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【838 降らないはずの雪】
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帝国の首都ベアナクールまで、あと十数キロ程度の距離まで来た。
ここまでの道のりは、俺が予想していたよりはるかに楽だった。
その理由は一重に敵との戦闘が無かった事だ。
俺達は当初、どこかのタイミングで攻撃をしかけられると考えていた。
師匠の主導で、帝国に土地勘のある兵達からも意見を聞き、敵にとって攻撃を仕掛けやすい場所に目星をつけ、いつ戦闘になっても対応できるように準備もしてきた。
だがこの山道を抜ければ、もう首都ベアナクールに目と鼻の先という距離だ。
しかしここまで来ても、敵の姿は一向に見えなかった。
「もうすぐ山を抜けるのぅ、ここを出ればあとは見晴らしのいい平野が続く。その先にベアナクールじゃ・・・・・」
スッと隣に師匠が来る。
道の先を見つめながら話すそれは、思い悩むような口調だった。
「師匠・・・やっぱりおかしいですよね?」
「うむ、いくらなんでもたやすくは入れ過ぎじゃ。罠かもしれんと思い、周囲はサーチで探っておるが、半径500メートル以内は誰もおらん。500メートルもあれば、不意はつけんじゃろうし、帝国の考えがサッパリ分からん・・・」
俺も師匠と同意見だ。いくらなんでもここまで自由に進軍させるのはおかしい。
攻め込まれる帝国としては、主都に入られる前に少しでも戦力を削っておきたいと思うものではないのか?
考えすぎではないはずだ。どう考えてもなにか狙いがあるはずだ。
師匠と二人で話し合っていると、大剣を携えた、剣士隊隊長のペトラが近づいてきた。
「お二人とも、少しよろしいですか?」
「おお、ペトラか、どうしたんじゃ?」
「失礼ながらお話しが聞こえましたので、今の状況を解消できる者を連れてまいりました。エリン」
ペトラに名前を呼ばれると、一歩下がった場所から青い髪の女性剣士が前に進み出た。
「エリン・・・あ!なるほど、そうか」
エリン・スペンスはペトラの後輩剣士で、ルチルさんが亡くなってからは剣士隊の副隊長を務めている。俺の反応を見て、エリンはニコリと微笑んだ。
「はい、ご推察の通りです。私の魔道具、遠目の鏡でしたら、サーチ以上の距離を見る事が可能です」
目に入りそうな前髪を掻き上げて、エリンは碧い瞳を覗かせた。
エリンの魔道具、遠目の鏡は、瞳に魔力を帯びた透明かつ極めて薄いレンズを付ける事で、遠くの景色を映す事ができる偵察用の魔道具である。
先の帝国との戦いでも、ブローグ砦でペトラ達と共に帝国と戦いその能力を役立たせた。
「ブレンダン様、ウィッカー様、山を抜けたら私が周囲を探ってみます」
「うむ、ウィッカーよ、確かにエリンならば適任じゃな」
「はい、俺もそう思います。帝国が何を企てているのか分かりませんが、エリンはこの状況を打破できる能力を持っています。エリン、頼んだぞ」
お任せください、そう力強く言葉を口にするエリンからは、以前のどこか控えめだった印象は無く、自信を持つ者の強さが感じられた。
時刻は午後14時を回った頃だった。
山道を抜けたところで隊を止め、エリンに遠目の鏡で探りを入れてもらう。
エリンは前に出ると片膝を着き、眉の上に手を当てて前方を睨むように見据える。
ピリっとした空気が伝わり、エリンが集中し始めた事が分かる。
ここから先は師匠の話す通り、平野が続いていた。
多少の起伏はあるし岩場もあるが、見晴らしは良く奇襲はかけようがない。かけるならば、やはり今通ってきた山道でやるはずだし、そこ以外には考えられない。
だからこのまま進んでもよさそうに感じられるのだが、どうしても疑念が拭いきれなかった。
本当にこのまま首都にカエストゥス軍を入れるのか?と・・・・・
俺も師匠もジョルジュも、みんながエリンの背中を固唾を飲んで見つめている。
背中にかなりの視線が集まっているが、エリンにはプレシャーなどまるで無かった。
魔道具遠目の鏡は、前述の通りはるか先まで見通す偵察用の魔道具である。
ではどのくらい先まで見れるのか?
それは使用者の集中力次第である。
数百メートル程度ならば、少しの集中で事足りるが、数キロ先となると相当な集中力が要求される。
それ以上、十キロを超える距離ともなれば、針の穴を通す以上の、周囲の音が消える程の集中力が必要だろう。
エリンは今、最大限の集中力を発揮していた。
遠く小さかった物が、少しづつ大きくハッキリと目に映る。
それは不思議な感覚だった。本当ならとても遠くて届かないはずなのに、まるで自分の体が近づいていって直に物を見るような、遠く離れた物がとても近くに感じられる。
それこそ質感や温度までも、手に取るように分かる。それ程近しい感覚だった。
エリンはセシリア・シールズに何もできずに敗れ、ヤヨイとルチル、慕っていた二人の死を聞いた後、自分の力不足を恥じて悔いた。
今のままでは自分は何も役に立てない。勇敢に戦い散っていった二人に顔向けできないと。
・・・気付いたのは偶然だった。
ヤヨイさんとルチルさん、お二人の死を受け止めきれなくて、私は一人でがむしゃらに剣を振っていた。
何も考えたくなかった。頭の中を真っ白にして、全部忘れたかった・・・・
一心不乱に剣を振って、周りの音も何も聞こえなくなったその時、私の目はここにあるはずのない景色を映していた。
城の修練場で剣を振っていたはずなのに、なぜか森の中にいて大木を相手に剣を打ち付けていた。
驚きのあまり足がもつれて転んでしまう。
そして頭を振ってもう一度目を開けた時、私は城の修練場に戻っていた。
自分の身に何が起きたか理解する事に、多くの時間はかからなかった。
考えられるのは、この目に付けている魔道具、遠目の鏡しかないからだ。
私が集中して剣を振った事で、遠目の鏡が無意識に発動してしまったのだろう。
だが、効果はこれまでと比べ物にならなかった。
私が目にした森は、城の外の森だが、あの景色はかなり奥深くまで入った場所だった。
5キロ?6キロ?いや、もっとだ・・・もっと奥深くまで入っていた。おそらく10キロ以上だろう。
これまでの私はせいぜい1~2キロの距離がやっとだった。
その事を考えると、比べ物にならない数字だった。
それから私は、遠目の鏡の使い方を検証し始めた。
あの感覚を思い出すんだ。余計な事は考えずに、ただ集中だけする。
周囲の雑音が聞こえなくなる程に極限の集中を・・・・・
そして分かった、この遠目の鏡に限界はない。
使い手の集中力次第で、いくらでも遠くを見る事ができる。
「・・・なに、あれ?」
ソレを見た瞬間、思わず言葉が口をついて出た。
およそ10キロ先だった。
帝国の首都ベアナクールの前には、城壁を前に並び立つ帝国兵の数々。
やはりこちらの動きを把握していたようだ。そしてあの数を見る限り、ここで勝負を決める腹積もりに違いない。
そしてその兵達の先頭に立つ、頭一つ以上大きい黒い肌の巨躯の男を見た瞬間、体中に震えが走った。
「エリン、どうかしたのか?」
少し硬い声だった。
私の様子から、異変を感じ取ったウィッカー様が、隣に腰を下ろし視線を送って来る。
なんだあの男は・・・・・あれは、あの男は危険だ・・・
遠目の鏡で見たからこそ分かる。
帝国がここまで接近を許したのは、あの男がいたからだ。
カエストゥス軍10万を、ここで一網打尽にできる自信があったからだ。
「・・・エリン?いったい何を見た?」
ウィッカー様が私を呼ぶ声が一段低くなる。
緊張から喉がカラカラに乾く、体の震えもまだ治まらない。
私は絞り出すようにして、やっと言葉を返した。
「・・・一人・・・恐ろしい男がいます」
陽が遮られ地上に影が落ちる
ブロートン帝国の空から、降らないはずの雪が、風に乗り舞い降りて来た
ここまでの道のりは、俺が予想していたよりはるかに楽だった。
その理由は一重に敵との戦闘が無かった事だ。
俺達は当初、どこかのタイミングで攻撃をしかけられると考えていた。
師匠の主導で、帝国に土地勘のある兵達からも意見を聞き、敵にとって攻撃を仕掛けやすい場所に目星をつけ、いつ戦闘になっても対応できるように準備もしてきた。
だがこの山道を抜ければ、もう首都ベアナクールに目と鼻の先という距離だ。
しかしここまで来ても、敵の姿は一向に見えなかった。
「もうすぐ山を抜けるのぅ、ここを出ればあとは見晴らしのいい平野が続く。その先にベアナクールじゃ・・・・・」
スッと隣に師匠が来る。
道の先を見つめながら話すそれは、思い悩むような口調だった。
「師匠・・・やっぱりおかしいですよね?」
「うむ、いくらなんでもたやすくは入れ過ぎじゃ。罠かもしれんと思い、周囲はサーチで探っておるが、半径500メートル以内は誰もおらん。500メートルもあれば、不意はつけんじゃろうし、帝国の考えがサッパリ分からん・・・」
俺も師匠と同意見だ。いくらなんでもここまで自由に進軍させるのはおかしい。
攻め込まれる帝国としては、主都に入られる前に少しでも戦力を削っておきたいと思うものではないのか?
考えすぎではないはずだ。どう考えてもなにか狙いがあるはずだ。
師匠と二人で話し合っていると、大剣を携えた、剣士隊隊長のペトラが近づいてきた。
「お二人とも、少しよろしいですか?」
「おお、ペトラか、どうしたんじゃ?」
「失礼ながらお話しが聞こえましたので、今の状況を解消できる者を連れてまいりました。エリン」
ペトラに名前を呼ばれると、一歩下がった場所から青い髪の女性剣士が前に進み出た。
「エリン・・・あ!なるほど、そうか」
エリン・スペンスはペトラの後輩剣士で、ルチルさんが亡くなってからは剣士隊の副隊長を務めている。俺の反応を見て、エリンはニコリと微笑んだ。
「はい、ご推察の通りです。私の魔道具、遠目の鏡でしたら、サーチ以上の距離を見る事が可能です」
目に入りそうな前髪を掻き上げて、エリンは碧い瞳を覗かせた。
エリンの魔道具、遠目の鏡は、瞳に魔力を帯びた透明かつ極めて薄いレンズを付ける事で、遠くの景色を映す事ができる偵察用の魔道具である。
先の帝国との戦いでも、ブローグ砦でペトラ達と共に帝国と戦いその能力を役立たせた。
「ブレンダン様、ウィッカー様、山を抜けたら私が周囲を探ってみます」
「うむ、ウィッカーよ、確かにエリンならば適任じゃな」
「はい、俺もそう思います。帝国が何を企てているのか分かりませんが、エリンはこの状況を打破できる能力を持っています。エリン、頼んだぞ」
お任せください、そう力強く言葉を口にするエリンからは、以前のどこか控えめだった印象は無く、自信を持つ者の強さが感じられた。
時刻は午後14時を回った頃だった。
山道を抜けたところで隊を止め、エリンに遠目の鏡で探りを入れてもらう。
エリンは前に出ると片膝を着き、眉の上に手を当てて前方を睨むように見据える。
ピリっとした空気が伝わり、エリンが集中し始めた事が分かる。
ここから先は師匠の話す通り、平野が続いていた。
多少の起伏はあるし岩場もあるが、見晴らしは良く奇襲はかけようがない。かけるならば、やはり今通ってきた山道でやるはずだし、そこ以外には考えられない。
だからこのまま進んでもよさそうに感じられるのだが、どうしても疑念が拭いきれなかった。
本当にこのまま首都にカエストゥス軍を入れるのか?と・・・・・
俺も師匠もジョルジュも、みんながエリンの背中を固唾を飲んで見つめている。
背中にかなりの視線が集まっているが、エリンにはプレシャーなどまるで無かった。
魔道具遠目の鏡は、前述の通りはるか先まで見通す偵察用の魔道具である。
ではどのくらい先まで見れるのか?
それは使用者の集中力次第である。
数百メートル程度ならば、少しの集中で事足りるが、数キロ先となると相当な集中力が要求される。
それ以上、十キロを超える距離ともなれば、針の穴を通す以上の、周囲の音が消える程の集中力が必要だろう。
エリンは今、最大限の集中力を発揮していた。
遠く小さかった物が、少しづつ大きくハッキリと目に映る。
それは不思議な感覚だった。本当ならとても遠くて届かないはずなのに、まるで自分の体が近づいていって直に物を見るような、遠く離れた物がとても近くに感じられる。
それこそ質感や温度までも、手に取るように分かる。それ程近しい感覚だった。
エリンはセシリア・シールズに何もできずに敗れ、ヤヨイとルチル、慕っていた二人の死を聞いた後、自分の力不足を恥じて悔いた。
今のままでは自分は何も役に立てない。勇敢に戦い散っていった二人に顔向けできないと。
・・・気付いたのは偶然だった。
ヤヨイさんとルチルさん、お二人の死を受け止めきれなくて、私は一人でがむしゃらに剣を振っていた。
何も考えたくなかった。頭の中を真っ白にして、全部忘れたかった・・・・
一心不乱に剣を振って、周りの音も何も聞こえなくなったその時、私の目はここにあるはずのない景色を映していた。
城の修練場で剣を振っていたはずなのに、なぜか森の中にいて大木を相手に剣を打ち付けていた。
驚きのあまり足がもつれて転んでしまう。
そして頭を振ってもう一度目を開けた時、私は城の修練場に戻っていた。
自分の身に何が起きたか理解する事に、多くの時間はかからなかった。
考えられるのは、この目に付けている魔道具、遠目の鏡しかないからだ。
私が集中して剣を振った事で、遠目の鏡が無意識に発動してしまったのだろう。
だが、効果はこれまでと比べ物にならなかった。
私が目にした森は、城の外の森だが、あの景色はかなり奥深くまで入った場所だった。
5キロ?6キロ?いや、もっとだ・・・もっと奥深くまで入っていた。おそらく10キロ以上だろう。
これまでの私はせいぜい1~2キロの距離がやっとだった。
その事を考えると、比べ物にならない数字だった。
それから私は、遠目の鏡の使い方を検証し始めた。
あの感覚を思い出すんだ。余計な事は考えずに、ただ集中だけする。
周囲の雑音が聞こえなくなる程に極限の集中を・・・・・
そして分かった、この遠目の鏡に限界はない。
使い手の集中力次第で、いくらでも遠くを見る事ができる。
「・・・なに、あれ?」
ソレを見た瞬間、思わず言葉が口をついて出た。
およそ10キロ先だった。
帝国の首都ベアナクールの前には、城壁を前に並び立つ帝国兵の数々。
やはりこちらの動きを把握していたようだ。そしてあの数を見る限り、ここで勝負を決める腹積もりに違いない。
そしてその兵達の先頭に立つ、頭一つ以上大きい黒い肌の巨躯の男を見た瞬間、体中に震えが走った。
「エリン、どうかしたのか?」
少し硬い声だった。
私の様子から、異変を感じ取ったウィッカー様が、隣に腰を下ろし視線を送って来る。
なんだあの男は・・・・・あれは、あの男は危険だ・・・
遠目の鏡で見たからこそ分かる。
帝国がここまで接近を許したのは、あの男がいたからだ。
カエストゥス軍10万を、ここで一網打尽にできる自信があったからだ。
「・・・エリン?いったい何を見た?」
ウィッカー様が私を呼ぶ声が一段低くなる。
緊張から喉がカラカラに乾く、体の震えもまだ治まらない。
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