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第7話「聖域への逆算」
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世界の破壊を決意したオフィーリアとレオンの時間は、そこから急速に動き出した。もはや悠長に情報を集めている段階ではない。女神にこちらの意図を悟られる前に、可及的速やかに行動を起こす必要があった。
「女神の観測から逃れ、世界のシステムを破壊する。そのための唯一の場所が『聖域』です」
図書館の隠し部屋でレオンは古びた地図を広げながら言った。それは王城の設計図とも魔術的な回路図ともつかない、複雑怪奇な図面だった。
「聖域……。女神がこの世界に降臨すると言われている場所ね」
「表向きはそうなっています。ですが禁書庫の文献を解読した結果、その本質は違うことが分かりました。聖域とは女神がこの世界を観測し管理するための、巨大な制御室……サーバールームのようなものだ。そこにある中枢システムを破壊すれば、女神はこの世界への干渉手段を失います」
「どうやって、そこへ?」
「それが最大の問題です」と、レオンは眉間にしわを寄せた。「聖域は通常、物理的にアクセスすることはできません。異次元、あるいは高次元の位相に存在している。そこへの扉が開くのは、たった一つの特別な瞬間だけです」
レオンは地図の一点を指さした。それは大聖堂の、処刑台が設置される場所だった。
「世界に最も大きなエネルギーの変動……すなわち物語のクライマックスが発生する瞬間。具体的に言えば、生贄である『悪役令嬢』への処刑の刃が振り下ろされ、その魂が死へと向かいシステムから切り離されようとする刹那。世界との接続が不安定になり、極小の『ゆらぎ』が発生するその瞬間だけ聖域への扉は開く」
オフィーリアは息を呑んだ。つまり聖域へ行くためには、自分が断罪され処刑台に上る必要があるということ。これまであれほど忌み嫌い回避しようとしてきた運命の終着点に、自ら進んで向かわなければならないというのか。
なんという皮肉。
「……私が死ぬ瞬間に、道が開かれるのね」
「正確には死ぬ『直前』です。あなたの魂がこの世界のシステムから切り離されようとする、そのコンマ一秒にも満たない間に空間の綻びが生まれる。我々は、その綻びを突いて聖域へと侵入する」
「でも、処刑は執行されるのでしょう? 侵入できたとして私は死んでしまうのではないの?」
「そこが私の役目です」
レオンは自信とも、あるいは狂気とも取れる光を瞳に宿して言った。
「私が、時を止める」
時を止める。あまりに荒唐無稽な言葉に、オフィーリアは耳を疑った。
「そんなことが、可能なの?」
「通常なら不可能です。ですがこの世界は女神の創ったプログラム。ならばその法則をハッキングする抜け道もあるはず。私はこの七回のループで、そのための古代魔術をずっと研究してきました。完成には程遠かったが、あなたというイレギュラーと『創世の書』の情報が手に入った今なら話は別です」
彼は羊皮紙にびっしりと書き込まれた、複雑な魔術式をオフィーリアに見せた。見たこともない古代の文字や図形が、まるで生き物のように絡み合っている。
「処刑の刃が振り下ろされる、まさにその瞬間。私がこの術を発動させ、世界全体の時間をほんの数秒間だけ停止させる。その間に我々は聖域へと飛び込む。成功するかどうかは五分と五分。失敗すれば、あなたはそのまま死に、私もシステムの反動で精神が焼き切れるでしょう」
死と隣り合わせの、あまりに危険な賭け。だがもう後戻りはできなかった。
「分かったわ。やりましょう」
オフィーリアは迷いなくうなずいた。十八回も死んできたのだ。十九回目が本当の最後になったとしても、もはや恐怖はなかった。
そこから二人の緻密な逆算が始まった。
運命の日は次のループの七日後。
それまでに全ての準備を整えなければならない。
まずオフィーリアは、再び断罪されるための状況を自ら作り出す必要があった。彼女はこれまでのループで得た知識を総動員し、最も確実かつ劇的に自分が「悪役令嬢」の濡れ衣を着せられる筋書きを再現することにした。
標的はリリアンヌ。計画が失敗し鬱屈していた彼女の嗜虐性を、巧みに煽ってやるのだ。
オフィーリアはわざとリリアンヌの前で、王子ユリウスと親密な姿を見せつけた。完璧な王子を演じることに疲弊していたユリウスは、自分の空虚さを見抜いているかのようなオフィーリアの瞳に無意識のうちに惹きつけられ始めていた。その様子がリリアンヌの嫉妬の炎に、これ以上なく油を注いだ。
「オフィーリア様ばっかり、ずるいですわ……!」
リリアンヌはついに罠を仕掛けてきた。前回と同じ毒殺未遂の筋書き。だが今回は前回よりもさらに稚拙で感情的だった。彼女の精神もまた世界の歪みによって確実に蝕まれているのだ。
オフィーリアは、その罠にわざと嵌ってみせた。
毒が盛られると知った上でその紅茶を口に含むふりをする。そしてリリアンヌが用意した偽の証人たちの前で、苦しむ演技をして倒れてみせた。
王宮は三度、大騒ぎになった。
聖女毒殺未遂の容疑で、公爵令嬢オフィーリアはまたしても牢獄へと送られた。
全ては計画通り。
鉄格子の嵌った窓から空を見上げながら、オフィーリアは静かに最後の舞台の幕が上がるのを待っていた。
一方、レオンもまた着々と準備を進めていた。時間停止の術に必要な希少な魔術触媒を集めるため、王都中を駆け回る。時には危険な闇市場にさえ足を踏み入れた。
さらに聖域へ侵入した後のことも想定しなければならない。女神の制御室に何の防衛システムもないはずがない。二人は禁書庫の文献を元に、対抗策を夜を徹して練り上げた。
牢獄での最後の数日間。オフィーリアの心は不思議なほど穏やかだった。
これまでただ絶望と無力感に苛まれるだけだったこの場所が、今は決戦前の静かな砦のように感じられた。
侍女に化けたレオンの協力者が、食事と共に彼からの最後の伝言を運んできた。
『準備は全て整った。あとは、主役の登場を待つばかり。恐怖に心を食われるな。君はもう一人じゃない』
短い、しかし力強い言葉だった。
オフィーリアは小さく微笑んだ。
そう、もう一人ではない。
たとえ世界の全てを敵に回したとしても、自分にはたった一人の共犯者がいる。
それだけで十分だった。
断罪の日の朝。アレスが硬い表情で彼女を迎えに来た。
「オフィーリア様。……お時間です」
「ええ、行きましょうか、アレス」
オフィーリアは静かに立ち上がった。
喝采も栄光もない。ただ断頭台だけが待つ、最後の花道へ。
世界の運命を賭けた、たった二人の反逆が今、始まろうとしていた。
「女神の観測から逃れ、世界のシステムを破壊する。そのための唯一の場所が『聖域』です」
図書館の隠し部屋でレオンは古びた地図を広げながら言った。それは王城の設計図とも魔術的な回路図ともつかない、複雑怪奇な図面だった。
「聖域……。女神がこの世界に降臨すると言われている場所ね」
「表向きはそうなっています。ですが禁書庫の文献を解読した結果、その本質は違うことが分かりました。聖域とは女神がこの世界を観測し管理するための、巨大な制御室……サーバールームのようなものだ。そこにある中枢システムを破壊すれば、女神はこの世界への干渉手段を失います」
「どうやって、そこへ?」
「それが最大の問題です」と、レオンは眉間にしわを寄せた。「聖域は通常、物理的にアクセスすることはできません。異次元、あるいは高次元の位相に存在している。そこへの扉が開くのは、たった一つの特別な瞬間だけです」
レオンは地図の一点を指さした。それは大聖堂の、処刑台が設置される場所だった。
「世界に最も大きなエネルギーの変動……すなわち物語のクライマックスが発生する瞬間。具体的に言えば、生贄である『悪役令嬢』への処刑の刃が振り下ろされ、その魂が死へと向かいシステムから切り離されようとする刹那。世界との接続が不安定になり、極小の『ゆらぎ』が発生するその瞬間だけ聖域への扉は開く」
オフィーリアは息を呑んだ。つまり聖域へ行くためには、自分が断罪され処刑台に上る必要があるということ。これまであれほど忌み嫌い回避しようとしてきた運命の終着点に、自ら進んで向かわなければならないというのか。
なんという皮肉。
「……私が死ぬ瞬間に、道が開かれるのね」
「正確には死ぬ『直前』です。あなたの魂がこの世界のシステムから切り離されようとする、そのコンマ一秒にも満たない間に空間の綻びが生まれる。我々は、その綻びを突いて聖域へと侵入する」
「でも、処刑は執行されるのでしょう? 侵入できたとして私は死んでしまうのではないの?」
「そこが私の役目です」
レオンは自信とも、あるいは狂気とも取れる光を瞳に宿して言った。
「私が、時を止める」
時を止める。あまりに荒唐無稽な言葉に、オフィーリアは耳を疑った。
「そんなことが、可能なの?」
「通常なら不可能です。ですがこの世界は女神の創ったプログラム。ならばその法則をハッキングする抜け道もあるはず。私はこの七回のループで、そのための古代魔術をずっと研究してきました。完成には程遠かったが、あなたというイレギュラーと『創世の書』の情報が手に入った今なら話は別です」
彼は羊皮紙にびっしりと書き込まれた、複雑な魔術式をオフィーリアに見せた。見たこともない古代の文字や図形が、まるで生き物のように絡み合っている。
「処刑の刃が振り下ろされる、まさにその瞬間。私がこの術を発動させ、世界全体の時間をほんの数秒間だけ停止させる。その間に我々は聖域へと飛び込む。成功するかどうかは五分と五分。失敗すれば、あなたはそのまま死に、私もシステムの反動で精神が焼き切れるでしょう」
死と隣り合わせの、あまりに危険な賭け。だがもう後戻りはできなかった。
「分かったわ。やりましょう」
オフィーリアは迷いなくうなずいた。十八回も死んできたのだ。十九回目が本当の最後になったとしても、もはや恐怖はなかった。
そこから二人の緻密な逆算が始まった。
運命の日は次のループの七日後。
それまでに全ての準備を整えなければならない。
まずオフィーリアは、再び断罪されるための状況を自ら作り出す必要があった。彼女はこれまでのループで得た知識を総動員し、最も確実かつ劇的に自分が「悪役令嬢」の濡れ衣を着せられる筋書きを再現することにした。
標的はリリアンヌ。計画が失敗し鬱屈していた彼女の嗜虐性を、巧みに煽ってやるのだ。
オフィーリアはわざとリリアンヌの前で、王子ユリウスと親密な姿を見せつけた。完璧な王子を演じることに疲弊していたユリウスは、自分の空虚さを見抜いているかのようなオフィーリアの瞳に無意識のうちに惹きつけられ始めていた。その様子がリリアンヌの嫉妬の炎に、これ以上なく油を注いだ。
「オフィーリア様ばっかり、ずるいですわ……!」
リリアンヌはついに罠を仕掛けてきた。前回と同じ毒殺未遂の筋書き。だが今回は前回よりもさらに稚拙で感情的だった。彼女の精神もまた世界の歪みによって確実に蝕まれているのだ。
オフィーリアは、その罠にわざと嵌ってみせた。
毒が盛られると知った上でその紅茶を口に含むふりをする。そしてリリアンヌが用意した偽の証人たちの前で、苦しむ演技をして倒れてみせた。
王宮は三度、大騒ぎになった。
聖女毒殺未遂の容疑で、公爵令嬢オフィーリアはまたしても牢獄へと送られた。
全ては計画通り。
鉄格子の嵌った窓から空を見上げながら、オフィーリアは静かに最後の舞台の幕が上がるのを待っていた。
一方、レオンもまた着々と準備を進めていた。時間停止の術に必要な希少な魔術触媒を集めるため、王都中を駆け回る。時には危険な闇市場にさえ足を踏み入れた。
さらに聖域へ侵入した後のことも想定しなければならない。女神の制御室に何の防衛システムもないはずがない。二人は禁書庫の文献を元に、対抗策を夜を徹して練り上げた。
牢獄での最後の数日間。オフィーリアの心は不思議なほど穏やかだった。
これまでただ絶望と無力感に苛まれるだけだったこの場所が、今は決戦前の静かな砦のように感じられた。
侍女に化けたレオンの協力者が、食事と共に彼からの最後の伝言を運んできた。
『準備は全て整った。あとは、主役の登場を待つばかり。恐怖に心を食われるな。君はもう一人じゃない』
短い、しかし力強い言葉だった。
オフィーリアは小さく微笑んだ。
そう、もう一人ではない。
たとえ世界の全てを敵に回したとしても、自分にはたった一人の共犯者がいる。
それだけで十分だった。
断罪の日の朝。アレスが硬い表情で彼女を迎えに来た。
「オフィーリア様。……お時間です」
「ええ、行きましょうか、アレス」
オフィーリアは静かに立ち上がった。
喝采も栄光もない。ただ断頭台だけが待つ、最後の花道へ。
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