余命僅かの悪役令息に転生したけど、攻略対象者達が何やら離してくれない

上総啓

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【聖者の薔薇園-開幕】

245.林檎の木(ローズside)

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『お前、名前は?』


 スラム街の裏路地で人殺しの元奴隷と恐れられていた俺に、そいつは何の躊躇もなく声を掛けて来た。諦観と憎悪が渦巻く中では珍しい、人間味溢れる真っ直ぐな目をしたガキだった。

 痩せ細ったそのガキは黙り込む俺にも物ともせず、首を傾げて隣に腰を下ろした。
 同い年程だろうか、この様子だと恐らく身内はいないのだろう。じっと見据える俺を見て何を思ったのか、そいつはハッとしたように目を丸くしてくしゃっと笑った。


『あ、悪い。まずは自分からだよな。俺はトラード、周りからはよくトラって呼ばれる。母親がいたんだけど、俺にばっか飯与えてたから昨日空腹で死んじまったんだ』

『……』

『埋めるとか出来ねーし、火葬?もやるとこねーしで何も出来なくてさ。だからその場にほっぽって、俺は次の場所探してここまで歩いてきたんだよ』

『……』

『あそこは頭おかしい奴ばっかだからなぁ。たぶん今頃、そういう屑共に性処理目的で使われてると思う。まぁ腐ったらやめるだろうし、今のうちだけだろーからさ、別にいいけど』


 聞いてもいないことをペラペラと喋るそいつ。
 無表情で聞いているのか聞いていないのか傍からでは分からない俺相手でも、本当に会話が続いているかのように話すガキに呆れて眉を寄せた。
 この辺りの人間でないのなら、俺がどれ程恐れられているのかも知らないのだろう。本来、俺に近付くような人間は一人としていないのだと。

 まだ喋り続けるガキの言葉を遮り声を上げた。


『……喧しいのは嫌いだ。少し黙れ』


 ガキが瞬く。泣くかキレるかどちらだろうかと様子を窺うと、そいつは予想に反して意外な反応を見せた。
 頬を紅潮させ、嬉しそうに瞳を輝かせる。俺の片手をがしっと両手で包み込んだかと思うと、それを嬉々とした表情でぶんぶんっと振り始めた。


『お前話せんのか!周りと違ってマジで一言も話さねーから、てっきり口が駄目になってる奴なのかと思ったぜ!』


 ニカッとした笑顔のそいつ…トラード。
 予想外の反応に思わず瞬くと、そいつはまた嬉しそうにくしゃりと笑う。ぽんっと肩を叩かれても、意外な事にそれほど嫌悪感は湧かなかった。


『仏頂面よりそっちの人間っぽい顔の方がいいって!絶対!』

『……、…』

『あ、ほらこれやるよ。さっき拾った林檎。人間飯食えば笑顔になんの!腹減ってるとマジで笑う余裕ねーからさ』


 半強制的に林檎を持たされ呆然とする。
 期待の籠った眼差しに何故か逆らえず、林檎を一口齧って飲み込んだ。たちまち果実の甘さが舌に広がって、数日ぶりのまともな食事に微かだが頬が緩んだ。
 トラードが悪戯っぽい笑みを浮かべる。


『ほらな?笑っちまうくらいうめーだろ』


 その笑顔に、凍て付いた心の何処かが僅かに溶けたような気がした。




 * * *




 重い瞼を上げる。
 初めに見えたのは高い天井。嫌味なほど白が強調された、世間一般で言う神秘的な空間。所々に散りばめられた宝石の装飾が、この神殿の腐った裏側を想像させて反吐が出そうだ。

 体が動かない。まるで鉛のような感覚に焦れる。
 動くのは精々指先だけ。それ以外で唯一動かせる視線をそろりと移すと、そこには凪いだ微笑を浮かべたトラードがいた。
 一瞬涙を流しているようにも見えたが、本当にそう見えた気がしただけだった。こいつの泣き顔なんて想像も出来ない。そもそも、トラードが涙を流したことが今まであっただろうか。


「……いつから…寝てた…」

「全然だよ、一分くらい」


 再び視線を移す。少し離れた場所に例の聖騎士団長の男が倒れていた。
 俺を刺して油断した一瞬の隙をトラードが突いたのだろうか。真正面から正々堂々は無理でも、俺とトラードなら相手の隙を突くことの方が得意だ。だから、上手くいったのかもしれない。

 そこまで考えてふと興味を失って、すぐに視線をトラードに戻した。
 思った通り、こっちを見ていた方がずっと良い。不快感が全く無い。


「なんで俺を庇った?」


 ふと零された問い。重い瞼を閉じて開いて、数回瞬きを繰り返してから首を傾げた。
 どうして。その問いの答えは誰も知らない。俺も、分からない。ただ、あの時確かに途轍もない激情を抱いたことだけは覚えている。

 トラードがあの大剣に貫かれて、多量の血を吐きながら地面に伏せる光景を想像した。するとどうにも焦燥が湧いて、鼓動が嫌な音を立てて、気付けば足が動いていた。
 腹を貫かれた時の感覚は覚えていない。それが意識よりも体が先に動いた何よりの証拠。どうしてそんなことをしたのか、それは俺にも分からない。ただ一つ、確かなことがあるとすれば。


「……お前が…死ぬのが、嫌だった…」


 トラードが息を呑む。例えばその後を聞かれても答えられない。それはどうしてだとか、聞かれても分からない。
 ただ嫌だった。本当にそれだけだ。それに伴う感情なんて、難しくて理解出来ない。


「トラード…腹、減ったな…きょうは…がんばった、から…」


 だから、今日の晩餐はいつもより豪華にしよう。林檎ではなくて、アップルパイに。
 あいつらにも肉を。育ち盛りの悪餓鬼共が多過ぎて、いつも肉の用意が間に合わないことを思い出す。野菜も食えともう一度指導するべきだろうか。
 なぁ、お前はどう思う。その問いを口にしたくて視線を上げると同時に、視界に雫がほろりと落ちてきた。大粒の雫だ。

 不思議に思って辿り、瞬く。
 あのトラードが、何故か静かに涙を流していた。


「っ…あぁ…そういえば、あいつらがさ…庭に木を植えたいって…飯の前に、あいつらのわがまま聞いてやろーぜ…」


 どうやら殺風景な庭が気に入らないらしい。あのガキ共は事あるごとに無駄な飾り付けをしようと悪さをするから目が離せない。
 大方、小さな花だけという風景に嫌気がさしたのだろう。だからって大輪の花を植えるだとか、そういうことではなく、木を植えようと考える馬鹿共の思考に笑いが零れる。

 あぁそうだ。それなら。


「……りんごの…木を…」

「林檎の木?」


 瞬くトラードに頷く。
 思い出すのは、空腹で死にそうだと騒ぎ立てていたいつかのトラード。あの頃の俺達。

 その日の食料を手に入れることすら難題で、数日何も食べない事など珍しくも無かった幼少期。俺は不意に考えたことがある。
 盗まなくてもいい、効率的な方法があるだろうと。あの場所に木を植えればいいのだ。林檎の木を。そうすれば、もう誰も空腹で死ぬことなんてない。

 あの時それがあれば、きっとトラードも、母親を失って悲しむこともなかった。
 俺の相棒が、家族が…泣くことなんてなかった。



「…なにがあっても、あいつらが、おまえが…腹を空かせて、泣かないように」



 視界が朧げに霞んで、もうトラードの顔すらよく見えない。
 ただ、相変わらず零れ落ちてくる雫が、トラードの表情を嫌でも想像させた。

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