182 / 276
第四部
32 王太子妃付き筆頭侍女候補リリアンナの奔走【サイドストーリー】
しおりを挟む
リリアンナが飛び込んだ部屋は思ったよりも静かだった。
官吏たちの姿がない。休憩時間だ。
放っておくといつまでも仕事をしてしまう人間たちの巣窟であるため、昼食以外にも午前と午後に一度ずつ強制的に休憩を取るようにシリルが指示している。
普段言い訳を作っては休憩を取らずに仕事をしている官吏達も、巣窟の主人がいては指示を無碍にできない。
がらんとした部屋の奥に、リリアンナの憤った声に驚いた顔をした男と、まるで飼い主を見つけた犬みたいな顔をした男と、まったく無視してペンを走らせる男がいた。
「リリィ! いいところに!」
そう言って立ち上がったエリオットの後ろには振りちぎれんばかりの尻尾の幻覚が見える。
「聞いてよ。リリィ。殿下ったら酷いんだ。僕が今日の貴族院の決議に参加したのはイスファーン王国の第三王女であるアイラン様の婚約者として来賓扱いだからだったんだよ。議会の後この部屋に来たのだってエレナがデスティモナ伯爵令嬢と投資話をすることになってるから様子見で来ただけなのに殿下の仕事を手伝わせるんだ。おかしいと思わない? 本来仕事すべき官吏が休憩しにいって、まだ官吏じゃない僕が仕事をさせられてるんだよ? 理不尽だよ。しかもデスティモナ伯爵令嬢が美味しそうなクッキーを差し入れしてくれたのをまだ少ししか食べてなかったのに仕事を押し付けるんだ。せっかくの差し入れを食べないのは申し訳ないと思わない? ああ、僕はリリィのいれてくれた美味しいお茶で美味しいクッキーが食べたいな」
幼馴染のいつもの調子に毒気が抜かれる。リリアンナは仕方なしにお茶を入れる準備をはじめた。
「リリィ、構ってやる必要はない。エリオット。お茶入れは上級女官の仕事じゃない。あと十分食べていただろう」
「別に上級女官殿に依頼してるんじゃないよ。お茶を入れるのが上手な幼馴染にお願いしてるだけだもの。ランスったらリリィが僕に優しくしてくれるからって妬かないでよ」
「エリオットに優しくしているわけではないわ。やかましいから黙らせるのにお茶をいれてあげるだけよ」
すっかり身体に馴染んだ軽口をたたきながら、リリアンナはお茶の用意を進める。
応接テーブルには、デスティモナ伯爵令嬢との投資話に使った資料などが置かれている。
リリアンナは端に寄せて、テーブルセッティングを行う。
エリオットとランスはくだらない言い合いを続けながら、ソファに座る。
そんな中、言い合いに参加せずペンを走らせ続ける男をリリアンナは睨んだ。
「シリルもこっちにいらっしゃい」
「……午後は紅茶は飲まないようにしている」
ようやくリリアンナを見たかと思えば、そうひとこと言って再び書類に視線を落とす。
仕事中毒者ばかりの巣窟の主人は、周りには休めというくせに自分は休まない。
「紅茶を飲むかどうかはどうでもいいのよ。わたしの話を聞きにいらっしゃい」
リリアンナはこの場の年長者として子供の頃から世話を焼いていた。みな立場は上でも、リリアンナに頭が上がらない。
シリルは渋々仕事の手を止めお茶の席についた。
ぐるりとリリアンナは三人の顔を見回す。
「どうして、エレナ様が目を腫らして文書室に戻ってきたのです?」
リリアンナの言葉に皆揃って驚いた顔をした。
(反応がおかしいわ。また前のように政務にかこつけて泣いているエレナ様を放置したわけではないの?)
「……そう。みんなの前で元気よく啖呵を切ってこの部屋を出てったのに。帰る途中でまた誰かが『エレナの悪口』を言ってるのを聞いたのかな。リリィ達がいつも慰めてくれてるんでしょう? ありがとうね。って痛っ!」
エリオットは手をさする。リリアンナの手を握ろうとするのをランスに勢いよくはたき落とされていた。
リリアンナは二人のやりとりを一瞥し、水を飲むシリルを睨む。
「わたしはこの前、婚約してからエレナ様に宛てたシリルの手紙は届いていない事を伝えたわよね?」
「ああ」
「そのあと、何か行動したのよね?」
「……」
黙りこくる男にリリアンナは苛立つ。
「何もしていないの?」
「……何かできると思うか? 以前兄のように慕ってくれる少女に向けるには、私の愛は重すぎると言ったのはリリィではないか」
「程よく伝えるくらいできないの⁈ エレナ様がおままごとでも王太子の婚約者を演じてくれるなら、自分は物語の王子を演じるのでしょう?」
以前リリアンナが言った事を蒸し返すシリルに、リリアンナは去年の茶会でシリルが言っていた言葉で言い返す。
「物語の王子の真似事をしようにも、私がエレナを見かける時はエレナは他の男と楽しそうに話しているのだ。私の出る幕はない」
「は? 自分がエレナに構ってもらえないからって、エレナが男好きみたいな言い方しないでよ」
さっきまで笑いながらランスをからかっていたエリオットが、怒気をはらんだ顔でこちらを見つめていた。
官吏たちの姿がない。休憩時間だ。
放っておくといつまでも仕事をしてしまう人間たちの巣窟であるため、昼食以外にも午前と午後に一度ずつ強制的に休憩を取るようにシリルが指示している。
普段言い訳を作っては休憩を取らずに仕事をしている官吏達も、巣窟の主人がいては指示を無碍にできない。
がらんとした部屋の奥に、リリアンナの憤った声に驚いた顔をした男と、まるで飼い主を見つけた犬みたいな顔をした男と、まったく無視してペンを走らせる男がいた。
「リリィ! いいところに!」
そう言って立ち上がったエリオットの後ろには振りちぎれんばかりの尻尾の幻覚が見える。
「聞いてよ。リリィ。殿下ったら酷いんだ。僕が今日の貴族院の決議に参加したのはイスファーン王国の第三王女であるアイラン様の婚約者として来賓扱いだからだったんだよ。議会の後この部屋に来たのだってエレナがデスティモナ伯爵令嬢と投資話をすることになってるから様子見で来ただけなのに殿下の仕事を手伝わせるんだ。おかしいと思わない? 本来仕事すべき官吏が休憩しにいって、まだ官吏じゃない僕が仕事をさせられてるんだよ? 理不尽だよ。しかもデスティモナ伯爵令嬢が美味しそうなクッキーを差し入れしてくれたのをまだ少ししか食べてなかったのに仕事を押し付けるんだ。せっかくの差し入れを食べないのは申し訳ないと思わない? ああ、僕はリリィのいれてくれた美味しいお茶で美味しいクッキーが食べたいな」
幼馴染のいつもの調子に毒気が抜かれる。リリアンナは仕方なしにお茶を入れる準備をはじめた。
「リリィ、構ってやる必要はない。エリオット。お茶入れは上級女官の仕事じゃない。あと十分食べていただろう」
「別に上級女官殿に依頼してるんじゃないよ。お茶を入れるのが上手な幼馴染にお願いしてるだけだもの。ランスったらリリィが僕に優しくしてくれるからって妬かないでよ」
「エリオットに優しくしているわけではないわ。やかましいから黙らせるのにお茶をいれてあげるだけよ」
すっかり身体に馴染んだ軽口をたたきながら、リリアンナはお茶の用意を進める。
応接テーブルには、デスティモナ伯爵令嬢との投資話に使った資料などが置かれている。
リリアンナは端に寄せて、テーブルセッティングを行う。
エリオットとランスはくだらない言い合いを続けながら、ソファに座る。
そんな中、言い合いに参加せずペンを走らせ続ける男をリリアンナは睨んだ。
「シリルもこっちにいらっしゃい」
「……午後は紅茶は飲まないようにしている」
ようやくリリアンナを見たかと思えば、そうひとこと言って再び書類に視線を落とす。
仕事中毒者ばかりの巣窟の主人は、周りには休めというくせに自分は休まない。
「紅茶を飲むかどうかはどうでもいいのよ。わたしの話を聞きにいらっしゃい」
リリアンナはこの場の年長者として子供の頃から世話を焼いていた。みな立場は上でも、リリアンナに頭が上がらない。
シリルは渋々仕事の手を止めお茶の席についた。
ぐるりとリリアンナは三人の顔を見回す。
「どうして、エレナ様が目を腫らして文書室に戻ってきたのです?」
リリアンナの言葉に皆揃って驚いた顔をした。
(反応がおかしいわ。また前のように政務にかこつけて泣いているエレナ様を放置したわけではないの?)
「……そう。みんなの前で元気よく啖呵を切ってこの部屋を出てったのに。帰る途中でまた誰かが『エレナの悪口』を言ってるのを聞いたのかな。リリィ達がいつも慰めてくれてるんでしょう? ありがとうね。って痛っ!」
エリオットは手をさする。リリアンナの手を握ろうとするのをランスに勢いよくはたき落とされていた。
リリアンナは二人のやりとりを一瞥し、水を飲むシリルを睨む。
「わたしはこの前、婚約してからエレナ様に宛てたシリルの手紙は届いていない事を伝えたわよね?」
「ああ」
「そのあと、何か行動したのよね?」
「……」
黙りこくる男にリリアンナは苛立つ。
「何もしていないの?」
「……何かできると思うか? 以前兄のように慕ってくれる少女に向けるには、私の愛は重すぎると言ったのはリリィではないか」
「程よく伝えるくらいできないの⁈ エレナ様がおままごとでも王太子の婚約者を演じてくれるなら、自分は物語の王子を演じるのでしょう?」
以前リリアンナが言った事を蒸し返すシリルに、リリアンナは去年の茶会でシリルが言っていた言葉で言い返す。
「物語の王子の真似事をしようにも、私がエレナを見かける時はエレナは他の男と楽しそうに話しているのだ。私の出る幕はない」
「は? 自分がエレナに構ってもらえないからって、エレナが男好きみたいな言い方しないでよ」
さっきまで笑いながらランスをからかっていたエリオットが、怒気をはらんだ顔でこちらを見つめていた。
50
あなたにおすすめの小説
【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます
宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。
さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。
中世ヨーロッパ風異世界転生。
侯爵令嬢リリアンは(自称)悪役令嬢である事に気付いていないw
さこの
恋愛
「喜べリリアン! 第一王子の婚約者候補におまえが挙がったぞ!」
ある日お兄様とサロンでお茶をしていたらお父様が突撃して来た。
「良かったな! お前はフレデリック殿下のことを慕っていただろう?」
いえ! 慕っていません!
このままでは父親と意見の相違があるまま婚約者にされてしまう。
どうしようと考えて出した答えが【悪役令嬢に私はなる!】だった。
しかしリリアンは【悪役令嬢】と言う存在の解釈の仕方が……
*設定は緩いです
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
【完結】私ですか?ただの令嬢です。
凛 伊緒
恋愛
死んで転生したら、大好きな乙女ゲーの世界の悪役令嬢だった!?
バッドエンドだらけの悪役令嬢。
しかし、
「悪さをしなければ、最悪な結末は回避出来るのでは!?」
そう考え、ただの令嬢として生きていくことを決意する。
運命を変えたい主人公の、バッドエンド回避の物語!
※完結済です。
※作者がシステムに不慣れかつ創作初心者な時に書いたものなので、温かく見守っていだければ幸いです……(。_。///)
※ご感想・ご指摘につきましては、近況ボードをお読みくださいませ。
《皆様のご愛読に、心からの感謝を申し上げますm(*_ _)m》
【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが
藍生蕗
恋愛
子供の頃、一目惚れした相手から素気無い態度で振られてしまったリエラは、異性に好意を寄せる自信を無くしてしまっていた。
しかし貴族令嬢として十八歳は適齢期。
いつまでも家でくすぶっている妹へと、兄が持ち込んだお見合いに応じる事にした。しかしその相手には既に非公式ながらも恋人がいたようで、リエラは衆目の場で醜聞に巻き込まれてしまう。
※ 本編は4万字くらいのお話です
※ 他のサイトでも公開してます
※ 女性の立場が弱い世界観です。苦手な方はご注意下さい。
※ ご都合主義
※ 性格の悪い腹黒王子が出ます(不快注意!)
※ 6/19 HOTランキング7位! 10位以内初めてなので嬉しいです、ありがとうございます。゚(゚´ω`゚)゚。
→同日2位! 書いてて良かった! ありがとうございます(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
成人したのであなたから卒業させていただきます。
ぽんぽこ狸
恋愛
フィオナはデビュタント用に仕立てた可愛いドレスを婚約者であるメルヴィンに見せた。
すると彼は、とても怒った顔をしてフィオナのドレスを引き裂いた。
メルヴィンは自由に仕立てていいとは言ったが、それは流行にのっとった範囲でなのだから、こんなドレスは着させられないという事を言う。
しかしフィオナから見れば若い令嬢たちは皆愛らしい色合いのドレスに身を包んでいるし、彼の言葉に正当性を感じない。
それでも子供なのだから言う事を聞けと年上の彼に言われてしまうとこれ以上文句も言えない、そんな鬱屈とした気持ちを抱えていた。
そんな中、ある日、王宮でのお茶会で変わり者の王子に出会い、その素直な言葉に、フィオナの価値観はがらりと変わっていくのだった。
変わり者の王子と大人になりたい主人公のお話です。
悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。
三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。
死に戻りの悪役令嬢は、今世は復讐を完遂する。
乞食
恋愛
メディチ家の公爵令嬢プリシラは、かつて誰からも愛される少女だった。しかし、数年前のある事件をきっかけに周囲の人間に虐げられるようになってしまった。
唯一の心の支えは、プリシラを慕う義妹であるロザリーだけ。
だがある日、プリシラは異母妹を苛めていた罪で断罪されてしまう。
プリシラは処刑の日の前日、牢屋を訪れたロザリーに無実の証言を願い出るが、彼女は高らかに笑いながらこう言った。
「ぜーんぶ私が仕組んだことよ!!」
唯一信頼していた義妹に裏切られていたことを知り、プリシラは深い悲しみのまま処刑された。
──はずだった。
目が覚めるとプリシラは、三年前のロザリーがメディチ家に引き取られる前日に、なぜか時間が巻き戻っていて──。
逆行した世界で、プリシラは義妹と、自分を虐げていた人々に復讐することを誓う。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる