悪徳領主の息子に転生しました

アルト

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2章

9話 変わらない天秤

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 古びた一軒家の中に5人もの人が密集する。
 その中心人物は一人の少年。俺ことナガレであった。


 高価である紙を片手にまさに今、新たな農法を説明していた。
 前生の受け売りではあるが、朧げな事もあって画期的な方法はもちろん、説明自体も難航すると見込まれる。
 それでも、と。やらないよりはマシと思い、領民の中でも比較的話しやすいだろうシヴィスの実家へとやってきていた。


「書物の受け売りだが、効率の良い農法として『輪作』。その対極として『連作』というものが存在する」


 カリカリと紙にその事を図式にして書き記し、周囲の人間の注目を集める。


「農業とは土が命だ。土が死んでれば、作物も死ぬ。だからこそ、土を殺してはならない。つまり、土。いや、土壌の栄養バランス向上させる為にも栽培する作物を周期的に変える必要がある」


 ここで問題が発生する。
 輪作、連作という当たり前の知識はあるが、輪作をし、育成する作物を周期的に変えればどうして土が良くなるのか。
 その理由を言えるだけの知識が欠落しているのだ。


 作る作物を変えていけばーーー土壌の栄養バランスが取れる。
 という具合に大事な理由の部分を説明出来ない状況が生まれていた。だが、無策にもそれを知っていて放置するわけもない。


「この事を『輪作』と呼ぶ。品質、収穫量の上昇の為にもこの『輪作』に協力してもらいたい。もちろん、ただとは言わない」


 ——ヴェイン!


 後ろに控えていた執事を呼ぶ。
 懐に仕舞われていた皮袋を取り出し、机の上に中身をこぼしていく。


 ジャラジャラと姿を現していく大量の銀貨。
 思い掛けない出来事に、先程まで話を聞いていたシヴィスとその両親が目を剥く。が、すぐに表情は険しいものへと変わっていった。


 土地を譲れとでも言われると思っているのかもしれない。
 その誤解は早急に払拭すべきだろう。


「帳簿で確認した中でも最盛期の際の収穫量を銭に換算した分。加えてコイツの給金だ」


 指を指されたシヴィスはパチクリと瞬かせている。


「本当に無給で雇うわけがないだろう。貴重な労働力を奪って下女にしたんだ。対価は支払う」


 ——だが、言った言葉を反故にするのは業腹なのでシヴィスに対して支払う事はないがな。
 と、ツンデレのように付け足す。


 罰云々の出来事は既に頭にない。
 ならば、給金は支払うべきと当然のように帰結しただけの事。


「何か勘違いしてるみたいだが、この金はあくまで保険。俺は勿論、『輪作』に今のところ信用はない。だから保険だ。もし、収穫量が僅かだろうが、保険として銭があれば生活に困るまい?」


 成る程と。この場にいた人間は一人残らず納得する。


「既に、畑に蒔くモノは決まっている。畑を四当分に区分分けし、1、2、3、4と場所に数字を振る。今年は1に芋を。2に小麦を。3に豆を。4にカブを蒔いて貰う。上手くいけば、翌年には1にカブを。2に芋を。3に小麦を。4に豆をという手順だ。種は数日中にヴェインに届けさせる。ここまでで理解出来ない事はあるか?」


 シン、と場に沈黙が降りた。
 もしも、どこかの比較的マトモな領主が試験的に品種改良をと言い出したのならば今の状況は受け入れれただろう。
 現実は悪徳領主の息子がまるで領民を想って案を打ち出し、しかもその当の本人は7歳児。


 実験に付き合って貰う代わり、保険として銭を渡される。
 これ以上なくマトモであり、それが気味悪さを際立てていた。


「……一つ、宜しいでしょうか」


 怖ず怖ずと手を挙げる一人の男。
 続くように手をあげた張本人であるシヴィスの父親が声をあげた。


「話を聞く限り、厚遇されている事は理解しました。ですが、娘であるシヴィスに対する行為全てにおいて黙認しろという意味での厚遇ならば、願い下げです。もし、違うというのでしたらその理由を教えて頂きたい」
「ふむ、そうだな……言われてみればそうとも受け取れるか。お前は信念などという不確定なモノを理由として言われたところで納得はしまい?」


 返答は沈黙。
 沈黙は是である。


「……少し込み入った事情あって、僕は剣を学ばねばならなくなったのだ」
「それが、何か?」
「そう答えを急くな。僕は剣の天才と呼ばれる者を打ち負かさねばならなくなってな。まあ、引くに引けない状況に陥ったというわけだ。だが、その日までまだ後一年ほど空白の期間が存在する。ならば、せめて高名な者に師事しようとするのは決して間違いであるまい」


 ここで話題に出すのがシヴィス親子にも接点のある『貪狼』ことローレン=ヘクスティア。


「丁度、都合よく師事してもらいたい者が近場にいてな。ここにいるシヴィスにその者を紹介してもらったというわけだ。その恩義に報いてやろうと考えた。じゃ、不満か?」
「……いえ」


 言葉はもちろん、顔に出ている。
 その言葉は信用出来ない、と。


 高名な武芸者を紹介して貰おうとすればそれなりに費用がかかるんだが、シヴィスの父親にはあまり親近感の湧かない事であったからか、まだ納得は出来てないらしい。


 まあ言われてみれば分からないでもない。
 無礼を働き、下女として強制的に娘が働かされたと思えば、何故かその両親に対して厚遇しようとしている。
 シヴィスが、せめて両親には……!
 なんて言ってるシーンが確かに眼に浮かぶ。



「はぁ。お前、口では納得してるフリしてるが、顔が不満だらけと言ってるぞ」
「そんな事は……」
「ない。なんて事は言わせん。まあ、信用がない事は理解していたさ」



 はぁ———。
 胸中でため息を漏らす。
 思っていた以上に話がスムーズに進まない。


 ここで更に銭を積んだところで不信感が募るのみ。
 現時点でシヴィスを返すわけにもいかない。
 まさに八方塞がりと思われたそんな折。
 意外なところから声があがった。


ナガレ・・・。両親の事はあたしが説得する。アンタは今は1秒でも時間が惜しい筈でしょ? この件は任せてくれていいからさっさとローレンさんのところに行きなさいよ」
「ほう?」
「……アンタが勝ってくれないと領主との約束が履行されないじゃない。ナガレの為じゃない。あたしはあたしの為に動くだけ。礼なんて言おうものなら今ここでぶん殴るわよ」
「おお、怖い怖い。ま、というワケだ。僕はこの女が怖いので一足先に退散させて貰うとしよう。また石を投げつけられては堪ったものではないのでな」


 皮肉を混ぜ込み、ここにはもう用はないとばかりに去ろうとドアノブに手をかけた瞬間。
 ——ああ、そういえば。
 と体を向き直す。


「今日のシヴィスの役割はそこの頑固な両親を説得する事だ。ゆえに今日はもう帰ってこなくていい。ひさびさの実家で羽を伸ばしておけ」


 好意で言ったつもりが、彼女の両親はそれを死刑宣告された罪人に対する温情だとばかりに考えてしまったようで、あからさまに表情に影が差した。


「あー、くそッ。これからも実家には頻繁に顔を出してやれ! わかったか?!」
「え、あ、うん。わかったわ……」
「行くぞヴェイン。もうここに用は無い」
「畏まりました。ではシヴィスさん方、これにて失礼致します」


 ぺこりと丁寧にお辞儀をするヴェインの姿を最後に、俺はシヴィスの実家を後にした。


 ——基本、オレは川辺で気分を落ち着かせてるんだ。君がやる気になり次第、川辺に来てくれ。稽古はそこでやろう。



 別れ際にローレンが言っていた言葉を想起し、川辺に向かって歩き出す。今日は当初からその予定だった為、普段のように動き辛い服装ではなく、比較的ラフな格好をしていた。


「一年でどこまで強くなれる事やら……」


 ポツリと呟いた何気ない一言。
 だが、そんな言葉すら従者であり、執事であるヴェインは拾う。


「無理に気負う必要はありません。あまり無理をなさらないようにお願い致します。坊ちゃんは次期領主であり、子爵様の後継ぎなのです」


 ヴェインからしてみれば、この勝負に拘らずとも、今の俺が領主になれば徐々ではあるかもしれないが、状況は今よりもマシなものになると確信している。
 ここで無理をして『もしも』の事態が起きてしまう事。
 それだけがヴェインの懸念だった。


「すまない。俺は生憎とまだ幼い7歳児でな。ヴェインの言ってる事は微塵も理解ができん」
「ぼ、坊ちゃんッ?!」


 そんなバカな話があるものか!
 とばかりに声を張り上げるものの、俺は全く聞く気がないのでその後の言葉は一切耳に届く事はなかった。


 嘘には2つの種類が存在する。
 優しい嘘と。酷い嘘。


 俺が負けてしまった場合、期待を持たせるだけ持たせておいて嘘をついたという酷い嘘をついた事になる。
 『ナガレ』は孤独を、嘘を嫌う。俺も嘘は好むところじゃない。


 人事を尽くす。
 良い言葉だ。だが、結果、嘘をついてしまいましたでは『ナガレ』として収まりがつかない。
 どんな手を使ってでも俺は勝たなければならなかった。


 こころに存在する天秤が、同じ方向に傾き続ける限り——。
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