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4 最後の灯
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「午後の会議に、間に合うといいけれど……」
ロレシオの忘れ物を届けようと、国王の部屋に続く廊下を早足で歩いていたエルゼは、ふととある異変に気づいた。
(あら、王妃の部屋のドアが開いているわ……)
国王の部屋の隣にある王妃の部屋の重厚な扉が、今日に限って少しだけ開いている。これまでは、固く閉ざされていたのに。
そっと近づいてみると、部屋の中から足音がした。どうやら、誰かが部屋にいるらしい。
いつものエルゼなら、「覗き見はよくないわ」と見て見ぬふりができただろう。
しかし、今日だけは魔が差してしまった。
『あの部屋は大事な人の部屋なんだ』
先ほどロレシオに言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
(少しだけなら、大丈夫よね。こっそり見るだけよ。陛下の大事な人が、どんな方なのか、わたくしだって知っておきたいもの……)
細く開いたドアの隙間から、息を殺してエルゼは王妃の部屋を覗く。
まず見えたのは、ロレシオの後ろ姿。そして次に彼女の眼に飛び込んできたのは、あまりに懐かしい光景だった。
深緑色を基調とした、カーテンやカーペット。王家の紋章の入った美しいタペストリー。重厚なつくりの椅子と机。天蓋付きの、こじんまりとしたベッド。壁一面の埃っぽい本棚――……。
(そんな、そんなはずはないわ……)
エルゼは息を飲む。
何度瞬きを繰り返しても、王妃の部屋は、イヴァンカ・クラウンが生きた時のままだった。あの陰鬱な日々に、突然戻ってきてしまったのではないかという錯覚に陥るほどに。
「うそ……」
驚きのあまり、エルゼは手に持っていた書類や本を落としてしまう。慌てて拾ったものの、もう遅い。ものが落ちた音に反応したロレシオがこっちを向いた。
「――ッ!? エルゼ!?」
「ご、ごめんなさい。本をお忘れになっていたので、届けに参ったのですが……」
「どうしたんだ! 顔色が悪いじゃないか」
「……陛下、入室を許可していただけませんか?」
「構わないが、本当に大丈夫なのか?」
心配するロレシオの横を通り過ぎ、エルゼはふらふらと王妃の部屋に入る。
やはり、王妃の部屋は、イヴァンカが処刑された時のまま、時間が止まってしまったようだった。
愛用したインク壺や羽ペンはそのまま机の上に置かれており、本棚にある本の並びまで変わっていない。――まるで、この主人をずっと待っていたかのように。
イヴァンカ・クラウンとしての人生は完全に捨て去ったつもりだった。しかし、この昔のまま時が止まってしまったような部屋が、エルゼの固く閉じたはずの記憶の蓋を、いとも簡単に開いてしまう。
暗い思い出ばかりではない、イヴァンカの眩い記憶。
幼少期に、王妃であった優しい母がこの部屋を使っていた。マンフレートと結婚し、王妃としてこの部屋を与えられた時の喜び。午後の穏やかな西日が差す部屋で本を読む心地よさ。
懐かしさで胸がいっぱいになりながら部屋を見回したエルゼはため息をつく。
ロレシオは心配そうにエルゼの肩に触れた。
「エルゼ、大丈夫なのか。医者を呼ぶか?」
「いえ、大丈夫です。ただ、……色々思いだしてしまって」
「……公務で疲れているんだ、部屋で休みなさい」
「ロレシオ様。この部屋は、いったいどうしたんですの? 大事な人のお部屋とおっしゃっていましたが……」
エルゼの問いに、ロレシオはひどくばつの悪そうな顔をした。長い沈黙の後、根負けしたロレシオが重い口を開く。
「……かつてこの部屋は、イヴァンカ・クラウン様の部屋だったんだ。どうやら、愚王マンフレートは、自分が処刑した妻の呪いを恐れてこの部屋をかたく鍵をかけて閉ざしたらしい。そのおかげで、この部屋はあのお方が生きた証がそのままになっていた。私は、この部屋をイヴァンカ様が使っていた時のまま、どうしても残したかった」
「……だから、私が王妃の部屋に移りたいと言ったのを却下されたのですね」
「その通りだ。この部屋は、このままでなくてはならない」
「どうして、イヴァンカ・クラウンの部屋を残すのです……。イヴァンカは、この国の財政すら傾けた毒婦と言われているではないですか」
歴史は、そう語っている。真実とは大きくかけ離れていても。
身体の芯が急に冷えた気がした。忘れていた。ロレシオは腐敗した前王政を憎み、反乱を起こした人物だ。当然、イヴァンカ・クラウンもまた、彼の憎むべき的だったのだ。
エルゼは唇を噛んだ。
「陛下はイヴァンカの悪行を後世に伝えるために、この部屋を遺したのですね。それほどまでに、クラウン王朝へ恨みを……」
そこまで言った時、エルゼの華奢な肩をロレシオが掴んで真正面からエルゼを見つめた。
「それは違う!」
ロレシオの青灰色の瞳に、熱い影がよぎる。
その瞬間、彼女の脳裏で懐かしい何かがはじけた。それは遠い記憶。――そう、彼女がイヴァンカ・クラウンだった時の記憶だ。
『……皆、本が好きな僕を馬鹿にするんです。騎士のくせに本を読むなんて、と』
王宮騎士見習いの幼い騎士は、いつも隠れるようにして王宮の図書館の隅で本を読んでいた。その騎士は、イヴァンカによく懐き、勉強を教えてくれとせがんできたものだ。
思えば、城の中でイヴァンカに心の底から好意的に接してきたのは、あの若い騎士一人だった気がする。
彼が地方に派遣されると決まった日、騎士はイヴァンカの前にひざまずいた。
『イヴァンカ様、僕は一生あなたをお守りします。剣と、盾と、この心に誓って』
生まれた時から弱視だったイヴァンカは、その時の騎士がどんな表情をしているのかわからない。だけど、まっすぐに見つめてくる、あの輝く青灰色の瞳だけは覚えている。
『あなたは、この国の最後の灯です』
急にフラッシュバックした記憶に重なるように、ロレシオが叫ぶように言う。
「エルゼ! イヴァンカ様は毒婦などではないのだ! この国は、イヴァンカ様を誤解している! あの人は……、いや、あの人こそがこの国の最後の灯だったのだ!」
――あの年若い騎士は、ロレシオ・マディオと名乗っていた。
ロレシオの忘れ物を届けようと、国王の部屋に続く廊下を早足で歩いていたエルゼは、ふととある異変に気づいた。
(あら、王妃の部屋のドアが開いているわ……)
国王の部屋の隣にある王妃の部屋の重厚な扉が、今日に限って少しだけ開いている。これまでは、固く閉ざされていたのに。
そっと近づいてみると、部屋の中から足音がした。どうやら、誰かが部屋にいるらしい。
いつものエルゼなら、「覗き見はよくないわ」と見て見ぬふりができただろう。
しかし、今日だけは魔が差してしまった。
『あの部屋は大事な人の部屋なんだ』
先ほどロレシオに言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
(少しだけなら、大丈夫よね。こっそり見るだけよ。陛下の大事な人が、どんな方なのか、わたくしだって知っておきたいもの……)
細く開いたドアの隙間から、息を殺してエルゼは王妃の部屋を覗く。
まず見えたのは、ロレシオの後ろ姿。そして次に彼女の眼に飛び込んできたのは、あまりに懐かしい光景だった。
深緑色を基調とした、カーテンやカーペット。王家の紋章の入った美しいタペストリー。重厚なつくりの椅子と机。天蓋付きの、こじんまりとしたベッド。壁一面の埃っぽい本棚――……。
(そんな、そんなはずはないわ……)
エルゼは息を飲む。
何度瞬きを繰り返しても、王妃の部屋は、イヴァンカ・クラウンが生きた時のままだった。あの陰鬱な日々に、突然戻ってきてしまったのではないかという錯覚に陥るほどに。
「うそ……」
驚きのあまり、エルゼは手に持っていた書類や本を落としてしまう。慌てて拾ったものの、もう遅い。ものが落ちた音に反応したロレシオがこっちを向いた。
「――ッ!? エルゼ!?」
「ご、ごめんなさい。本をお忘れになっていたので、届けに参ったのですが……」
「どうしたんだ! 顔色が悪いじゃないか」
「……陛下、入室を許可していただけませんか?」
「構わないが、本当に大丈夫なのか?」
心配するロレシオの横を通り過ぎ、エルゼはふらふらと王妃の部屋に入る。
やはり、王妃の部屋は、イヴァンカが処刑された時のまま、時間が止まってしまったようだった。
愛用したインク壺や羽ペンはそのまま机の上に置かれており、本棚にある本の並びまで変わっていない。――まるで、この主人をずっと待っていたかのように。
イヴァンカ・クラウンとしての人生は完全に捨て去ったつもりだった。しかし、この昔のまま時が止まってしまったような部屋が、エルゼの固く閉じたはずの記憶の蓋を、いとも簡単に開いてしまう。
暗い思い出ばかりではない、イヴァンカの眩い記憶。
幼少期に、王妃であった優しい母がこの部屋を使っていた。マンフレートと結婚し、王妃としてこの部屋を与えられた時の喜び。午後の穏やかな西日が差す部屋で本を読む心地よさ。
懐かしさで胸がいっぱいになりながら部屋を見回したエルゼはため息をつく。
ロレシオは心配そうにエルゼの肩に触れた。
「エルゼ、大丈夫なのか。医者を呼ぶか?」
「いえ、大丈夫です。ただ、……色々思いだしてしまって」
「……公務で疲れているんだ、部屋で休みなさい」
「ロレシオ様。この部屋は、いったいどうしたんですの? 大事な人のお部屋とおっしゃっていましたが……」
エルゼの問いに、ロレシオはひどくばつの悪そうな顔をした。長い沈黙の後、根負けしたロレシオが重い口を開く。
「……かつてこの部屋は、イヴァンカ・クラウン様の部屋だったんだ。どうやら、愚王マンフレートは、自分が処刑した妻の呪いを恐れてこの部屋をかたく鍵をかけて閉ざしたらしい。そのおかげで、この部屋はあのお方が生きた証がそのままになっていた。私は、この部屋をイヴァンカ様が使っていた時のまま、どうしても残したかった」
「……だから、私が王妃の部屋に移りたいと言ったのを却下されたのですね」
「その通りだ。この部屋は、このままでなくてはならない」
「どうして、イヴァンカ・クラウンの部屋を残すのです……。イヴァンカは、この国の財政すら傾けた毒婦と言われているではないですか」
歴史は、そう語っている。真実とは大きくかけ離れていても。
身体の芯が急に冷えた気がした。忘れていた。ロレシオは腐敗した前王政を憎み、反乱を起こした人物だ。当然、イヴァンカ・クラウンもまた、彼の憎むべき的だったのだ。
エルゼは唇を噛んだ。
「陛下はイヴァンカの悪行を後世に伝えるために、この部屋を遺したのですね。それほどまでに、クラウン王朝へ恨みを……」
そこまで言った時、エルゼの華奢な肩をロレシオが掴んで真正面からエルゼを見つめた。
「それは違う!」
ロレシオの青灰色の瞳に、熱い影がよぎる。
その瞬間、彼女の脳裏で懐かしい何かがはじけた。それは遠い記憶。――そう、彼女がイヴァンカ・クラウンだった時の記憶だ。
『……皆、本が好きな僕を馬鹿にするんです。騎士のくせに本を読むなんて、と』
王宮騎士見習いの幼い騎士は、いつも隠れるようにして王宮の図書館の隅で本を読んでいた。その騎士は、イヴァンカによく懐き、勉強を教えてくれとせがんできたものだ。
思えば、城の中でイヴァンカに心の底から好意的に接してきたのは、あの若い騎士一人だった気がする。
彼が地方に派遣されると決まった日、騎士はイヴァンカの前にひざまずいた。
『イヴァンカ様、僕は一生あなたをお守りします。剣と、盾と、この心に誓って』
生まれた時から弱視だったイヴァンカは、その時の騎士がどんな表情をしているのかわからない。だけど、まっすぐに見つめてくる、あの輝く青灰色の瞳だけは覚えている。
『あなたは、この国の最後の灯です』
急にフラッシュバックした記憶に重なるように、ロレシオが叫ぶように言う。
「エルゼ! イヴァンカ様は毒婦などではないのだ! この国は、イヴァンカ様を誤解している! あの人は……、いや、あの人こそがこの国の最後の灯だったのだ!」
――あの年若い騎士は、ロレシオ・マディオと名乗っていた。
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