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第03話「氷の館と不器用な主」
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暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音が、静寂をより一層際立たせていた。
食堂の長いテーブルの端と端。アナベルとレオニールの距離は、物理的にも心理的にも遥か遠くに感じられた。
並べられた料理は、王都の繊細な盛り付けとは異なり、大皿に盛られた肉の煮込みや、黒パン、根菜のスープといった素朴で豪快なものばかりだ。
しかし、湯気と共に漂う香りは食欲をそそるもので、アナベルのお腹が小さく鳴りそうになるのを必死に堪えなければならなかった。
カチャ、と食器の音が響く。レオニールは黙々と食事を進めている。その所作は思いのほか洗練されており、野蛮な噂とはかけ離れた優雅さがあった。長いまつげが影を落とし、その表情は相変わらず読み取れない。
「……口に合わんか」
唐突な問いかけに、アナベルはビクリと肩を震わせた。スプーンを持った手が止まる。
「い、いいえ! そのようなことは……とても、美味しそうです」
「なら食え。ここは王都とは違う。体力がなければ冬は越せん」
突き放すような言い方だが、言葉の内容には妙な気遣いが滲んでいるようにも聞こえる。
アナベルはおずおずとスプーンを口に運んだ。温かいスープが喉を通り、冷え切った胃袋に染み渡る。野菜の甘みが溶け出した、優しい味だった。
「……美味しい、です」
思わず本音が漏れると、レオニールの手がふと止まった。
彼は顔を上げ、アナベルをじっと見つめた。その銀色の瞳に射抜かれ、アナベルは再び萎縮してしまう。何か失礼なことを言ってしまっただろうか。
「そうか」
短くそう言うと、彼は再び食事に戻った。それ以上の会話はなかったが、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ気がした。
食事が終わると、レオニールは立ち上がり、使用人に目配せをした。
「風呂の用意はさせてある。旅の垢を落として休め」
「あ……ありがとうございます」
「それと」
部屋を出て行こうとしたレオニールが、足を止めて振り返る。
「この城の者たちは無愛想だが、悪意はない。お前の噂も知っているだろうが、気にするな。ここでは生き残れる者が正義だ。見た目などどうでもいい」
それは、アナベルの「銀の鱗」のことを指しているのだろうか。彼は知っているはずだ。王都であれほど騒がれたのだから。
けれど、彼の口調には嘲笑も嫌悪も含まれていなかった。むしろ、彼自身が何かしらの重荷を背負っているかのような、深い諦念が感じられた。
『見た目など、どうでもいい……』
初めて言われた言葉だった。
王都では、見た目がすべてだった。美しくなければ価値がない。普通でなければ排除される。そんな世界で生きてきたアナベルにとって、レオニールの言葉は理解の範疇を超えていたが、不思議と胸の奥が温かくなった。
その夜、案内された浴室は驚くほど広かった。湯船には乳白色の湯がなみなみと張られ、湯気がもうもうと立ち込めている。これは温泉だろうか。微かに硫黄の香りがする。
アナベルは侍女の手伝いを丁重に断り、一人で服を脱いだ。鏡に映るのは、痩せた体と、右肩から背中にかけて広がる銀色の鱗。光を反射して鈍く輝くそれは、やはり異質で、美しいとは到底思えない。
『本当に、気にしなくていいのかしら』
湯船に体を沈めると、芯から温もりが広がっていく。緊張の糸が解け、アナベルは大きく息を吐いた。
冷酷非道と噂されるレオニール・ヴァルグレイブ。だが、今のところ彼から暴力的な振る舞いは見ていない。むしろ、不器用ながらも生活の便宜を図ってくれているように見える。
だが、油断は禁物だ。噂によれば、彼の呪いは夜になると活性化し、理性を奪うという話もある。彼がいつ豹変するか分からない。
風呂から上がり、与えられた寝間着に袖を通す。肌触りの良い上質な絹の寝間着だった。王都で着ていた古着よりもずっと良いものだ。
部屋に戻り、冷たいシーツに潜り込む。疲れが一気に押し寄せてきた。
レオニールの銀色の瞳が脳裏をよぎる。
怖い人のはずなのに、なぜかあの瞳の冷たさが、今は心地よく思い出された。燃えるような侮蔑の視線よりも、静謐な氷の瞳の方が、ずっと心が安らぐ。
アナベルは窓の外の風の音を聞きながら、いつの間にか深い眠りへと落ちていった。
食堂の長いテーブルの端と端。アナベルとレオニールの距離は、物理的にも心理的にも遥か遠くに感じられた。
並べられた料理は、王都の繊細な盛り付けとは異なり、大皿に盛られた肉の煮込みや、黒パン、根菜のスープといった素朴で豪快なものばかりだ。
しかし、湯気と共に漂う香りは食欲をそそるもので、アナベルのお腹が小さく鳴りそうになるのを必死に堪えなければならなかった。
カチャ、と食器の音が響く。レオニールは黙々と食事を進めている。その所作は思いのほか洗練されており、野蛮な噂とはかけ離れた優雅さがあった。長いまつげが影を落とし、その表情は相変わらず読み取れない。
「……口に合わんか」
唐突な問いかけに、アナベルはビクリと肩を震わせた。スプーンを持った手が止まる。
「い、いいえ! そのようなことは……とても、美味しそうです」
「なら食え。ここは王都とは違う。体力がなければ冬は越せん」
突き放すような言い方だが、言葉の内容には妙な気遣いが滲んでいるようにも聞こえる。
アナベルはおずおずとスプーンを口に運んだ。温かいスープが喉を通り、冷え切った胃袋に染み渡る。野菜の甘みが溶け出した、優しい味だった。
「……美味しい、です」
思わず本音が漏れると、レオニールの手がふと止まった。
彼は顔を上げ、アナベルをじっと見つめた。その銀色の瞳に射抜かれ、アナベルは再び萎縮してしまう。何か失礼なことを言ってしまっただろうか。
「そうか」
短くそう言うと、彼は再び食事に戻った。それ以上の会話はなかったが、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ気がした。
食事が終わると、レオニールは立ち上がり、使用人に目配せをした。
「風呂の用意はさせてある。旅の垢を落として休め」
「あ……ありがとうございます」
「それと」
部屋を出て行こうとしたレオニールが、足を止めて振り返る。
「この城の者たちは無愛想だが、悪意はない。お前の噂も知っているだろうが、気にするな。ここでは生き残れる者が正義だ。見た目などどうでもいい」
それは、アナベルの「銀の鱗」のことを指しているのだろうか。彼は知っているはずだ。王都であれほど騒がれたのだから。
けれど、彼の口調には嘲笑も嫌悪も含まれていなかった。むしろ、彼自身が何かしらの重荷を背負っているかのような、深い諦念が感じられた。
『見た目など、どうでもいい……』
初めて言われた言葉だった。
王都では、見た目がすべてだった。美しくなければ価値がない。普通でなければ排除される。そんな世界で生きてきたアナベルにとって、レオニールの言葉は理解の範疇を超えていたが、不思議と胸の奥が温かくなった。
その夜、案内された浴室は驚くほど広かった。湯船には乳白色の湯がなみなみと張られ、湯気がもうもうと立ち込めている。これは温泉だろうか。微かに硫黄の香りがする。
アナベルは侍女の手伝いを丁重に断り、一人で服を脱いだ。鏡に映るのは、痩せた体と、右肩から背中にかけて広がる銀色の鱗。光を反射して鈍く輝くそれは、やはり異質で、美しいとは到底思えない。
『本当に、気にしなくていいのかしら』
湯船に体を沈めると、芯から温もりが広がっていく。緊張の糸が解け、アナベルは大きく息を吐いた。
冷酷非道と噂されるレオニール・ヴァルグレイブ。だが、今のところ彼から暴力的な振る舞いは見ていない。むしろ、不器用ながらも生活の便宜を図ってくれているように見える。
だが、油断は禁物だ。噂によれば、彼の呪いは夜になると活性化し、理性を奪うという話もある。彼がいつ豹変するか分からない。
風呂から上がり、与えられた寝間着に袖を通す。肌触りの良い上質な絹の寝間着だった。王都で着ていた古着よりもずっと良いものだ。
部屋に戻り、冷たいシーツに潜り込む。疲れが一気に押し寄せてきた。
レオニールの銀色の瞳が脳裏をよぎる。
怖い人のはずなのに、なぜかあの瞳の冷たさが、今は心地よく思い出された。燃えるような侮蔑の視線よりも、静謐な氷の瞳の方が、ずっと心が安らぐ。
アナベルは窓の外の風の音を聞きながら、いつの間にか深い眠りへと落ちていった。
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