悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす

黒崎隼人

文字の大きさ
7 / 15

第6話「女神のささやき」

しおりを挟む
 私の仕事が始まってから、一月が過ぎた。

 クロード様の補佐としての日々は、驚きと発見の連続だった。
 彼が「氷の公爵」と呼ばれている理由が、少しだけ分かった気がする。
 彼は感情で物事を判断しない。常に冷静に、事実とデータに基づいて最適な答えを導き出す。
 その厳格さが、一部の者には冷酷に映るのだろう。

 しかし、彼の政策の根底には、常に領民への深い思いやりがあった。
 どうすれば民が豊かになれるか、安全に暮らせるか。彼はそのことだけを考えている。
 ただ、その表現方法が恐ろしく不器用なだけなのだ。

 私の提案は、次々と採用されていった。
 月影草の毒に苦しんでいた村には、私の見立て通り陽光花が送られ、病は瞬く間に収束した。
 冷害に悩む村では黒麦の栽培が始まり、領民たちは今年の冬を越せる希望を見出した。

 私の仕事は、机上の空論だけでは終わらなかった。

「現場を見ずして、正しい判断は下せない」

 クロード様のその一言で、私は彼と共に領内の視察へ出かけることになった。
 屈強な護衛騎士たちに守られながら、馬に乗って村々を巡る。
 初めは、公爵様と共に現れた見慣れない私に、領民たちは遠巻きに様子をうかがうだけだった。

 しかし、私が彼らの生活に寄り添った提案を始めると、その雰囲気は少しずつ変わっていった。

「奥様方、いつもお洗濯、大変でしょう。この川の水は冷たいですから。灰を水に溶かして煮詰めると、汚れがよく落ちる『灰汁(あく)』が作れますよ。冷たい水でも、ゴシゴシこする手間が少し省けます」

「この辺りの森には、『癒やしの葉』がたくさん自生していますね。乾燥させておけば、ちょっとした切り傷や火傷の薬になります。お子さんが怪我をされた時に、きっと役立ちます」

 アリアンヌ様の元で、あらゆる雑学を叩き込まれた経験が、こんな形で人々の役に立つなんて。
 私が話す生活の知恵に、村の女性たちは目を輝かせた。
 初めは遠巻きに見ていた人々が、次第に私の周りに集まり、様々なことを質問してくるようになった。

 そんな私を、クロード様は少し離れた場所から、静かに見守っていた。
 彼が何を考えているのかは分からない。
 けれど、その眼差しがとても優しいものであることだけは、なぜか分かった。

 ある日、私たちは特に貧しいとされている山間の村を訪れた。
 痩せた土地で、作物はほとんど育たない。村人たちの顔には、疲労と諦めの色が濃く浮かんでいた。

 村長の話を聞きながら、私は周囲の山に目をやった。
 そこには、ある種のキノコが群生しているのが見えた。
 王都の貴族たちは見向きもしないが、栄養価が高く、独特の風味があるキノコだ。

「あのキノコ……『山笑い』を、特産品にできませんか?」

 私の言葉に、村長もクロード様も怪訝な顔をした。

「リリア殿、あれは腹の足しにはなるが、しょせんただのキノコだ。金にはならん」

「いいえ。乾燥させて刻み、香辛料として売るのです。少し癖のある香りですが、肉料理の臭み消しに最適です。王都の高級料理店なら、きっと高値で買い取ってくれるはずです」

 これも、アリアンヌ様が主催する晩餐会の献立を考える際に得た知識だった。
 私の突飛な提案に、村人たちは半信半疑だったが、クロード様は違った。

「……試してみる価値はありそうだな。すぐに商人たちに連絡を取り、販路を確保しよう」

 彼の鶴の一声で、プロジェクトはすぐに動き出した。
 結果は、私の予想以上だった。
 山笑いは「北の地の黒い宝石」と呼ばれ、王都の食通たちの間で大評判となった。
 貧しかった村はキノコ景気に沸き、瞬く間に活気を取り戻した。

 この一件以来、領民たちの私を見る目は、明らかに変わった。
 彼らは尊敬と親しみを込めて、私のことをこう呼ぶようになった。

「幸運の女神様」と。

 そんな大げさな呼び名に、私は恐縮するばかりだったが、クロード様はどこか満足そうだった。
 城に戻る馬の上で、彼はぽつりと言った。

「君が来てから、領地の空気が変わった。皆の顔が、明るくなった」

「そんな……私だけの力ではございません。クロード様が、私の意見を信じてくださったからです」

「それでも、きっかけは君だ」

 夕日が彼の銀髪を橙色に染めている。その横顔は、いつもの厳しさが嘘のように、穏やかに見えた。

「リリア。君は、自分の価値をまだ分かっていない。君は誰かの影ではない。多くの人々を導く光になれる存在だ」

 その言葉は、温かい雫のように、私の乾いた心にじんわりと染み込んでいった。
 アリアンヌ様の影として生きてきた私。誰かに認められることなど、諦めていた。
 けれど、この人は、クロード様は、私自身も気づかなかった私の可能性を、見つけ出してくれる。

『この人の隣でなら、私はもっと変われるかもしれない』

 胸の中に、温かい感情が芽生える。
 それは、感謝や尊敬だけではない、もっと甘くて少しだけ切ない、名付けられない感情だった。
 北の地の厳しい冬はもう間近に迫っていたが、私の心には、春のような陽だまりが生まれつつあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

悪役令嬢は断罪の舞台で笑う

由香
恋愛
婚約破棄の夜、「悪女」と断罪された侯爵令嬢セレーナ。 しかし涙を流す代わりに、彼女は微笑んだ――「舞台は整いましたわ」と。 聖女と呼ばれる平民の少女ミリア。 だがその奇跡は偽りに満ち、王国全体が虚構に踊らされていた。 追放されたセレーナは、裏社会を動かす商会と密偵網を解放。 冷徹な頭脳で王国を裏から掌握し、真実の舞台へと誘う。 そして戴冠式の夜、黒衣の令嬢が玉座の前に現れる――。 暴かれる真実。崩壊する虚構。 “悪女”の微笑が、すべての終幕を告げる。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

『完璧すぎる令嬢は婚約破棄を歓迎します ~白い結婚のはずが、冷徹公爵に溺愛されるなんて聞いてません~』

鷹 綾
恋愛
「君は完璧すぎる」 その一言で、王太子アルトゥーラから婚約を破棄された令嬢エミーラ。 有能であるがゆえに疎まれ、努力も忠誠も正当に評価されなかった彼女は、 王都を離れ、辺境アンクレイブ公爵領へと向かう。 冷静沈着で冷徹と噂される公爵ゼファーとの関係は、 利害一致による“白い契約結婚”から始まったはずだった。 しかし―― 役割を果たし、淡々と成果を積み重ねるエミーラは、 いつしか領政の中枢を支え、領民からも絶大な信頼を得ていく。 一方、 「可愛げ」を求めて彼女を切り捨てた元婚約者と、 癒しだけを与えられた王太子妃候補は、 王宮という現実の中で静かに行き詰まっていき……。 ざまぁは声高に叫ばれない。 復讐も、断罪もない。 あるのは、選ばなかった者が取り残され、 選び続けた者が自然と選ばれていく現実。 これは、 誰かに選ばれることで価値を証明する物語ではない。 自分の居場所を自分で選び、 その先で静かに幸福を掴んだ令嬢の物語。 「完璧すぎる」と捨てられた彼女は、 やがて―― “選ばれ続ける存在”になる。

婚約破棄?はい、どうぞお好きに!悪役令嬢は忙しいんです

ほーみ
恋愛
 王国アスティリア最大の劇場──もとい、王立学園の大講堂にて。  本日上演されるのは、わたくしリリアーナ・ヴァレンティアを断罪する、王太子殿下主催の茶番劇である。  壇上には、舞台の主役を気取った王太子アレクシス。その隣には、純白のドレスをひらつかせた侯爵令嬢エリーナ。  そして観客席には、好奇心で目を輝かせる学生たち。ざわめき、ひそひそ声、侮蔑の視線。  ふふ……完璧な舞台準備ね。 「リリアーナ・ヴァレンティア! そなたの悪行はすでに暴かれた!」  王太子の声が響く。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

悪役令嬢は自称親友の令嬢に婚約者を取られ、予定どおり無事に婚約破棄されることに成功しましたが、そのあとのことは考えてませんでした

みゅー
恋愛
婚約者のエーリクと共に招待された舞踏会、公の場に二人で参加するのは初めてだったオルヘルスは、緊張しながらその場へ臨んだ。 会場に入ると前方にいた幼馴染みのアリネアと目が合った。すると、彼女は突然泣き出しそんな彼女にあろうことか婚約者のエーリクが駆け寄る。 そんな二人に注目が集まるなか、エーリクは突然オルヘルスに婚約破棄を言い渡す……。

9時から5時まで悪役令嬢

西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」 婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。 ならば私は願い通りに動くのをやめよう。 学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで 昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。 さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。 どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。 卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ? なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか? 嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。 今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。 冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。 ☆別サイトにも掲載しています。 ※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。 これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。

処理中です...