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7話
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ガイアスたちが去ってから、三日が経過した。
森は、完全に元の静寂を取り戻している。
風が枝葉を揺らす音、遠くで鳴く魔鳥の鋭い声、そして俺がページをめくる音。
本来の、あるべき姿。俺が三年間守り抜いてきた、ノイズのない完成された日常だ。
「……ふぅ。やっぱり、一人が一番効率がいいな」
俺はテラスの椅子に座り、お気に入りの魔導書に目を落としながら、独り言を漏らす。
誰に返事を期待しているわけでもない。ただ、無音の空間を埋めるために、不自然なほどの沈黙を破りたかっただけだ。
ふと視線を上げると、庭の隅にはガイアスが割り、整然と積み上げられた薪の山が見える。
さらにその奥、彼らがテントを張っていた場所の草は、まだ少しだけ踏み固められた跡が残っている。
(……一週間もすれば、草も元通りになる。薪だって、俺が使えばいつかは無くなる。すべては一時的なキャッシュ・データみたいなものだ)
そう思考を整理して、俺は冷めかけた薬草茶に口をつけた。
だが、その味は、ガイアスに淹れてやった時よりも、少しだけ苦みが強く感じられた。
その時だった。
「――きゅう?」
結界の端、茂みの陰から、聞き慣れない電子音のような、あるいは鳴き声のような音が響いた。
俺は即座に視線を向ける。
監視結界のログを確認するが、強力な魔力反応はない。あるのは、ほんのわずかな、小動物程度の生命反応だけだ。
「……野良ウサギか何かか?」
俺は椅子から立ち上がり、様子を見に庭へ降りた。
茂みをかき分けると、そこには真っ白な毛玉のような生き物が、ひっくり返ってジタバタしていた。
耳はピンと立っており、尻尾は太くて長い。
犬のようでもあり、狐のようでもあるが、その背中には小さな羽のような飾りがついている。
「……きゅうん、きゅう……」
毛玉は俺の姿を認めると、大きな銀色の瞳を潤ませ、必死に短い足をバタつかせた。
見れば、その足元には鋭い茨が絡まり、自力では抜け出せなくなっている。
「……トラブル続きだな、最近のこの森は」
俺は嘆息しながらも、膝をついて茨を魔法で丁寧に解いていく。
茨が外れた瞬間、白い毛玉はバネのように飛び上がり、なぜか俺の膝の上にダイブしてきた。
「おい、待て。俺は今、清潔なエルフ仕様のローブを着ているんだが」
「きゅう! きゅう!」
毛玉は俺の抗議を無視して、顔を俺の腹に擦り付けてくる。
その感触は驚くほど柔らかく、日向に干した布団のように温かい。
そして何より、その小さな体からは、異常なほど高密度の魔力が溢れていた。
「……お前、ただの小動物じゃないな? この魔力パターン、古文書に載っていた『フェンリル』の幼体に近いぞ」
伝説の魔獣。成長すれば山をも砕くと言われる存在だが、目の前にいるのは、俺の手のひら二つ分ほどのサイズしかない、ただの「動く綿菓子」だ。
「きゅう!」
自称(?)フェンリルは、俺の指を甘噛みし、得意げに尻尾を振る。
どうやら、俺の魔力に惹かれて結界を潜り抜けてきたらしい。
「……悪いが、うちはペット禁止だ。ガイアスさん一人でも持て余していたのに、伝説の魔獣なんて飼ったら、俺のスローライフが物理的に崩壊する」
俺は毛玉を抱え上げ、結界の外へリリースしようとした。
だが、毛玉は俺の腕を小さな爪でがっしりとホールドし、今にも泣き出しそうな声で鳴いた。
「…………」
見つめ合う、俺と毛玉。
無機質な銀色の瞳に、俺の困惑した顔が映っている。
(……待てよ。こいつの毛並み、よく見ると魔素を吸収して浄化する特性があるな。庭の端に置いておけば、魔導回路の冷却効率が上がるかもしれない。……いや、それはただの言い訳か)
結局、俺はその日の夕方、キッチンの隅に余った布で小さなベッドを作っていた。
毛玉――仮の名を『シロ』とした――は、俺が作ったベッドが気に入ったらしく、その中で丸くなって満足げに喉を鳴らしている。
「……まあ、ガイアスさんが次に来るまでの暫定的な預かりだ。あいつなら、こういう『可愛いもの』に目がなさそうだしな」
俺はシロの頭を指先で撫でながら、ふと思う。
一人きりの静かな森。
薪を割る音はもう聞こえないが、足元で小さく「きゅう」と寝言を言う生き物がいる。
俺のライフプランは、当初の設計図から大きくズレ始めている。
けれど、そのズレを修正する気力が、今の俺にはあまり湧かなかった。
「……明日の朝食は、こいつの分も計算に入れないとな」
俺は、消灯の魔法を唱え、少しだけ賑やかになった夜の闇に身を委ねた。
森は、完全に元の静寂を取り戻している。
風が枝葉を揺らす音、遠くで鳴く魔鳥の鋭い声、そして俺がページをめくる音。
本来の、あるべき姿。俺が三年間守り抜いてきた、ノイズのない完成された日常だ。
「……ふぅ。やっぱり、一人が一番効率がいいな」
俺はテラスの椅子に座り、お気に入りの魔導書に目を落としながら、独り言を漏らす。
誰に返事を期待しているわけでもない。ただ、無音の空間を埋めるために、不自然なほどの沈黙を破りたかっただけだ。
ふと視線を上げると、庭の隅にはガイアスが割り、整然と積み上げられた薪の山が見える。
さらにその奥、彼らがテントを張っていた場所の草は、まだ少しだけ踏み固められた跡が残っている。
(……一週間もすれば、草も元通りになる。薪だって、俺が使えばいつかは無くなる。すべては一時的なキャッシュ・データみたいなものだ)
そう思考を整理して、俺は冷めかけた薬草茶に口をつけた。
だが、その味は、ガイアスに淹れてやった時よりも、少しだけ苦みが強く感じられた。
その時だった。
「――きゅう?」
結界の端、茂みの陰から、聞き慣れない電子音のような、あるいは鳴き声のような音が響いた。
俺は即座に視線を向ける。
監視結界のログを確認するが、強力な魔力反応はない。あるのは、ほんのわずかな、小動物程度の生命反応だけだ。
「……野良ウサギか何かか?」
俺は椅子から立ち上がり、様子を見に庭へ降りた。
茂みをかき分けると、そこには真っ白な毛玉のような生き物が、ひっくり返ってジタバタしていた。
耳はピンと立っており、尻尾は太くて長い。
犬のようでもあり、狐のようでもあるが、その背中には小さな羽のような飾りがついている。
「……きゅうん、きゅう……」
毛玉は俺の姿を認めると、大きな銀色の瞳を潤ませ、必死に短い足をバタつかせた。
見れば、その足元には鋭い茨が絡まり、自力では抜け出せなくなっている。
「……トラブル続きだな、最近のこの森は」
俺は嘆息しながらも、膝をついて茨を魔法で丁寧に解いていく。
茨が外れた瞬間、白い毛玉はバネのように飛び上がり、なぜか俺の膝の上にダイブしてきた。
「おい、待て。俺は今、清潔なエルフ仕様のローブを着ているんだが」
「きゅう! きゅう!」
毛玉は俺の抗議を無視して、顔を俺の腹に擦り付けてくる。
その感触は驚くほど柔らかく、日向に干した布団のように温かい。
そして何より、その小さな体からは、異常なほど高密度の魔力が溢れていた。
「……お前、ただの小動物じゃないな? この魔力パターン、古文書に載っていた『フェンリル』の幼体に近いぞ」
伝説の魔獣。成長すれば山をも砕くと言われる存在だが、目の前にいるのは、俺の手のひら二つ分ほどのサイズしかない、ただの「動く綿菓子」だ。
「きゅう!」
自称(?)フェンリルは、俺の指を甘噛みし、得意げに尻尾を振る。
どうやら、俺の魔力に惹かれて結界を潜り抜けてきたらしい。
「……悪いが、うちはペット禁止だ。ガイアスさん一人でも持て余していたのに、伝説の魔獣なんて飼ったら、俺のスローライフが物理的に崩壊する」
俺は毛玉を抱え上げ、結界の外へリリースしようとした。
だが、毛玉は俺の腕を小さな爪でがっしりとホールドし、今にも泣き出しそうな声で鳴いた。
「…………」
見つめ合う、俺と毛玉。
無機質な銀色の瞳に、俺の困惑した顔が映っている。
(……待てよ。こいつの毛並み、よく見ると魔素を吸収して浄化する特性があるな。庭の端に置いておけば、魔導回路の冷却効率が上がるかもしれない。……いや、それはただの言い訳か)
結局、俺はその日の夕方、キッチンの隅に余った布で小さなベッドを作っていた。
毛玉――仮の名を『シロ』とした――は、俺が作ったベッドが気に入ったらしく、その中で丸くなって満足げに喉を鳴らしている。
「……まあ、ガイアスさんが次に来るまでの暫定的な預かりだ。あいつなら、こういう『可愛いもの』に目がなさそうだしな」
俺はシロの頭を指先で撫でながら、ふと思う。
一人きりの静かな森。
薪を割る音はもう聞こえないが、足元で小さく「きゅう」と寝言を言う生き物がいる。
俺のライフプランは、当初の設計図から大きくズレ始めている。
けれど、そのズレを修正する気力が、今の俺にはあまり湧かなかった。
「……明日の朝食は、こいつの分も計算に入れないとな」
俺は、消灯の魔法を唱え、少しだけ賑やかになった夜の闇に身を委ねた。
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