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第三部
30 エレナと殿下の想い人
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落ち着いて考え事ができるのはどこかしら……
朧げな記憶を遡りながら、別荘内をうろつく。
小さな頃から何度も来たことがある王室の別荘は、エレナにとって思い出の深い場所がたくさんある。
七年前、王妃様──つまり、殿下のお母様が儚くなられたあと、殿下はしばらく、この別荘で静養されていた。
お兄様が遊び相手として招待されていて、エレナもおまけで一緒に着いて行った。
かくれんぼをした物置に、追いかけっこをしていたら偉そうな役人に叱られた長い廊下。
いくつもある応接室の中で、小さな部屋が殿下やわたしたちのために開放されていて、晴れた午前中は外で遊び回って、雨が降った日や午後はその部屋で寛いで過ごした。
エレナはお母様に習い始めた刺繍を練習する時間にあてていて、まだまだ下手なのにお父様やお兄様に贈るだけじゃ飽き足らず、お兄様のように思ってるからなんて言って、殿下にも贈る約束をした。
そこからろくに会ってもいない癖に、毎年殿下に刺繍の入ったハンカチを贈り続けているわけだから、エレナの殿下への恋心は筋金入りだ。
わたしがどれだけ殿下のことを諦めようと思っても、ちょっと殿下と話したくらいですぐ胸が高鳴ってしまう。
その後、殿下がどれだけエレナに興味がないのかを、思いしらされることがわかっているのに……
図書室と併設された談話室にたどり着く。
子供の頃と変わらない景色。
エレナが殿下に刺繍入りのハンカチを贈るように、殿下は毎年エレナに本を贈ってくださる。
一番最初に贈って下さったのは、この別荘に滞在しているときに迎えたエレナの九歳の誕生日。
王妃様が殿下の寝かしつけの時に読んでいたという『ヴァーデン王国建国史』の本で、子供向けの神話の本から歴史書の橋渡しになるような本だった。
殿下の婚約者に内定したときに「子供ができたら王妃様みたいに寝かしつけで読んであげるのよ」なんて今でもエレナが大切に読み返している本は、貰った当時、九歳のエレナには少し難しい内容だった。
だから読んでいてわからないところは殿下が質問に答えてくれる約束をしてくださって、この談話室で一緒に本を読んでいた。
わたしはエレナが定位置にしていた椅子に腰掛ける。
あの頃、わたしがここで座って本を読みながら待っていると、いつも殿下が来てくださった。
開け放たれた扉でも、殿下はいつもノックをして入ってもいいか尋ねてくれる。
ノックもせずに勝手に入ってくるお兄様と違って、殿下にレディとして扱われているみたいで、くすぐったいけど嬉しかったのを覚えている。
殿下はこの椅子に座るとわたしを膝に乗せ、一緒に本を覗き込む。
目が合えば優しく微笑み、耳元で甘い声が「その質問は読み込んでいるから湧いた疑問なんだね。ちゃんと読んでいてえらいね」とわたしを褒めそやす。
誰よりも優しくて甘やかな殿下は、エレナの理想の王子様なだけじゃなくて、理想のお兄様でもあった。
あの頃の殿下はもういない。
噂されるような感情のない人形のような王子様だとは思わない。
すべきこととして、淡々とご公務をこなされているだけ。
殿下を噂通りの傀儡王子だと考えて好き勝手にしていたら、痛い目に遭う。
シーワード子爵の不正だって、殿下は泳がせるだけ泳がせて、自分の治世の世になってから一網打尽にするつもりだった。
シーワード公爵家の持つ利権を取り上げるつもりだったのだろう。
エレナが騒いだから不正は暴かれたけれど、まだ不正の規模も小さく子爵の廃嫡と島の接収だけで済んだとも言える。
だって、普通なら不正を暴くなんてことをしたエレナが、シーワード公爵家の主催するパーティに招待されたりするわけない。
殿下に近しい人であれば、殿下がご自身の感情よりも国益を大切に考えていらっしゃることはわかるはず。
──好きなら好きって言えばいい。
お兄様は、そう言った。殿下に近しいお兄様が。
あの殿下に、好きな人がいるってこと?
やっぱり、この世界は何かの物語の中で、ヒロインはすでに現れているの?
いやだ。消えてなくなりたい。
椅子の上で身体を丸める。
縮こまったからって消えてなくなるわけでもないのに……
コン、コン、コン、コン。
ノック音に思考の沼から引き上げられる。
わたしは慌てて振り返った。
朧げな記憶を遡りながら、別荘内をうろつく。
小さな頃から何度も来たことがある王室の別荘は、エレナにとって思い出の深い場所がたくさんある。
七年前、王妃様──つまり、殿下のお母様が儚くなられたあと、殿下はしばらく、この別荘で静養されていた。
お兄様が遊び相手として招待されていて、エレナもおまけで一緒に着いて行った。
かくれんぼをした物置に、追いかけっこをしていたら偉そうな役人に叱られた長い廊下。
いくつもある応接室の中で、小さな部屋が殿下やわたしたちのために開放されていて、晴れた午前中は外で遊び回って、雨が降った日や午後はその部屋で寛いで過ごした。
エレナはお母様に習い始めた刺繍を練習する時間にあてていて、まだまだ下手なのにお父様やお兄様に贈るだけじゃ飽き足らず、お兄様のように思ってるからなんて言って、殿下にも贈る約束をした。
そこからろくに会ってもいない癖に、毎年殿下に刺繍の入ったハンカチを贈り続けているわけだから、エレナの殿下への恋心は筋金入りだ。
わたしがどれだけ殿下のことを諦めようと思っても、ちょっと殿下と話したくらいですぐ胸が高鳴ってしまう。
その後、殿下がどれだけエレナに興味がないのかを、思いしらされることがわかっているのに……
図書室と併設された談話室にたどり着く。
子供の頃と変わらない景色。
エレナが殿下に刺繍入りのハンカチを贈るように、殿下は毎年エレナに本を贈ってくださる。
一番最初に贈って下さったのは、この別荘に滞在しているときに迎えたエレナの九歳の誕生日。
王妃様が殿下の寝かしつけの時に読んでいたという『ヴァーデン王国建国史』の本で、子供向けの神話の本から歴史書の橋渡しになるような本だった。
殿下の婚約者に内定したときに「子供ができたら王妃様みたいに寝かしつけで読んであげるのよ」なんて今でもエレナが大切に読み返している本は、貰った当時、九歳のエレナには少し難しい内容だった。
だから読んでいてわからないところは殿下が質問に答えてくれる約束をしてくださって、この談話室で一緒に本を読んでいた。
わたしはエレナが定位置にしていた椅子に腰掛ける。
あの頃、わたしがここで座って本を読みながら待っていると、いつも殿下が来てくださった。
開け放たれた扉でも、殿下はいつもノックをして入ってもいいか尋ねてくれる。
ノックもせずに勝手に入ってくるお兄様と違って、殿下にレディとして扱われているみたいで、くすぐったいけど嬉しかったのを覚えている。
殿下はこの椅子に座るとわたしを膝に乗せ、一緒に本を覗き込む。
目が合えば優しく微笑み、耳元で甘い声が「その質問は読み込んでいるから湧いた疑問なんだね。ちゃんと読んでいてえらいね」とわたしを褒めそやす。
誰よりも優しくて甘やかな殿下は、エレナの理想の王子様なだけじゃなくて、理想のお兄様でもあった。
あの頃の殿下はもういない。
噂されるような感情のない人形のような王子様だとは思わない。
すべきこととして、淡々とご公務をこなされているだけ。
殿下を噂通りの傀儡王子だと考えて好き勝手にしていたら、痛い目に遭う。
シーワード子爵の不正だって、殿下は泳がせるだけ泳がせて、自分の治世の世になってから一網打尽にするつもりだった。
シーワード公爵家の持つ利権を取り上げるつもりだったのだろう。
エレナが騒いだから不正は暴かれたけれど、まだ不正の規模も小さく子爵の廃嫡と島の接収だけで済んだとも言える。
だって、普通なら不正を暴くなんてことをしたエレナが、シーワード公爵家の主催するパーティに招待されたりするわけない。
殿下に近しい人であれば、殿下がご自身の感情よりも国益を大切に考えていらっしゃることはわかるはず。
──好きなら好きって言えばいい。
お兄様は、そう言った。殿下に近しいお兄様が。
あの殿下に、好きな人がいるってこと?
やっぱり、この世界は何かの物語の中で、ヒロインはすでに現れているの?
いやだ。消えてなくなりたい。
椅子の上で身体を丸める。
縮こまったからって消えてなくなるわけでもないのに……
コン、コン、コン、コン。
ノック音に思考の沼から引き上げられる。
わたしは慌てて振り返った。
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