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15話
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ルード帝国の朝は、どこまでも澄み渡る青い空から始まる。
しかし、その日の朝だけは違っていた。重く垂れ込めた灰色の雲が、王都の尖塔を低く押し潰すように覆い、空気にはどこか鉄錆のような不穏な匂いが混じっている。
僕はいつものようにアルヴィス様の広い寝室で目を覚ました。けれど、隣にあるはずの熱源が、今朝は驚くほど冷えていた。
「……アルヴィス様?」
寝台の上に置かれたままの、金糸で刺繍されたガウン。彼は、夜が明けるよりもずっと前に、ここを去ったらしい。
僕は不安を押し殺すように胸元のシーツを握りしめた。昨日、庭園で耳にした「使者」の話が、重たい鉛のように胃の底に沈んでいる。
そこへ、控えめだが切迫したノックの音が響いた。
「ヒイロ様、失礼いたします。お目覚めでしょうか」
扉を開けて入ってきたジゼルさんは、いつもの騎士服ではなく、フルプレートの甲冑に身を包んでいた。金属が擦れ合うカチリ、カチリという音が、普段よりも鋭く冷たく部屋に響く。
「ジゼルさん……その格好……」
「……クリュス王国の使者が、予定よりも早く国境を越えました。すでに城の応接の間で、殿下との会談が始まっています。殿下からは、ヒイロ様を部屋から一歩も出さぬよう命じられておりますが……」
ジゼルさんの言葉が途切れる。彼女の瞳には、騎士としての規律と、僕に対する個人的な配慮の間で揺れ動く困惑が浮かんでいた。
「使者は、誰なんですか? ただの文官……じゃないんですよね?」
「……クリュス王国第一王子、エドワード。そして、聖女セシリア。あやつらは、恥知らずにも自分たちが捨てた『魔力ゼロ』の男を返せと、堂々と要求しております」
ドクン、と心臓が跳ねた。
あの王子と、セシリア。僕を魔法陣から突き飛ばし、雪山に放り出した張本人たちだ。
「殿下は……なんて」
「殿下は鼻で笑っておられますよ。『ゴミを捨てた場所を今さら探すとは、随分な物好きだ』と。ですが、あちらも必死です。聖女の魔力が尽きかけ、国内の魔物被害を食い止めるには、ヒイロ様の『触媒としての力』が不可欠だと悟ったのでしょう。彼らは聖女の首飾りを持ち出し、召喚主としての正当な権利を主張しています」
ジゼルさんの声が怒りに震えている。
僕は震える手で、アルヴィス様が用意してくれた最高級の服の袖を握りしめた。
僕が戻れば、アルヴィス様はこれ以上、他国と争う必要がなくなる。けれど、あの日々に、あの冷たい視線の中に、僕は二度と戻りたくない。
「ジゼルさん、お願いです。僕を……僕を、その会談の場所へ連れて行ってください」
「いけません、殿下の命に背くことになります。何より、あなたがあの者たちに会えば、何を言われるか……」
「逃げてばかりじゃいられないんです。僕が、アルヴィス様の隣にいてもいい理由を、僕自身の目で見つけたいから」
僕の言葉に、ジゼルさんは長く、深い溜息を吐いた。
そして、腰の剣を一度鳴らすと、覚悟を決めたように僕に道を空けた。
「……分かりました。ですが、決して私の側を離れないでください。殿下に殺されるのは、私一人で十分ですから」
重厚な廊下を、僕たちは早足で進んでいった。窓の外では、いよいよ雨が降り始め、世界を灰色に塗り潰していく。それはまるで、これから訪れる嵐を予告しているようだった。
しかし、その日の朝だけは違っていた。重く垂れ込めた灰色の雲が、王都の尖塔を低く押し潰すように覆い、空気にはどこか鉄錆のような不穏な匂いが混じっている。
僕はいつものようにアルヴィス様の広い寝室で目を覚ました。けれど、隣にあるはずの熱源が、今朝は驚くほど冷えていた。
「……アルヴィス様?」
寝台の上に置かれたままの、金糸で刺繍されたガウン。彼は、夜が明けるよりもずっと前に、ここを去ったらしい。
僕は不安を押し殺すように胸元のシーツを握りしめた。昨日、庭園で耳にした「使者」の話が、重たい鉛のように胃の底に沈んでいる。
そこへ、控えめだが切迫したノックの音が響いた。
「ヒイロ様、失礼いたします。お目覚めでしょうか」
扉を開けて入ってきたジゼルさんは、いつもの騎士服ではなく、フルプレートの甲冑に身を包んでいた。金属が擦れ合うカチリ、カチリという音が、普段よりも鋭く冷たく部屋に響く。
「ジゼルさん……その格好……」
「……クリュス王国の使者が、予定よりも早く国境を越えました。すでに城の応接の間で、殿下との会談が始まっています。殿下からは、ヒイロ様を部屋から一歩も出さぬよう命じられておりますが……」
ジゼルさんの言葉が途切れる。彼女の瞳には、騎士としての規律と、僕に対する個人的な配慮の間で揺れ動く困惑が浮かんでいた。
「使者は、誰なんですか? ただの文官……じゃないんですよね?」
「……クリュス王国第一王子、エドワード。そして、聖女セシリア。あやつらは、恥知らずにも自分たちが捨てた『魔力ゼロ』の男を返せと、堂々と要求しております」
ドクン、と心臓が跳ねた。
あの王子と、セシリア。僕を魔法陣から突き飛ばし、雪山に放り出した張本人たちだ。
「殿下は……なんて」
「殿下は鼻で笑っておられますよ。『ゴミを捨てた場所を今さら探すとは、随分な物好きだ』と。ですが、あちらも必死です。聖女の魔力が尽きかけ、国内の魔物被害を食い止めるには、ヒイロ様の『触媒としての力』が不可欠だと悟ったのでしょう。彼らは聖女の首飾りを持ち出し、召喚主としての正当な権利を主張しています」
ジゼルさんの声が怒りに震えている。
僕は震える手で、アルヴィス様が用意してくれた最高級の服の袖を握りしめた。
僕が戻れば、アルヴィス様はこれ以上、他国と争う必要がなくなる。けれど、あの日々に、あの冷たい視線の中に、僕は二度と戻りたくない。
「ジゼルさん、お願いです。僕を……僕を、その会談の場所へ連れて行ってください」
「いけません、殿下の命に背くことになります。何より、あなたがあの者たちに会えば、何を言われるか……」
「逃げてばかりじゃいられないんです。僕が、アルヴィス様の隣にいてもいい理由を、僕自身の目で見つけたいから」
僕の言葉に、ジゼルさんは長く、深い溜息を吐いた。
そして、腰の剣を一度鳴らすと、覚悟を決めたように僕に道を空けた。
「……分かりました。ですが、決して私の側を離れないでください。殿下に殺されるのは、私一人で十分ですから」
重厚な廊下を、僕たちは早足で進んでいった。窓の外では、いよいよ雨が降り始め、世界を灰色に塗り潰していく。それはまるで、これから訪れる嵐を予告しているようだった。
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