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【聖者の薔薇園-開幕】
275.ゼウスの決断
しおりを挟む「……ぼ、僕…そんなに怖いかな?」
冷酷な瞳に見据えられて数分。
耐え切れなくなった僕はリベラ様の膝にぽすっと乗せられ、対面でむぎゅーっと抱き締められてゼウス様に背を向けていた。神界の王様相手にとっても不敬だけれど、リベラ様が離してくれないのでどうしようもない。
そしてその数秒後に背後から聞こえてきたおろおろとした声。チャラチャラしていたり冷たかったり気弱だったり…何と言うか、キャラの定まらない神様だなぁ。
人間とは根本から何かが違うのだろうけれど、それにしたって曖昧な仮面が見ている側は疲れてしまう。ゼウス様の二転三転する人格は、まるで自分に合う仮面を試行錯誤しているみたいな違和感があるのだ。
とにかく、気弱な仮面になったゼウス様が震えた声で呟いた問い。リベラ様の胸に埋めていた顔を上げて、ちらりと振り向き答えた。
「ちょっぴり…こわい…」
「やっぱ怖いかー…」
しょんぼり。そんな擬音が本当に聞こえてきそうなくらい沈んだ声に、少しだけゼウス様の胸の内が気になってぴたっと固まった。
もう一度ちらりと振り返る。今度はきちんとゼウス様の表情を見て、そこに滲む悲しそうな…悔しそうな色に首を傾げた。その一瞬だけ、ゼウス様から神様としての仮面が外れたように見えた気がして。
「……リベラ様。僕、おりる」
「む…。そうか、では最後にもう一度ぎゅうだ。ぎゅうをするぞ」
リベラ様はあったかいものが好きらしい。僕は生きた人間だからか人肌がして暖かいらしく、一度ぎゅーを経験したリベラ様が見事にぎゅーにハマってしまった。
言われた通り最後にもう一度「むぎゅー」とむぎゅむぎゅしてぱっと離れて、ゼウス様に向き直るようにソファに座り直した。
正面にしょんぼりと座るのは気弱な仮面のゼウス様。チャラチャラしていると勢いに圧倒されて話しづらいからちょっぴり安心。
僕の返事をじっと待つ姿に、少し逡巡してから尋ねてみた。
「ゼウス様は、どうしてリベラ様を追放したんですか」
予想外の問いだったのだろうか。ゼウス様だけでなく、リベラ様まで僕の問いを聞いて目を見張った。
確かに今の流れならマーテルの件を問うのが普通か。はてと考えて、突然とも言える問いを反省した。この流れでまさかリベラ様の追放の件を蒸し返されるとは思わなかったのだろう。
まずはゼウス様の思想を確かめるところから。一度の話し合いだけで全てを語り合えるほど、マーテルが犯したことは小さなものではないのだ。だから、ゼウス様の思想は慎重に聞かないと。
そう思い紡いだ問いは突然のものになってしまったけれど、意外にもゼウス様はしっかり考えるような仕草を見せてから真剣な表情で答えた。
「……その件については、反省はしているが後悔はしていない。神々が密かに不満を募らせていたのも知っている。これでも一応……天帝だからね」
自嘲するような笑みにぱちくりと瞬く。さっきまではリベラ様を追放するなんてと感情的に怒りを湧き上がらせてしまっていたけれど、今は少し落ち着いて考えられる。
ゼウス様はどうやら、ただ単に愚かな神様というわけではないらしい。こんなことを考えることすら本来なら不敬なのだろうけれど。
ゼウス様にも何かしらの事情がある。それをその自嘲気味な笑みだけで何となく察した。
「僕だって、初めはリベラを追放する気なんて更々無かったよ。リベラは言わば先代の有能な置き土産。未熟な僕がリベラを手放そうとする筈がないだろう」
リベラ様を疎んでいたわけではないのか。仲が悪そうだから、てっきりゼウス様はリベラ様のことが嫌いなのかとばかり。
けれど今の表情を見る限り、どうやらそうではなかったようだ。考えてみれば、神界の王様が私情で判断を鈍らせるようなことはしないだろう。何度もそういう判断を続けていれば、きっと世界はとっくに均衡を崩しておかしくなっていただろうから。
「だがリベラを神界に残すにはリスクが大き過ぎた。力を奪われた神は大抵邪神に堕ちてしまうが、リベラを邪神に堕とすわけにはいかなかったんだ」
「……?でも…リベラ様は邪神になっちゃって…」
リベラ様が追放されたのは邪神に堕ちてしまったからという理由だったはず。
邪神に堕とさないための追放という理論はおかしいんじゃ…と困惑を表情に滲ませる僕に、ゼウス様は「あぁ」と思い出したように声を上げて答えた。
「追放はあくまで名目だよ。肩書が『自由の神』から『邪神』になったというだけ。そもそも、邪神堕ちした神は必ず自我を失い暴走してしまうからね。リベラにはそれが無かっただろう?」
確かに、リベラ様に暴走しているような節は見られなかった。本当に邪神になってしまったわけじゃなく、邪神になる前に神界から引き離しただけだったのか。
でも…それはそれでどうしてなのだろう。きょとんと首を傾げると、隣から伸びてきた手に髪をふわふわと撫でられた。
「私は最強だからな。最強の神が暴走してしまえば、神界のみならず下界まで滅ぼしかねない。故にゼウスの主張は理解出来る」
「暴走したリベラに下界まで壊される訳にはいかなかったから…あの時はマーテルの目をリベラから引き離すことに精一杯だったんだ」
自信ありげにふふんと胸を張るリベラ様。それを見てげんなりと苦笑するゼウス様。なんだかさっきまで怖がっていたことが申し訳なくなってきた。
こうしてみると、ゼウス様は案外ただの優しい苦労人だ。表面的には謎が多くて恐ろしく見えてしまうけれど…きちんと話してみれば、その心の内が少なからず理解出来る。
「本当に申し訳ない…弁明の余地も無いよ。僕は確かにお前一人の魂と引き換えに、下界と神界の安寧を取ってしまった」
「……」
「打算があったのも事実だ。人間の魂を一つ犠牲にするだけで、全てを救えるならと…天帝としてあるまじき判断をした」
テーブルについてしまいそうなくらい深く頭を下げるゼウス様の姿を見て、何だか力が抜けてしまった。
考えてみれば、確かに僕一人の魂で全ての世界と神界が救われるなら…自分でも、ゼウス様と同じ決断をしていただろう。誰だってそう判断したかもしれない。
その時、それ以上の策が一切無かったなのなら尚更。ゼウス様には世界かたった一人の魂かという究極でも何でもない二択が迫られ、けれど神としての倫理の狭間で苦悶したのだ。
これ以上、ゼウス様を責める理由があるのだろうか。そう心が揺れてしまう。
しょん…と俯いた僕を見下ろしたリベラ様が、何を思ったのかふと目を細めてゼウス様に低い声を上げた。
「おいゼウス。同情を誘うような物言いをするな。この子は優しいから、そんな事を言われてしまえば慈愛の心で全てを許してしまう」
「あ、ご…ごめんよ…」
ハッとした様子であわあわと瞳を揺らすゼウス様。リベラ様が相手だと途端に子供っぽくなるなぁなんて思いながらぽーっとしていると、ゼウス様が決意を滲ませた瞳で何やら力強く頷いた。
「勿論全ての責任は天帝である僕が取るつもりだ!」
「そうか。ではフェリアルの魂も責任を持って修復するのだな」
「えっ。えぇっと、それは…」
「するのだな」
無表情。圧のある低い声。向けられていない僕でもカタカタ震えてしまいそうな声に、ゼウス様も当然逆らうことは出来なかったらしい。
やがてさーっと蒼白してぷるぷる震え始めたゼウス様が、消え入りそうな声で「ハイ…」と頷いた。
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