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5 とある騎士(ロレシオ視点)
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話は、エルゼが王妃の部屋を訪れた少し前に遡る。
エルゼの部屋を辞し、逃げ込むように入った部屋で、ロレシオは荒々しく息を吐いた。
「私の大事な人よ、私は、……どうすれば……っ」
立てかけてある大きな肖像画に、ロレシオは縋る。
肖像画に描かれているのは、プラチナブロンドの癖のない髪に、どこか遠くを見つめているようなサファイアブルーの瞳を持った若い女。――イヴァンカ・クラウンの肖像画である。
サントロ帝国の負の歴史として、彼女の肖像画の大半は焼き捨てられたが、奇跡的に一枚だけ迷路のようなこの城の一角に残っていた。
ロレシオはその肖像画を大事にこの部屋にしまった。――王妃の部屋と呼ばれる、この部屋に。
「イヴァンカ、様……ッ! どうか、教えてください……。この、愚かな私に……」
数十年前に図書館で会った記憶のままの姿の、イヴァンカの肖像画に、ロレシオは問いかける。
『……皆、本が好きな僕を馬鹿にするんです。騎士のくせに本を読むなんて、と』
『知識は、いつか貴方を救います。誰に何と言われようと、それでも学び続けようとする貴方を、私は尊敬しますよ』
弱音を吐く幼い王宮騎士見習いの頭を、かつてのイヴァンカ・クラウンは決まって優しく撫でてくれた。サファイアブルーの瞳は優しく、いつもどこか寂しそうだった。
イヴァンカは生まれた時からのひどい近視であまり目が見えていないと言っていたが、ロレシオはこの瞳に見つめられると、全てを見透かされているような、そんな気持ちにさせられてしまう。
イヴァンカに会うたびに、ロレシオの胸は痛いほどに高鳴り、心の底からの笑顔を見てみたいと切望するのだった。
彼にとってのイヴァンカは、王家の凋落を象徴する人物ではない。
それどころか、世間で悪しざまに言われているイヴァンカこそ、腐敗しきったこの国に残る、最後の灯(ともしび)のような人だと幼い彼は気づいていた。
イヴァンカはいつも民衆たちからの嘆願書に目を通し、心を痛めているとロレシオに語った。王族として生きている以上、国民の幸福を追求するのは義務であり、できる限りのことをしたいのだと。
足しげく図書館に通っては知識を補い、殺人的な量の書類をひとりで黙々と目を通し、不正を質そうとするその姿が、悪い噂をする大人たちには都合よく見えていないようだった。
王宮騎士見習いの期間を満了し、ロレシオは護衛騎士として地方に派遣されることとなった彼は、迷わずイヴァンカに騎士の誓いを立てた。
地方で勲功を立てれば、王族付きの騎士に戻ることもできる。ロレシオは、いつか王妃付きの騎士となり、イヴァンカの名誉を挽回しようと無邪気に夢見ていた。
しかし、その夢は叶わなかった。
『イヴァンカ・クラウンが処刑された』
その噂を聞いたとき、ロレシオは足元で世界が崩れ去ったようなそんな感覚に陥った。
この国の最後の灯はついにかき消されたのだ。王妃の処刑の翌日に愛人との結婚式を挙げるような愚かな男によって。
そして、その瞬間から、ロレシオは亡き王妃のために生きようと誓った。
幼い敬愛は、やがて愛執と呼ぶべき感情へ変わった。他の女など欲しくなかった。
すべての功績も、愛も、劣情さえも、全て今は亡きイヴァンカ・クラウンに捧げるため。必死にこの国の建て直しに尽力しているうちに、彼の齢は、とっくにイヴァンカよりも上回ってしまった。
それでも、心に決めた人は、一人だけ――……の、はずだった。
しかし、急に現れたエルゼ・ラグベニューが、春の嵐のようにロレシオの心をかき乱す。
初めて会った時も何かがおかしかったのだ。そもそも、ロレシオは二回りも年下の政略結婚相手に手を出すつもりは微塵もなかった。
それなのに、ロレシオは初夜の儀を理由に欲望のままにエルゼの甘い体を抱いてしまった。あのサファイアブルーの瞳に囚われて、衝動が抑えられなかった。
全てが終わったあと、エルゼはベッドの端で震えて泣いていた。
その時に、ロレシオは後悔した。だからこそ、一生をかけて、この罪は償わなければならないと決めた。――例え、そこに愛はなくとも。
しかし、気付けばロレシオはエルゼに惹かれていた。かつて愛した王妃と同じ、何もかも見通してしまうような澄んだ宝石のような瞳が、ロレシオを見つめるたびに、彼の胸はかき乱された。
凛としているのに、甘く心に響くあの声が。
たおやかで折れそうなほど細い腰が。
愛しい人と同じ、サファイアブルーの澄んだ瞳が。
あの女のすべてが、ロレシオの決意が揺らがせる。
宰相に勧められるがまま娶った物静かな女を、初めロレシオは心の底から憐れんでいた。二回りも年が上の男と結婚させられた彼女にとって、この結婚はさぞ不本意なものだったに違いない。
それくらい分かっているのに、エルゼと一緒にいればいるほど、離れがたく思った。それどころか、時折あの細い頸筋に歯形をつけ、自分のものにしたいという気持ちに駆られることすらある。
特に、あの憂いを湛えたサファイアブルーの目で見つめられると、ロレシオは居てもたっても居られない気持ちになる。
「私が愛するのは、生涯イヴァンカ様だけと誓ったはずなのに……」
ロレシオが煮詰まった思いを重いため息にのせて深い息を吐いた、その時。
かたん。
物音がした。慌てて肖像画を部屋の隅に押しやり、顔をあげると、意外な人物がドアの前でしゃがんでいた。
「――ッ!? エルゼ!?」
「ご、ごめんなさい。本をお忘れになっていたので、届けに参ったのですが……」
確かに、エルゼの足元には先ほど渡されたはずの本や書類が落ちていた。どうやらエルゼの部屋を出て行った際に、全て置いていってしまったらしい。
それよりロレシオが気になったのは、エルゼの顔色の悪さだった。顔が紙のように白い。
「どうしたんだ! 顔色が悪いじゃないか」
「……陛下、入室を許可していただけませんか?」
普段のロレシオであれば、入室は許可しないだろう。しかし、エルゼの尋常ではない逼迫した様子に、気圧されるように頷いてしまう。
エルゼはしばらく部屋の中を見回した。
「ロレシオ様。この部屋は、いったいどうしたんですの? 大事な人のお部屋とおっしゃっていましたが……」
エルゼは、どうやらこの部屋に寵愛を受けている人物が住んでいると勘違いしていたらしい。
ロレシオは慌てた。妻のエルゼに対し、不貞を働くようなことをしたことは一度もない。しかし、それを釈明しようとすると、ロレシオが今は亡き王妃に道ならぬ恋をしていた事実を伝えなければならないだろう。――否、亡き人を未だに思い続けるこの愛自体が、そもそも不貞ではないのか?
何と答えるべきかしばらく考えあぐね、観念したロレシオはようやく口を開いた。
「……かつてこの部屋は、イヴァンカ・クラウン様の部屋だったんだ。どうやら、愚王マンフレートは、自分が処刑した妻の呪いを恐れてこの部屋をかたく鍵をかけて閉ざしたらしい。そのおかげで、この部屋はあのお方が生きた証がそのままになっていた。私は、この部屋をイヴァンカ様が使っていた時のまま、どうしても残したかった」
「……だから、私が王妃の部屋に移りたいと言ったのを却下されたのですね」
「その通りだ。この部屋は、このままでなくてはならない」
エゴかもしれない。それでも、この部屋は残しておきたかった。ロレシオと、彼が愛した今は亡き王妃の儚い繋がりは、最早この部屋だけになってしまったのだから。
理解できない、といった様子で、エルゼが首を振る。
「どうして、イヴァンカ・クラウンの部屋を残すのです……。イヴァンカは、この国の財政すら傾けた毒婦と言われているではないですか。陛下はイヴァンカの悪行を後世に伝えるために、この部屋を遺したのですね。それほどまでに、クラウン王朝へ恨みを……」
エルゼの口調は、怒っているというより、むしろひどく苦しそうだった。
ロレシオは激しく首を振る。今ここで否定しなければ、エルゼがどこか遠くに行ってしまう。そんな気がしたからだ。
「エルゼ! イヴァンカ様は毒婦などではないのだ! この国は、イヴァンカ様を誤解している! あの人は……、いや、あの人こそがこの国の最後の灯だったのだ!」
その言葉を聞いたエルゼは、サファイアブルーの瞳を見開き、ほろほろと大粒の涙を流した。
エルゼの部屋を辞し、逃げ込むように入った部屋で、ロレシオは荒々しく息を吐いた。
「私の大事な人よ、私は、……どうすれば……っ」
立てかけてある大きな肖像画に、ロレシオは縋る。
肖像画に描かれているのは、プラチナブロンドの癖のない髪に、どこか遠くを見つめているようなサファイアブルーの瞳を持った若い女。――イヴァンカ・クラウンの肖像画である。
サントロ帝国の負の歴史として、彼女の肖像画の大半は焼き捨てられたが、奇跡的に一枚だけ迷路のようなこの城の一角に残っていた。
ロレシオはその肖像画を大事にこの部屋にしまった。――王妃の部屋と呼ばれる、この部屋に。
「イヴァンカ、様……ッ! どうか、教えてください……。この、愚かな私に……」
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『……皆、本が好きな僕を馬鹿にするんです。騎士のくせに本を読むなんて、と』
『知識は、いつか貴方を救います。誰に何と言われようと、それでも学び続けようとする貴方を、私は尊敬しますよ』
弱音を吐く幼い王宮騎士見習いの頭を、かつてのイヴァンカ・クラウンは決まって優しく撫でてくれた。サファイアブルーの瞳は優しく、いつもどこか寂しそうだった。
イヴァンカは生まれた時からのひどい近視であまり目が見えていないと言っていたが、ロレシオはこの瞳に見つめられると、全てを見透かされているような、そんな気持ちにさせられてしまう。
イヴァンカに会うたびに、ロレシオの胸は痛いほどに高鳴り、心の底からの笑顔を見てみたいと切望するのだった。
彼にとってのイヴァンカは、王家の凋落を象徴する人物ではない。
それどころか、世間で悪しざまに言われているイヴァンカこそ、腐敗しきったこの国に残る、最後の灯(ともしび)のような人だと幼い彼は気づいていた。
イヴァンカはいつも民衆たちからの嘆願書に目を通し、心を痛めているとロレシオに語った。王族として生きている以上、国民の幸福を追求するのは義務であり、できる限りのことをしたいのだと。
足しげく図書館に通っては知識を補い、殺人的な量の書類をひとりで黙々と目を通し、不正を質そうとするその姿が、悪い噂をする大人たちには都合よく見えていないようだった。
王宮騎士見習いの期間を満了し、ロレシオは護衛騎士として地方に派遣されることとなった彼は、迷わずイヴァンカに騎士の誓いを立てた。
地方で勲功を立てれば、王族付きの騎士に戻ることもできる。ロレシオは、いつか王妃付きの騎士となり、イヴァンカの名誉を挽回しようと無邪気に夢見ていた。
しかし、その夢は叶わなかった。
『イヴァンカ・クラウンが処刑された』
その噂を聞いたとき、ロレシオは足元で世界が崩れ去ったようなそんな感覚に陥った。
この国の最後の灯はついにかき消されたのだ。王妃の処刑の翌日に愛人との結婚式を挙げるような愚かな男によって。
そして、その瞬間から、ロレシオは亡き王妃のために生きようと誓った。
幼い敬愛は、やがて愛執と呼ぶべき感情へ変わった。他の女など欲しくなかった。
すべての功績も、愛も、劣情さえも、全て今は亡きイヴァンカ・クラウンに捧げるため。必死にこの国の建て直しに尽力しているうちに、彼の齢は、とっくにイヴァンカよりも上回ってしまった。
それでも、心に決めた人は、一人だけ――……の、はずだった。
しかし、急に現れたエルゼ・ラグベニューが、春の嵐のようにロレシオの心をかき乱す。
初めて会った時も何かがおかしかったのだ。そもそも、ロレシオは二回りも年下の政略結婚相手に手を出すつもりは微塵もなかった。
それなのに、ロレシオは初夜の儀を理由に欲望のままにエルゼの甘い体を抱いてしまった。あのサファイアブルーの瞳に囚われて、衝動が抑えられなかった。
全てが終わったあと、エルゼはベッドの端で震えて泣いていた。
その時に、ロレシオは後悔した。だからこそ、一生をかけて、この罪は償わなければならないと決めた。――例え、そこに愛はなくとも。
しかし、気付けばロレシオはエルゼに惹かれていた。かつて愛した王妃と同じ、何もかも見通してしまうような澄んだ宝石のような瞳が、ロレシオを見つめるたびに、彼の胸はかき乱された。
凛としているのに、甘く心に響くあの声が。
たおやかで折れそうなほど細い腰が。
愛しい人と同じ、サファイアブルーの澄んだ瞳が。
あの女のすべてが、ロレシオの決意が揺らがせる。
宰相に勧められるがまま娶った物静かな女を、初めロレシオは心の底から憐れんでいた。二回りも年が上の男と結婚させられた彼女にとって、この結婚はさぞ不本意なものだったに違いない。
それくらい分かっているのに、エルゼと一緒にいればいるほど、離れがたく思った。それどころか、時折あの細い頸筋に歯形をつけ、自分のものにしたいという気持ちに駆られることすらある。
特に、あの憂いを湛えたサファイアブルーの目で見つめられると、ロレシオは居てもたっても居られない気持ちになる。
「私が愛するのは、生涯イヴァンカ様だけと誓ったはずなのに……」
ロレシオが煮詰まった思いを重いため息にのせて深い息を吐いた、その時。
かたん。
物音がした。慌てて肖像画を部屋の隅に押しやり、顔をあげると、意外な人物がドアの前でしゃがんでいた。
「――ッ!? エルゼ!?」
「ご、ごめんなさい。本をお忘れになっていたので、届けに参ったのですが……」
確かに、エルゼの足元には先ほど渡されたはずの本や書類が落ちていた。どうやらエルゼの部屋を出て行った際に、全て置いていってしまったらしい。
それよりロレシオが気になったのは、エルゼの顔色の悪さだった。顔が紙のように白い。
「どうしたんだ! 顔色が悪いじゃないか」
「……陛下、入室を許可していただけませんか?」
普段のロレシオであれば、入室は許可しないだろう。しかし、エルゼの尋常ではない逼迫した様子に、気圧されるように頷いてしまう。
エルゼはしばらく部屋の中を見回した。
「ロレシオ様。この部屋は、いったいどうしたんですの? 大事な人のお部屋とおっしゃっていましたが……」
エルゼは、どうやらこの部屋に寵愛を受けている人物が住んでいると勘違いしていたらしい。
ロレシオは慌てた。妻のエルゼに対し、不貞を働くようなことをしたことは一度もない。しかし、それを釈明しようとすると、ロレシオが今は亡き王妃に道ならぬ恋をしていた事実を伝えなければならないだろう。――否、亡き人を未だに思い続けるこの愛自体が、そもそも不貞ではないのか?
何と答えるべきかしばらく考えあぐね、観念したロレシオはようやく口を開いた。
「……かつてこの部屋は、イヴァンカ・クラウン様の部屋だったんだ。どうやら、愚王マンフレートは、自分が処刑した妻の呪いを恐れてこの部屋をかたく鍵をかけて閉ざしたらしい。そのおかげで、この部屋はあのお方が生きた証がそのままになっていた。私は、この部屋をイヴァンカ様が使っていた時のまま、どうしても残したかった」
「……だから、私が王妃の部屋に移りたいと言ったのを却下されたのですね」
「その通りだ。この部屋は、このままでなくてはならない」
エゴかもしれない。それでも、この部屋は残しておきたかった。ロレシオと、彼が愛した今は亡き王妃の儚い繋がりは、最早この部屋だけになってしまったのだから。
理解できない、といった様子で、エルゼが首を振る。
「どうして、イヴァンカ・クラウンの部屋を残すのです……。イヴァンカは、この国の財政すら傾けた毒婦と言われているではないですか。陛下はイヴァンカの悪行を後世に伝えるために、この部屋を遺したのですね。それほどまでに、クラウン王朝へ恨みを……」
エルゼの口調は、怒っているというより、むしろひどく苦しそうだった。
ロレシオは激しく首を振る。今ここで否定しなければ、エルゼがどこか遠くに行ってしまう。そんな気がしたからだ。
「エルゼ! イヴァンカ様は毒婦などではないのだ! この国は、イヴァンカ様を誤解している! あの人は……、いや、あの人こそがこの国の最後の灯だったのだ!」
その言葉を聞いたエルゼは、サファイアブルーの瞳を見開き、ほろほろと大粒の涙を流した。
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