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学園編
4.シュタインの面影
しおりを挟む息を切らして辿り着いたのは“シュタイン”と“エーデルス”、二つの名が記された扉の前だ。
僕は息を整えて深呼吸すると、まだ大きく嫌な音を立てる鼓動を無視して扉をノックした。
自分の部屋になる場所をノックするって、なんだか変な感じがするけれど。
「……あの、シュタインさん。お話が、あります。はいっても、いいですか」
扉越しに恐る恐る尋ねる。
けれど、返事は来ない。聞こえていないのか、聞こえていないフリをしているのか。
どちらかはわからないけれど、とにかく謝らなければならないことに変わりはない。
せっかく入学できた学園を、初日で退学だなんて最悪なことにはなりたくない。
僕のことを嫌っているらしい彼には申し訳ないけれど、同室者として認められるように印象を挽回しなくちゃ。
「あの!入ります!ね……」
語尾が情けなくなりながらも一応宣言して、ゆっくりと扉を開く。
入ってすぐに対面!ということにはならなくて、どうやら部屋は貴族が住まうということもあり、想像していた学生寮の部屋よりずっと広い造りのようだった。
「シュ、シュタインさーん……?いますかー……?」
玄関から続く廊下を抜けると、邸と比べて質素ながらも広々としたリビングに出る。
そして、共用部だろうリビングから独立している二つの扉……見る限り、どうやらこの二つの部屋が個室のようだ。
つまり、僕とシュタインさんそれぞれの持ち部屋。
たぶん、シュタインさんは自分の部屋にいる。
そう推測して、僕はすーはーすーはーと深呼吸しながら二つのうち片方の扉に近付いた。
「ふぅー……よしっ!」
覚悟を決めて胸を張る。
コンコンと扉をノックし、思い切って声をかけた。
「シュタインさん!さっきはごめんなさい!えっと、すみませんでした!」
はじめましての人に『ごめんなさい』は軽すぎるかも。
頭を下げていて気になったので、一応『すみません』の方も追加しておく。
「…………」
反応なし。ちょっぴりしょんぼりである。
でも諦めない。たぶん、謝罪に誠意が感じられなかったのだろう。
『ごめんなさい』も『すみません』も軽いとなると……あ、そうだ。謝罪の言葉ならもう一つあったな。
「うーんと……もうしわけございませんでした!!」
慣れない言葉なので少し舌足らずになる。
頭の中でイメージしたお手本は、ニコニコ笑顔で怒るシモンに土下座するグリードだ。
毎日のようにシモンに『申し訳ございませんでした』をしていたグリードを思い返して、ふと考えた。
あれ、もしかして『申し訳ございませんでした』って土下座とセットなのかな。
それじゃあ、僕も今ここで土下座をするべき?そう思ったので、善は急げとばかりにいそいそとその場で正座した。
「えぇっと、でんぐり返しみたいに──」
「……お前はさっきから何をしているんだ」
床に手をついたところで、ふいに背後から声をかけられハッとした。
慌てて振り返ると、そこには怪訝そうに首を傾げたシュタインさんの姿がある。
「なぬっ!?い、いつのまにお部屋から出て……」
目の前の扉と背後のシュタインさんを交互に見る。
シュタインさんは残念な子を見るような視線を僕に向けると、“彼”によく似た無表情で淡々と答えた。
「……俺の部屋は向こうだ」
「へ?じゃ、じゃあこのお部屋は」
「お前の部屋だ」
うそーん。
どうやら僕、初めから二択を誤っていたらしい。
無人の部屋に向かって土下座をしようとしていたなんて。
自分のドジさがちょっぴり恥ずかしい。赤く火照った顔で俯くと、頭上から「とにかく立て」と冷静なお達しを受けた。
確かにそうだね。目の前でずっと正座している人がいるなんて、シュタインさんからしたら『なんだこいつ』って感じに違いない。
「あの、僕、シュタインさんにごめんなさいしにきたんです」
よっこらせと立ち上がりながらそう語る。
予想とは裏腹に、シュタインさんは特に不機嫌そうな反応をするわけでもなく、ただきょとんと首を傾げた。
「……?俺に謝罪?なぜだ」
「え?ど、どうしてって……僕が、その、うるさくして、シュタインさんを不快にさせちゃったから……」
「別に不快感など催していないが」
「へ?じゃあ、さっきはどうして怒って……」
「……?別に怒っていないが」
しーん。シュタインさんとの間に数秒の沈黙が流れる。
話が微妙に噛み合っていないようなこの感覚。僕はこの感覚を知っている。
なんだか懐かしい気もする、このシュールな感じの空気は……そう、感情表現が極端に苦手な“彼”との交流によく似ている。
「……えっと、さっき、時間の無駄といったのは……」
「文字通りだ。奴が話し出すといつも長い。予定のスケジュールに大幅なズレが発生すると想定し、忠告した」
ずこーっ。すってんころりん。ずってんばったん。
引っくり返るって、たぶんこういう時のことを言うのだろう。僕は学んだ。
「うーむ、なるほど。わかりました。いろいろ誤解していたみたいで、ごめんなさい」
「……?あぁ。よく分からないが、気にするな」
間違いない。
彼……ローダンセ・シュタインさんは紛れもなくシュタイン伯爵家の人間だ。
厳密に言うとシュタイン伯爵もとい、ローズの身内だ。どう見ても、聞いても。
冷徹な印象といい、隙の無い容姿に似合わないシュールな雰囲気といい、ちょっぴりズレた感じの性格といい。どこをとっても彼そっくりである。
「あの、つかぬことをお聞きしますが、シュタインさんはローズ……シュタイン伯爵の家族ですか」
僕が尋ねると、シュタインさんはぱちくりと瞬いた。
こういうところはローズに似ていないな、とふと思う。
ローズの表面は完全に“無”といった感じだけれど、シュタインさんにはあくまで普通に表情があるから。
「……本当に、お前が噂の“英雄”なんだな」
今度は僕がぱちくりと瞬く。
シュタインさんは真っ黒な瞳を微かに細めると、一文字に結ばれていた口角を片方だけちょっぴり上げた。
「ローズ・シュタイン、“帝国の闇”は俺の養父だ」
「……!!」
帝国の闇。彼は確かにそう口にした。
表に出ていないシュタイン伯爵の裏の顔。それを彼は知っている。
それはつまり、それだけ“シュタイン”の名の真実を知る者だということ。
彼は何者なんだろう。
ローズに兄弟はいないはずだし、いや待て、今この人ローズのことを“養父”って……?
「……へ?ローズの、息子さん?」
「書類上は」
「へ?ローズ、お子さんいたの?シュタインさん、ローズのお子さん?」
「家門の名で呼ぶな。ややこしい。ローダンセと呼べ」
「あ、はい。ローダンセさん。えぇっと、それじゃあ、ローダって呼んでいいですか」
「構わない」
淡々とした話し方に、血が繋がっていないはずのローズの面影を強く感じる。
シュタインさん……ローダは混乱状態から抜け出せない僕をジッと見下ろし、一度面倒くさそうに息を吐いてからしっかりと説明してくれた。
「貴族としての表面上、シュタイン伯爵には後継となる子供が必要だった。故にローズさんは、孤児院で最も能力の高い者を書類上の後継者として引き抜いた」
「孤児院って……それじゃあ、ローダはもしかして、ローズに助けられた子供たちの……?」
「……俺は元奴隷だ。ローズさんが奴隷商を殺して、商品だった俺を引き取ってくれた」
ローダは起伏のない声でそう語った。
なんだか、境遇もローズにそっくりだな。ふとそんなことを思った。
始まりは奴隷商人の手の内。けれどローズと明確に違うのは、ローダには手を差し伸べる大人がいたということ。
ローズにはいなかった。
けれどそれは、ローズが幼い頃からの願いを果たした証拠でもある。
あの時ローズが欲しかっただろう救いの手。ローズは自分自身がそれになることで、かつての祈りを叶えたのだ。
「そっか……ローズの……」
かつて孤独だったローズに、こんな素敵な家族がいたなんて。
紹介してくれてもよかったのに、と不貞腐れそうになってふと思う。そういえば、僕はどうして今までローダに会わなかったのだろう。
ローダも孤児院にいたのなら、一度くらい顔を合わせていてもおかしくないのに。
「ローダは、ずっと孤児院にいたの?」
首を傾げる僕に、ローダは無表情のまま首を横に振った。
「いや。引き取られてからは、ローズさんから紹介された情報屋の下で働いていた」
「情報屋?どうして?」
「……ローズさんのようになりたくて」
ふいっと顔を逸らしながら答えるローダに、思わず小さな笑みが零れた。
耳がほんのり赤くなっている。ローダはローズのことを心から尊敬しているみたいだ。
ローズのことだから、ローダから向けられる敬愛にも気付いてなさそうだけれど。
「……さっきは悪かった」
ローズのことを思い出して懐かしい気持ちになった時、ふとローダが淡白に呟いた。
わかりにくいけれど、表情から微かに申し訳なさそうな色を読み取って思わず微笑む。
「どうして謝るの?ローダは、なんにもわるいことしてないよ」
「……いや、した。誤解させたようだ。ただ部屋を案内したかったのだが、また言葉が足りなかったらしい」
あ、一人でさっさと部屋に戻ったのって、そういうことだったのか。
てっきり僕に嫌気がさして帰っちゃったのかと思ったけれど、あれは普通に案内の続きだったらしい。
確かに言葉が足りなかったかも……と苦笑が零れた。やっぱりローズにそっくりだ。
「ううん、いいの。僕も誤解してごめんね。今から、お部屋のこと教えてくれる?」
「あぁ。もちろんだ」
気のせいだろうか。
顔を合わせた時よりもずっと、ローダの表情に宿る微小な感情の変化が読めるようになった気がした。
入り口の方から順に紹介する、と言われてローダと一緒に玄関へ戻る。
オーレリア兄様とハンス先生が心配した様子で慌てて駆けこんできたのは、その直後のことだった。
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