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幼馴染の心は読めない
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乾いた風が吹く秋の夕方。隣家に住む幼馴染の一志の部屋で、宿題を片づける。木製のローテーブルで向かい合って座り、静かな室内にはシャープペンが文字を記す音だけがかさかさと鳴る。窓を開けるには寒いので閉めてあり、部屋のドアも閉じているから、一志とふたりきりだ。桜大の心は密かにさざめく。ローテーブルのすみには卓上カレンダーが置いてあり、ふとしたときに視界に入っては胸を締めつけた。
「……」
もう十一月。あと少しで今年が終わり、あっという間に四月になって、一志も桜大も三年生になる。高校受験からたいして時間が経っていないように感じるのに、実際はしっかりと年月がすぎている。
最近桜大は、三年生が引っかかる。
高校三年生。進路、受験、卒業、別れ――誰との?
向かい側で教科書をめくる一志をちらりと盗み見ると、真剣な顔で手もとに目を落としている。どんな表情も見惚れるほどに恰好いい。女子が騒ぐのも納得できる。
集中している一志に対し、桜大は宿題外の考えごとが止まらない。
幼稚園からずっと一緒だった一志は、桜大とは違う大学を志望している。学校と学校の距離も離れていて、一志も桜大もひとり暮らしをする予定でいるから、今のように簡単には会えなくなる。家を出て隣に行けば会えるのはずっと続かない。これまで会えて当然だと思っていたが、それがいかに特別なことなのかを思い知らされる。
まだ一年ある。
もう一年しかない。
心にもやが渦巻き、不安と焦燥感が入りまじる。
「一志」
そっと呼びかけてみると、声は思ったよりも頼りないものになった。こちらを向いてほしい気持ちを込めた呼びかけに応えるように、一志は桜大を見てくれる。それだけで安堵が胸を和らげた。
「なに?」
微笑みが綺麗で泣きそうになる。いつでも優しく微笑んでくれる幼馴染は、今日も変わらない。
情緒不安定なのだろうか。自分の心の内が乱れていることを知られたくなくて、呼びかけておきながら静かに視線を逸らした。
「なんでもない」
なんでもないのだ。そう思わないと立ち止まりそうになる。止まらない流れに抗いたくなる。抵抗したところで、時間が止まることはない。
一志には一志の人生があって、それは当然桜大とは違う道だ。いつまでも歩む道は交わり続けない。歩く速度だって違う。一志の世界が、桜大の世界が、それぞれ広がっていき、女子からもてる一志にはすぐに彼女ができるだろう。自然と距離ができ、幼馴染の近さが徐々に薄れていく。それが当たり前で、そういうものだと桜大も理解はしている。
でも。
そばにいたい。そばにいさせてほしい。苦しいくらいに一志が好きだと言えたなら――。
当たり前のことを理解しているのと、当たり前だからと受け入れるのは別だ。いや、受け入れるなんてできない。したくない。一志の隣にいるのが自分ではなくなることを、「しょうがない」とは言えない。いっそ告白できたらと思うこともある。言ってしまおうか、言ってきっぱりと振られようか。
小さく頭を振り、自嘲するように口もとを歪める。黒い髪が揺れて頬を撫でた。
そんなことを言ったらバランスが崩れるし、男の桜大が同性の一志を好きなんて言えるわけがない。一志に拒絶されて、まだそばにいられる距離にいながら彼が離れていくことを考えたら、自分の気持ちに重きを置けない。だから口を噤んで目を逸らす。
「大丈夫だよ、桜大」
一志が突然不思議なことを言って笑みを浮かべ、たおやかな微笑が桜大の心を揺らした。あやすように頭をぽんと叩かれて、頬もかすかに熱くなった。
「なにが?」
桜大の心の内がわかっているような声音だから、恐る恐る聞き返す。こんなスキンシップをされたら、心中を知られていても知られていなくても、平穏な気持ちではいられない。
心をさざめかせる桜大とは真逆の、落ちついた様相を見せた一志は、小さく首を傾ける。彼の色素の薄い髪がつやを弾き、見惚れるほど綺麗だ。
「なんとなく、そう言いたくなった」
あまりに優しい表情をたたえるので、胸がぎゅうっと締めつけられた。せつなくて苦しくて、でも大好きで。胸がいっぱいになって言葉が詰まる。
「なにそれ」
自分の胸もとを押さえ、ひとつ息を吐き出す。笑って見せたけれど、うまくできているとは思えない。
全然大丈夫ではない。一志といて、桜大が大丈夫なはずがない。大丈夫になんてさせないくせに――文句が出そうになって呑み込んだ。
言っている本人に自覚のない嘘は残酷でもある。わずかに視線を逸らし、唇を噛んだ。
大丈夫な心でいさせてくれないことは事実なのに、優しい嘘に身を委ねたい。一志の言葉を信じたい。大丈夫であるように願い、軽く目を伏せた。
「桜大はさ、不安になるとすぐにそうやって目を逸らすよね」
「……そうかな」
そうかもしれない。桜大が不安になるのは一志のことばかりで、心持ちが落ちつかないときは一志の姿が見られずに、いつも目を逸らしている気もする。言われてはっとするほど、自分では意図せずにやっていた。
「なにが不安?」
穏やかな瞳が桜大を映している。心の内を見透かされそうなほどにまっすぐな視線が、桜大を捕まえる。
先ほどからの一志の動きは、本人はひとつひとつを意識してやっているのではないだろうが、桜大の心臓を暴れさせるには充分すぎるほどだ。
なにが不安か、なんて、そんなのは決まっている。
「言ってみて?」
促されても言っていいとは思えず視線を逸らすと、ローテーブルに置いた桜大の左手に、一志が手を重ねた。拍動が激しくなり、頬が熱を持つ。
「言って、桜大。俺は桜大じゃないから、言ってもらわないと心は読めない」
手を引きたいのに動けない。火照る頬を隠したくて、桜大は少し俯いた。
どうしてこんなことをするのだろう。心を読めないと言いながら、しっかり読んでいるのではないか。だって、桜大の気持ちを知らなければ、こんな――。
不意の接触で脱力しきった手に力を込めて、一志の温もりから逃げようとするが、強い力で捕まっていて逃れられない。心臓の音がうるさく鼓膜を叩き続け、触れる指先まで鼓動を刻んでいるように感じはじめる。
「……卒業後は、会えなくなるね」
言いたいことは他にもたくさんあるけれど、それしか言葉にできなかった。喉が詰まったようにうわずった声が出て、桜大自身情けない。たぶんその情けなさは表情に出ているだろう。それでも一志は笑ったりしない。優しい嘘も気遣いも、桜大の胸に痛みをもたらす。
「桜大は俺と会いたくない?」
首を傾けた一志は、目を覗き込んで問うてきた。心が揺さぶられる問いかけに、斜め下に視線を落とす。また目を逸らしている、とローテーブルの角を見ながら自分で思った。
会いたいに決まってる。毎日だって会いたい。俺は一志が好きだから。
素直な気持ちを口にしていいのかわからない。だから桜大はなにも答えられない。
「大学が違っても、お互いひとり暮らしはじめても、たくさん会おうよ」
口を噤んだままの桜大に呆れるでもなく、一志は言い聞かせるように、穏やかな言葉を紡ぐ。ゆっくりと顔をあげた桜大の目に映ったのは、いつでも心臓を暴れさせる綺麗な笑みだった。
「うん」
消えそうな声で返事をすると、一志にまた左手を取られた。それだけでも鼓動が速まるのに、一志は宝物にするかのごとく繊細な動きで、桜大の手を両手で包む。優しい仕草と柔らかな笑みに、頬だけではなく耳まで熱を持ち、包まれた指先が震えてくる。
「桜大の誕生日にはデートしたい。来年も、高校卒業したあとも、一緒に桜を見に行こう?」
「え?」
デート?
大学が違っても会うという話ではなかったのか。訝る桜大を安心させるように、一志はふわりと目を細めた。
「好きだよ、桜大。つき合ってください」
手を包む力が強くなり、小さく震える一志の指から彼の緊張が伝わってくる。向けられた微笑みは真剣な表情へと変わり、桜大はいっそう頬が火照る。
本当だ。人の心は読めない。
一志の気持ちを、はじめて知った。
「……」
もう十一月。あと少しで今年が終わり、あっという間に四月になって、一志も桜大も三年生になる。高校受験からたいして時間が経っていないように感じるのに、実際はしっかりと年月がすぎている。
最近桜大は、三年生が引っかかる。
高校三年生。進路、受験、卒業、別れ――誰との?
向かい側で教科書をめくる一志をちらりと盗み見ると、真剣な顔で手もとに目を落としている。どんな表情も見惚れるほどに恰好いい。女子が騒ぐのも納得できる。
集中している一志に対し、桜大は宿題外の考えごとが止まらない。
幼稚園からずっと一緒だった一志は、桜大とは違う大学を志望している。学校と学校の距離も離れていて、一志も桜大もひとり暮らしをする予定でいるから、今のように簡単には会えなくなる。家を出て隣に行けば会えるのはずっと続かない。これまで会えて当然だと思っていたが、それがいかに特別なことなのかを思い知らされる。
まだ一年ある。
もう一年しかない。
心にもやが渦巻き、不安と焦燥感が入りまじる。
「一志」
そっと呼びかけてみると、声は思ったよりも頼りないものになった。こちらを向いてほしい気持ちを込めた呼びかけに応えるように、一志は桜大を見てくれる。それだけで安堵が胸を和らげた。
「なに?」
微笑みが綺麗で泣きそうになる。いつでも優しく微笑んでくれる幼馴染は、今日も変わらない。
情緒不安定なのだろうか。自分の心の内が乱れていることを知られたくなくて、呼びかけておきながら静かに視線を逸らした。
「なんでもない」
なんでもないのだ。そう思わないと立ち止まりそうになる。止まらない流れに抗いたくなる。抵抗したところで、時間が止まることはない。
一志には一志の人生があって、それは当然桜大とは違う道だ。いつまでも歩む道は交わり続けない。歩く速度だって違う。一志の世界が、桜大の世界が、それぞれ広がっていき、女子からもてる一志にはすぐに彼女ができるだろう。自然と距離ができ、幼馴染の近さが徐々に薄れていく。それが当たり前で、そういうものだと桜大も理解はしている。
でも。
そばにいたい。そばにいさせてほしい。苦しいくらいに一志が好きだと言えたなら――。
当たり前のことを理解しているのと、当たり前だからと受け入れるのは別だ。いや、受け入れるなんてできない。したくない。一志の隣にいるのが自分ではなくなることを、「しょうがない」とは言えない。いっそ告白できたらと思うこともある。言ってしまおうか、言ってきっぱりと振られようか。
小さく頭を振り、自嘲するように口もとを歪める。黒い髪が揺れて頬を撫でた。
そんなことを言ったらバランスが崩れるし、男の桜大が同性の一志を好きなんて言えるわけがない。一志に拒絶されて、まだそばにいられる距離にいながら彼が離れていくことを考えたら、自分の気持ちに重きを置けない。だから口を噤んで目を逸らす。
「大丈夫だよ、桜大」
一志が突然不思議なことを言って笑みを浮かべ、たおやかな微笑が桜大の心を揺らした。あやすように頭をぽんと叩かれて、頬もかすかに熱くなった。
「なにが?」
桜大の心の内がわかっているような声音だから、恐る恐る聞き返す。こんなスキンシップをされたら、心中を知られていても知られていなくても、平穏な気持ちではいられない。
心をさざめかせる桜大とは真逆の、落ちついた様相を見せた一志は、小さく首を傾ける。彼の色素の薄い髪がつやを弾き、見惚れるほど綺麗だ。
「なんとなく、そう言いたくなった」
あまりに優しい表情をたたえるので、胸がぎゅうっと締めつけられた。せつなくて苦しくて、でも大好きで。胸がいっぱいになって言葉が詰まる。
「なにそれ」
自分の胸もとを押さえ、ひとつ息を吐き出す。笑って見せたけれど、うまくできているとは思えない。
全然大丈夫ではない。一志といて、桜大が大丈夫なはずがない。大丈夫になんてさせないくせに――文句が出そうになって呑み込んだ。
言っている本人に自覚のない嘘は残酷でもある。わずかに視線を逸らし、唇を噛んだ。
大丈夫な心でいさせてくれないことは事実なのに、優しい嘘に身を委ねたい。一志の言葉を信じたい。大丈夫であるように願い、軽く目を伏せた。
「桜大はさ、不安になるとすぐにそうやって目を逸らすよね」
「……そうかな」
そうかもしれない。桜大が不安になるのは一志のことばかりで、心持ちが落ちつかないときは一志の姿が見られずに、いつも目を逸らしている気もする。言われてはっとするほど、自分では意図せずにやっていた。
「なにが不安?」
穏やかな瞳が桜大を映している。心の内を見透かされそうなほどにまっすぐな視線が、桜大を捕まえる。
先ほどからの一志の動きは、本人はひとつひとつを意識してやっているのではないだろうが、桜大の心臓を暴れさせるには充分すぎるほどだ。
なにが不安か、なんて、そんなのは決まっている。
「言ってみて?」
促されても言っていいとは思えず視線を逸らすと、ローテーブルに置いた桜大の左手に、一志が手を重ねた。拍動が激しくなり、頬が熱を持つ。
「言って、桜大。俺は桜大じゃないから、言ってもらわないと心は読めない」
手を引きたいのに動けない。火照る頬を隠したくて、桜大は少し俯いた。
どうしてこんなことをするのだろう。心を読めないと言いながら、しっかり読んでいるのではないか。だって、桜大の気持ちを知らなければ、こんな――。
不意の接触で脱力しきった手に力を込めて、一志の温もりから逃げようとするが、強い力で捕まっていて逃れられない。心臓の音がうるさく鼓膜を叩き続け、触れる指先まで鼓動を刻んでいるように感じはじめる。
「……卒業後は、会えなくなるね」
言いたいことは他にもたくさんあるけれど、それしか言葉にできなかった。喉が詰まったようにうわずった声が出て、桜大自身情けない。たぶんその情けなさは表情に出ているだろう。それでも一志は笑ったりしない。優しい嘘も気遣いも、桜大の胸に痛みをもたらす。
「桜大は俺と会いたくない?」
首を傾けた一志は、目を覗き込んで問うてきた。心が揺さぶられる問いかけに、斜め下に視線を落とす。また目を逸らしている、とローテーブルの角を見ながら自分で思った。
会いたいに決まってる。毎日だって会いたい。俺は一志が好きだから。
素直な気持ちを口にしていいのかわからない。だから桜大はなにも答えられない。
「大学が違っても、お互いひとり暮らしはじめても、たくさん会おうよ」
口を噤んだままの桜大に呆れるでもなく、一志は言い聞かせるように、穏やかな言葉を紡ぐ。ゆっくりと顔をあげた桜大の目に映ったのは、いつでも心臓を暴れさせる綺麗な笑みだった。
「うん」
消えそうな声で返事をすると、一志にまた左手を取られた。それだけでも鼓動が速まるのに、一志は宝物にするかのごとく繊細な動きで、桜大の手を両手で包む。優しい仕草と柔らかな笑みに、頬だけではなく耳まで熱を持ち、包まれた指先が震えてくる。
「桜大の誕生日にはデートしたい。来年も、高校卒業したあとも、一緒に桜を見に行こう?」
「え?」
デート?
大学が違っても会うという話ではなかったのか。訝る桜大を安心させるように、一志はふわりと目を細めた。
「好きだよ、桜大。つき合ってください」
手を包む力が強くなり、小さく震える一志の指から彼の緊張が伝わってくる。向けられた微笑みは真剣な表情へと変わり、桜大はいっそう頬が火照る。
本当だ。人の心は読めない。
一志の気持ちを、はじめて知った。
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