5 / 16
第04話「銀の光と癒しの夜」
しおりを挟む
真夜中だった。
ふと目が覚めたのは、不気味なほど静まり返った城の廊下から、何かが軋むような音が聞こえたからだ。いや、それは音というより、もっと直接的に空気を振動させる、重苦しい気配だった。
アナベルは半身を起こし、耳を澄ませた。
「……ぐっ、ぅぅ……」
微かだが、苦悶の声が聞こえる。獣の唸り声のようにも、人の悲鳴のようにも聞こえるその声は、隣の部屋――レオニールの主寝室から響いていた。
恐怖で心臓が跳ねる。噂にあった「悪竜の呪い」だろうか。夜ごと生贄を求めるという話が本当なら、今こそ逃げるべきだ。布団を頭から被って、朝まで震えているべきだ。
けれど、その声には、どこか助けを求めるような切迫した響きがあった。あの食事の時に見せた、一瞬の陰りのある表情が脳裏をかすめる。
『放っておけない……』
アナベルは震える足でベッドを降りた。ショールを肩に掛け、冷たい廊下へと出る。廊下の灯りは消えており、月明かりだけが頼りだった。
レオニールの部屋の扉は少しだけ開いていた。そこから、どす黒い霧のようなものが漏れ出しているのが見える。瘴気だ。
本能的な恐怖が警鐘を鳴らす。だが、アナベルの足は止まらなかった。彼女はずっと、誰にも助けてもらえなかった。だからこそ、誰かが苦しんでいるのを無視することができなかったのかもしれない。
「……旦那様?」
扉を押し開け、部屋に足を踏み入れる。
室内は氷点下のように寒かった。そして、ベッドの上で、レオニールが苦しみにのたうち回っていた。
シャツの前がはだけ、露わになった胸元には、禍々しい黒い紋様が血管のように浮き上がり、脈動している。彼の顔は苦痛に歪み、脂汗が玉のように浮かんでいた。銀の瞳は虚ろで、焦点が合っていない。
「……来る、な……! 逃げ、ろ……!」
アナベルの気配に気づいたのか、彼は掠れた声で拒絶した。
「私に触れれば……死ぬぞ……!」
その言葉を聞いた瞬間、アナベルの中で何かが弾けた。死ぬ? 私が?
そんなことはどうでもよかった。ただ、目の前で苦しむ彼を楽にしてあげたい。その一心で、アナベルは彼のベッドに駆け寄った。
「嫌です! 一人で苦しまないでください!」
アナベルは無我夢中で、レオニールの腕を掴んだ。
その瞬間、バチッという音と共に、衝撃が走った。
レオニールの体から溢れ出る黒い瘴気が、アナベルの手にまとわりつく。焼けるような痛みが走る――はずだった。
だが、次の瞬間、奇跡が起きた。
カッ――!
アナベルの肩から背中にかけての「銀の鱗」が、衣服を通して眩い光を放ち始めたのだ。それは月の光よりも清冽で、優しい輝きだった。
光はアナベルの手を伝ってレオニールへと流れ込む。すると、彼の体を蝕んでいた黒い紋様が、光に浄化されるようにシュワシュワと音を立てて消えていくではないか。
「ぐ、あ……っ!?」
レオニールが大きく目を見開く。苦痛の表情が驚愕へと変わる。
熱い。けれど、心地よい熱だ。アナベルの鱗が、まるで彼の痛みを吸い取ってくれているかのような感覚。
アナベルもまた、不思議な感覚に包まれていた。鱗が熱を持ち、脈打っている。いつもは疎ましいだけの呪いの証が、今は確かな力を持って彼を守ろうとしているのが分かった。
やがて、黒い紋様は完全に消え去り、部屋に充満していた瘴気も霧散した。
レオニールの呼吸が整っていく。彼は信じられないといった様子で自分の体を見下ろし、そして、彼の手を握りしめているアナベルを見た。
「……馬鹿な。俺の呪いが、治まった……?」
アナベルはへなへなとその場に座り込んだ。急激に力が抜けたのだ。鱗の光も徐々に淡くなり、元の鈍い銀色に戻っていく。
レオニールが慌てて彼女を支える。その手は大きく、温かかった。瘴気の冷たさはもうない。
「お前……その体は」
はだけたショールの隙間から、銀の鱗が覗いている。レオニールはそれに触れようとして、ためらいがちに手を止めた。
「これが、私の呪いです。醜い、銀の鱗……」
アナベルは泣き出しそうな声で言った。彼にこの姿を見られるのが怖かった。また罵られるのではないかと。
しかし、レオニールは静かに首を横に振った。
「醜くなどない」
彼はそっと、アナベルの鱗に指先を触れた。ひやりとした感触。だが、彼にとっては救いの光の名残だった。
「これは……綺麗な、銀色だ」
その言葉に、アナベルは目を見開いた。綺麗。生まれて初めて言われた言葉。
レオニールの瞳には、先程までの虚ろさはなく、代わりに強い光が宿っていた。それは熱を帯びた、何かを探求するような、そして感謝に満ちた瞳だった。
「お前が、俺を救ってくれたのか?」
問われ、アナベルは戸惑いながらも小さく頷いた。
月明かりの中、二人は互いの瞳を見つめ合った。言葉はいらなかった。ただ、共有した秘密と、触れ合ったぬくもりが、凍てついた二人の心を静かに溶かし始めていた。
ふと目が覚めたのは、不気味なほど静まり返った城の廊下から、何かが軋むような音が聞こえたからだ。いや、それは音というより、もっと直接的に空気を振動させる、重苦しい気配だった。
アナベルは半身を起こし、耳を澄ませた。
「……ぐっ、ぅぅ……」
微かだが、苦悶の声が聞こえる。獣の唸り声のようにも、人の悲鳴のようにも聞こえるその声は、隣の部屋――レオニールの主寝室から響いていた。
恐怖で心臓が跳ねる。噂にあった「悪竜の呪い」だろうか。夜ごと生贄を求めるという話が本当なら、今こそ逃げるべきだ。布団を頭から被って、朝まで震えているべきだ。
けれど、その声には、どこか助けを求めるような切迫した響きがあった。あの食事の時に見せた、一瞬の陰りのある表情が脳裏をかすめる。
『放っておけない……』
アナベルは震える足でベッドを降りた。ショールを肩に掛け、冷たい廊下へと出る。廊下の灯りは消えており、月明かりだけが頼りだった。
レオニールの部屋の扉は少しだけ開いていた。そこから、どす黒い霧のようなものが漏れ出しているのが見える。瘴気だ。
本能的な恐怖が警鐘を鳴らす。だが、アナベルの足は止まらなかった。彼女はずっと、誰にも助けてもらえなかった。だからこそ、誰かが苦しんでいるのを無視することができなかったのかもしれない。
「……旦那様?」
扉を押し開け、部屋に足を踏み入れる。
室内は氷点下のように寒かった。そして、ベッドの上で、レオニールが苦しみにのたうち回っていた。
シャツの前がはだけ、露わになった胸元には、禍々しい黒い紋様が血管のように浮き上がり、脈動している。彼の顔は苦痛に歪み、脂汗が玉のように浮かんでいた。銀の瞳は虚ろで、焦点が合っていない。
「……来る、な……! 逃げ、ろ……!」
アナベルの気配に気づいたのか、彼は掠れた声で拒絶した。
「私に触れれば……死ぬぞ……!」
その言葉を聞いた瞬間、アナベルの中で何かが弾けた。死ぬ? 私が?
そんなことはどうでもよかった。ただ、目の前で苦しむ彼を楽にしてあげたい。その一心で、アナベルは彼のベッドに駆け寄った。
「嫌です! 一人で苦しまないでください!」
アナベルは無我夢中で、レオニールの腕を掴んだ。
その瞬間、バチッという音と共に、衝撃が走った。
レオニールの体から溢れ出る黒い瘴気が、アナベルの手にまとわりつく。焼けるような痛みが走る――はずだった。
だが、次の瞬間、奇跡が起きた。
カッ――!
アナベルの肩から背中にかけての「銀の鱗」が、衣服を通して眩い光を放ち始めたのだ。それは月の光よりも清冽で、優しい輝きだった。
光はアナベルの手を伝ってレオニールへと流れ込む。すると、彼の体を蝕んでいた黒い紋様が、光に浄化されるようにシュワシュワと音を立てて消えていくではないか。
「ぐ、あ……っ!?」
レオニールが大きく目を見開く。苦痛の表情が驚愕へと変わる。
熱い。けれど、心地よい熱だ。アナベルの鱗が、まるで彼の痛みを吸い取ってくれているかのような感覚。
アナベルもまた、不思議な感覚に包まれていた。鱗が熱を持ち、脈打っている。いつもは疎ましいだけの呪いの証が、今は確かな力を持って彼を守ろうとしているのが分かった。
やがて、黒い紋様は完全に消え去り、部屋に充満していた瘴気も霧散した。
レオニールの呼吸が整っていく。彼は信じられないといった様子で自分の体を見下ろし、そして、彼の手を握りしめているアナベルを見た。
「……馬鹿な。俺の呪いが、治まった……?」
アナベルはへなへなとその場に座り込んだ。急激に力が抜けたのだ。鱗の光も徐々に淡くなり、元の鈍い銀色に戻っていく。
レオニールが慌てて彼女を支える。その手は大きく、温かかった。瘴気の冷たさはもうない。
「お前……その体は」
はだけたショールの隙間から、銀の鱗が覗いている。レオニールはそれに触れようとして、ためらいがちに手を止めた。
「これが、私の呪いです。醜い、銀の鱗……」
アナベルは泣き出しそうな声で言った。彼にこの姿を見られるのが怖かった。また罵られるのではないかと。
しかし、レオニールは静かに首を横に振った。
「醜くなどない」
彼はそっと、アナベルの鱗に指先を触れた。ひやりとした感触。だが、彼にとっては救いの光の名残だった。
「これは……綺麗な、銀色だ」
その言葉に、アナベルは目を見開いた。綺麗。生まれて初めて言われた言葉。
レオニールの瞳には、先程までの虚ろさはなく、代わりに強い光が宿っていた。それは熱を帯びた、何かを探求するような、そして感謝に満ちた瞳だった。
「お前が、俺を救ってくれたのか?」
問われ、アナベルは戸惑いながらも小さく頷いた。
月明かりの中、二人は互いの瞳を見つめ合った。言葉はいらなかった。ただ、共有した秘密と、触れ合ったぬくもりが、凍てついた二人の心を静かに溶かし始めていた。
93
あなたにおすすめの小説
醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした
きまま
恋愛
王国の夜会で、第一王子のレオンハルトから婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リリエル・アルヴァリア。
顔を銀の仮面で隠していることから『醜貌の聖女』と嘲られ、不要と切り捨てられた彼女は、そのまま王城を追われることになる。
しかし、その後に待ち受ける国の運命は滅亡へと向かっていた——
地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです
有賀冬馬
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」
そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。
社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。
そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。
過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。
そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。
「君が隣にいない宮廷は退屈だ」
これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。
「異常」と言われて追放された最強聖女、隣国で超チートな癒しの力で溺愛される〜前世は過労死した介護士、今度は幸せになります〜
赤紫
恋愛
私、リリアナは前世で介護士として過労死した後、異世界で最強の癒しの力を持つ聖女に転生しました。でも完璧すぎる治療魔法を「異常」と恐れられ、婚約者の王太子から「君の力は危険だ」と婚約破棄されて魔獣の森に追放されてしまいます。
絶望の中で瀕死の隣国王子を救ったところ、「君は最高だ!」と初めて私の力を称賛してくれました。新天地では「真の聖女」と呼ばれ、前世の介護経験も活かして疫病を根絶!魔獣との共存も実現して、国民の皆さんから「ありがとう!」の声をたくさんいただきました。
そんな時、私を捨てた元の国で災いが起こり、「戻ってきて」と懇願されたけれど——「私を捨てた国には用はありません」。
今度こそ私は、私を理解してくれる人たちと本当の幸せを掴みます!
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
地味令嬢の私ですが、王太子に見初められたので、元婚約者様からの復縁はお断りします
有賀冬馬
恋愛
子爵令嬢の私は、いつだって日陰者。
唯一の光だった公爵子息ヴィルヘルム様の婚約者という立場も、あっけなく捨てられた。「君のようなつまらない娘は、公爵家の妻にふさわしくない」と。
もう二度と恋なんてしない。
そう思っていた私の前に現れたのは、傷を負った一人の青年。
彼を献身的に看病したことから、私の運命は大きく動き出す。
彼は、この国の王太子だったのだ。
「君の優しさに心を奪われた。君を私だけのものにしたい」と、彼は私を強く守ると誓ってくれた。
一方、私を捨てた元婚約者は、新しい婚約者に振り回され、全てを失う。
私に助けを求めてきた彼に、私は……
十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。
er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——
【完結】身代わりに病弱だった令嬢が隣国の冷酷王子と政略結婚したら、薬師の知識が役に立ちました。
朝日みらい
恋愛
リリスは内気な性格の貴族令嬢。幼い頃に患った大病の影響で、薬師顔負けの知識を持ち、自ら薬を調合する日々を送っている。家族の愛情を一身に受ける妹セシリアとは対照的に、彼女は控えめで存在感が薄い。
ある日、リリスは両親から突然「妹の代わりに隣国の王子と政略結婚をするように」と命じられる。結婚相手であるエドアルド王子は、かつて幼馴染でありながら、今では冷たく距離を置かれる存在。リリスは幼い頃から密かにエドアルドに憧れていたが、病弱だった過去もあって自分に自信が持てず、彼の真意がわからないまま結婚の日を迎えてしまい――
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる