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第二十六話③『ダブルデート』
しおりを挟む観覧車の中は賑やかな外に比べて静まっており、入った数秒間だけ公式のアナウンスがスピーカーから流れていた。
それを耳に入れながらも嶺歌は緊張で目の前の兜悟朗を意識する。
兜悟朗は和やかな表情をしながら外に目を向けており、彼から放たれる優しい雰囲気に気持ちが高鳴っていた。
いつでも穏やかで冷静で紳士的な彼が、今目の前にいる。
二人きりで揺られるこの空間に、緊張を感じてはいてもこの状況を喜んでいる自分を否定する事はできなかった。
「兜悟朗さん、一人称を変えられた理由を聞いてもいいですか」
嶺歌は単刀直入に尋ねた。兜悟朗がどのような理由から嶺歌の前でだけ一人称を変えようと思い至ってくれたのかどうしても気になったのだ。
特別な理由を期待していない訳でもないのだが、彼の恋愛的な意味合いを期待しての質問ではなかった。自分の片思いである事はよく理解している。
「勿論でございます」
すると兜悟朗はいつものように柔らかく微笑みを向けてくるとこちらを真っ直ぐに見つめて、ゆっくりと口を開き始めた。
このように笑みを溢してくるあたり、やはり彼の大人らしさを実感する。全く動じた様子を見せない兜悟朗のその笑みは、嶺歌の心を何度でも動かしていた。
「形南お嬢様と平尾様の尾行を行った日の夜の事を覚えておられますか」
兜悟朗はこちらに確かめるようにそんな言葉を口にする。忘れられる訳がない。あれは本当に驚いたが、とても嬉しい事だったのだと、今ならよく分かる。
他でもない兜悟朗にあのような事をされた事実は嶺歌にとってかけがえのない出来事へとなっていたからだ。
嶺歌ははいと頷くと兜悟朗は再び微笑んで言葉を続けた。
「あの日、僕は貴女にお誓いしました。これから貴女に何か起こり得るのならば必ずお嬢様と僕がお力になると」
その言葉も――――忘れられる筈がなかった。
彼にされた手の甲への口付けが一番印象的に残っているとしても、あの日の兜悟朗の発言は何もかもが嬉しくて、嶺歌の心にずっと大切に残っている。それはきっとこの先も変わらない。
「嶺歌さんは形南お嬢様の大切なご友人です。ですが、僕にとっても貴女の存在はとても大きく感じられます」
「え……」
思わず声が出た。どういう意味で捉えていいのか分からない。
だがそんな事は二の次であり、確かに今嶺歌の事を大きな存在であると口にしてくれた兜悟朗に嶺歌は再び心臓の音がうるさく鳴り始める。どうしよう、堪らなく嬉しい。
「あの日、貴女に表明した日から僕自身も貴女様の存在の大きさを再認識したのです。ですからもう少しだけ砕けた状態で、貴女と関わりたく思いました」
兜悟朗はそう言って優しく嶺歌を見つめる。彼の視線が輝きを放つ夕日に相まってとてつもなく眩しく見える。
そして兜悟朗は柔らかな笑みを一度止め、口元を引き締めると今度はこんな言葉を口にした。
「ですがこの件に関しましてはお嬢様にお告げしておりません。お嬢様の前ではそのような態度をお見せする事を僕自身が禁じております」
それは、高円寺院家に仕えた執事としての立場を考えての言葉なのだと、説明がなくとも今の彼の台詞で理解する事が出来た。
嶺歌は彼の意見を肯定するように小さく頷いてみせると兜悟朗は再び微笑みかけてから、自身の胸元に手を当て、こちらを見返した。
「ですので嶺歌さんの前でのみ、僕は僕で接したいと思っております。お許しいただけますか?」
彼のその控えめな問い掛けに嶺歌の心はあっという間に奪われた。
そのような許可を取る彼に今のこの嶺歌が容認しない選択肢があるはずもなく、嶺歌は真っ赤に染まった顔のまま勿論ですと声を返す。
兜悟朗への恋を自覚してから何だか普通に接する事ができない。
嶺歌は自身の心を隠すように慌てて「う、嬉しいですけどなんだか照れますね。兜悟朗さんは大丈夫なんですか」と言葉にした。
彼の表情はいつも通り、柔らかで誰に対しても向けられる表情そのものだからだ。しかしそこで嶺歌は己の言葉にすぐ心中で否定の声をあげていた。
(いやいやいや、兜悟朗さんが照れる訳ないじゃん、何言ってんのあたし)
混乱する中で嶺歌がそんな事に考えを巡らせていると兜悟朗は「そうですね」と言葉を口に出してから、しかしこんな言葉を繰り出してくる。
「僕も恥じらいというものはあります。ですがそれ以上に、嶺歌さんと以前より親密になれた事実を嬉しく思います」
「…………」
もう恥ずかしくてどうにも出来ない自分がいた。赤面する顔をどうにかしようと思っていた心さえも、簡単に諦めてしまう。
それほどまでに嶺歌の顔は最高潮に赤く染まり上がっており、それを隠しきれないと気が付いたのだ。
嶺歌は真っ赤っかになった顔のまま顔を俯かせると兜悟朗に小さく言葉を放つ。
「あの、ありがとうございます」
「とんでも御座いません。こちらこそ、有難う御座います」
兜悟朗の顔は嶺歌と比較して全く照れている様子などはない。
彼の言葉の意味も単なる親愛的なもので他意などないのであろう事も分かっている。
だがそれでも、この一分一秒がとてつもなく嶺歌の心を満たしており、こうして二人だけでいられる僅かな時間を永遠と過ごしていたいと、そう感じてしまっている自分がいた。
長くも短い観覧車を降りると形南と平尾がこちらに向かって歩いてくる。
二人とも楽しそうな表情をしており、今回のダブルデートを心から楽しんでいるようだった。そう感じ取ることが出来、嶺歌は嬉しい気持ちになる。
それから解散の時間になり、それぞれ電車で最寄り駅まで同行する事になった。
全員の家はそこまで離れていないが、それぞれ数駅ずつ最寄りの駅が異なっている。
嶺歌は一番早く自分の降りる駅に到着し、電車の中から手を振る三人に手を振り返して電車を降りた。
数秒、兜悟朗と目が合い、彼の優しげな笑みを見て嶺歌の心は激しく波打ちはじめる。それを悟られないようにと取り繕いながらその場を後にしていた。
だが同時に、彼と最後視線が合った事を喜んでいる自分もいた。
本当に兜悟朗という一人の男性に恋をしてしまったのだと改めて実感したそんな夜だった。
第二十六話『ダブルデート』終
next→第二十七話(7月12日更新予定です)
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