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第十章:十日、迫る影
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ヴァンは床に転がったバッジを拾い上げた。黒光りする金属に蜘蛛の紋章が刻まれ、ずっしりとした重量感がある。
アイリは数歩後退したまま、警戒を解かない。狼の耳がピクピクと動き、いつでも飛びかかれる体勢だ。
「……なぁ、アイリ」
ヴァンは徽章を手の中で転がしながら尋ねた。
「お前、これを『見た』のか?」
「……いや」
アイリは警戒を解かずに答えた。
「匂いだ」
「匂い?」
「昔、任務に出る前……司令官がこれを着けてた。近くに寄った時、鉄と血と、妙な薬の匂いがしたんだ」
アイリは鼻をひくつかせた。
「ふむ……」
ヴァンは徽章の紋様を指でなぞった。
「じゃあ、この蜘蛛の模様は? お前が見たのと完全に同じか?」
「……わかんねぇ」
アイリは目を細めた。
「よく見てねぇ。けど……なんか違う気もする」
ヴァンは黙ってバッジを見つめた。蜘蛛の目が、まるで生きているかのように光を反射している。彼は深く息を吐き、静かに言った。
「……わかった。アイリ、聞いてくれ」
「何だよ」
「俺も、このバッジを手に入れたのはつい最近だ」
ヴァンは真剣な目でアイリを見た。
「もしお前の言う通りなら、軍情局は信用できない。ビリィの救出に、あいつらは使えない」
「……」アイリは黙った。
「だから、別の方法を考える」
ヴァンは続けた。
「軍情局には頼らず、俺たちだけで動く」
アイリはしばらくヴァンを見つめていた。その目には、疑念と期待が入り混じっている。そして、小さく、震える声で聞いた。
「……お前、信用していいのか?」
「信用するしかないだろ」
ヴァンは肩をすくめた。
「今のお前には、俺以外に頼れる奴はいない」
「……っ」
「それに、約束しただろ。ビリィは必ず助ける」
アイリは唇を噛んだ。しばらく沈黙した後、彼女は低く唸るように言った。
「……十日だ」
「十日?」
「十日以内に動け」
アイリは鋭い目でヴァンを睨んだ。
「それまでに何もしないなら、オレが一人で行く」
「待て、それは無茶――」
「無茶でも何でもいい」
アイリは窓に向かった。
「オレの妹は、今も苦しんでる。待てる時間には限りがあるんだ」
そう言って、彼女は窓から飛び出した。
月明かりの中、その姿はすぐに闇に溶けていく。
ヴァンは窓辺に立ち、夜空を見上げた。そして一人、溜息をついた。
「十日、か……」
週末が終わり、ヴァンは再び学院の寮に戻った。部屋に入ると、ローランが既にベッドで本を読んでいた。
「おかえり、兄貴。家での滞在はどうだった?」
「……疲れたよ。お前は?」
「俺は街の賭場で稼いでた」
ローランはニヤリと笑い、金貨の山を指差した。
「賭博さ。貴族のボンボンどもから巻き上げ放題でね」
「……ほどほどにしとけよ。刺されるぞ」
「へいへい」
その時。
窓が音もなく開いた。
「ただいま」
シンカクだった。相変わらずの白い仮面。相変わらずの無表情。彼女は軽やかに部屋に入り、壁際に立った。
ローランが「うおっ!?」 と飛び上がる。
驚きで、手元のコインが派手にばら撒かれた。
「……お前、玄関から入れよ」
「近道」
シンカクは短く答え、ヴァンの前に立った。
「お帰り」
ヴァンは少し安堵した。
「調査、どうだった?」
「まだ途中」
シンカクは淡々と答えた。
「フィロメラの足跡、いくつか見つけた。でも、まだ全部は追えてない」
「そうか……」
ヴァンは少し考えた後、バッジを取り出した。
「なぁ、シンカク。これ、何の材質か分かるか?」
シンカクはバッジを受け取り、じっと見つめた。数秒後――
「魔導銀」
「マギ・シルバー?」
「帝国特有の鉱石です」
シンカクは淡々と答えた。
「導魔性が高く、希少。偽造は困難」
「……帝国特有、か」ヴァンは眉を寄せた。
「そう。他国では採れない」
ヴァンの脳内で、パズルのピースが組み合わさっていく。帝国特有の鉱石。偽造が難しい。そして、ノストラの実験施設で使われていた。
(つまり――)
二つの可能性。
一つ目:帝国の軍部が、ノストラの人体実験に関与している。
二つ目:誰かが帝国軍部から鉱石を盗み、バッジを偽造した。
どちらにしても。
(ヤバい)
ヴァンは深くため息をついた。(とんでもないことに巻き込まれてる気がする……)
だが、アイリの顔が脳裏に浮かんだ。彼女の必死な表情。妹を助けたいという、あの純粋な願い。
(……引き返せないな)
ヴァンは立ち上がった。
「シンカク、頼みがある」
「何」
「アイリの妹、ビリィを救出したい」
「……」
「そのために、お前に偵察を頼みたい」
ヴァンはアイリから聞いた場所を伝えた。
「ここに、実験施設がある。そこの状況を調べてきてくれ」
シンカクは首を振った。
「無理」
「なんで?」
「数日かかる。その間、お前を守れない」シンカクは即答した。「私の最優先任務は、ヴァン様の保護です」
「でも――」
「ダメ」
ヴァンは少し考えた。そして、論理的に説得することにした。
「なぁ、シンカク。もし敵が軍情局、あるいは帝国の高層だったら、俺を捕まえに来ると思うか?」
「……来る」
「その時、お前が俺の側にいても、最大でも『捕まらないように守る』ことしかできないだろ?」
「そう」
「もし相手がS級を派遣してきたら?」
「……勝てる。でも、時間がかかる」
「そうだろ」
ヴァンは一歩近づいた。
「つまり、最良の防御は、事前に敵が誰なのかを知って、正面衝突を避けることだ」
「……」
「お前が敵の拠点を偵察すれば、帝国の高層が関与してるかどうか分かる。もし関与してるなら、俺たちは逃げる時間がある。もし関与してないなら、安心して行動できる」
シンカクは黙って考えていた。ヴァンは続ける。
「それに、俺はベルンハルト将軍に庇護されてる。学院の中にいる限り、S級が堂々と学生を襲うなんてできない。でも、アイリの妹は、待てない」
「……」
「もしビリィを見殺しにしたら、アイリはどうすると思う?」
「……暴走する」
「そうだ。あの狂犬が一人で突っ込んで、捕まって、俺たちの情報を敵にゲロるかもしれない。そうなれば俺も危ない」
ヴァンは続けた。
「逆に、恩を売っておけば、あいつは忠実な番犬になる。俺たちの戦力が増える」
シンカクは少し考え込んだ。
損得勘定。
リスクとリターン。
数秒後、彼女は頷いた。
「わかった。行ってきます」
「頼む。無理はすんなよ」
「はい」
シンカクは窓枠に立った。
「ヴァン」
「ん?」
「……死なないで」
それだけ言い残し、彼女は風となって消えた。
相変わらず、去り際があっさりしている。
「……お前もな」
ヴァンは苦笑して呟いた。
二日後。
午後の講義が終わった大講堂。
学生たちは三々五々と教室を出て行くが、ヴァンは一人、席に残ってノートを整理していた。
(……シンカクが発ってから二日か)
(まだ連絡はない。無事だといいが)
そんなことを考えていると。
「……ごきげんよう」
頭上から、不機嫌そうな声が降ってきた。
顔を上げると、銀髪の少女、エレナが立っていた。
制服を完璧に着こなし、腕を組んでこちらを見下ろしている。
一瞬、彼女の視線が泳いだように見えた。
あの夜、部屋に亜人を連れ込んでいた件について、何か言いたげだ。だが、彼女はすぐに気を取り直したように鼻を鳴らした。
「よう。どうした?」
「別に。あなたがいつまでも残っているようでしたので」
エレナはフンと鼻を鳴らした。
その手には、戦棋盤が抱えられている。
ヴァンは思わず吹き出した。
「……またやるのか?」
「勘違いしないでくださいまし!」
エレナは顔を赤くして叫んだ。
「わ、私は、あなたが暇そうにしているから、可哀想だと思って相手をして差し上げるだけです!」
「へえ、優しいねぇ」
「うるさいですわ!」
エレナはドカッと向かいの席に座り、盤を広げた。
「あの屈辱、忘れていませんのよ。今日こそは完膚なきまでに叩き潰して差し上げます!」
「元気だねぇ」
ヴァンは苦笑しながら、自分の駒を手に取った。
エレナは並べ終えると、ふと手を止めた。
そして、周囲に誰もいないことを確認してから、蚊の鳴くような声で言った。
「……ヴァン、お、お……お兄様」
「ん?」
「挨拶ですわ! 言わせないでください!」
エレナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「賭けには従います! 私は約束を守る女ですから! で、でも、公衆の面前では絶対に言いませんからね!」
「はいはい、わかったよ」
(律儀な奴だな……)
「あと……父様が、また食事に来いと仰ってましたわ」
「へえ、将軍が?」
「ええ。『あいつは骨がある』と、随分お気に入りのようです」
エレナは少し不満そうに口を尖らせた。
「まあ、私は反対しましたけど。父様がどうしてもと仰るなら、仕方ありませんわ」
「そりゃどうも」
「ふん!」
エレナは乱暴に駒を置いた。
「さあ、始めますわよ! 手加減なしです!」
「望むところだ」
夕暮れの教室。
駒がぶつかる音と、不器用な兄妹の会話が響く。
だが、ヴァンの心は半分、ここにはなかった。
遠く離れた敵地へ向かった、白い護衛の身を案じていた。
(頼むぞ、シンカク……)
窓の外では、不穏な雲が広がり始めていた。
【第十章・終】
アイリは数歩後退したまま、警戒を解かない。狼の耳がピクピクと動き、いつでも飛びかかれる体勢だ。
「……なぁ、アイリ」
ヴァンは徽章を手の中で転がしながら尋ねた。
「お前、これを『見た』のか?」
「……いや」
アイリは警戒を解かずに答えた。
「匂いだ」
「匂い?」
「昔、任務に出る前……司令官がこれを着けてた。近くに寄った時、鉄と血と、妙な薬の匂いがしたんだ」
アイリは鼻をひくつかせた。
「ふむ……」
ヴァンは徽章の紋様を指でなぞった。
「じゃあ、この蜘蛛の模様は? お前が見たのと完全に同じか?」
「……わかんねぇ」
アイリは目を細めた。
「よく見てねぇ。けど……なんか違う気もする」
ヴァンは黙ってバッジを見つめた。蜘蛛の目が、まるで生きているかのように光を反射している。彼は深く息を吐き、静かに言った。
「……わかった。アイリ、聞いてくれ」
「何だよ」
「俺も、このバッジを手に入れたのはつい最近だ」
ヴァンは真剣な目でアイリを見た。
「もしお前の言う通りなら、軍情局は信用できない。ビリィの救出に、あいつらは使えない」
「……」アイリは黙った。
「だから、別の方法を考える」
ヴァンは続けた。
「軍情局には頼らず、俺たちだけで動く」
アイリはしばらくヴァンを見つめていた。その目には、疑念と期待が入り混じっている。そして、小さく、震える声で聞いた。
「……お前、信用していいのか?」
「信用するしかないだろ」
ヴァンは肩をすくめた。
「今のお前には、俺以外に頼れる奴はいない」
「……っ」
「それに、約束しただろ。ビリィは必ず助ける」
アイリは唇を噛んだ。しばらく沈黙した後、彼女は低く唸るように言った。
「……十日だ」
「十日?」
「十日以内に動け」
アイリは鋭い目でヴァンを睨んだ。
「それまでに何もしないなら、オレが一人で行く」
「待て、それは無茶――」
「無茶でも何でもいい」
アイリは窓に向かった。
「オレの妹は、今も苦しんでる。待てる時間には限りがあるんだ」
そう言って、彼女は窓から飛び出した。
月明かりの中、その姿はすぐに闇に溶けていく。
ヴァンは窓辺に立ち、夜空を見上げた。そして一人、溜息をついた。
「十日、か……」
週末が終わり、ヴァンは再び学院の寮に戻った。部屋に入ると、ローランが既にベッドで本を読んでいた。
「おかえり、兄貴。家での滞在はどうだった?」
「……疲れたよ。お前は?」
「俺は街の賭場で稼いでた」
ローランはニヤリと笑い、金貨の山を指差した。
「賭博さ。貴族のボンボンどもから巻き上げ放題でね」
「……ほどほどにしとけよ。刺されるぞ」
「へいへい」
その時。
窓が音もなく開いた。
「ただいま」
シンカクだった。相変わらずの白い仮面。相変わらずの無表情。彼女は軽やかに部屋に入り、壁際に立った。
ローランが「うおっ!?」 と飛び上がる。
驚きで、手元のコインが派手にばら撒かれた。
「……お前、玄関から入れよ」
「近道」
シンカクは短く答え、ヴァンの前に立った。
「お帰り」
ヴァンは少し安堵した。
「調査、どうだった?」
「まだ途中」
シンカクは淡々と答えた。
「フィロメラの足跡、いくつか見つけた。でも、まだ全部は追えてない」
「そうか……」
ヴァンは少し考えた後、バッジを取り出した。
「なぁ、シンカク。これ、何の材質か分かるか?」
シンカクはバッジを受け取り、じっと見つめた。数秒後――
「魔導銀」
「マギ・シルバー?」
「帝国特有の鉱石です」
シンカクは淡々と答えた。
「導魔性が高く、希少。偽造は困難」
「……帝国特有、か」ヴァンは眉を寄せた。
「そう。他国では採れない」
ヴァンの脳内で、パズルのピースが組み合わさっていく。帝国特有の鉱石。偽造が難しい。そして、ノストラの実験施設で使われていた。
(つまり――)
二つの可能性。
一つ目:帝国の軍部が、ノストラの人体実験に関与している。
二つ目:誰かが帝国軍部から鉱石を盗み、バッジを偽造した。
どちらにしても。
(ヤバい)
ヴァンは深くため息をついた。(とんでもないことに巻き込まれてる気がする……)
だが、アイリの顔が脳裏に浮かんだ。彼女の必死な表情。妹を助けたいという、あの純粋な願い。
(……引き返せないな)
ヴァンは立ち上がった。
「シンカク、頼みがある」
「何」
「アイリの妹、ビリィを救出したい」
「……」
「そのために、お前に偵察を頼みたい」
ヴァンはアイリから聞いた場所を伝えた。
「ここに、実験施設がある。そこの状況を調べてきてくれ」
シンカクは首を振った。
「無理」
「なんで?」
「数日かかる。その間、お前を守れない」シンカクは即答した。「私の最優先任務は、ヴァン様の保護です」
「でも――」
「ダメ」
ヴァンは少し考えた。そして、論理的に説得することにした。
「なぁ、シンカク。もし敵が軍情局、あるいは帝国の高層だったら、俺を捕まえに来ると思うか?」
「……来る」
「その時、お前が俺の側にいても、最大でも『捕まらないように守る』ことしかできないだろ?」
「そう」
「もし相手がS級を派遣してきたら?」
「……勝てる。でも、時間がかかる」
「そうだろ」
ヴァンは一歩近づいた。
「つまり、最良の防御は、事前に敵が誰なのかを知って、正面衝突を避けることだ」
「……」
「お前が敵の拠点を偵察すれば、帝国の高層が関与してるかどうか分かる。もし関与してるなら、俺たちは逃げる時間がある。もし関与してないなら、安心して行動できる」
シンカクは黙って考えていた。ヴァンは続ける。
「それに、俺はベルンハルト将軍に庇護されてる。学院の中にいる限り、S級が堂々と学生を襲うなんてできない。でも、アイリの妹は、待てない」
「……」
「もしビリィを見殺しにしたら、アイリはどうすると思う?」
「……暴走する」
「そうだ。あの狂犬が一人で突っ込んで、捕まって、俺たちの情報を敵にゲロるかもしれない。そうなれば俺も危ない」
ヴァンは続けた。
「逆に、恩を売っておけば、あいつは忠実な番犬になる。俺たちの戦力が増える」
シンカクは少し考え込んだ。
損得勘定。
リスクとリターン。
数秒後、彼女は頷いた。
「わかった。行ってきます」
「頼む。無理はすんなよ」
「はい」
シンカクは窓枠に立った。
「ヴァン」
「ん?」
「……死なないで」
それだけ言い残し、彼女は風となって消えた。
相変わらず、去り際があっさりしている。
「……お前もな」
ヴァンは苦笑して呟いた。
二日後。
午後の講義が終わった大講堂。
学生たちは三々五々と教室を出て行くが、ヴァンは一人、席に残ってノートを整理していた。
(……シンカクが発ってから二日か)
(まだ連絡はない。無事だといいが)
そんなことを考えていると。
「……ごきげんよう」
頭上から、不機嫌そうな声が降ってきた。
顔を上げると、銀髪の少女、エレナが立っていた。
制服を完璧に着こなし、腕を組んでこちらを見下ろしている。
一瞬、彼女の視線が泳いだように見えた。
あの夜、部屋に亜人を連れ込んでいた件について、何か言いたげだ。だが、彼女はすぐに気を取り直したように鼻を鳴らした。
「よう。どうした?」
「別に。あなたがいつまでも残っているようでしたので」
エレナはフンと鼻を鳴らした。
その手には、戦棋盤が抱えられている。
ヴァンは思わず吹き出した。
「……またやるのか?」
「勘違いしないでくださいまし!」
エレナは顔を赤くして叫んだ。
「わ、私は、あなたが暇そうにしているから、可哀想だと思って相手をして差し上げるだけです!」
「へえ、優しいねぇ」
「うるさいですわ!」
エレナはドカッと向かいの席に座り、盤を広げた。
「あの屈辱、忘れていませんのよ。今日こそは完膚なきまでに叩き潰して差し上げます!」
「元気だねぇ」
ヴァンは苦笑しながら、自分の駒を手に取った。
エレナは並べ終えると、ふと手を止めた。
そして、周囲に誰もいないことを確認してから、蚊の鳴くような声で言った。
「……ヴァン、お、お……お兄様」
「ん?」
「挨拶ですわ! 言わせないでください!」
エレナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「賭けには従います! 私は約束を守る女ですから! で、でも、公衆の面前では絶対に言いませんからね!」
「はいはい、わかったよ」
(律儀な奴だな……)
「あと……父様が、また食事に来いと仰ってましたわ」
「へえ、将軍が?」
「ええ。『あいつは骨がある』と、随分お気に入りのようです」
エレナは少し不満そうに口を尖らせた。
「まあ、私は反対しましたけど。父様がどうしてもと仰るなら、仕方ありませんわ」
「そりゃどうも」
「ふん!」
エレナは乱暴に駒を置いた。
「さあ、始めますわよ! 手加減なしです!」
「望むところだ」
夕暮れの教室。
駒がぶつかる音と、不器用な兄妹の会話が響く。
だが、ヴァンの心は半分、ここにはなかった。
遠く離れた敵地へ向かった、白い護衛の身を案じていた。
(頼むぞ、シンカク……)
窓の外では、不穏な雲が広がり始めていた。
【第十章・終】
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