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第二部
51 領都の土産物屋は後悔する【サイドストーリー】
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ガランと、ドアベルが鳴り店に客が入る。
「もう店じまいの時間だよ」
「それは好都合だ」
よそを向いたまま店主の男が発した無愛想な挨拶に、凛とした耳障りの良い声が答える。
店主の男が振り返ると、毎日見飽きるほど見ている顔と目があった。
淡い金色の髪に深い湖のような濃い青色の瞳。人形のように整った顔の青年が、連れの男に目配せする。
無表情な連れの男は、入口を塞ぐように立った。
不良在庫の姿絵から飛び出してきたかのような『始まりの神』に似た青年は店内を見回すと、ゆっくりと口角をあげ上辺だけの微笑みを浮かべる。
表情も感情もない。ただ美しいだけの、まるで人形のような王太子と噂されていたが、そんな事はない。
微笑みには愉悦が混じり、狂気すら感じさせる。
店主の男に恐怖を植え付けるのに十分だった。
(王太子がどうして俺の店に!)
店主の男は『始まりの神と恵みの女神の姿絵』を隠しに行きたかったが、恐怖で身動きがとれない。
店主にとって救いになるのは、売れないからと目につかない場所に置かれていることくらいだ。
王太子の目に入らないように祈るしかなかった。
「私たちが最後の客だな」
(最後? もしかして、最期ってことか? 俺が王太子を絵のモデルにした版画を売っているのがバレたのか? 王太子が直々に確認しに来るなんて! 俺はもう店に立つ事は許されないのか?)
儲かったならまだしも、儲かりもしなかったのに王太子に罪を問われる筋合いはない。
そう思いながらも店主の男は言い返せるわけもなく、唇を噛む。
「この店で売られている『恵みの女神』の姿絵は、随分と『ある少女』に似ているようだが?」
王太子は店内に見本として飾っている版画をしげしげと眺め「まるで絵の中に閉じ込めたみたいだ」と感想を漏らす。
上気した頬は薄赤く染まり、細めた瞳は夕日に照らされキラキラと光る。
緩んだ口元から「私の知らないところで、この様な版画が流布していたとはな」と、漏れるのを店主の男は聞き逃さなかった。
(領主様が俺が許可なくお嬢様を絵のモデルにしたことを、王太子に訴えたのか? クソ。領主様は寛大な方だから許してくださると思っていたのに……)
「それは、ええ……トワイン侯爵家のお嬢様がお生まれになってから領地では一度も不作に喘ぐ事がありません。ですので、その……そう! 我々トワインの民は女神の生まれ変わりと信じております。ですから、画家も似せるつもりはなくとも似せて描いてしまうのは致し方ないと申しますか……」
店主の男は、身振り手振りを交え、故意ではない事を伝えるのに必死になる。
王太子は店主の男の言い訳を聞きながら、売り物の版画を一つ一つ時間をかけて見分していた。
「……致し方ない。ね」
そう言って王太子は版画を手に取るのを止めて、振り返る。
腕には何枚もの版画を抱え込んでいた。
店主の男の視線をたどった王太子は、店の目立たない場所に飾られた版画に目を見開く。小さな悲鳴をあげたかと思うと、口元を押さえて何度か深呼吸をする。
隠したい気持ちから『始まりの神と恵みの女神の姿絵』をチラチラと見てしまっていたことに気がつき、店主の男は後悔した。
「この姿絵は、もしかして……」
深呼吸をしても興奮を抑えきれない様子の王太子が、狭い店内にも関わらず『始まりの神と恵みの女神の姿絵』まで駆け寄りうっとりと眺めるのをみて、店主の男は混乱する。
「この絵の題材は『始まりの神』と『恵みの女神』が運命的な出会いを果たした湖畔での一幕だな。女神の慈愛に溢れる眼差しを表現出来ており、素晴らしい出来だ。私のエレナが清廉無垢な愛くるしい少女でありながら、豊穣を司る女神の化身であることを彷彿とさせる女性らしさを兼ね備えていることを余すことなく捉えた作品に仕上がっている。他の作品も素晴らしい出来だが、この作品は抜きん出ている。他と画家が違うのか」
「あ、はい」
「だろうな。他の作品は私のエレナの野に咲く一面のマーガレットの様な可憐さを強調することに心を配っているが、この作品は同じマーガレットだとしても、荒野に咲く一輪の様な、気高くも凛とした佇まいを彷彿とさせ、まさに建国したばかりの乱世に平和という希望の光をもたらした女神の様だ。ほら、『始まりの神』の隣に立っていながらも寄りかからずしっかりと自分の足で立っている姿は、私のエレナが、ただ庇護される可愛らしいだけの少女なわけでなく、自立した気高き乙女であり、民を導く女神であることが見て取れる」
(私のエレナ……? え? は?)
早口で捲し立てるように婚約者を賛美し、版画の出来を褒め称える王太子に、店主の男は困惑し、入り口に立ちはだかる側近だろう男は冷たい視線を送る。
「この店を訪ねたものは、みなこの版画を手にしただろう? 領民の家々には、この版画が飾られているのだろうな」
なぜか唇を噛み締めている王太子に店主の男は真実を告げて良いものか悩む。
「その……」
「正直に話したことを罰したりはしない」
「……ほとんど売れておりません」
王太子は一瞬ホッとした表情を慌てて引き締めた。
「そうか。トワインの民たちにとっては私に似せた『始まりの神』が邪魔なのだな。では、私が責任を持って買い取らなくてはいけない」
言い値で買うと王太子に言われたが、店主の男は罰せられる恐怖からタダ同然の金額を提示した。
「版画だから刷ろうと思えばいくらでも刷れるのだな?」
指示を受けた側近の男が代金を支払う。
王太子は店主の男が大量の版画を紙に包むのを見ながら質問した。
「そうですね。何版も刷っている姿絵もございます」
「私が全て手に入れたあと『始まりの神と恵みの女神の姿絵』も次を刷るのか」
「次の版からは、女神の手が置かれた神の胸元の服にシワを書き足してあるので『恵みの女神』が『始まりの神』に寄り添うようなデザインに変わります」
寄りかかるようなことをしないで、自立している姿絵は初版だけだ。
そもそも売れないだろうとわかってから、第二版は刷るつもりはなかったが、王太子が絶賛する自立した女神とは図案が変わってしまう。
きっと刷るのを止められる。
(本当に無駄金になっちまったな)
説明を聞いた王太子の喉がヒュッと鳴るのを、店主の男は聞きながら版画の束を包む。
「店主。その……次の版が刷りあがったら王宮まで使いをよこしてくれ」
「え? あっ、は、はい。承知しました」
店主の男は顔を上げる。
王太子は夕日に照らされていてもわかるくらい真っ赤に染まった顔を両手で隠し、口元が緩んでいるのを必死に隠していた。
噂に聞く王太子と違いすぎる。
(王太子のために少しくらい刷ってやってもいいかな)
「毎度ありがとうございました」
店主の男は包んだ版画を差し出す。
「お持ちしましょうか?」
「はっ。姿絵でも、私の眼前で他の男が私のエレナを抱かせるなど許すと思うか」
そう言って手を差し出した側近の男に対して王太子は鼻で笑い、大量の『恵みの女神』の姿絵を大切そうに抱えて退店した。
──店主の男が、第二版が売れに売れて嬉しい悲鳴をあげるのと、大量に抱えていた初版をタダ同然で王太子に売り払ってしまったのをちょっとだけ後悔するのは、少し先のお話だ。
「もう店じまいの時間だよ」
「それは好都合だ」
よそを向いたまま店主の男が発した無愛想な挨拶に、凛とした耳障りの良い声が答える。
店主の男が振り返ると、毎日見飽きるほど見ている顔と目があった。
淡い金色の髪に深い湖のような濃い青色の瞳。人形のように整った顔の青年が、連れの男に目配せする。
無表情な連れの男は、入口を塞ぐように立った。
不良在庫の姿絵から飛び出してきたかのような『始まりの神』に似た青年は店内を見回すと、ゆっくりと口角をあげ上辺だけの微笑みを浮かべる。
表情も感情もない。ただ美しいだけの、まるで人形のような王太子と噂されていたが、そんな事はない。
微笑みには愉悦が混じり、狂気すら感じさせる。
店主の男に恐怖を植え付けるのに十分だった。
(王太子がどうして俺の店に!)
店主の男は『始まりの神と恵みの女神の姿絵』を隠しに行きたかったが、恐怖で身動きがとれない。
店主にとって救いになるのは、売れないからと目につかない場所に置かれていることくらいだ。
王太子の目に入らないように祈るしかなかった。
「私たちが最後の客だな」
(最後? もしかして、最期ってことか? 俺が王太子を絵のモデルにした版画を売っているのがバレたのか? 王太子が直々に確認しに来るなんて! 俺はもう店に立つ事は許されないのか?)
儲かったならまだしも、儲かりもしなかったのに王太子に罪を問われる筋合いはない。
そう思いながらも店主の男は言い返せるわけもなく、唇を噛む。
「この店で売られている『恵みの女神』の姿絵は、随分と『ある少女』に似ているようだが?」
王太子は店内に見本として飾っている版画をしげしげと眺め「まるで絵の中に閉じ込めたみたいだ」と感想を漏らす。
上気した頬は薄赤く染まり、細めた瞳は夕日に照らされキラキラと光る。
緩んだ口元から「私の知らないところで、この様な版画が流布していたとはな」と、漏れるのを店主の男は聞き逃さなかった。
(領主様が俺が許可なくお嬢様を絵のモデルにしたことを、王太子に訴えたのか? クソ。領主様は寛大な方だから許してくださると思っていたのに……)
「それは、ええ……トワイン侯爵家のお嬢様がお生まれになってから領地では一度も不作に喘ぐ事がありません。ですので、その……そう! 我々トワインの民は女神の生まれ変わりと信じております。ですから、画家も似せるつもりはなくとも似せて描いてしまうのは致し方ないと申しますか……」
店主の男は、身振り手振りを交え、故意ではない事を伝えるのに必死になる。
王太子は店主の男の言い訳を聞きながら、売り物の版画を一つ一つ時間をかけて見分していた。
「……致し方ない。ね」
そう言って王太子は版画を手に取るのを止めて、振り返る。
腕には何枚もの版画を抱え込んでいた。
店主の男の視線をたどった王太子は、店の目立たない場所に飾られた版画に目を見開く。小さな悲鳴をあげたかと思うと、口元を押さえて何度か深呼吸をする。
隠したい気持ちから『始まりの神と恵みの女神の姿絵』をチラチラと見てしまっていたことに気がつき、店主の男は後悔した。
「この姿絵は、もしかして……」
深呼吸をしても興奮を抑えきれない様子の王太子が、狭い店内にも関わらず『始まりの神と恵みの女神の姿絵』まで駆け寄りうっとりと眺めるのをみて、店主の男は混乱する。
「この絵の題材は『始まりの神』と『恵みの女神』が運命的な出会いを果たした湖畔での一幕だな。女神の慈愛に溢れる眼差しを表現出来ており、素晴らしい出来だ。私のエレナが清廉無垢な愛くるしい少女でありながら、豊穣を司る女神の化身であることを彷彿とさせる女性らしさを兼ね備えていることを余すことなく捉えた作品に仕上がっている。他の作品も素晴らしい出来だが、この作品は抜きん出ている。他と画家が違うのか」
「あ、はい」
「だろうな。他の作品は私のエレナの野に咲く一面のマーガレットの様な可憐さを強調することに心を配っているが、この作品は同じマーガレットだとしても、荒野に咲く一輪の様な、気高くも凛とした佇まいを彷彿とさせ、まさに建国したばかりの乱世に平和という希望の光をもたらした女神の様だ。ほら、『始まりの神』の隣に立っていながらも寄りかからずしっかりと自分の足で立っている姿は、私のエレナが、ただ庇護される可愛らしいだけの少女なわけでなく、自立した気高き乙女であり、民を導く女神であることが見て取れる」
(私のエレナ……? え? は?)
早口で捲し立てるように婚約者を賛美し、版画の出来を褒め称える王太子に、店主の男は困惑し、入り口に立ちはだかる側近だろう男は冷たい視線を送る。
「この店を訪ねたものは、みなこの版画を手にしただろう? 領民の家々には、この版画が飾られているのだろうな」
なぜか唇を噛み締めている王太子に店主の男は真実を告げて良いものか悩む。
「その……」
「正直に話したことを罰したりはしない」
「……ほとんど売れておりません」
王太子は一瞬ホッとした表情を慌てて引き締めた。
「そうか。トワインの民たちにとっては私に似せた『始まりの神』が邪魔なのだな。では、私が責任を持って買い取らなくてはいけない」
言い値で買うと王太子に言われたが、店主の男は罰せられる恐怖からタダ同然の金額を提示した。
「版画だから刷ろうと思えばいくらでも刷れるのだな?」
指示を受けた側近の男が代金を支払う。
王太子は店主の男が大量の版画を紙に包むのを見ながら質問した。
「そうですね。何版も刷っている姿絵もございます」
「私が全て手に入れたあと『始まりの神と恵みの女神の姿絵』も次を刷るのか」
「次の版からは、女神の手が置かれた神の胸元の服にシワを書き足してあるので『恵みの女神』が『始まりの神』に寄り添うようなデザインに変わります」
寄りかかるようなことをしないで、自立している姿絵は初版だけだ。
そもそも売れないだろうとわかってから、第二版は刷るつもりはなかったが、王太子が絶賛する自立した女神とは図案が変わってしまう。
きっと刷るのを止められる。
(本当に無駄金になっちまったな)
説明を聞いた王太子の喉がヒュッと鳴るのを、店主の男は聞きながら版画の束を包む。
「店主。その……次の版が刷りあがったら王宮まで使いをよこしてくれ」
「え? あっ、は、はい。承知しました」
店主の男は顔を上げる。
王太子は夕日に照らされていてもわかるくらい真っ赤に染まった顔を両手で隠し、口元が緩んでいるのを必死に隠していた。
噂に聞く王太子と違いすぎる。
(王太子のために少しくらい刷ってやってもいいかな)
「毎度ありがとうございました」
店主の男は包んだ版画を差し出す。
「お持ちしましょうか?」
「はっ。姿絵でも、私の眼前で他の男が私のエレナを抱かせるなど許すと思うか」
そう言って手を差し出した側近の男に対して王太子は鼻で笑い、大量の『恵みの女神』の姿絵を大切そうに抱えて退店した。
──店主の男が、第二版が売れに売れて嬉しい悲鳴をあげるのと、大量に抱えていた初版をタダ同然で王太子に売り払ってしまったのをちょっとだけ後悔するのは、少し先のお話だ。
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