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「……はあ、今日もかっこいいな」
都内のIT企業に勤める瀬戸遥は、スマートフォンの画面を眺めながら、思わず小さな溜息を漏らした。
画面に映っているのは、ニュースサイトに掲載された経済記事だ。そこには『若き天才エンジニア』として、幼馴染の一ノ瀬湊が凛とした表情でインタビューに答えている姿があった。
整った黒髪に、彫刻のように無駄のない顔立ち。縁のないメガネの奥にある鋭い瞳は、見る者を射抜くような冷たさと知性を湛えている。
周囲からは「氷の貴公子」と呼ばれ、憧れと畏怖を一身に集める男。それが、遥が十数年間、片時も忘れられずに想い続けている相手だった。
「……よし。準備、できた」
鏡の前でネクタイを整え、遥は自分に気合を入れる。
今日は月に一度、湊と二人で飲む日だ。大学を卒業して社会人になってからも、この習慣だけは途切れることなく続いていた。
遥にとって、この時間は一ヶ月の中で最も幸せで、同時に最も苦しい時間でもある。
自分の想いを悟られないように、ただの「仲の良い幼馴染」を演じ続けなければならないからだ。
待ち合わせ場所のバーの扉を開けると、一番奥のカウンター席に、すでに湊の姿があった。
薄暗い店内の照明に照らされた彼の横顔は、やはり非の打ち所がないほどに美しい。
「湊、待たせた?」
遥が声をかけると、湊はゆっくりとこちらを向いた。
「……いや、今来たところだ」
湊の声は低く、淡々としている。感情の起伏が読み取れないその口調は、他人から見れば冷淡に映るだろう。
けれど、遥だけは知っていた。湊がこうして自分と会う時間を作ってくれるのは、きっと幼馴染としての情があるからなのだと。
遥が隣に座ると、湊は何も言わずに店員に目配せをした。
すぐに、遥がいつも頼むカシスオレンジが運ばれてくる。
「あ、ありがとう。覚えててくれたんだ」
「……いつもこれだろう」
湊は短く答えると、自分の手元にあるウイスキーのグラスに口をつけた。
その指先は長く、節が立っていて男らしい。かつて、子供の頃に繋いだ手の温もりを思い出しそうになり、遥は慌てて冷たいグラスを煽った。
「湊、最近忙しそうだね。ネットのニュース、見たよ」
「……ああ。プロジェクトの締め切りが近いからな」
「体、壊さないようにね? 湊は昔から無理しがちだし」
「……問題ない。お前こそ、仕事でミスをして泣いていないか」
「えっ、泣いてないよ! 失礼だなあ」
遥が頬を膨らませると、湊の瞳がわずかに揺れたような気がした。
けれど、それも一瞬のこと。彼はすぐに視線をグラスへと戻してしまう。
(やっぱり、湊にとって僕は……ただの『放っておけない弟分』なのかな)
胸の奥がチリりと痛む。
湊の隣にいると、彼の体温をわずかに感じる距離。それだけで、遥の心臓はうるさいほどに脈打ってしまう。
もし、この想いを口にしたら。
もし、彼に縋ってしまったら。
この穏やかで残酷な関係は、一瞬で壊れてしまうだろう。
高校時代、湊の不興を買って一時期避けられた時の絶望感を、遥は今でも忘れられない。
嫌われるくらいなら、このまま「親友」の仮面を被り続けているほうが、ずっといい。
「……遥」
不意に名前を呼ばれ、遥はビクリと肩を揺らした。
「な、なに?」
「……最近、お前の職場の近くに新しいイタリアンができたらしいな」
湊はグラスを見つめたまま、無表情に言った。
「えっ、うん。よく知ってるね。同僚の子が美味しいって言ってたけど」
「……今度、行くか」
「え?」
耳を疑った。湊から食事に誘うことは珍しくないが、いつもは遥が「行きたい」と言った場所に付いてきてくれる形がほとんどだ。
「湊から誘ってくれるなんて、珍しいね」
「……気が向いただけだ」
湊はそっけなく答えると、一気にグラスを空けた。
その横顔を、遥はじっと見つめる。
無愛想で、何を考えているのか分からない氷の貴公子。
けれど、その氷の奥に何が隠されているのか、遥はまだ知る由もなかった。
「……楽しみにしてるね」
遥が微笑むと、湊はわずかに顔を背けた。
その耳たぶが、ほんの少しだけ赤く染まっていることに、遥は気づかない。
「……ああ。忘れるなよ」
重く、執着を孕んだ湊の声が、静かなバーに溶けていった。
都内のIT企業に勤める瀬戸遥は、スマートフォンの画面を眺めながら、思わず小さな溜息を漏らした。
画面に映っているのは、ニュースサイトに掲載された経済記事だ。そこには『若き天才エンジニア』として、幼馴染の一ノ瀬湊が凛とした表情でインタビューに答えている姿があった。
整った黒髪に、彫刻のように無駄のない顔立ち。縁のないメガネの奥にある鋭い瞳は、見る者を射抜くような冷たさと知性を湛えている。
周囲からは「氷の貴公子」と呼ばれ、憧れと畏怖を一身に集める男。それが、遥が十数年間、片時も忘れられずに想い続けている相手だった。
「……よし。準備、できた」
鏡の前でネクタイを整え、遥は自分に気合を入れる。
今日は月に一度、湊と二人で飲む日だ。大学を卒業して社会人になってからも、この習慣だけは途切れることなく続いていた。
遥にとって、この時間は一ヶ月の中で最も幸せで、同時に最も苦しい時間でもある。
自分の想いを悟られないように、ただの「仲の良い幼馴染」を演じ続けなければならないからだ。
待ち合わせ場所のバーの扉を開けると、一番奥のカウンター席に、すでに湊の姿があった。
薄暗い店内の照明に照らされた彼の横顔は、やはり非の打ち所がないほどに美しい。
「湊、待たせた?」
遥が声をかけると、湊はゆっくりとこちらを向いた。
「……いや、今来たところだ」
湊の声は低く、淡々としている。感情の起伏が読み取れないその口調は、他人から見れば冷淡に映るだろう。
けれど、遥だけは知っていた。湊がこうして自分と会う時間を作ってくれるのは、きっと幼馴染としての情があるからなのだと。
遥が隣に座ると、湊は何も言わずに店員に目配せをした。
すぐに、遥がいつも頼むカシスオレンジが運ばれてくる。
「あ、ありがとう。覚えててくれたんだ」
「……いつもこれだろう」
湊は短く答えると、自分の手元にあるウイスキーのグラスに口をつけた。
その指先は長く、節が立っていて男らしい。かつて、子供の頃に繋いだ手の温もりを思い出しそうになり、遥は慌てて冷たいグラスを煽った。
「湊、最近忙しそうだね。ネットのニュース、見たよ」
「……ああ。プロジェクトの締め切りが近いからな」
「体、壊さないようにね? 湊は昔から無理しがちだし」
「……問題ない。お前こそ、仕事でミスをして泣いていないか」
「えっ、泣いてないよ! 失礼だなあ」
遥が頬を膨らませると、湊の瞳がわずかに揺れたような気がした。
けれど、それも一瞬のこと。彼はすぐに視線をグラスへと戻してしまう。
(やっぱり、湊にとって僕は……ただの『放っておけない弟分』なのかな)
胸の奥がチリりと痛む。
湊の隣にいると、彼の体温をわずかに感じる距離。それだけで、遥の心臓はうるさいほどに脈打ってしまう。
もし、この想いを口にしたら。
もし、彼に縋ってしまったら。
この穏やかで残酷な関係は、一瞬で壊れてしまうだろう。
高校時代、湊の不興を買って一時期避けられた時の絶望感を、遥は今でも忘れられない。
嫌われるくらいなら、このまま「親友」の仮面を被り続けているほうが、ずっといい。
「……遥」
不意に名前を呼ばれ、遥はビクリと肩を揺らした。
「な、なに?」
「……最近、お前の職場の近くに新しいイタリアンができたらしいな」
湊はグラスを見つめたまま、無表情に言った。
「えっ、うん。よく知ってるね。同僚の子が美味しいって言ってたけど」
「……今度、行くか」
「え?」
耳を疑った。湊から食事に誘うことは珍しくないが、いつもは遥が「行きたい」と言った場所に付いてきてくれる形がほとんどだ。
「湊から誘ってくれるなんて、珍しいね」
「……気が向いただけだ」
湊はそっけなく答えると、一気にグラスを空けた。
その横顔を、遥はじっと見つめる。
無愛想で、何を考えているのか分からない氷の貴公子。
けれど、その氷の奥に何が隠されているのか、遥はまだ知る由もなかった。
「……楽しみにしてるね」
遥が微笑むと、湊はわずかに顔を背けた。
その耳たぶが、ほんの少しだけ赤く染まっていることに、遥は気づかない。
「……ああ。忘れるなよ」
重く、執着を孕んだ湊の声が、静かなバーに溶けていった。
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