富豪外科医は、モテモテだが結婚しない?

青夜

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挿話: 佐奈

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 小学5年生の初夏。

 俺はいつものように、小学校の塀を飛び越えて逃げた。
 まともに校門から帰ることは滅多になくなっていた。
 ファンクラブだという女子たちと、俺を今日こそはぶちのめすと思っている男子たちをかわすためだ。

 校庭脇の砂田さんのお宅の庭に降り、そのまま裏に回って橋岡さんのお宅の庭を横切り、大塚屋(雑貨屋)の倉庫の前から商店街に抜ける。

 ただ、このコースの先を知っている奴もいるので、一旦山に入り雲竜寺に行く。
 手水の水を飲んで喉を潤した。
 誰もいない境内で、本殿の廊下に座って一休みした。

 「まったくめんどくせぇなぁ」

 途中の畑で拾ったスイカを手刀で割って貪り食った。
 口の周りと手がベトベトになったので、また手水で洗う。

 「あれ? 誰だ?」

 境内の隅に女の子がいた。
 俺と同じか一つ下か。
 見たことがない。

 「隣町の奴か?」

 俺が見ているのに気付いたか、手を振っていた。
 俺もつられて手を振る。
 近づいて来た。

 「こんにちは」
 「ああ、こんにちは!」

 夏なのにセーターを着ていた。
 明るい空色の綺麗なセーター。
 薄いベージュの膝下スカート。
 ランドセルはなく、手ぶらだ。
 色が白く痩せている。
 顔は綺麗な子だった。
 俺が挨拶すると、嬉しそうに笑った。

 「初めましてだよね」
 「そうだな。どこの小学校だ?」

 女の子は小学校には行っていないと言った。

 「どういうことだ? 病気かなんかか?」
 「ううん、違うけど行ってないの」
 「へぇー」

 俺はあまり考えなかった。

 「また来る?」
 「まあ、結構来るかなぁ」
 「じゃあ、また」
 「ああ、またな!」

 俺は手水でもう一度水を飲んで帰った。
 その日は俺の家の前で待ち構えているファンクラブも、喧嘩相手もいなかった。
 家に入り、勉強とオチンチン体操をした。




 翌日も同じコースで雲竜寺に行った。
 スイカを喰っていると、いつの間にか昨日の女の子が目の前にいた。
 俺が気付かないなんて、信じられなかった。
 気配を感じるのは、俺の倣いになっていたからだ。

 「びっくりするなぁ。いつの間に来たんだよ」
 「ウフフフ」

 「おい、スイカ食べよう! 一杯あるからさ」
 「いいの?」
 「おう! 暑いじゃんか!」

 女の子は俺が差し出した欠片を受け取った。
 
 「ヘンな形」
 「悪いな、手で割ったんだ」
 「ウフフフ、いただきまーす!」

 しゃりしゃりと食べる。
 俺と違って、口の周りをベトベトにしない。

 「綺麗に食べるなぁ」
 「エヘヘ、ありがとう!」

 俺たちは黙って食べた。
 女の子は佐奈と名乗った。

 「俺、石神高虎!」
 「カッコイイ名前!」
 「そう?」
 「うん!」

 「ワハハハハハ!」

 俺が笑うと、佐奈も笑った。
 笑顔がまた可愛らしかった。

 「学校は行かないけど、ここにはよく来るのか?」
 「うん。家が近いのと、あまり遠くへ行けないの」
 「そうなんだ」

 やっぱり身体が弱いのかもしれない。
 一見元気そうだが、俺がそんな感じだ。
 一旦熱が出ると引っ繰り返る。

 「俺もさ、毎月熱が出て学校を休むんだ」
 「そうなの?」
 「まーなー。厄介な身体なんだよ」
 「大変なんだね」

 佐奈が心配そうに俺を見た。

 「あ! ウソ! 俺、全然元気だから!」
 「えぇー!」

 二人で笑った。
 本殿の廊下に座り、しばらく話した。
 佐奈は自分のことはほとんど喋らなかった。
 俺の話を聞きたがり、俺が話すと一杯笑った。

 「教室でオチンチン出してるとさー」
 「えぇー!」
 「隣の奴がすぐに先生に言いつけるんだよ」
 「当たり前だよー!」
 「でもさ」
 「なに!」
 「なんか自由を感じるんだよなー」
 「アハハハハ!」

 ここじゃ出さないでねと言われた。
 楽しく話して、別れた。

 「じゃーなー!」
 「うん、またね!」

 俺は境内を出る時に、振り向いてもう一度手を振ろうと思った。
 もう佐奈の姿は見えなかった。

 「足はぇー」



 翌日、塀を乗り越えようとすると、砂田さんの家からピアノが聞こえた。
 
 「おい、お前らも良く聞けよ! ショパンの『ノクターン』だ! 綺麗に弾くなぁ!」

 騒いでいた女子たちが大人しくなる。
 一緒に聞いた。
 演奏が終わった。

 「今日はいい日だったな! じゃーなー!」
 「ばいばーい!」

 俺がちょっと付き合ったので、満足したようだ。
 砂田さんに感謝した。



 翌日、また雲竜寺へ行った。

 久米じぃがスイカ畑で鎌を持って待ち伏せていたので、俺は別な畑からキュウリとトマトを拾った。
 久米じぃは俺を見つけると追いかけて来て、10メートル先から鎌を投げる。
 ちょっと頭のおかしい人だった。
 なんでそんなことするんだろう。

 佐奈が本殿の廊下に座っていた。

 「おーす!」
 「あ! トラちゃん!」

 一昨日から、俺をそう呼ぶようになった。
 親しい人間がそう呼ぶと教えたためだ。

 「なんだ、今日もいたんだ」
 「うん! トラちゃんを待ってたの」
 「そうかぁ! トマト食べる?」
 「うん!」

 手水で洗って、二人で食べた。
 スイカを食べた時もそうだが、トマトを食べても口の周りも手も汚さない。
 本当に上品に食べる。

 俺は一度手を洗い、廊下に戻った。
 かくれんぼをした。
 俺は隠れるのが上手い。
 軒下にへばりついて、覗き込んでも絶対に見つからない必勝の位置に隠れた。

 佐奈は、すぐ背中で俺を見つけたと叫んだ。
 驚いた。

 俺が鬼になった。
 佐奈は今日も綺麗で目立つ空色のセーターを着ている。
 すぐに見つけられるはずだった。

 見つからなかった。
 広い境内だが、そんなに隠れる場所はないはずだ。
 思いつく限りを探したが、ダメだった。

 「おーい! 降参だぁー!」

 俺は本殿の軒下を覗きながら、大声で叫んだ。
 ふいに背中を突かれた。

 「うわ!」

 佐奈が笑って立っていた。

 「お前、ちょっと怖いぞ」
 「え!」
 「どこに隠れてたんだ?」
 「うーん、ナイショ!」
 「怖ぇ!」
 「え、ほんとに?」

 佐奈が悲しそうな顔をした。

 「え! ウソウソ! 佐奈はカワイイよ!」
 「ほんとに!」
 「おう!」

 佐奈が笑った。
 俺たちはまた本殿の廊下に座った。

 「俺、よく入院するんだけどさ」
 「え、やっぱり元気じゃないの?」
 「あ! あ、ああ。元気だけど入院すんの」
 「なんでよ!」
 「アハハハ!」

 俺にも分からない。

 「それで、長く入院してる人とかと仲良しでさ」
 「そうなんだ」
 「エロ魔神のチョーさんって人が最高なんだ」
 「どういう人?」
 「もう、何百冊もエロ本を持ち込んでて、大部屋の入り口にでかい段ボールで満杯」
 「えぇー!」
 「俺にもよく貸してくれるんだけどさ」
 「やだぁ!」

 「あ、でもあんまり興味ねぇ!」
 「あー、良かったー!」

 興味はとことんあった。

 夕方までその日は話した。

 「俺、送ってくぞ」
 「え、いいよ」
 「なんだよ、遠慮すんなよ」
 「ダメ! トラちゃんは先に帰って」

 まあ、家を知られたくないんだろう。
 仲良くなったのに、ちょっと寂しかった。

 「あのね、知られたくないんだ」
 「分かったよ、悪かったな」
 「そうじゃなくてね。嫌われたくないから」

 俺のうちと同じく、貧しいんだろうか。
 綺麗な服を着てるけど、そういえば毎日同じ服を佐奈は着ていた。
 察してやるべきだった。

 「いいんだ。いつか機会があったらな!」
 「うん! ごめんね」

 また佐奈が俺を見送った。
 俺は振り返らずに石段を下って行った。




 毎日ではなかったが、俺は三日と空けずに雲竜寺へ行き、佐奈と遊んだり話したりした。
 ある日、喧嘩相手の一人が偶然に雲竜寺へ入って来た。
 俺は佐奈を後ろに回し、前に出た。

 「石神ぃ!」
 「なんだよ」
 「お前、何やってんだよ?」
 「いいじゃねぇか」

 「一人か!」

 何言ってんだと思った。
 俺の後ろには佐奈がいる。
 振り返って、大丈夫だからと言った。

 「おい、今日は喧嘩する気はねぇぞ」
 「なんだと!」
 「そこの子は身体が弱いらしいんだ。刺激したくねぇ」
 「どこだよ!」
 「あ?」

 俺が振り向くと、佐奈はいなくなっていた。

 「てめぇ!」
 「やんのか、石神!」
 「よくも怖がらせやがってぇ!」
 「なんだって?」

 可愛そうに、怖くなって逃げたんだろう。
 俺はボコボコにして石段から転げ落した。
 ため息をついて、とぼとぼと家に帰った。
 後ろで救急車のサイレンが聞こえた。




 翌日に雲竜寺へ行くと、佐奈がいつもの本殿の廊下に座って待っていた。
 手を振っているので、俺も振り返した。
 走って行く。

 「トラちゃん」
 「おう! 昨日は悪かったな。怖い思いをさせちゃったよなー」
 「ううん」

 佐奈はちょっと寂しそうな顔をしていた。

 「私ね、今日でお別れなの」
 「え!」
 「ごめんね」
 「え、いや。ほんとかよー!」
 「うん」
 「急だなぁ」
 「うん」

 俺たちは廊下に座った。

 「トラちゃんに会えて良かった」
 「ああ、俺もだよ。佐奈といて楽しかったのに」
 「ごめんね」

 佐奈が悲しそうな顔をした。

 「今日は、トラちゃんに来て欲しいの」
 「え?」
 「ごめんね」
 「いや、なに?」

 佐奈が俺の手を引いた。
 雲竜寺の墓場に入って行く。
 しばらく手を引かれ、ある墓の前に連れて行かれた。
 新しい花が一杯挿してあった。

 「トラちゃん、ごめんね」
 「だからなんだよ?」

 佐奈が泣いていた。

 「おい、泣くなよ!」
 「ごめんね。でも本当に楽しかった。ありがとう」
 「おい!」

 佐奈の姿が薄くなっていく。
 笑っている。

 「佐奈!」

 俺が叫ぶと手を伸ばしてきた。
 それを掴もうとして、佐奈は手を胸の前で抱いて消えた。

 「なんだ!」







 「おい! 何してる!」

 怒鳴られた。
 俺はいつの間にか墓の前で寝ていた。

 「なんだ、トラか。お前大丈夫か?」

 顔見知りの住職だった。

 「あれ?」

 抱き起こされる。

 「また罰当たりなことをしてやがったか!」
 「いいえ! 佐奈って子にここに連れて来られて」
 「なんだと!」






 俺は住職に連れられ、境内の隅の住居に上げられた。
 茶を出される。

 「佐奈って言ったか」
 「はい。ここのところ、ずっと一緒に遊んでて」
 「トラ、お前……」
 「今日でお別れだって。そうして来てくれって言われて一緒に」
 「……」

 住職に話された。

 岡本佐奈。
 俺と同じ小学五年生らしい。
 先月交通事故で亡くなり、今日で四十九日らしい。

 「そんな! だって、いつも一緒に遊んで! スイカだって一緒に食べて!」
 「お前、連れて行かれたかもしれんぞ」
 「え!」
 
 本尊の不動明王が震えたのだそうだ。
 それで住職は寺の中をいろいろ見て回っていたらしい。

 「危なかったのかもな」
 「そんなことないです!」
 「トラなぁ」
 「佐奈は最後に俺に教えてくれたんですよ! 自分がもう死んじゃったことを俺に!」
 「まあ、そうだな」
 「最後に俺に手を伸ばして。掴もうとしたら引っ込めて! それで!」
 「そうだったか」

   
 住職は、佐奈の家を教えてくれた。
 翌日、俺が訪ねると、俺の話を聞いてお母さんが中へ入れてくれた。
 仏壇に真新しい女の子の写真があった。
 間違いなく、佐奈だった。


 「綺麗な空色のセーターを着て、薄いベージュのスカートを履いて」
 「佐奈よ! あの子が一番好きだったの!」

 そう言って泣いた。

 「前に言ってたの。〇〇小学校に素敵な男の子がいるんだって。一度話してみたかったんだって」

 泣きながらそう言っていた。

 「雲竜寺でね、見たんだって言ってた。女の子に取り囲まれて困っていたんだってね」
 「そうですか」
 「名前を知りたいなーって。それなのに……」
 「……」





 仏壇の佐奈は、明るく笑っていた。 





 俺の名前は「石神高虎」だ。
 もう知ってるよな、佐奈。
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