【完結】破滅フラグを回避したいのに婚約者の座は譲れません⁈─王太子殿下の婚約者に転生したみたいだけど転生先の物語がわかりません─

江崎美彩

文字の大きさ
152 / 276
第四部 

2 エレナ、王宮で働く

しおりを挟む
 王宮にある殿下の執務室の隣室で待機しているわたしは、部屋の中を見渡す。
 執務室から廊下を出ずに出入りできるその部屋は普段あまり使われていないのか、必要最低限の家具が置かれているだけで、がらんとしていた。

 見るものも何もない部屋では、考え事くらいしかできない。
 自分で決めたことなのに、考え事をし始めると悪いことばかり思いついてしまう。

 わたしがため息をつくと同時にドアをノックする音がした。
 誰何の声に応えたのはランス様だった。

「ご準備はできましたか」

 開いた扉の向こうで冷静な表情でわたしを見つめるのは部屋の主だ。いつも通り愛想のないランス様に少し安堵する。
 ランス様の横に女官が数人立っていた。

「よろしいでしょうか。いまからわたくしは未来の王太子妃付きの侍女候補ではなく、あくまでも女官見習いのエレナさんを教育する担当の上司でございます」

 部屋の中に入ってくると一番前に立った女性は引き締まった表情で宣言する。
 つやのあるグレーシルバーの髪は若い女性に落ち着いた印象を与えていた。

「はい! リリィさん。よろしくお願いね」

 わたしが元気よく挨拶すると、目の前に立つ女官の片眉がピクリと動く。

「リリアンナ・コーディ上級女官です。女官見習いとして働くならばわきまえていただかないと困ります」
「失礼しました。リリアンナ・コーディ上級女官殿。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」

 プフッと吹き出す声が聞こえる。
 リリィさんの後ろに立つ女官達の中にいた赤毛をおさげに結んだ丸眼鏡の少女と目が合った。お腹を抱えている。
 メアリさんだ!
 リリィさんも口の端を片側だけニヤリと持ち上げていた。

「リリィ。随分と楽しげだが、貴女こそ本分をわきまえてもらわなくては困る」
「あら、ランス・コーディ王太子殿下付き筆頭補佐官殿に心配いただかなくても、わたくしは与えられた職務は果たしますわ」

 嫌味っぽく注意するランス様にリリィさんも嫌味っぽく応じる。
 女官達はまた始まったとばかりに笑いをこらえていた。

 わたしが出仕することが決まった際に、信頼できる女官をつけてもらえることになって、紹介されたのがリリィさんを筆頭にした教育係の女官達だ。
 今日まで何度か我が家に来ていただくなどして準備を重ねてきた。

 リリィさんは殿下の側近であるランス様の奥様で、殿下の侍従であるウェードの妹にあたる女性だ。
 王立学園アカデミーを卒業してから女官として王宮に出仕している。

 女性王族の公務をサポートすることが主業務である女官は、いまは数が少ない。
 というのも今の王室は、王太子妃はもちろん王妃様もいらっしゃらない。
 いまいらっしゃる女性王族は前国王様の後妻である王太后様だけで、その王太后様自体も離宮にお住まいだ。

 今後殿下が結婚して王太子妃を迎える準備として文書係や祭事を司る部署なんかに少しずつ女官を増やしている最中らしい。

 リリィさんも離宮から王宮に異動し、王太子妃付きの女官を育てる職務を担っている。
 優秀な女性人材を国内からかき集めて育成しているから、イスファーン語が出来るエレナがしれっと混ざりやすい状況だった。

 わたしは協議の結果、文書係の女官見習いとして出仕することに決まった。

「では、エレナさん。これから西に向かいますよ」

 楽しげな女官達と、王宮の西側に向かう。
 西と呼ばれているのはいわゆる内政機関お役所が集まる場所だ。

 わたしは後ろの方に周り、メアリさんの隣を歩く。
 いつのまにか色々な人が裏で手を回してくれて、わたしだけじゃなくて、同僚としてメアリさんも女官見習いとして王宮に出仕することになったみたい。
 エレナに振り回されたと思ってないか心配で尋ねたら、王宮勤めの貴族達と顔見知りになれるのは願ってもないことらしい。
 王宮出仕はチャンスだとむしろ喜んでいた。

「エレナ様ー‼︎」

 廊下を歩いていると大きな声で呼び止められた。

 濃厚ハンサム顔を台無しになるくらいくちゃくちゃにして笑って手を振るのは、少し前に顔馴染みになったハロルド・デスティモナ次期伯爵。
 わたしが人差し指を立てて静かにしてとジェスチャーをすると、ハロルド様はハッとして辺りを見回し、周りに誰もいないことを確認する。

「もしかして、エレナ様はあのデスティモナ家の次期ご当主様と親しいんですか?」

 メアリさんはわたしに耳打ちする。
 ハロルド様は国内でも有数の資産家であるデスティモナ伯爵家のご嫡男で、投資家としても有名だ。
 メアリさんは早速コネクションを作りたい相手との遭遇に、ワクワクした顔でわたしを見つめる。

「ご紹介しましょうか? ご挨拶してもよろしいでしょうか」

 わたしはリリィさんに許可をとり、ハロルド様に挨拶に向かう。

「ハロルド様。お久しぶりです。本日から文書室でお世話になりますのでよろしくお願い致します」
「こちらこそ宜しくお願いします。それにしても、エレナ様の素性は明かさないようにと伺ってたのに! 私としたことがなんたる不覚でしょう!」

 ハロルド様は舞台俳優みたいに大袈裟に嘆く。
 本当にうっかりなのか、それともわざとなのか見分けがつかない。

「隠し立てる必要はないけれど、こちらから積極的に明かさないようにとのことです」

 別に間諜スパイをするわけではないので偽名を使ったりする必要はないけれど、一応エレナは殿下の婚約者だから周りに気を使わせてしまうならお手伝いにならない。
 リリィさんをはじめとした教育担当の女官達と、文書室でエレナのフォローをしてくれる数人の役人だけにしか知らせていない。

 幸いエレナは社交界にデビューしてないので、さほど顔が知られているわけではない。バレるリスクは少ない。
 まあ、それでもシーワード領で開かれた歓迎式典やお兄様達の婚約式に参列してるから、顔がわかる人はわかるだろうけど……
 
「ねぇ! エレナ様」

 メアリさんから肘で小突かれて急かされる。
 そうだ。紹介するんだった。

「ハロルド様。こちらにいらっしゃるのは今日からわたしと一緒に文書室でお世話になるメアリ・ストーン子爵令嬢です」
「あ! エレナ様。ストーンじゃなくて、ジェイムズです。メアリ・ジェイムズ」
「え? ジェイムズって……」

 確かメアリさんはジェイムズ商会のご子息と婚約されてるって聞いていた。

「もしかして、ご婚約者様ともうご結婚されたの?」
「はい」
「でも……」
「詳しい事はのちほど」

 気になる! 気になるけど、まずは紹介しなくっちゃ。

「ハロルド・デスティモナです。貴女が噂のジェイムズ商会の若奥様ですか。こんな場所でお会いできるとは思ってもみませんでした。幸運を女神に感謝しなくては」

 噂ってなに? ますます気になるわたしを尻目に同僚に呼ばれたハロルド様は私たちにウィンクを飛ばして立ち去ってしまった。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます

宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。 さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。 中世ヨーロッパ風異世界転生。

侯爵令嬢リリアンは(自称)悪役令嬢である事に気付いていないw

さこの
恋愛
「喜べリリアン! 第一王子の婚約者候補におまえが挙がったぞ!」  ある日お兄様とサロンでお茶をしていたらお父様が突撃して来た。 「良かったな! お前はフレデリック殿下のことを慕っていただろう?」  いえ! 慕っていません!  このままでは父親と意見の相違があるまま婚約者にされてしまう。  どうしようと考えて出した答えが【悪役令嬢に私はなる!】だった。  しかしリリアンは【悪役令嬢】と言う存在の解釈の仕方が……  *設定は緩いです  

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

【完結】私ですか?ただの令嬢です。

凛 伊緒
恋愛
死んで転生したら、大好きな乙女ゲーの世界の悪役令嬢だった!? バッドエンドだらけの悪役令嬢。 しかし、 「悪さをしなければ、最悪な結末は回避出来るのでは!?」 そう考え、ただの令嬢として生きていくことを決意する。 運命を変えたい主人公の、バッドエンド回避の物語! ※完結済です。 ※作者がシステムに不慣れかつ創作初心者な時に書いたものなので、温かく見守っていだければ幸いです……(。_。///) ※ご感想・ご指摘につきましては、近況ボードをお読みくださいませ。 《皆様のご愛読に、心からの感謝を申し上げますm(*_ _)m》

【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが

藍生蕗
恋愛
 子供の頃、一目惚れした相手から素気無い態度で振られてしまったリエラは、異性に好意を寄せる自信を無くしてしまっていた。  しかし貴族令嬢として十八歳は適齢期。  いつまでも家でくすぶっている妹へと、兄が持ち込んだお見合いに応じる事にした。しかしその相手には既に非公式ながらも恋人がいたようで、リエラは衆目の場で醜聞に巻き込まれてしまう。 ※ 本編は4万字くらいのお話です ※ 他のサイトでも公開してます ※ 女性の立場が弱い世界観です。苦手な方はご注意下さい。 ※ ご都合主義 ※ 性格の悪い腹黒王子が出ます(不快注意!) ※ 6/19 HOTランキング7位! 10位以内初めてなので嬉しいです、ありがとうございます。゚(゚´ω`゚)゚。  →同日2位! 書いてて良かった! ありがとうございます(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

成人したのであなたから卒業させていただきます。

ぽんぽこ狸
恋愛
 フィオナはデビュタント用に仕立てた可愛いドレスを婚約者であるメルヴィンに見せた。  すると彼は、とても怒った顔をしてフィオナのドレスを引き裂いた。  メルヴィンは自由に仕立てていいとは言ったが、それは流行にのっとった範囲でなのだから、こんなドレスは着させられないという事を言う。  しかしフィオナから見れば若い令嬢たちは皆愛らしい色合いのドレスに身を包んでいるし、彼の言葉に正当性を感じない。  それでも子供なのだから言う事を聞けと年上の彼に言われてしまうとこれ以上文句も言えない、そんな鬱屈とした気持ちを抱えていた。  そんな中、ある日、王宮でのお茶会で変わり者の王子に出会い、その素直な言葉に、フィオナの価値観はがらりと変わっていくのだった。  変わり者の王子と大人になりたい主人公のお話です。

悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。

三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。

死に戻りの悪役令嬢は、今世は復讐を完遂する。

乞食
恋愛
メディチ家の公爵令嬢プリシラは、かつて誰からも愛される少女だった。しかし、数年前のある事件をきっかけに周囲の人間に虐げられるようになってしまった。 唯一の心の支えは、プリシラを慕う義妹であるロザリーだけ。 だがある日、プリシラは異母妹を苛めていた罪で断罪されてしまう。 プリシラは処刑の日の前日、牢屋を訪れたロザリーに無実の証言を願い出るが、彼女は高らかに笑いながらこう言った。 「ぜーんぶ私が仕組んだことよ!!」 唯一信頼していた義妹に裏切られていたことを知り、プリシラは深い悲しみのまま処刑された。 ──はずだった。 目が覚めるとプリシラは、三年前のロザリーがメディチ家に引き取られる前日に、なぜか時間が巻き戻っていて──。 逆行した世界で、プリシラは義妹と、自分を虐げていた人々に復讐することを誓う。

処理中です...