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【聖者の薔薇園-終幕】
319.ばぶフェリアル様(シモンside)
しおりを挟む「フェリアル様!ただいま戻りました!」
片手にチーズケーキを乗せたトレイを持ち、コンコンとフェリアル様の部屋の扉をノックする。
しかし、いつもならすぐに聞こえる返事が十数秒経っても一向に返ってこない。不思議に思い遠慮なくガチャリと扉を開けると、初めに視界に入ったのは何やら絶望した面持ちで膝をつく犬の姿だった。
「グリード?そんな所で何をしているんです?フェリアル様お気に入りのラグが汚れるからさっさと立ってください」
今朝掃除したばかりのラグに犬の毛がついてしまったらどうしてくれるのか。ただでさえそのラグはフェリアル様お気に入りのウサギ柄をしているというのに。
トレイを近くのテーブルに置きグリードに近付く。ラグに手を触れてもふもふが維持されていることを確認し、満足気に頷いてもう一度グリードを見下ろした。
一体どうしたのか。いつもなら俺が指示をすれば喜んで即座に動き始めるのに。
きょとんと首を傾げた直後、どこからか聞こえた幼子がぐずるような声に再び瞬く。グリードの視線の先を追ってその声が聞こえた場所を視界に入れた。
そして、あんぐりと目も口も大きく開いて硬直した。
「あぅ、うー……っ」
四つん這い……ハイハイの姿勢、と言うべきか。その姿勢で床をぺちぺちと叩きながらむっと頬を膨らませる小さな赤ん坊。ふっくらほっぺをぷるんと震わせる愛らしい赤ん坊の姿がそこにはあった。
ふわふわの髪はプラチナブロンド、くりくりの大きな瞳は瑠璃色。見覚えしかない天使の如き容姿。
「……これは、どういうことですか」
低く地を這うような声が零れ落ちた。
アホ犬がビクッと体を揺らす瞬間を視界の端で捉える。答えを聞く前にスタスタと小さな主の元へ近寄り、何処かに体をぶつけて怪我をしないようそっと抱き上げた。
俺のことを認識しているのかしていないのか、瑠璃色の瞳が俺を捉えた瞬間大きなくりくりおめめが潤み始める。えぐっと嗚咽が聞こえてマズい!と思った直後、小さな主は顔を真っ赤にして泣き出した。
「ぇぐっ、ぁーうっ……」
「あぁっフェリアル様!よーしよしいい子いい子っ!ほーらシモンでちゅよー?」
ぐずる赤子を前に慌てて両腕をゆらゆら揺らす。
意思疎通の出来ない赤ん坊の世話をするのは初めてだ。これが見知らぬ子なら憂鬱でしかなかっただろうが、この子の正体がフェリアル様であると直ぐに察した今は憂鬱など微塵も感じない。
全く理解が追い付かない状況ではあるが、正直胸の高鳴りが抑えられない。ばぶフェリアル様なんて俺得すぎる。かわいすぎる。
「あぶっ、ぶぅー……!」
「ぶーですねぇ。かわいいフェリアル様は何がお気に召さないのかなー?」
「ぶぅ!」
「えっ、俺!?俺がお気に召しませんか!?」
あぶっ!と超絶きゃわわすぎる抵抗をしながら俺を指さすフェリアル様。かわいすぎるだろ、すかさず心の水晶にきゃわわフェリアル様を激写、カシャッカシャッ。
俺の顔をぺちぺち叩いて嫌そうに眉を顰めるフェリアル様超絶きゃわわ。いつもなら絶対に向けられないゴミを見るような目、正直最高すぎて死にそうである。まる。
ちっちゃなぷにぷにおてても肉球みたいでほんと可愛い天使。食べちゃいたい。
とは言え、流石に状況の理解が追い付かないままばぶフェリアル様と遊び呆けるわけにもいかない。まずはどうして俺のフェリアル様がばぶフェリアル様になってしまったのか、その原因を把握しなければ。
よーしよしいい子いい子と宥めつつゆっくりと振り返る。ひたすら冷や汗を流しながら目を泳がせていた犬を見下ろし、もう一度低く問い掛けた。
「……これは、どういうことですか?」
ばぶフェリアル様のつるつるおでこにちゅっちゅ。嫌そうに俺の唇を押しのけるばぶフェリアル様まじきゃわっ。今なら悔いなく死ねること間違いなし。
ぷにぷにほっぺを指でつんつんふくふくしながら待つこと数秒。やがてグリードがかたかたと震えながら小さく白状した。
「実は、そのぉ……色々な偶然を経て?俺の箱に姫がすぽっと入っちゃいましてぇ……」
「……は?」
ちゅっちゅ中断。今何て言ったコイツ。
俺の能力よりも危険性が高いと言われる『消滅』の能力を、あろうことかフェリアル様に発動させてしまっただって?そろそろ殺処分していいだろうかこのアホ犬。
グリードが持つ闇属性能力は俺の影より圧倒的に格上。コイツが本気を出せば国一つが簡単に滅ぶほど。周囲への牽制も兼ねてフェリアル様の下僕にしておくことに越したことはないと思っていたが……ヘマでフェリアル様に能力を使ってしまうくらいなら寧ろリスクの方が高い。
「お前、いい加減殺し……──」
「あぅっ、ぶぅ!」
「あっあっ、フェリアル様よーしよし!ぶぅですねぇ、怖い顔しちゃメッ!ですよねぇごめんなさいっ」
今この場で処分してしまおうかと殺気立ち触手を影から伸ばした瞬間、腕の中から聞こえてきたぐずりに慌ててゆらゆらーっと腕を揺らした。
ぷくっとほっぺを膨らませて眉をむーっと顰めるフェリアル様。歪んでいた表情をへにゃあっと緩ませ、フェリアル様が視線を逸らした隙にグリードをキッと睨み付けた。
汗を垂らしながらあうあうと体を震わせるアホ犬。いいからさっさと説明しろと視線だけで訴えると、犬はやがて顔面蒼白しながら小さく答えた。
「あぇっ、えぇっとですねっ!『消滅』の原理ってのはそもそも、物体の時間を巻き戻して存在がゼロだった頃に戻す、っていうもんでして!万が一が発生しないよう、人間が箱内に入った場合の消滅はロックしてるんで最悪の結果は絶対起きないんですけども!まぁその原理で姫は時間を巻き戻して、ちっちゃくなっちゃった訳なんですねぇはいっ!」
「……記憶は?記憶も巻き戻るんですか?」
「あぁっと、その、人間で試した回数がまだ少ないんで、ちょっと曖昧なんすけど……。記憶はたぶん、巻き戻らないです!でもその……体は急に巻き戻るわけなんで、脳が混乱して記憶が曖昧になっちゃう……ってのはありますはいっ!」
「……フェリアル様は元に戻るんですか?」
「それはもうはいっ!もちろんですっ!ただそのぉ……時間はかかっちゃいますね……半日くらいしたら戻るはずです、はいっ」
うとうとと微睡み指をはむはむするばぶフェリアル様を優しく撫でる。
半日……どうしたものか。ただでさえ今日は彼らが邸に戻ってくる日だというのに。フェリアル様がクソ皇帝……コホンッ、皇帝陛下に弄ばれ邸全体が殺気立っているこの時に。
これ以上フェリアル様に異変が起きただなんて知られてしまえば、またフェリアル様が軟禁……もしかすると監禁までいってしまうかもしれない。
「あぶぅ」
「うーん……」
それにしてもかわいいかわいすぎる。脳が溶ける前に何とかしなくては。
しかしこの事実を隠しておくわけにもいかない。取り敢えずは上手い言い訳を考える程度しかすることは無いか……なんて考えたその瞬間。
不意に廊下から聞こえてきた豪快な足音を察し、あぁだめだと一瞬で諦観が脳を支配した。
「チビ!!戻ったぞ!!」
バァン!ととんでもない音を響かせて扉が開く。その音にびっくりして目覚めたばぶフェリアル様が、途端に瞳を潤ませ顔をへにゃりと歪ませてあぴゃーっと泣きだしてしまった。
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