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【聖者の薔薇園-プロローグ】
190.かなりとってもぴんちな誘拐(前半トラードside)
しおりを挟むスラム街の裏路地。その奥深く。
一見何も無いただの行き止まりには、地面とほぼ同化した四角形の扉がある。
よく目を凝らせば薄らと色合いの境界線が見えるが、如何せん年中夜のように暗いスラム街では視界が悪い。そこに扉があると分かっていない限り、気が付く者はまずいない。
そして仮に気付いたとしても、その扉はただでは開かない。扉を一度だけノックして、その空間の持ち主である情報屋の名を伝えなければ、扉はぴくりともしない。
数多の偽名を持つ情報屋の本当の名を知る者は限りなく少ない。依頼自体は別の場所から情報屋の部下を通じて、何処からだろうと誰だろうと可能。だが、実際に会うことはほぼ不可能だ。
例えば情報屋の信頼する一部の部下か、それとも幼少期から親交のある腐れ縁か。
他人事のように奴の名を思い出し口にする、そんな俺も帝国一の情報屋の幼馴染だった。
とは言えお互い死にかけたりだとか騎士に追われたりだとか、危機的状況に陥っても情で手を貸すことは無い。依頼があれば、依頼主と情報屋という立場で関わる。それだけの淡白な関係。
まさに腐れ縁。今日は久々に、そんな腐れ縁に個人的な事情で会いに来た訳だが。
「やぁトラ、久しぶりだねぇ。最近会わないから死んだのかと思っちゃった」
「お前こそ、最近妙に大人しいじゃん?なんか後ろめたいことでもあったのかねぇ」
「やだなぁそんな訳ないって!僕ら親友でしょ?そんな怖い顔しないでよぉ」
よくもまぁペラペラと心にもない言葉が出てくるものだと毎度の如く感心する。
他人を懐に誘導する術には自信があるが、コイツと比較するとなると即答出来ない。人心掌握において、この男に勝る人間を俺は見たことが無い。
相棒は愛想の欠片もないノンデリ人形野郎だからか、この男の相手が本当に面倒に感じる。
ただただ世間知らずなだけのナチュラルサイコパスなローズの方が数千倍マシだ。
「……聞いたよリュウ。暗殺ギルドの連中と関わってるんだってな?あそこの奴らは嫌いだから依頼は受けないって言ってた癖に」
きっちりと三つ編みされた、赤と黒が混じったような艶のある髪。リュウはそれを微かに揺らして、故郷である遠い異国から唯一持ってきたという数珠に触れる。
無意識の仕草だろうが、幼少期からの付き合いである俺には分かる。その仕草は、リュウが何か後ろめたい事情を隠す為に行うことだという事を。
俺の瞳に浮かんだ呆れの色。リュウも俺の、俺自身さえ自覚していない無意識の癖を把握しているのだろう。意味深に笑んだかと思うと、数秒前までの僅かな動揺を完全に消し去った。
「そりゃあ情報屋も商売ですからぁ?報酬が高けりゃプライドも捨てる覚悟で受けてんですぅ。ただでさえ安定しない職なんだから!」
「暗殺ギルドは報酬が不味いって、それも前言ってたが?」
すかさず返すと、奴は「ゲッ」とわざとらしい声を上げてあちゃーと頬杖をついた。
薄々感じてはいたが、コイツ…今日俺が来ることを想定していたな。今この瞬間まで、全ての仕草がリュウの台本通りに進んでいる。
腐れた縁を利用した小芝居まで全て、思えばわざとらしい事この上ない。
俺が情報の動きに気付いたのも、リュウの差し金という訳か。コイツが本気になれば、俺でさえ情報の流れを掴めないのだから。
「いやぁ実はね?暗殺ギルドにとんでもない上客が入ったみたいなんだよねぇ。その客の報酬の一部で僕、雇われてんだけどぉ。これが本当にすっごい額なの」
リュウがここまで上機嫌になるのも珍しい。その上客とやらが払った報酬金は相場の数倍か、数十倍か。
兎も角、俺も知らない何か重要な情報が裏で出回っていることは事実。ここ最近の暗殺ギルドの金回りに加え、神殿の動きも少し妙だ。
聖者やら女神やら、前世やら転生やら。未だに理解の追い付かない状況に巻き込まれている今、どんな動きも見逃すことが出来ない。
世の中のあらゆる動きは、大抵全て点と点が繋がるように一本の糸になっていることが常だ。その点が、それぞれ大きな組織であるなら尚更。
「暗殺ギルドから支払われた報酬はいくらだ?その倍を払う。持ってる情報全て寄越せ」
幸運なことに、こっちには公爵家の例の双子から渡された報酬の大金がある。あの件は殆どあの子とその侍従が解決したことだから漁夫の利みたいなものだが、まぁ貰えるモンは全部貰っておいた方が良い。
今のように必要になる時が、いつか必ず来るものだから。
「うんうん。君ならそう言ってくれると思ったよぉ」
浮かぶ満面の笑顔には後ろめたい色は何もない。
情でも何でもない。コイツはただ、稼げると確信したものに片っ端から手を付けているだけだ。今回も、俺が食いつくことを確実に想定して誘導した。
さっきまでの情に絆されるような空気は何処へやら。奴は鼻歌すら歌いそうなほど上機嫌な様子で、暗殺ギルドが払った多額の報酬金を口にした。
払うことは払う。だが、全く本当に嫌な男だ。
「はい報酬」と差し出される手を、苛立ちのあまり思い切り叩き落してしまった。
* * *
「むぅ……」
ふと目が覚める。開いた視界に初めに映ったのは、異様なほど真っ白な天蓋とベッドだった。レースやフリルがふんだんにあしらわれていて、まるで絵本に出てくるお姫様のベッドみたいだ。
けれど見渡すと室内は石造りの牢獄みたいな造りで、狭い空間に大きなベッドが酷く浮いて見える。まるで鳥籠みたいだ、そんなことをぼんやり思った。
「シモン…らいねす…?」
とてっとベッドから降りる。寝惚けていたせいでぽすっと落ちてしまい、その瞬間の鈍い痛みで完全に脳が覚醒した。
「いたい……む、どこ…」
額をさすさすしながら起き上がる。ぺたんと地面に座り込んだまま、辺りをきょろきょろと見渡した。
高い場所にある小さな格子窓以外、光が射す場所はどこにもない。ぱちぱちと瞬き何気なく見下ろした時、ふと自分の格好の違和感に気が付きはっとした。
「しろ……?」
さっきまで着ていたはずの黒い服。それらを全て取り払われて、質素な白い服を着せられていた。
生地は薄くて、体のラインが薄ら見えるくらい。ワンピースのような型になっている上に、下には何も履いていない状態だ。
これはまずいでござる…と流石の僕もぽんこつ危機センサーがばちばち鳴り始める。
そういえば、眠る前は何をしていたんだっけと不意に。ぼんやりとした記憶を抱えてふらふら動いていたけれど、こういう時は状況把握が一番大事ってみんなが言っていた。ちゃんと覚えてる。
むむむ…と思考をフル回転させて記憶を思い出す。そうだ、シモンとライネス、そして僕の三人で仲良くお出掛けし、チーズケーキを待っていたところで不思議な事態が立て続けに起こったのだ。
シモンが突然目の前から消えて、ライネスがばたっと倒れて。呆然としている内に、背後から忍び寄って来た誰かが、後ろから僕の額に手を回して何かを呟いた。
そうしたら、急にすーっと眠気に襲われて。気付けば意識を失って、この場所にいた。
そこまで思い出し、賢いお兄さんの僕はとある衝撃の事実を悟ってしまう。
「ゆゆゆ、ゆーかい…??」
もしやこれ、かの誘拐というものではなかろうか、と。
あわ、あわわ、あわあわ。理解すると頭がこんがらがってあわわ状態になり、汗をたらたら流しながらよっこいせと立ち上がった。
こうしてる場合じゃないのでござる。一刻も早くここからだっしゅつするのでござる。あわ、あわわ。
「こんこん。だれかいませんか」
唯一ある扉をこんこんしてみる。傍に誰かがいたら状況を説明してもらおう、なんて正常であれば絶対に考え付かないぽんこつな選択肢を選んでしまった。
あわわ状態は外から見るよりもずっと酷いらしい。僕もこんこんしてからようやくハッとした。
慌ててしゃがみこみ、視界の先に見えた影に再びはっとする。そうだ、影は全部、僕とシモンを繋ぐ道なのだった。
ぺしぺし、と影に触れてひそひそ呼びかける。「しもん、しもん。僕、ここにいる」と。けれど一向にシモンが現れないどころか、そもそも影を中継点としたシモンとの繋がりが感じられない。
まるで、シモンとの繋がりが全て切断されてしまったみたいに。
「む、むむ…むぅ……」
膝を抱えて蹲り、影をつんつんしながらふと思う。
もしやこれ、かなりとっても、ぴんちなのでは…と。
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