6 / 9
第5話「忍び寄る国家の危機」
しおりを挟む
『エル・ネット』の通信網が王国中に広がるにつれて、エリザたちの元には、これまで決して可視化されることのなかった、膨大な量の情報が集積するようになっていた。それは、市場の相場や新しい店の評判といった微笑ましいものから、各地の治安状況や小さな揉め事に至るまで、まさに王国の今を映し出す鏡のようなものだった。そして、その情報網が、不吉な兆候を捉え始めたのは、秋も深まってきた頃のことだった。
始まりは、王国と隣国との国境に連なる山脈地帯からの、断片的な報告だった。
「最近、オークの目撃情報がやけに多い」
「ワイバーンの飛行を例年より頻繁に確認。数は少ないが、どうも様子を窺っているようだ」
「北の森で、通常は群れないはずのゴブリンとコボルトが、徒党を組んで移動しているのを見たという猟師がいる」
報告は、いずれも各地の砦や警備隊から上がる些細なもので、一つ一つを見れば「よくあることだ」で済まされてしまうレベルだった。事実、王都の騎士団本部はこれらの報告を重要視せず、定期報告書の片隅に記録するだけで、具体的な調査に乗り出すことはなかった。彼らにとって、王都の安寧こそが最優先事項であり、辺境の小さな異変など、気にも留める価値がないのだ。
しかし、王国全土の情報を俯瞰できるエリザの司令室では、それらの情報が全く異なる意味を持って見えていた。司令室の壁にかけられた巨大な王国地図の上には、フィンが各地から集めた情報を、魔物の種類ごとに色分けされたピンで打ち込んでいた。
「エリザ姉ちゃん、見てくれよ。おかしいぜ、これ」
フィンは地図の一点を指さした。国境付近の山脈地帯から、まるで川の流れのように、色とりどりのピンが同じ方角へと伸びている。その終着点が示唆する場所は、ただ一つ。王都エルミートだった。
「複数の種類の魔物が、まるで統率されているかのように、同じ目的地を目指して動いている…」
エリザは眉をひそめた。自然発生的な魔物の移動では、まずあり得ない現象だ。さらに、情報の中には看過できないものも含まれていた。
「今までこの地域では目撃例のなかった、オーガやサイクロプスといった大型の強力な魔物を見た、という報告も複数上がっています。まるで、どこかから集められてきたかのようです」
集まってくる情報を一つ一つ繋ぎ合わせ、分析していくうちに、エリザの背筋を冷たい汗が伝った。これは、単なる魔物の活性化などではない。何者かの強い意志によって引き起こされようとしている、王都を標的とした大規模なスタンピード――魔物の大暴走。その前兆であるとしか考えられなかった。
「カイ様に至急連絡を。そして、この分析結果をまとめて、すぐに王宮へ警告を送る必要があります」
エリザの指示に、司令室の空気が一気に張り詰める。カイはエリザからの報告を受けると、事の重大さを即座に理解し、辺境伯として、そして一人の貴族として、公式に王宮へ警告の書状を送った。書状には、エリザの商会が集めた詳細なデータと、スタンピード発生の危険性を指摘する分析結果が添付されていた。
しかし、王宮の反応は、エリザの危惧していた通り、冷淡なものだった。
警告の書状は、アルフォンス王子が中心となって処理された。彼は、エリザとカイの名前が記された書状を一瞥するなり、嘲るように鼻を鳴らした。
「またあの女か。今度は何を企んでいる? 我々の注意を引き、辺境に予算を割かせるための、いつもの脅しだろう」
彼は、添付された詳細なデータに見向きもせず、そう断じた。彼の周りに侍る側近たちも、それに同調する。
「そもそも、追放された罪人の女がまとめた情報など、信用に値しません」
「辺境伯も、すっかりあの魔女に骨抜きにされてしまったようですな」
彼らは、エリザが自分たちを出し抜いた過去を根に持っていた。彼女からもたらされる警告は、素直に聞き入れるべき忠告ではなく、自分たちの権威を脅かすための策略だとしか受け取れなかったのだ。結局、カイからの警告は「辺境伯の杞憂」として処理され、握り潰されてしまった。
カイから、警告が無視されたとの連絡を受けたエリザは、唇を噛み締めた。予感は、確信に変わりつつある。このままでは、王都は未曾有の危機に晒されることになる。
「もう、王宮を頼ることはできません」
エリザは静かに、しかし決然と言い放った。
「警告が無視された以上、私たちは私たちで、万が一の事態に備える必要があります。フィン」
「おう!」
「『エル・ネット』で繋がっている全ての街、村、そして砦に連絡を。警戒レベルを最大に引き上げるよう伝えてください。そして、魔物のスタンピードが発生した場合の、独自の防衛計画と、民間人の避難経路の確保を急いで。商人ギルドにも協力を要請し、ポーションや食料の備蓄も確認を」
それは、国王や王子の許可を得ない、独断の行動。一歩間違えれば、国家への反逆とみなされかねない危険な賭けだった。しかし、エリザに迷いはなかった。目の前にある危機から、救えるはずの人々を見捨てることなど、彼女には到底できなかった。
「カイ様にも、辺境伯軍の出動準備をお願いしなければ…」
エリザの司令室は、さながら独立した王国の軍司令部の様相を呈し始めていた。地図の上では、刻一刻と、魔物を示すピンが増え、不気味な流れを形成していく。静かな、しかし確実な足音で、王国史上最悪の悪夢が、すぐそこまで忍び寄ってきていた。王都が、偽りの平和を謳歌している、まさにその裏側で。
始まりは、王国と隣国との国境に連なる山脈地帯からの、断片的な報告だった。
「最近、オークの目撃情報がやけに多い」
「ワイバーンの飛行を例年より頻繁に確認。数は少ないが、どうも様子を窺っているようだ」
「北の森で、通常は群れないはずのゴブリンとコボルトが、徒党を組んで移動しているのを見たという猟師がいる」
報告は、いずれも各地の砦や警備隊から上がる些細なもので、一つ一つを見れば「よくあることだ」で済まされてしまうレベルだった。事実、王都の騎士団本部はこれらの報告を重要視せず、定期報告書の片隅に記録するだけで、具体的な調査に乗り出すことはなかった。彼らにとって、王都の安寧こそが最優先事項であり、辺境の小さな異変など、気にも留める価値がないのだ。
しかし、王国全土の情報を俯瞰できるエリザの司令室では、それらの情報が全く異なる意味を持って見えていた。司令室の壁にかけられた巨大な王国地図の上には、フィンが各地から集めた情報を、魔物の種類ごとに色分けされたピンで打ち込んでいた。
「エリザ姉ちゃん、見てくれよ。おかしいぜ、これ」
フィンは地図の一点を指さした。国境付近の山脈地帯から、まるで川の流れのように、色とりどりのピンが同じ方角へと伸びている。その終着点が示唆する場所は、ただ一つ。王都エルミートだった。
「複数の種類の魔物が、まるで統率されているかのように、同じ目的地を目指して動いている…」
エリザは眉をひそめた。自然発生的な魔物の移動では、まずあり得ない現象だ。さらに、情報の中には看過できないものも含まれていた。
「今までこの地域では目撃例のなかった、オーガやサイクロプスといった大型の強力な魔物を見た、という報告も複数上がっています。まるで、どこかから集められてきたかのようです」
集まってくる情報を一つ一つ繋ぎ合わせ、分析していくうちに、エリザの背筋を冷たい汗が伝った。これは、単なる魔物の活性化などではない。何者かの強い意志によって引き起こされようとしている、王都を標的とした大規模なスタンピード――魔物の大暴走。その前兆であるとしか考えられなかった。
「カイ様に至急連絡を。そして、この分析結果をまとめて、すぐに王宮へ警告を送る必要があります」
エリザの指示に、司令室の空気が一気に張り詰める。カイはエリザからの報告を受けると、事の重大さを即座に理解し、辺境伯として、そして一人の貴族として、公式に王宮へ警告の書状を送った。書状には、エリザの商会が集めた詳細なデータと、スタンピード発生の危険性を指摘する分析結果が添付されていた。
しかし、王宮の反応は、エリザの危惧していた通り、冷淡なものだった。
警告の書状は、アルフォンス王子が中心となって処理された。彼は、エリザとカイの名前が記された書状を一瞥するなり、嘲るように鼻を鳴らした。
「またあの女か。今度は何を企んでいる? 我々の注意を引き、辺境に予算を割かせるための、いつもの脅しだろう」
彼は、添付された詳細なデータに見向きもせず、そう断じた。彼の周りに侍る側近たちも、それに同調する。
「そもそも、追放された罪人の女がまとめた情報など、信用に値しません」
「辺境伯も、すっかりあの魔女に骨抜きにされてしまったようですな」
彼らは、エリザが自分たちを出し抜いた過去を根に持っていた。彼女からもたらされる警告は、素直に聞き入れるべき忠告ではなく、自分たちの権威を脅かすための策略だとしか受け取れなかったのだ。結局、カイからの警告は「辺境伯の杞憂」として処理され、握り潰されてしまった。
カイから、警告が無視されたとの連絡を受けたエリザは、唇を噛み締めた。予感は、確信に変わりつつある。このままでは、王都は未曾有の危機に晒されることになる。
「もう、王宮を頼ることはできません」
エリザは静かに、しかし決然と言い放った。
「警告が無視された以上、私たちは私たちで、万が一の事態に備える必要があります。フィン」
「おう!」
「『エル・ネット』で繋がっている全ての街、村、そして砦に連絡を。警戒レベルを最大に引き上げるよう伝えてください。そして、魔物のスタンピードが発生した場合の、独自の防衛計画と、民間人の避難経路の確保を急いで。商人ギルドにも協力を要請し、ポーションや食料の備蓄も確認を」
それは、国王や王子の許可を得ない、独断の行動。一歩間違えれば、国家への反逆とみなされかねない危険な賭けだった。しかし、エリザに迷いはなかった。目の前にある危機から、救えるはずの人々を見捨てることなど、彼女には到底できなかった。
「カイ様にも、辺境伯軍の出動準備をお願いしなければ…」
エリザの司令室は、さながら独立した王国の軍司令部の様相を呈し始めていた。地図の上では、刻一刻と、魔物を示すピンが増え、不気味な流れを形成していく。静かな、しかし確実な足音で、王国史上最悪の悪夢が、すぐそこまで忍び寄ってきていた。王都が、偽りの平和を謳歌している、まさにその裏側で。
28
あなたにおすすめの小説
「可愛げがない」と婚約破棄された公爵令嬢ですが、領地経営をしていたのは私です
希羽
恋愛
「お前のような可愛げのない女との婚約は破棄する!」
卒業パーティの会場で、婚約者である第二王子デリックはそう宣言し、私の義妹ミナを抱き寄せました。 誰もが私が泣き崩れると思いましたが――正直、せいせいしました。 だって、王子の領地経営、借金返済、結界維持、それら全ての激務を一人でこなしていたのは「可愛げのない」私だったのですから。
「承知しました。では、あとはミナと二人で頑張ってください」
私は手切れ金代わりに面倒な仕事を全て置いて国を出ました。 すると、国境で待っていたのは、隣国ガルガディア帝国の冷徹皇太子ことクライド様。なぜか彼は私を溺愛し、帝国で最高の地位と環境を与えてくれて……。
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
悪役令嬢に転生したけど、破滅エンドは王子たちに押し付けました
タマ マコト
ファンタジー
27歳の社畜OL・藤咲真帆は、仕事でも恋でも“都合のいい人”として生きてきた。
ある夜、交通事故に遭った瞬間、心の底から叫んだーー「もう我慢なんてしたくない!」
目を覚ますと、乙女ゲームの“悪役令嬢レティシア”に転生していた。
破滅が約束された物語の中で、彼女は決意する。
今度こそ、泣くのは私じゃない。
破滅は“彼ら”に押し付けて、私の人生を取り戻してみせる。
追放悪役令嬢のスローライフは止まらない!~辺境で野菜を育てていたら、いつの間にか国家運営する羽目になりました~
緋村ルナ
ファンタジー
「計画通り!」――王太子からの婚約破棄は、窮屈な妃教育から逃れ、自由な農業ライフを手に入れるための完璧な計画だった!
前世が農家の娘だった公爵令嬢セレスティーナは、追放先の辺境で、前世の知識と魔法を組み合わせた「魔法農業」をスタートさせる。彼女が作る奇跡の野菜と心温まる料理は、痩せた土地と人々の心を豊かにし、やがて小さな村に起こした奇跡は、国全体を巻き込む大きなうねりとなっていく。
これは、自分の居場所を自分の手で作り出した、一人の令嬢の痛快サクセスストーリー! 悪役の仮面を脱ぎ捨てた彼女が、個人の幸せの先に掴んだものとは――。
悪役令嬢の私、計画通り追放されました ~無能な婚約者と傾国の未来を捨てて、隣国で大商人になります~
希羽
恋愛
「ええ、喜んで国を去りましょう。――全て、私の計算通りですわ」
才色兼備と謳われた公爵令嬢セラフィーナは、卒業パーティーの場で、婚約者である王子から婚約破棄を突きつけられる。聖女を虐げた「悪役令嬢」として、満座の中で断罪される彼女。
しかし、その顔に悲壮感はない。むしろ、彼女は内心でほくそ笑んでいた――『計画通り』と。
無能な婚約者と、沈みゆく国の未来をとうに見限っていた彼女にとって、自ら悪役の汚名を着て国を追われることこそが、完璧なシナリオだったのだ。
莫大な手切れ金を手に、自由都市で商人『セーラ』として第二の人生を歩み始めた彼女。その類まれなる才覚は、やがて大陸の経済を揺るがすほどの渦を巻き起こしていく。
一方、有能な彼女を失った祖国は坂道を転がるように没落。愚かな元婚約者たちが、彼女の真価に気づき後悔した時、物語は最高のカタルシスを迎える――。
【古代召喚魔法】を悪霊だとよばれ魔法学園を追放されました。でもエルフの王女に溺愛されて幸せです。だから邪魔する奴らは排除していいよね?
里海慧
ファンタジー
「レオ・グライス。君は呪いの悪霊を呼び寄せ、危険極まりない! よって本日をもって退学に処す!!」
最終学年に上がったところで、魔法学園を退学になったレオ。
この世界では魔物が跋扈しており、危険から身を守るために魔法が発達している。
だが魔法が全く使えない者は、呪われた存在として忌み嫌われていた。
魔法が使えないレオは貴族だけが通う魔法学園で、はるか昔に失われた【古代召喚魔法】を必死に習得した。
しかし召喚魔法を見せても呪いの悪霊だと誤解され、危険人物と認定されてしまう。
学園を退学になり、家族からも見捨てられ居場所がなくなったレオは、ひとりで生きていく事を決意。
森の奥深くでエルフの王女シェリルを助けるが、深い傷を負ってしまう。だがシェリルに介抱されるうちに心を救われ、王女の護衛として雇ってもらう。
そしてシェリルの次期女王になるための試練をクリアするべく、お互いに想いを寄せながら、二人は外の世界へと飛び出していくのだった。
一方レオを追い出した者たちは、次期女王の試練で人間界にやってきたシェリルに何とか取り入ろうとする。
そして邪魔なレオを排除しようと画策するが、悪事は暴かれて一気に転落していくのだった。
※きゅんきゅんするハイファンタジー、きゅんファン目指してます。
婚約破棄され森に捨てられました。探さないで下さい。
拓海のり
ファンタジー
属性魔法が使えず、役に立たない『自然魔法』だとバカにされていたステラは、婚約者の王太子から婚約破棄された。そして身に覚えのない罪で断罪され、修道院に行く途中で襲われる。他サイトにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる