追放聖女の薬草店~光らない無能と言われた私の治癒力は、最強騎士団長の呪いにだけ効くようです。辺境で始める溺愛スローライフ~

黒崎隼人

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第1話「始まりは、埃っぽい廃屋から」

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 ギー、と錆びついた蝶番が悲鳴を上げて、重たい木の扉が開いた。

 そこから吐き出されたのは、カビと積もった埃の臭い。普通なら顔をしかめて後ずさりしたくなるような空気だったけれど、私にとっては、どんな高級な香水よりも胸が躍る香りだった。

「……ここが、私の新しいお城ね」

 誰に聞かせるわけでもなく、私はつぶやいた。

 手に持ったカバンの持ち手をぎゅっと握りしめる。革の手袋越しに伝わるその感触が、夢ではないことを教えてくれていた。

 ここは王都から馬車で二週間以上かかる、北の最果て。ナギの村。

 古い石畳とレンガ造りの家が並ぶ、静かで小さな村だ。

 目の前にあるのは、村外れの小高い丘に建つ、一軒の空き家だった。かつては誰かが住んでいたのだろうけれど、長い間放置されていたのが一目でわかる。窓ガラスは煤けて向こうが見えないし、庭は雑草が伸び放題で、まるで緑の海の底に沈んでいるみたいだ。

 けれど、私――エリナ・フォレストにとっては、こここそが楽園の入り口だった。

「さて、と。まずは空気の入れ替えから始めましょうか」

 私はスカートの裾を少しだけ持ち上げて、慎重に家の中へと足を踏み入れた。

 板張りの床が、私の体重を受けて小さくきしむ。

 ブーツのつま先が舞い上げた埃が、窓の隙間から差し込む一筋の陽光に照らされて、キラキラと金粉のように舞っていた。

 王宮の、あの磨き上げられた大理石の床とは大違いだ。冷たくて、硬くて、足音一つ立てることも許されなかったあの場所。

 脳裏に、数日前の光景がよぎる。

『エリナ、貴様のような光らぬ聖女など不要だ! この国から出て行け!』

 煌びやかなシャンデリアの下、アレク王子の甲高い声が響いた。

 隣には、聖なる光を放つパフォーマンスが得意な、新しい聖女候補の少女が媚びるような笑顔で立っていた。

 私の治癒魔法は、彼らが望むような「神々しい光」を放たない。ただ、傷ついた細胞に直接語りかけ、生命力を分け与えて癒やすだけの、地味なものだったから。

 派手好きな王子にとって、私は見栄えの悪いアクセサリーでしかなかったのだ。

(でも、おかげで清々したわ)

 追放処分、大いに結構。

 私はもともと、堅苦しい儀式や派閥争いなんて大嫌いだったのだ。

 退職金代わりにわずかな路銀と、この誰も欲しがらない辺境の廃屋の権利書をもらえただけで、十分すぎるほどの対価だった。

 私は部屋の中央まで進むと、荷物を床に置いた。

 まずは窓だ。

 建て付けの悪い留め金をなんとか外して、両手で思い切り押し開ける。

 パァンッ、と乾いた音がして、視界が一気に開けた。

 流れ込んできたのは、ひんやりとした森の風。

 そこには、濡れた土の匂いと、針葉樹の鋭く清涼な香り、そして微かに甘い野花の香りが混じり合っていた。

 王都の排気ガスや香油の匂いとは違う、生きている自然の呼吸。

「んぅぅ……っ!」

 私は大きく背伸びをして、胸いっぱいにその空気を吸い込んだ。

 肺の中の澱んだ空気が、すべて洗い流されていくような感覚。

 心臓がトクトクとリズミカルに脈打ち、指先まで温かい血が巡っていくのがわかる。

「最高……」

 目の前には、見渡す限りの緑が広がっている。

 この村の裏手にある「迷いの森」は、貴重な薬草の宝庫だと本で読んだことがあった。

 あの森の奥には、まだ誰も見つけたことのない幻のハーブが眠っているかもしれない。図鑑でしか見たことのない、月の光を浴びて咲く花や、万病に効くと言われる根っこがあるかもしれない。

 そう考えるだけで、自然と口元が緩んでしまう。

 もう、誰のために魔法を使うか悩まなくていい。

 権力者のご機嫌取りのために、自分の力を切り売りしなくていい。

 私はここで、私の好きなように生きるんだ。

 大好きな薬草を育てて、煎じて、本当に困っている人のための薬を作る。

 そんな、ささやかな薬草店を開くのが、私の長年の夢だったのだから。

「よし、やるわよ!」

 私は頬をパチンと両手で叩いて、気合を入れた。

 まずは掃除だ。この埃だらけの床をピカピカに磨き上げて、蜘蛛の巣を払って、人間が住める場所に変えなくちゃいけない。

 かばんから、愛用のエプロンを取り出して身につける。

 白いフリルがついたそれは、もうずいぶんと古くなっていたけれど、これをつけると不思議と力が湧いてくる私の戦闘服だ。

 髪を高い位置で一つに束ねる。

 庭の井戸が使えるかどうかも確認しなきゃ。もし枯れていたら一大事だ。それから、屋根の修繕も必要かもしれない。

 やることは山積みだ。

 今日中に寝床を確保できるかも怪しい。

 けれど、不思議と不安はなかった。

 窓から差し込む陽の光が、埃まみれの床に明るい四角形を描いている。

 その光の暖かさが、これからの私の未来を祝福してくれているような、そんな気がしたからだ。

 私は腕まくりをして、部屋の隅に転がっていた古いほうきを手に取った。

 さあ、私のスローライフの始まりだ。
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