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【聖者の薔薇園-開幕】
255.方法はひとつだけ
しおりを挟む焦燥を滲ませたライネスが手を伸ばす。半透明の僕の手にそっと触れると、確かに感触があることに安堵したのかほっと息を吐いた。
ぱっと見ただけでは触れられるようには思わないだろう。透明な手に触れようとしたって、伸ばした手は宙を切るだけだと考えてしまう。だから僕もほっとした。
まだ、僕はここにいる。この世界にいる。
刻々とタイムリミットが近付いているだけで、まだ終わりではないのだ。僕にはまだ出来ることがある。まだ手遅れじゃない。
両手を包む大きな手の温もりが、その事実を確かに伝えてくれる。
「そんな…どうして…」
泣きそうな顔のライネス。いつも笑顔で余裕そうな雰囲気を崩さないライネスの弱々しい表情は、胸を痛いくらい締め付けてとても苦しい。
縋るようにぎゅうっと抱き締められるのをただ受け入れる。もうすぐ消えてしまうそれを閉じ込めるような、そんな仕草に視界が滲んだ。ライネスだって、無駄だってことを分かってるはずなのに。
「だめ、フェリ…フェリ…」
震える声が耳元で響く。その声につられて涙がぽろぽろと零れそうになって、けれどその衝動はぐっと堪えた。
今泣いてしまえば全てを受け入れてしまうだろう。悲しいという感情も、離れがたいという我儘も。このまま縋り付いて、全て投げ出してしまうだろう。
それが駄目だと分かっているから、僕はただ抱き締めた。ぎゅーっといつも通り、広い背中に腕を回して強く抱き締めた。
けれどすぐに体を離す。長い間ぎゅっとしてしまえば、それこそ離れがたくなってしまうからだ。ぽかぽかな温もりを確認するだけで留めて、あとはそっとライネスの体を突き放す。
今にも泣き出しそうな表情から、数秒視線を逸らすことが出来なかった。
「力を使い過ぎたから…?だからこんなっ…こんなことに…?」
半透明の手を握り締めて呟くライネス。
力無い声に答えるように首を横に振って、そうじゃないよと眉を下げた。本当は、ライネスももう察しているはずだ。
「力を使っても、使わなくても、こうなってたの。あのね、僕は本当は…もう生きられないはずだったの」
今世とよく似た一度目の世界。それから数千年。
人間の魂の寿命は繰り返した輪廻の数が増えるほど尽きていく。生きては死んでを繰り返し、輪廻を繰り返した後で寿命を迎え、魂は消滅する。
例えるなら、使えば使うほど擦り切れるバッテリーのようなものだ。
僕は休む間もなく輪廻を繰り返した。マーテルの呪いによって、生きては死んでをそれこそ絶え間なく延々と続けた。
呪いの原理は恐らく、神であるマーテルが僕のバッテリーに、本来あってはならない二つ目を付け加えたといったものだろう。
一つ目…つまり本来のバッテリーは今までの輪廻の繰り返しでとっくに擦り切れてしまっている。けれどマーテルが無理やり作った二つ目によって、僕は今生きている。
だからマーテルが消滅してしまえば、必然的にマーテルの意思で維持されている二つ目のバッテリーも消滅してしまうということ。
すると魂も突然消滅するから、僕の存在も突然消え去ってしまう。その予兆がたった今起こっている透明化だ。
「マーテルが…聖者がいなかったら、僕は産まれることすらできなかった。聖者と僕は繋がってるの。聖者がいないと、僕は生きられない」
ライネスの表情が青褪める。とっても頭が良いから、この言葉だけで全てを理解してしまったようだ。
なるべく重い空気に堕ちてしまわないようにふにゃりと笑顔を作る。下がった眉も震える体もどうしようもないけれど、それでも笑った。
「でも、聖者は倒さないと。そうでしょ?」
僕の言葉を聞いてはっと口を開いたライネスだったけれど、それは直ぐに閉ざされた。反論の言葉が浮かぶと同時に、その反論には僕を説き伏せるだけの力が無いと気付いたのだろう。
マーテルを倒す。それ以外の選択肢は無い。
そうしないと一度目の悲劇がまた繰り返される。きっと彼はまた僕を独りぼっちにさせて帝国を思い通りに支配して、民も僕の大事な人達もみんなに酷い洗脳を強いるのだろう。
今回が僕にとってもマーテルにとっても最後になるかもしれないという可能性を踏まえれば、もしかすると前回なんて比べ物にならないくらいの悲劇が生まれてしまうかもしれない。
本気になった神を相手に人間が出来ることなんて何もない。
だから弱っている今、マーテルを倒さないといけない。それはライネスもよく分かっているだろう。
「な、何か…もっと…」
「……」
「何か違う方法が…もっと何か、あるはずだ…!まだ気が付いていないだけで、フェリを犠牲にしない方法が…!」
ライネスの綺麗な頬に雫が伝う。余裕なんて微塵も無い、焦燥も混乱も全て顕にした姿に思わず息を呑んだ。
冷静に思考する様子は無い。本当は全て理解しているから故の錯乱。ライネスはもう分かっている。理解している。
呪いを解けるのは聖者だけ。そしてリベラ様の力を持っている僕だけ。
仮に何かの奇跡が起こって呪いが解けて、マーテルとの繋がりが切れたとしても。その先に待ち受けるのは死だけだ。呪いが解けるという事は、つまり魂が消滅するという事だから。
魂の替えなんてない。僕がマーテルの道連れになる以外の結末なんて存在しないのだ。
「行かないでフェリ…私が助けてあげるから、守ってあげるから…」
「……ライネス」
「絶対に…方法を見つけ出してみせるから…」
「ライネス」
虚ろな瞳を見るのが辛くて、思わず僕の方からぎゅーっと抱き着いた。
突然飛びついてきた温もりに驚いたのか、ライネスの瞳に少しだけ光が戻る。反射的に抱き締め返されてふにゃりと笑むと、すぐにライネスの泣きそうな表情が返ってきた。
「ライネス。たくさん考えてくれてありがとう。でも、方法はないの。時間も、もうない。僕はもう行かないと」
大丈夫。ライネスはきっと大丈夫だよ。そう微笑むと、ライネスは強く首を横に振ってその言葉を否定した。
大丈夫なわけない。震える声でそう紡がれて眉を下げる。ぽんぽん、と優しく背中を撫でてから体をそっと離した。
雫が伝う頬を両手で包み込んで、最後に柔く微笑む。まだ温もりを感じる手の感触に安堵して、大丈夫じゃないと首を振って縋るライネスに小さく語りかけた。
「大丈夫だよ。大切なものがあるんでしょ?」
そう言うとライネスはハッとしたように目を見開いて、次の瞬間なぜか仕方なそうに微笑んで目を閉じた。
その拍子に零れた涙を気にする素振りは一切なく、ただ困ったような微笑みだけが、ずっと脳裏から離れなくなった。
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