富豪外科医は、モテモテだが結婚しない?

青夜

文字の大きさ
1,247 / 3,215

『マタイ受難曲』

しおりを挟む
 「門土、お前が一番好きな曲って何だよ?」
 「え! それはだなー」
 「うん」
 「ベートーヴェンの『月光』かなー」
 「お! いいよな、あれ!」
 「うん」
 「どうしたんだよ?」
 「でも、他にもなー」
 「ああー」


 橘家の音楽室で門土といつもの「セッション」をしていた。
 お互いに気ままに音を奏で、気ままにメインを交代しながら続ける。
 門土とやると最高に楽しかった。
 その他に、思いつくままにお互いに演奏して聴き合う。
 相手の上達が伺え、これも楽しかった。
 俺たちはいつまでもやっていた。
 夢中になって俺が終電を逃すこともあり、そのまま朝方までやることも多かった。

 「俺は断然、バッハの『マタイ受難曲』だな!」
 「そうか! トラは言い切れるんだな」
 「ああ! これは多分、一生変わらないよ。他にももちろん好きな曲は一杯あるけどさ」
 「そうなんだな。そうか」

 門土は何か納得したようだ。

 「じゃあ、ちょっと弾いてみろよ」
 「それがさー。俺も何度も挑戦してるんだけど、どうも上手く行かないんだよな」
 「そうなのか?」
 「まあ、ちょっと聴いてくれよ」

 門土ならば、何かいい意見を言ってくれるかもしれない。
 俺はそれを期待して、それまで自分がやってきたものを披露した。

 「いいじゃないか、トラ!」
 
 聴き終えて、門土が言った。

 「いや、ダメだよ。レコードはあるか?」
 「リヒターのなら」

 二人で聴いた。

 「な、全然重厚感とか神聖さが違うよ。リヒターは定番だけど、俺はメンゲルベルクのものが好きなんだ。解釈は随分と違うけどな」
 「そうか」

 門土はリヒター版でも、俺の言いたいことは分かってくれた。

 「声楽のための曲だけどな。でも、俺はどうしてもギターでやりたいんだ」
 「分かるよ。僕もピアノでやりたいもんな」
 「ちょっとやってみせてくれないか?」
 「うん!」

 門土は迷いなく弾いた。
 最初は主旋律を単音で。
 徐々に和音を形成していった。

 「うん、そうだよな」
 「ここから先はちょっと分からないなー」
 「そうなんだよな。ピアノもそうだけど、ギターも音が弱まるのが速いんだよな。だから連続する人間の声帯とは違うんだよ」
 「うん」
 「管楽器だったら、随分と違うんだろうけどな」
 「そうだね」
 
 俺はギターを思い切り長く鳴らしてみた。
 
 「全然ダメだよな。エレキだったら違うかな」
 「トラ、エレキギターなんて持ってるのか?」
 「おい! うちの貧乏をバカにすんなよ! 持ってるわけねぇだろう!」
 「アハハハハ!」
 「うちの半径10キロでは誰も持ってねぇ」
 「アハハハハハ!」

 二人で笑った。
 でも、多分エレキギターでもダメだろう。
 しばらく後で、ゲイリー・ムーアが『パリの散歩道』で長大な一音を鳴り響かせて感動することになる。
 それは、ギターでの声楽の模倣の可能性を俺が感じたからだ。

 「サックスでやったら面白いんじゃないかと思うんだ」
 「なるほど!」
 「思い切り泣き叫ぶようなさ! 誰かやってくんないかな」
 「半径10キロにはいないよ、きっと」
 「そうだよなー」

 俺たちは提案と分析を繰り返した。

 「結局さ、二旋律があるじゃない。それにあの合唱の荘厳だよな。あれをどうやってギターで示すかだ」
 
 無理だとは俺たちは絶対に思わなかった。
 どうやればいいのかだけを話し合った。

 もちろんその晩に出来るわけもなく、俺たちは解散した。





 「貢さん、相談があるんですが」
 「なんだ?」

 俺は貢さんに『マタイ受難曲』をギターで演奏することを相談した。

 「あ?」
 「俺、どうしてもやりたいんですよ!」
 「じゃあ、やれよ」
 「だから、どうやればいいのか分からなくて!」

 いきなり頭をスリコギで殴られた。

 「トラ! てめぇ舐めてんのか!」
 「イタイですって!」

 もう一度殴られた。

 「俺が「こうやるんだ」って言って、それがお前の音楽になんのか!」
 「あー」

 俺はオチンチンを出した。

 「お前は何をやってきたんだよ、まったく」
 「すいませんでしたー!」
 
 俺はオチンチンを貢さんの顔の前で回した。

 「なんか臭ぇな?」

 真夏で、ちょっと蒸れていた。
 貢さんは目が見えない代わりに、耳が抜群によく、また鼻も良かった。

 「まあいい。早く練習しろ」
 「はい!」

 貢さんには教われなかった。

 貢さんにしごかれ、やっと練習が終わった。

 「じゃあ、またあさってな」
 「はい! ありがとうございました!」

 俺はいつものように庭から家を出ようとしていた。
 後ろで貢さんがギターを弾いていた。
 単音で『アルハンブラの思い出』を弾き始めた。

 俺は頭に稲妻が落ちたような衝撃を受けた。




 また門土の家に遊びに行った。

 「門土! 貢さんがさ!」

 門土はすぐに俺を音楽室へ通した。

 「どうしたんだ!」

 俺は単音での『アルハンブラの思い出』を貢さんが弾いた話をした。

 「ちょっと聴いてくれ」

 俺は単音で『マタイ受難曲』を弾いた。

 「おい、これって!」

 門土も驚く。
 俺がこれまでやって来たこととは全く違う何かが見えてきた。

 「トラ、前にお前は単音で弾いたらどうだろうかって言ってたよな!」
 「ああ、貢さんの早引きの反対はどうかってな!」
 「これって、一つの答えなんじゃないか?」
 「門土もそう思うか!」

 俺たちは興奮した。
 しかし、そこでまた壁にぶち当たった。
 やはり、単音ではあの『マタイ受難曲』の全体を掴めなかった。



 俺たちは「セッション」を楽しみながら、時々思い出したかのように『マタイ受難曲』のアイデアを出し合った。
 一番上手く行ったのは、門土のピアノと俺のギターでの演奏だった。
 やはり複数の演奏の方が格段にいい。

 ピアノとギターの性質は似ている部分が多い。
 だから俺は門土の好きだと言ったベートーヴェンの『月光』をギターで演奏し、門土を唸らせた。

 しかし、一向に『マタイ受難曲』は程遠かった。





 そのうちに俺は橘弥生によって門土と会うことを禁じられた。
 俺たちの『マタイ受難曲』の挑戦は終わり、俺が独りで時々考えながら弾くようになった。
 もちろん、今でも完成していない。





 門土が死に、橘弥生から門土の遺品の一部を頂いた。
 その中に、『マタイ受難曲』に関する門土の意見と研究が書かれているものが一部あった。
 門土は俺と別れてからも、『マタイ受難曲』について一緒に考えてくれていた。
 残念ながら門土の才能をもってしても、まだ完成してはいなかった。

 俺の中で、死ぬまで追い求めるものの一つになった。
 俺が『マタイ受難曲』について考えると、門土と一緒に考えている気分になれる。
 
 俺の永遠の楽しみの一つになっている。
しおりを挟む
感想 61

あなたにおすすめの小説

付喪神狩

やまだごんた
キャラ文芸
古い道具には年月と共に人の情念が蓄積され、それが意思を持ったものが付喪神と呼ばれる。 容姿端麗だが口も性格も女癖も悪い大和御門は日本で唯一の付喪神狩として、付喪神を祓う能力者。 自分に取り憑いた大口真神を引き連れ、同居中の相方・棚橋亨と繰り広げる現代異能バトル

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

『続・聖パラダイス病院』

菊池昭仁
現代文学
『聖パラダイス病院』の続編です。こんな病院なら入院生活も悪くはありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀
キャラ文芸
 妖狩りにより両親を奪われ、囚われの身となった半妖の少女・鈴音は浄化の狐火を利用するだけの道具のように扱われていた。呪いにより成長は止まり、容姿も思考も幼いまま、感情が消え失せてもなおただ生かされるままに生きていた。  しかし妖保護部隊本部第一部隊との出会いにより、鈴音の止まっていた時間が動き出す。  掴みどころはないが頼れる氏神・雅仁、兄には厳しいが弟妹には優しい狼の妖・千里、人間嫌いだが人当たりの良い振りが得意な人間・遥杜、可愛いもの好きで元気いっぱいの猫又・鴇羽、大人しいが思いやりに溢れる猫又・瑠璃。  五人の兄と過ごす時間の中で、無いものだらけだった鈴音にもやがて大切なものが増えていく。  妖×家族の心温まる和風ファンタジー。

処理中です...