10 / 45
10話
しおりを挟む
午後の陽光が、高い窓から書斎の床に長い影を落としている。
俺の書斎は、ログハウスの中でも最も「情報の密度」が高い場所だ。壁一面を埋め尽くす書架には、この三年間で書き溜めた研究ノートや、森で見つけた珍しい植物の標本、そして解析待ちの魔導具が所狭しと並んでいる。
普段は自分一人が通れるスペースがあれば十分なのだが、今はそこに、場違いなほど体格の良い男が入り込んでいた。
「リィエル、この棚の奥にある巻物は、あちらの防湿魔法が掛かった箱に移しても構わないか?」
ガイアスは、埃を被らないよう袖を捲り、慎重な手つきで古びた羊皮紙を手に取った。
彼が一歩動くたびに、床の板張りが微かにきしみ、書斎の空気が揺れる。
「ええ、お願いします。それは以前、森の北側にある遺跡で拾ったログデータ……いえ、古い記録です。湿気に弱いので、その箱で保管するのが最適ですね」
俺はデスクに向かい、昨日ガイアスが持ってきた古文書の解読を続けていた。
本来、俺の聖域であるこの場所に他人を入れるなど、以前の俺なら考えられなかった。しかし、ガイアスの「恩返し」という名の労働意欲は底知れず、薪割りを終えた彼は、次に俺の「生活環境の最適化」を申し出てきたのだ。
「お前は知識を蓄えることには熱心だが、その整理にはあまり興味がないようだな」
ガイアスは苦笑しながら、バラバラに置かれていたインク瓶を背の順に並べ替えていく。
「興味がないわけではありません。ただ、俺一人ならどこに何があるかインデックス化されているので問題ないんです。……まあ、あなたが整理してくれるなら、検索コストが下がって助かりますが」
「けんさくこすと……。また難しい言葉だが、要するに俺が役に立っているということだな」
ガイアスは満足げに頷くと、今度は床に積み上げられていた重厚な魔導書を持ち上げた。
一般の人間なら両手で抱えるような厚みの本を、彼は片手で軽々と扱い、高い位置にある棚へと収めていく。その動作に無駄はなく、鍛え抜かれた背中の筋肉が、薄いシャツ越しに滑らかに動くのが見えた。
俺はペンを走らせる手を止め、その背中をぼんやりと眺めてしまう。
この男がいるだけで、この部屋の「片付け」という面倒なタスクが、驚くべき速度で消化されていく。
「きゅう、きゅう」
足元では、シロがガイアスの移動に合わせてちょこちょこと付いて回っていた。
ガイアスが本を置くたびに、シロはその場所を確認するように匂いを嗅ぎ、短い尻尾をパタパタと振る。完全に、ガイアスの「助手」気取りだ。
「……シロ、お前も邪魔をしないように。ガイアスさんの足元にいたら踏まれますよ」
「はは、大丈夫だ。この小さな気配を感じ取れないほど、俺の勘は鈍っていない」
ガイアスはしゃがみ込み、シロの頭を一撫でしてから、俺の方を振り返った。
「リィエル、この標本瓶の中身は……魔力の残滓か? 美しい青色をしているな」
「それは、月光花の蜜を魔力で結晶化させたものです。暗所で見ると自ら発光するので、夜間の光源として再利用しようと考えていまして」
「なるほど、お前の発想にはいつも驚かされる。……だが、あまり根を詰めすぎるなよ。さっきからペンを握る指に力が入りすぎている。お前は集中すると、周りのリソース……いや、自分の体力の限界を忘れる癖がある」
ガイアスはいつの間にか俺の隣に立ち、デスクの端に手を置いていた。
彼の大きな影が俺を包み込み、心地よい圧迫感を与える。
「……慣れていますから。前世では、これくらいの集中はデフォルトでした」
「デフォルト、か。……よくは分からんが、今の俺の任務はお前の健康を守ることだ。少し休憩しよう。庭の風が涼しくなってきた」
ガイアスは強引に俺の手からペンを取り上げ、代わりに温かな布を差し出してきた。
「目を休めろ。……整理はもうすぐ終わる。その後、俺と一緒に夕食の準備をしないか? 今日は王都から持ってきた特別な塩があるんだ」
「……あなたは本当に、俺を働かせないつもりですね」
「ああ。お前が穏やかに笑って、好きな研究に没頭できる環境を作る。それが今の俺の、一番のやりがいなのだから」
真っ直ぐな琥珀色の瞳に見つめられ、俺はまたしても反論のソースコードを見失った。
論理的ではない。効率的でもない。
ただ、この男の差し出す不器用な優しさが、俺の頑ななシステムを、少しずつ、穏やかに書き換えていく。
「……わかりました。一区切りついたら、庭に出ますよ」
「ああ、待っているぞ」
ガイアスは嬉しそうに微笑み、再び本棚へと戻っていった。
整頓されていく書斎。
新しく配置された本たちの隙間に、ガイアスの気配が静かに溶け込んでいく。
一人で完結していた俺の世界は、今や彼という存在を含めた「新しい仕様」へと移行しつつあった。
俺の書斎は、ログハウスの中でも最も「情報の密度」が高い場所だ。壁一面を埋め尽くす書架には、この三年間で書き溜めた研究ノートや、森で見つけた珍しい植物の標本、そして解析待ちの魔導具が所狭しと並んでいる。
普段は自分一人が通れるスペースがあれば十分なのだが、今はそこに、場違いなほど体格の良い男が入り込んでいた。
「リィエル、この棚の奥にある巻物は、あちらの防湿魔法が掛かった箱に移しても構わないか?」
ガイアスは、埃を被らないよう袖を捲り、慎重な手つきで古びた羊皮紙を手に取った。
彼が一歩動くたびに、床の板張りが微かにきしみ、書斎の空気が揺れる。
「ええ、お願いします。それは以前、森の北側にある遺跡で拾ったログデータ……いえ、古い記録です。湿気に弱いので、その箱で保管するのが最適ですね」
俺はデスクに向かい、昨日ガイアスが持ってきた古文書の解読を続けていた。
本来、俺の聖域であるこの場所に他人を入れるなど、以前の俺なら考えられなかった。しかし、ガイアスの「恩返し」という名の労働意欲は底知れず、薪割りを終えた彼は、次に俺の「生活環境の最適化」を申し出てきたのだ。
「お前は知識を蓄えることには熱心だが、その整理にはあまり興味がないようだな」
ガイアスは苦笑しながら、バラバラに置かれていたインク瓶を背の順に並べ替えていく。
「興味がないわけではありません。ただ、俺一人ならどこに何があるかインデックス化されているので問題ないんです。……まあ、あなたが整理してくれるなら、検索コストが下がって助かりますが」
「けんさくこすと……。また難しい言葉だが、要するに俺が役に立っているということだな」
ガイアスは満足げに頷くと、今度は床に積み上げられていた重厚な魔導書を持ち上げた。
一般の人間なら両手で抱えるような厚みの本を、彼は片手で軽々と扱い、高い位置にある棚へと収めていく。その動作に無駄はなく、鍛え抜かれた背中の筋肉が、薄いシャツ越しに滑らかに動くのが見えた。
俺はペンを走らせる手を止め、その背中をぼんやりと眺めてしまう。
この男がいるだけで、この部屋の「片付け」という面倒なタスクが、驚くべき速度で消化されていく。
「きゅう、きゅう」
足元では、シロがガイアスの移動に合わせてちょこちょこと付いて回っていた。
ガイアスが本を置くたびに、シロはその場所を確認するように匂いを嗅ぎ、短い尻尾をパタパタと振る。完全に、ガイアスの「助手」気取りだ。
「……シロ、お前も邪魔をしないように。ガイアスさんの足元にいたら踏まれますよ」
「はは、大丈夫だ。この小さな気配を感じ取れないほど、俺の勘は鈍っていない」
ガイアスはしゃがみ込み、シロの頭を一撫でしてから、俺の方を振り返った。
「リィエル、この標本瓶の中身は……魔力の残滓か? 美しい青色をしているな」
「それは、月光花の蜜を魔力で結晶化させたものです。暗所で見ると自ら発光するので、夜間の光源として再利用しようと考えていまして」
「なるほど、お前の発想にはいつも驚かされる。……だが、あまり根を詰めすぎるなよ。さっきからペンを握る指に力が入りすぎている。お前は集中すると、周りのリソース……いや、自分の体力の限界を忘れる癖がある」
ガイアスはいつの間にか俺の隣に立ち、デスクの端に手を置いていた。
彼の大きな影が俺を包み込み、心地よい圧迫感を与える。
「……慣れていますから。前世では、これくらいの集中はデフォルトでした」
「デフォルト、か。……よくは分からんが、今の俺の任務はお前の健康を守ることだ。少し休憩しよう。庭の風が涼しくなってきた」
ガイアスは強引に俺の手からペンを取り上げ、代わりに温かな布を差し出してきた。
「目を休めろ。……整理はもうすぐ終わる。その後、俺と一緒に夕食の準備をしないか? 今日は王都から持ってきた特別な塩があるんだ」
「……あなたは本当に、俺を働かせないつもりですね」
「ああ。お前が穏やかに笑って、好きな研究に没頭できる環境を作る。それが今の俺の、一番のやりがいなのだから」
真っ直ぐな琥珀色の瞳に見つめられ、俺はまたしても反論のソースコードを見失った。
論理的ではない。効率的でもない。
ただ、この男の差し出す不器用な優しさが、俺の頑ななシステムを、少しずつ、穏やかに書き換えていく。
「……わかりました。一区切りついたら、庭に出ますよ」
「ああ、待っているぞ」
ガイアスは嬉しそうに微笑み、再び本棚へと戻っていった。
整頓されていく書斎。
新しく配置された本たちの隙間に、ガイアスの気配が静かに溶け込んでいく。
一人で完結していた俺の世界は、今や彼という存在を含めた「新しい仕様」へと移行しつつあった。
256
あなたにおすすめの小説
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
【完結】偏屈司書は黒犬将軍の溺愛を受ける
アザトースト
BL
ブランは自他ともに認める偏屈である。
他人にとっての自分とは無関心と嫌悪の狭間に位置していることを良く良く知っていたし、こんな自分に恋人なんて出来るわけがないと思っていた。そもそも作りたくもない。
司書として本に溺れるような日々を送る中、ブランに転機が訪れる。
幼馴染のオニキスがとある契約を持ちかけてきたのだ。
ブランとオニキス、それぞれの利害が一致した契約関係。
二人の関係はどのように変化するのか。
短編です。すぐに終わる予定です。
毎日投稿します。
♡や感想、大変励みになりますので宜しければ片手間に♡押してって下さい!
【完結】悪役に転生したので、皇太子を推して生き延びる
ざっしゅ
BL
気づけば、男の婚約者がいる悪役として転生してしまったソウタ。
この小説は、主人公である皇太子ルースが、悪役たちの陰謀によって記憶を失い、最終的に復讐を遂げるという残酷な物語だった。ソウタは、自分の命を守るため、原作の悪役としての行動を改め、記憶を失ったルースを友人として大切にする。
ソウタの献身的な行動は周囲に「ルースへの深い愛」だと噂され、ルース自身もその噂に満更でもない様子を見せ始める。
声なき王子は素性不明の猟師に恋をする
石月煤子
BL
第一王子である腹違いの兄から命を狙われた、妾の子である庶子のロスティア。
毒薬によって声を失った彼は城から逃げ延び、雪原に倒れていたところを、猟師と狼によって助けられた。
「王冠はあんたに相応しい。王子」
貴方のそばで生きられたら。
それ以上の幸福なんて、きっと、ない。
おしまいのそのあとは
makase
BL
悪役令息として転生してしまった神楽坂龍一郎は、心を入れ替え、主人公のよき友人になるよう努力していた。ところがこの選択肢が、神楽坂の大切な人を傷つける可能性が浮上する。困った神楽坂は、自分を犠牲にする道を歩みかけるが……
今世はメシウマ召喚獣
片里 狛
BL
オーバーワークが原因でうっかり命を落としたはずの最上春伊25歳。召喚獣として呼び出された世界で、娼館の料理人として働くことになって!?的なBL小説です。
最終的に溺愛系娼館主人様×全般的にふつーの日本人青年。
※女の子もゴリゴリ出てきます。
※設定ふんわりとしか考えてないので穴があってもスルーしてください。お約束等には疎いので優しい気持ちで読んでくださると幸い。
※誤字脱字の報告は不要です。いつか直したい。
※なるべくさくさく更新したい。
きっと、君は知らない
mahiro
BL
前世、というのだろうか。
俺は前、日本という国で暮らしていて、あの日は中学時代にお世話になった先輩の結婚式に参列していた。
大人になった先輩と綺麗な女性の幸せそうな姿に胸を痛めながら見つめていると二人の間に産まれたという女の子がひとりで車道に向かい歩いている姿が目に入った。
皆が主役の二人に夢中で子供の存在に気付いておらず、俺は慌ててその子供のもとへと向かった。
あと少しで追い付くというタイミングで大型の車がこちらに向かってくるのが見え、慌ててその子供の手を掴み、彼らのいる方へと突き飛ばした。
次の瞬間、俺は驚く先輩の目と合ったような気がするが、俺の意識はそこで途絶えてしまった。
次に目が覚めたのは見知らぬ世界で、聞いたことのない言葉が行き交っていた。
それから暫く様子を見ていたが、どうやら俺は異世界に転生したらしく………?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる