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6 名君の功績
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「最後の灯……」
エルゼは胸に温かいものがこみ上げる。鼻の奥がツンとして、目から温かい涙がこぼれ落ちた。涙を拭おうにも、あいにく手にはロレシオの書類と本を抱えている。
ホロホロとエルゼの頬をつたう涙を拭ったのは、ロレシオの武骨な指だった。
「すまない。エルゼにこういう話をするべきでないのは分かっている。しかし、どうしても君に伝えておきたかったのだ。それほどにイヴァンカ様は、……私の大事なお方だった」
「……っ!」
「君が泣くのも当然だ。年の離れた夫が、今は亡き人に恋焦がれていたことを知ったのだ。しかも、未練たらしくその人の部屋まで遺して……。我ながら情けない。君はさぞ失望したことだろう」
「し、失望だなんて、そんな……!」
エルゼは激しく首を振った。しかし、ロレシオは自嘲気味に微笑む。
「エルゼ。君は優しくて寛容だ。しかし、この国の貴い身分であらせられたイヴァンカ様を愛してしまった汚らわしい騎士の私が、君のような清らかな人の夫になる資格はないのだ」
ロレシオの言葉は、エルゼの身体に衝撃をもたらした。
(ロレシオ様が、わたくしを愛してる……?)
にわかには信じがたく、探るような目でエルゼは目の前の男を見つめた。しかし、青灰色の瞳に嘘偽りの影はない。
ロレシオの言葉は、本心からの言葉だったのだ。エルゼの頬が紅潮する。
イヴァンカ・クラウンとして生きたことを後悔したこともある。どれだけ頑張っても、イヴァンカは夫であるマンフレートによって悪女に仕立てあげられる運命だった。
悪女と呼ばれ、偽りの愛を信じて処刑された虚しい女の記憶なんていらなかったと己の運命を呪ったことさえある。
しかし、今は違った。これほどに、運命のいたずらに感謝したことはない。――誠実な夫の愛した人が、前世の己自身だったのだから。
(今なら、本当のことが言えるかもしれないわ……)
いや、きっと今でなければ、真実を告げることはできないだろう。この機会を逃してしまえば、きっとエルゼとロレシオは一生すれ違い続けることになる。
覚悟を決めたエルゼは、小さく息を吐いた。
「ごめんなさい、急に泣いてしまって……。私が泣いたのは、陛下がイヴァンカのことを『最後の灯』と言ってくださったことが嬉しかったから。決して陛下の言葉で傷ついたわけではありませんわ」
案の定、エルゼの告白にロレシオは呆気にとられたような顔をした。予想外の一言だったのだろう。
「……エルゼ、君はいったい何を――」
「わたくしの前世は、イヴァンカ・クラウンなのです」
凛としたエルゼの声が、静かな部屋に響いた。
急な告白に、ロレシオは動揺して息を飲んだ。エルゼの涙を拭いていた指が、不自然に停止する。
「どういうことだ?」
「イヴァンカ・クラウンとして28年間生きた記憶がわたくしにはあるのです。前世の忌まわしい記憶を封印して、エルゼ・ラグベニューとして静かに生きるつもりだったのですが、……皮肉なことに、どういうわけかこの城に帰ってきてしまいました」
「……なぜ、そんな大切なことをずっと秘密にしておいた?」
「わたくしの前世がイヴァンカ・クラウンだと知られてしまえば、謂れのない謗りをうけたでしょうから……。だから、ずっと秘密にしていたのです」
「……事情はよく分かった。しかし、エルゼ」
「やはり、すぐには信じられませんよね……」
エルゼは部屋を横切って年季の入った書類机の前に立つ。かつてイヴァンカが愛用していた懐かしい机は、万年筆やインクポットの位置までそのままだ。
エルゼは腕に抱いていた書類と本を机の上に置くと、おもむろに引き出しに手をかける。
「……わたくしの前世がイヴァンカ・クラウンだったという証拠をあげるとするなら、わたくしは引き出しの中身を全て覚えていますわ。右上の引き出しは、封蝋と予備のインク。左上の引き出しには、便箋や眼鏡が入っていたはずです。そして、右下の引き出しには、お母様の形見のネックレスがあったはずです」
エルゼは次々と引き出しの中身を当てていく。
やがてすべての引き出しがひらかれた時、驚きのあまり言葉を失っていたロレシオがようやく口を開いた。
「……君がこの複雑な城で一度も迷わなかったのも、前世の記憶があるからだったのか」
「はい」
エルゼはしっかり頷くと、呆然としていたロレシオはふらふらとエルゼに歩み寄り、急に手を取った。
そして、前ぶれもなく彼女の足元に跪く。
「――イヴァンカ、様……ッ!!」
かつての幼い騎士が、懐かしい名前でエルゼを呼んだ。
「お守りできず、……申し訳ございませんでした……っ! 私は、貴方に騎士の誓いをしたはずなのに。それなのに、貴女を守ることができなかった!」
「待ってください。陛下、お顔を上げて……! わたくしなんかに、頭を下げては……」
エルゼは狼狽えてロレシオの肩に手を置く。しかし、ロレシオは低頭を止めない。
「貴女が守ろうとした国を、私は破壊しつくした。貴女がどれだけ苦心してこの国の立て直しに奔走しているのか、私は分かっていたはずなのに……ッ! あの忌まわしきマンフレートが貴女を処刑したと聞いたあの日から、復讐心だけでここまで上り詰めてしまった……。こんな愚かな私を、お許しください……」
ようやく顔をあげ、許しを請うロレシオの青灰色の瞳は、苦悩と悔恨に充ちていた。ずっと自分を責めていたのだろう。
「ゆ、許すだなんて、そんな……」
エルゼは激しく頭を振った。
確かに、イヴァンカが守ろうと必死になったクラウン王朝を終わらせたのは謀反を起こしたロレシオだ。しかし、エルゼはロレシオに感謝こそすれ、まったく恨んではいなかった。
エルゼがそのことを口にする前に、ロレシオが己の罪を告解するように言葉を吐いた。
「王宮での騎士見習いの期間を終え、地方に派遣されてからずっと、貴女にお仕えすることを一心に夢見て剣の腕を磨いて参りました。だからこそ、貴女が処刑されたと聞いた時、約束を違えてしまったことに、胸が張り裂けそうでした」
ロレシオはイヴァンカが処刑された知らせを聞き、三日三晩泣き暮らした後に、エルゼを処刑したマンフレートに復讐を誓ったという。
そして1年の時を経て、彼は謀反を起こす。王政の腐敗により苦しむ民衆を味方につけることは容易かった。結局、ロレシオが手を下すまでもなく、国王マンフレートとその一派は怒れる民衆によって捕らえられ、順に処刑されていった。
しかし、ロレシオはその時になってようやく気付く。戦火に焼かれた大地を。戦に疲れた民草を。
敬愛するイヴァンカ・クラウンが陰ながら必死で守り、建て直そうとしたこの国を、ロレシオはめちゃくちゃにしてしまったのだと。
このことを恥じたロレシオは、一度は表舞台から消えようと試みた。しかし、国王不在となったサントロ王国は瞬く間に荒廃した。
「……本来は私のような大罪人がこの玉座に座す資格はない。しかし、貴女の愛したこの国を貴女が望むような国にすることこそが、私の償いとなるのだと信じて、……こうして恥ずかしながら国王となった次第です」
「なにをおっしゃっているのです! 陛下はいつもご謙遜なさいますが、この国の発展に寄与したのは間違いなく貴方です。だからこそ、貴方は名君と呼ばれて……」
「貴女は気づいていないのですか?」
ふいに、ロレシオは眩しいものを見るような目でエルゼを見つめる。
「私が国王としてやったことは、全てイヴァンカ様がやり遂げようとなさっていたことですよ。貴女は図書館で、幼い私に夢を語ってくれた。私は、それを実行しただけだ。だから、私が成し遂げたことはすべて、貴女の功績にすぎない。私が名君と呼ばれるなら、それは全てイヴァンカ様への称賛なのです」
「あっ……」
エルゼはハッとする。
(そう言えば、そうだわ……)
思い返せば、ロレシオの試行した法律や制度は全て、イヴァンカが思い描いていたことだった。しかし、マンフレートや宰相たちからしょせん絵空事と鼻で笑われ、綺麗事だと馬鹿にされ、実現することはなかった。
ロレシオはしかし、イヴァンカの意志を継いで、一つ一つ現実にしていったのだ。
エルゼは胸がいっぱいになった。
イヴァンカ・クラウンとして生きたことを後悔したこともある。
悪女と呼ばれ、偽りの愛を信じて処刑された虚しい女の記憶なんていらなかったと己の運命を呪ったことさえある。
しかし、あの陰鬱な日々は、決して無駄ではなかったのだ。決して幸せな人生ではなかったけれど、確かに意志を継いでくれる人がいたのだから。
「……ありがとうございます。貴方がいてくれて、よかった。イヴァンカ・クラウンとして、そしてエルゼ・ラグベニューとしても、貴女に出会えたことは、わたくしにとってなによりの幸運です」
「当たり前のことをしたまでです。……貴女が望むのなら、この玉座は貴女に捧げましょう。なんなりと、貴女の騎士にご命令を」
ロレシオの口調は重々しく、その表情はさながら己の罪状の宣告を待つ罪人を思わせた。エルゼが何かを命令するまで、そこを断じて動かないだろう。
エルゼは逡巡の後、ロレシオと目線を合わせるためにゆっくりとかがむ。至近距離でこちらを見つめてくる青灰色の瞳が、戸惑ったように揺れた。
「では、命令します」
「御意」
「まず、敬語は止めてくださいな。それから、この王妃の部屋を使う許可を。――わたくしが、ちゃんと貴女の妻である証に」
「そ、それは……」
ロレシオの困惑した表情に、エルゼは頬を薄桃色に染めて微笑んだ。それは、冷たい冬の雪を融かす春の日差しのような、心の底からの明るい笑みだった。
「もうお飾りの妻はこりごり、ということですよ」
ロレシオはしばらくエルゼの顔に見惚れた。それから、「返事は?」とエルゼが首をかしげると、言葉をかみしめるようにゆっくりと頷く。
「――貴女が、望むのならば」
ロレシオはそう言って、こらえきれなくなった様子でエルゼを力強く抱きしめた。
エルゼは胸に温かいものがこみ上げる。鼻の奥がツンとして、目から温かい涙がこぼれ落ちた。涙を拭おうにも、あいにく手にはロレシオの書類と本を抱えている。
ホロホロとエルゼの頬をつたう涙を拭ったのは、ロレシオの武骨な指だった。
「すまない。エルゼにこういう話をするべきでないのは分かっている。しかし、どうしても君に伝えておきたかったのだ。それほどにイヴァンカ様は、……私の大事なお方だった」
「……っ!」
「君が泣くのも当然だ。年の離れた夫が、今は亡き人に恋焦がれていたことを知ったのだ。しかも、未練たらしくその人の部屋まで遺して……。我ながら情けない。君はさぞ失望したことだろう」
「し、失望だなんて、そんな……!」
エルゼは激しく首を振った。しかし、ロレシオは自嘲気味に微笑む。
「エルゼ。君は優しくて寛容だ。しかし、この国の貴い身分であらせられたイヴァンカ様を愛してしまった汚らわしい騎士の私が、君のような清らかな人の夫になる資格はないのだ」
ロレシオの言葉は、エルゼの身体に衝撃をもたらした。
(ロレシオ様が、わたくしを愛してる……?)
にわかには信じがたく、探るような目でエルゼは目の前の男を見つめた。しかし、青灰色の瞳に嘘偽りの影はない。
ロレシオの言葉は、本心からの言葉だったのだ。エルゼの頬が紅潮する。
イヴァンカ・クラウンとして生きたことを後悔したこともある。どれだけ頑張っても、イヴァンカは夫であるマンフレートによって悪女に仕立てあげられる運命だった。
悪女と呼ばれ、偽りの愛を信じて処刑された虚しい女の記憶なんていらなかったと己の運命を呪ったことさえある。
しかし、今は違った。これほどに、運命のいたずらに感謝したことはない。――誠実な夫の愛した人が、前世の己自身だったのだから。
(今なら、本当のことが言えるかもしれないわ……)
いや、きっと今でなければ、真実を告げることはできないだろう。この機会を逃してしまえば、きっとエルゼとロレシオは一生すれ違い続けることになる。
覚悟を決めたエルゼは、小さく息を吐いた。
「ごめんなさい、急に泣いてしまって……。私が泣いたのは、陛下がイヴァンカのことを『最後の灯』と言ってくださったことが嬉しかったから。決して陛下の言葉で傷ついたわけではありませんわ」
案の定、エルゼの告白にロレシオは呆気にとられたような顔をした。予想外の一言だったのだろう。
「……エルゼ、君はいったい何を――」
「わたくしの前世は、イヴァンカ・クラウンなのです」
凛としたエルゼの声が、静かな部屋に響いた。
急な告白に、ロレシオは動揺して息を飲んだ。エルゼの涙を拭いていた指が、不自然に停止する。
「どういうことだ?」
「イヴァンカ・クラウンとして28年間生きた記憶がわたくしにはあるのです。前世の忌まわしい記憶を封印して、エルゼ・ラグベニューとして静かに生きるつもりだったのですが、……皮肉なことに、どういうわけかこの城に帰ってきてしまいました」
「……なぜ、そんな大切なことをずっと秘密にしておいた?」
「わたくしの前世がイヴァンカ・クラウンだと知られてしまえば、謂れのない謗りをうけたでしょうから……。だから、ずっと秘密にしていたのです」
「……事情はよく分かった。しかし、エルゼ」
「やはり、すぐには信じられませんよね……」
エルゼは部屋を横切って年季の入った書類机の前に立つ。かつてイヴァンカが愛用していた懐かしい机は、万年筆やインクポットの位置までそのままだ。
エルゼは腕に抱いていた書類と本を机の上に置くと、おもむろに引き出しに手をかける。
「……わたくしの前世がイヴァンカ・クラウンだったという証拠をあげるとするなら、わたくしは引き出しの中身を全て覚えていますわ。右上の引き出しは、封蝋と予備のインク。左上の引き出しには、便箋や眼鏡が入っていたはずです。そして、右下の引き出しには、お母様の形見のネックレスがあったはずです」
エルゼは次々と引き出しの中身を当てていく。
やがてすべての引き出しがひらかれた時、驚きのあまり言葉を失っていたロレシオがようやく口を開いた。
「……君がこの複雑な城で一度も迷わなかったのも、前世の記憶があるからだったのか」
「はい」
エルゼはしっかり頷くと、呆然としていたロレシオはふらふらとエルゼに歩み寄り、急に手を取った。
そして、前ぶれもなく彼女の足元に跪く。
「――イヴァンカ、様……ッ!!」
かつての幼い騎士が、懐かしい名前でエルゼを呼んだ。
「お守りできず、……申し訳ございませんでした……っ! 私は、貴方に騎士の誓いをしたはずなのに。それなのに、貴女を守ることができなかった!」
「待ってください。陛下、お顔を上げて……! わたくしなんかに、頭を下げては……」
エルゼは狼狽えてロレシオの肩に手を置く。しかし、ロレシオは低頭を止めない。
「貴女が守ろうとした国を、私は破壊しつくした。貴女がどれだけ苦心してこの国の立て直しに奔走しているのか、私は分かっていたはずなのに……ッ! あの忌まわしきマンフレートが貴女を処刑したと聞いたあの日から、復讐心だけでここまで上り詰めてしまった……。こんな愚かな私を、お許しください……」
ようやく顔をあげ、許しを請うロレシオの青灰色の瞳は、苦悩と悔恨に充ちていた。ずっと自分を責めていたのだろう。
「ゆ、許すだなんて、そんな……」
エルゼは激しく頭を振った。
確かに、イヴァンカが守ろうと必死になったクラウン王朝を終わらせたのは謀反を起こしたロレシオだ。しかし、エルゼはロレシオに感謝こそすれ、まったく恨んではいなかった。
エルゼがそのことを口にする前に、ロレシオが己の罪を告解するように言葉を吐いた。
「王宮での騎士見習いの期間を終え、地方に派遣されてからずっと、貴女にお仕えすることを一心に夢見て剣の腕を磨いて参りました。だからこそ、貴女が処刑されたと聞いた時、約束を違えてしまったことに、胸が張り裂けそうでした」
ロレシオはイヴァンカが処刑された知らせを聞き、三日三晩泣き暮らした後に、エルゼを処刑したマンフレートに復讐を誓ったという。
そして1年の時を経て、彼は謀反を起こす。王政の腐敗により苦しむ民衆を味方につけることは容易かった。結局、ロレシオが手を下すまでもなく、国王マンフレートとその一派は怒れる民衆によって捕らえられ、順に処刑されていった。
しかし、ロレシオはその時になってようやく気付く。戦火に焼かれた大地を。戦に疲れた民草を。
敬愛するイヴァンカ・クラウンが陰ながら必死で守り、建て直そうとしたこの国を、ロレシオはめちゃくちゃにしてしまったのだと。
このことを恥じたロレシオは、一度は表舞台から消えようと試みた。しかし、国王不在となったサントロ王国は瞬く間に荒廃した。
「……本来は私のような大罪人がこの玉座に座す資格はない。しかし、貴女の愛したこの国を貴女が望むような国にすることこそが、私の償いとなるのだと信じて、……こうして恥ずかしながら国王となった次第です」
「なにをおっしゃっているのです! 陛下はいつもご謙遜なさいますが、この国の発展に寄与したのは間違いなく貴方です。だからこそ、貴方は名君と呼ばれて……」
「貴女は気づいていないのですか?」
ふいに、ロレシオは眩しいものを見るような目でエルゼを見つめる。
「私が国王としてやったことは、全てイヴァンカ様がやり遂げようとなさっていたことですよ。貴女は図書館で、幼い私に夢を語ってくれた。私は、それを実行しただけだ。だから、私が成し遂げたことはすべて、貴女の功績にすぎない。私が名君と呼ばれるなら、それは全てイヴァンカ様への称賛なのです」
「あっ……」
エルゼはハッとする。
(そう言えば、そうだわ……)
思い返せば、ロレシオの試行した法律や制度は全て、イヴァンカが思い描いていたことだった。しかし、マンフレートや宰相たちからしょせん絵空事と鼻で笑われ、綺麗事だと馬鹿にされ、実現することはなかった。
ロレシオはしかし、イヴァンカの意志を継いで、一つ一つ現実にしていったのだ。
エルゼは胸がいっぱいになった。
イヴァンカ・クラウンとして生きたことを後悔したこともある。
悪女と呼ばれ、偽りの愛を信じて処刑された虚しい女の記憶なんていらなかったと己の運命を呪ったことさえある。
しかし、あの陰鬱な日々は、決して無駄ではなかったのだ。決して幸せな人生ではなかったけれど、確かに意志を継いでくれる人がいたのだから。
「……ありがとうございます。貴方がいてくれて、よかった。イヴァンカ・クラウンとして、そしてエルゼ・ラグベニューとしても、貴女に出会えたことは、わたくしにとってなによりの幸運です」
「当たり前のことをしたまでです。……貴女が望むのなら、この玉座は貴女に捧げましょう。なんなりと、貴女の騎士にご命令を」
ロレシオの口調は重々しく、その表情はさながら己の罪状の宣告を待つ罪人を思わせた。エルゼが何かを命令するまで、そこを断じて動かないだろう。
エルゼは逡巡の後、ロレシオと目線を合わせるためにゆっくりとかがむ。至近距離でこちらを見つめてくる青灰色の瞳が、戸惑ったように揺れた。
「では、命令します」
「御意」
「まず、敬語は止めてくださいな。それから、この王妃の部屋を使う許可を。――わたくしが、ちゃんと貴女の妻である証に」
「そ、それは……」
ロレシオの困惑した表情に、エルゼは頬を薄桃色に染めて微笑んだ。それは、冷たい冬の雪を融かす春の日差しのような、心の底からの明るい笑みだった。
「もうお飾りの妻はこりごり、ということですよ」
ロレシオはしばらくエルゼの顔に見惚れた。それから、「返事は?」とエルゼが首をかしげると、言葉をかみしめるようにゆっくりと頷く。
「――貴女が、望むのならば」
ロレシオはそう言って、こらえきれなくなった様子でエルゼを力強く抱きしめた。
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