氷点下の絶望の中で出会った、この世で一番愛おしい温もり。
『…………我が、主よ』
頭の中に、重厚で美しい声が響く。
目の前の子犬が、誇らしげに小さな尻尾を振った。
それが世界で私だけを認めた、忠誠の証であることも知らずに、私はただ愛おしくてその背を撫でた。
そしてその頃、私が祈りを止めた王都では。
空を覆っていた守護の結界が、ガラス細工のように無残に砕け散っていた。
騒乱と悲鳴。だが、二人の間に、言い訳も怒鳴り声も続かなかった。ただ、圧倒的な沈黙と恐怖だけが、豪華な広間を埋め尽くしていた。
「さあ、行きましょうか。私たち二人で、新しい生活を始めましょう」
私は温かくなった子犬――ラピスを大切に抱き直し、光の差し始めた森の奥へと、一歩を踏み出した。
突きつけられたのは、あまりに身勝手な断罪の言葉だった。
王城の大広間。天井に吊るされた巨大なシャンデリアが、逃げ場のない冷たい光で私を照らしている。その下で、第一王子ジークフリートが傲慢に胸を張り、私を指差して言い放った。
私の隣では、義理の妹であるミラが、勝ち誇った笑みを隠そうともせずに彼に寄り添っている。
「殿下、そんな……お姉様がかわいそうですわ。……ただ、聖女様のお仕事には、向いていなかっただけですわ」
ミラの短い言葉が、毒のように大気に溶ける。
周囲の貴族たちが口元を扇で隠し、クスクスと忍び笑いをもらした。かつて私を「聖女様」と崇め、教会の階段に跪いていた者たちが、今は手のひらを返して私を嘲笑っている。
彼らは何も知らない。
この国の広大な結界を維持するために、私がどれほどの祈りを捧げてきたか。
食事の間も、浅い眠りの中でも、私の魔力は絶え間なく彼らの平和のために吸い取られ続けてきたのだ。肌は乾き、目の下には消えない隈が張り付き、心は摩耗しきっていた。
「ミラ、お前は優しすぎる。エリアナ、貴様のような無能を置いておく余裕はこの国にはない。今すぐ北の最果て、死の森へと立ち去るがいい!」
心ない罵倒が続く。だが、私の心に湧き上がったのは、悲しみでも怒りでもなく――底知れない「安堵」だった。
(……ああ。やっと、終わるのね)
もう、誰のために祈らなくていい。
自分を切り売りして、恩を仇で返すような者たちに尽くす日々は、今この瞬間、終わったのだ。
私は無言で、頭に乗っていた重すぎる聖女の冠を外した。冷たい大理石のテーブルにそれを置くと、重厚な金属音が静まり返った広間に響く。
「――承知いたしました。殿下、ミラ。どうぞお幸せに」
私は深く、最後の礼をした。
その瞬間、背負っていた巨大な重圧がふっと消えた。代わりに、王都を包む目に見えない天井に、パキリ、と不吉な音が響く。
けれど、煌びやかな光に酔いしれる彼らが、その崩壊の音に気づくことはなかった。
*
数日後。私は雪の吹き荒れる「死の森」の入り口に立っていた。
持たされたのは、穴の空きそうな薄い防寒着と、数日分の硬い保存食が入ったカバン一つ。
吐き出す息は真っ白で、鋭い風はナイフのように肌を刺す。けれど、不思議と私の足取りは軽かった。
「……静か。なんて自由なのかしら」
見渡す限りの銀世界。聞こえるのは風の音と、雪を踏みしめる自分の足音だけ。
義務も、重圧も、私を「便利な道具」としてしか見ない家族も、ここにはいない。
自由とは、これほどまでに心細く、そして美しいものだったのか。
あまりの静寂に、自分の鼓動が聞こえるほどだった。
一歩、また一歩と雪を沈ませ、森の奥へと歩く。
このままでは凍死するかもしれない。そう自覚しながらも、心はかつてないほど凪いでいた。
古い伝承では、一歩踏み入れただけで命を落とすとされていた森だ。けれど、私にとっては初めて手に入れた「誰の許可も得ずに、ただそこで眠れる場所」だった。
ざりっ、ざりっ、と雪を踏みしめて歩く。
手足の感覚が麻痺し始め、意識が混濁しかけたその時――視界の端に、雪に埋もれた小さな「黒」が映った。
「……あら? これ、なに?」
駆け寄って雪を払うと、そこには一匹の子犬が横たわっていた。
掌に乗るほど小さな、漆黒の毛並み。
体は氷のように冷え切り、消えてしまいそうなほど呼吸は浅い。小さな肩はもう、震える気力さえ失っているようだった。
「大変、こんなところで……。大丈夫よ、私が今、温めてあげるわ」
私は迷わず、その小さな命を抱き上げた。
国を守るための魔力は、もう一滴も残っていないと思っていた。
けれど、この子の冷え切った心臓を動かすくらいの熱なら、まだ私の奥底に、本当の私が隠し持っている気がした。
私は子犬を自分の胸元、一番温かい場所に抱き込み、本能のままに指先から力を流した。
【古の浄化】。それは生命が本来持っている輝きを呼び覚まし、あるべき姿へ還す、慈しみの奔流。
聖女として求められてきた「守護」ではなく、目の前の命を愛おしむための「祈り」。
「お願い、生きて……!」
指先から溢れ出した黄金の光が、子犬を包み込み、周囲の雪を一気に溶かしていく。
凍てついた森の空気が、そこだけ春の陽だまりのように染め替えられた。
光の粒子が舞い、子犬の凍りついた睫毛を震わせた。
「……きゅ、ぅん」
小さな、か細い声が私の胸に響いた。
ゆっくりと持ち上がったまぶたの奥。そこには、星空をそのまま凝縮したような、深い藍色の瞳があった。
子犬は驚いたように私を見上げると、ちろりと私の指先を舐めた。
その掌から伝わる、トクン、トクンという確かな鼓動。
氷点下の絶望の中で出会った、この世で一番愛おしい温もり。
『…………我が、主よ』
頭の中に、重厚で美しい声が響く。
目の前の子犬が、誇らしげに小さな尻尾を振った。
それが世界で私だけを認めた、忠誠の証であることも知らずに、私はただ愛おしくてその背を撫でた。
そしてその頃、私が祈りを止めた王都では。
空を覆っていた守護の結界が、ガラス細工のように無残に砕け散っていた。
騒乱と悲鳴。だが、二人の間に、言い訳も怒鳴り声も続かなかった。ただ、圧倒的な沈黙と恐怖だけが、豪華な広間を埋め尽くしていた。
「さあ、行きましょうか。私たち二人で、新しい生活を始めましょう」
私は温かくなった子犬――ラピスを大切に抱き直し、光の差し始めた森の奥へと、一歩を踏み出した。
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