1 / 4
第一話
しおりを挟む
マグダレーナは今日も一人だった。
王侯貴族の集うきらびやかな夜会にて、いつものごとく壁を背に気配を消していた。
ひっそりとたたずむマグダレーナに気づくことなく、豪奢なドレスに身を包んだ令嬢たちが熱心にささやき合う。
「エリアス様がいらしたわ!」
「ねえ、誰から行く?」
「抜け駆けは禁止よ。行くのならみんな一緒によ!」
彼女たちは互いに牽制しながら、一目散に(けれども表面上はしとやかに)一人の青年のもとを目指していく。
ドレスのフリルが揺れ、宝石のアクセサリーがシャンデリアの光を弾いて美しく輝いた。マグダレーナは恍惚の表情でそれを見物する。
「ごきげんよう、エリアス様っ」
「今日も素敵ですのね」
「わたくしたちとお話なさいませんこと?」
エリアス、と呼ばれた青年が控えめな微笑を浮かべて振り返る。令嬢たちがきゃあっと華やいだ声を上げた。
色味の薄いやわらかそうな金髪に、エメラルドグリーンの透き通るように美しい瞳。
青年は一見すると儚げなのに、礼服の下の体は鍛え上げられていると有名だった。何せ武の一族であるダウエル伯爵家に、剣術の才を見出され養子に迎え入れられたほどの逸材なのだ。
「グッフフフフフ……」
マグダレーナの前を通過した給仕役の使用人が、ギクリと肩を跳ねさせた。マグダレーナを薄気味悪そうに眺め、逃げるように去っていった。
修行が足らない。この程度のことで動揺を見せるようでは、貴族の使用人に向いているとはとても言えないだろう。マグダレーナはしたり顔で頷いた。
「……ありがたいお誘いなれど、生憎わたしは無骨者ですので。これほどお美しいご令嬢方を前にして、気の利いた言葉ひとつ言えやしません」
遠慮がちに断るエリアスに、令嬢たちは俄然闘志をかき立てられたようだった。
完璧に整った容姿、武術の達人、そしてそれを鼻にかけない高潔な人柄。養子といえど家督を約束された伯爵家嫡男。
――間違いない。優良物件である。
「グッフフフフフ……」
壁に張りついたマグダレーナが、壁に張りついたまま横滑りに移動する。エリアスの姿を正面から眺められる、個人的最高の位置で徘徊を止めた。
「ねえエリアス様、そろそろ伯爵家にも馴染まれた頃合いでしょう?」
「そうですわよ。後継者としてのご準備も始めるべきではございませんこと?」
「そうそう、たとえば婚約者をお決めになられたりとか」
少々あからさまではあるものの、攻めの姿勢自体は素晴らしい。
マグダレーナはにんまりと笑みを浮かべた。さてさて、これではさすがの彼も逃げられまい。
逸る気持ちを抑えて見守っていたら、エリアスは困ったような笑みを浮かべた。
「婚約者、ですか……。実は養父と義母からも、意中の相手がいるのなら早めに申し込めとせっつかれておりまして……」
「んまぁあっ!」
まるで「意中の相手」が己のことであるかのように、令嬢たちは目を血走らせた。
互いを押しのけ合いながら、我先にとエリアスに群がっていく。
(おお。エリアス様に意中の相手だと……!?)
いるわけがない。
マグダレーナは即座に心の中できっぱりと否定した。
何せマグダレーナは筋金入りのエリアス観察者。
一見すると非の打ち所のない完璧な彼であるが、実は高くそびえ立つ壁で常に己を覆い隠している。人当たりの良い笑顔でごまかして、決して他人に本心を覗かせることはない。
本当は小うるさいご令嬢たちを追い払いたいくせに、伯爵家養子という立場が邪魔をして無下にもできない。夜会に出席するたび、エリアスは毎回多種多様なご令嬢たちから擦り寄られている。
ああもう、うんざりだ。最近の彼の笑顔からは、そんな感情がありありと透けて見える。
(あの爽やかな笑顔、そしてそれに反して全くもって笑っていない冷たい目。最高だ……!)
「グフッ、グッフフフフフ……!」
喜びを抑えきれず、マグダレーナがひときわ高い笑い声を上げたその瞬間。
エリアスが弾かれたようにマグダレーナを見つめる。
――バチッ
音がしそうなほどはっきりと二人の視線が絡み合った。
けれどマグダレーナは慌てず騒がず、ハンカチで顔を隠して再び壁を横滑りする。美しいエリアスの視界に入ることなど、マグダレーナは別に望んではいないのだ。
(壁のマンドラゴラは、壁のマンドラゴラらしく……だな)
『壁の花』ならぬ『壁のマンドラゴラ』。
それは社交界でのマグダレーナの通り名だった。
マグダレーナは由緒あるブラッドリー伯爵家の令嬢にして、唯一の趣味が人間観察という変人だった。
華奢な体に抜けるように白い肌、灰色にくすんだ地味な髪色。ドレスもまた容姿に合わせて淡い色のものを好んで身につける。
華やかさの欠片もなく目立たないのをいいことに、マグダレーナは夜会ではいつも壁の花に徹していた。
欲望に愛憎、嫉妬のうずまく社交界はマグダレーナにとっては最高の狩場。いつも壁を這うように移動しては、誰に気づかれることなく趣味に勤しんでいた。
……などと信じていたのは、当のマグダレーナばかりで。
誰もいないと思っていた背後の壁から、突然奇っ怪な笑い声が響いてくる恐怖。ぎょっとして振り返ればいつもそこには、にやにやと笑み崩れる気味の悪い令嬢の姿があった。
夜会の参加者たちは戦々恐々と噂した。あれは『壁の花』なんて上等なもんじゃない、『壁のマンドラゴラ』である、と。
初めにそう言い出したのは誰だったろう。
それはわからないが、二つ名は今ではもうすっかり社交界に定着してしまった。
しかしマグダレーナは気にしない。
壁のマンドラゴラ、なかなかどうして結構じゃないか。マグダレーナとマンドラゴラ、どちらもマから始まって語感が良い。
(さて、もう充分か)
壁伝いにかなり移動したはずだ。
マグダレーナは逃げるのを止め、広げたハンカチを顔からはずす。
「――こんばんは。ブラッドリー伯爵令嬢」
「ん”ん”ッ!?」
おっさんの咳払いみたいな声が出た。
王侯貴族の集うきらびやかな夜会にて、いつものごとく壁を背に気配を消していた。
ひっそりとたたずむマグダレーナに気づくことなく、豪奢なドレスに身を包んだ令嬢たちが熱心にささやき合う。
「エリアス様がいらしたわ!」
「ねえ、誰から行く?」
「抜け駆けは禁止よ。行くのならみんな一緒によ!」
彼女たちは互いに牽制しながら、一目散に(けれども表面上はしとやかに)一人の青年のもとを目指していく。
ドレスのフリルが揺れ、宝石のアクセサリーがシャンデリアの光を弾いて美しく輝いた。マグダレーナは恍惚の表情でそれを見物する。
「ごきげんよう、エリアス様っ」
「今日も素敵ですのね」
「わたくしたちとお話なさいませんこと?」
エリアス、と呼ばれた青年が控えめな微笑を浮かべて振り返る。令嬢たちがきゃあっと華やいだ声を上げた。
色味の薄いやわらかそうな金髪に、エメラルドグリーンの透き通るように美しい瞳。
青年は一見すると儚げなのに、礼服の下の体は鍛え上げられていると有名だった。何せ武の一族であるダウエル伯爵家に、剣術の才を見出され養子に迎え入れられたほどの逸材なのだ。
「グッフフフフフ……」
マグダレーナの前を通過した給仕役の使用人が、ギクリと肩を跳ねさせた。マグダレーナを薄気味悪そうに眺め、逃げるように去っていった。
修行が足らない。この程度のことで動揺を見せるようでは、貴族の使用人に向いているとはとても言えないだろう。マグダレーナはしたり顔で頷いた。
「……ありがたいお誘いなれど、生憎わたしは無骨者ですので。これほどお美しいご令嬢方を前にして、気の利いた言葉ひとつ言えやしません」
遠慮がちに断るエリアスに、令嬢たちは俄然闘志をかき立てられたようだった。
完璧に整った容姿、武術の達人、そしてそれを鼻にかけない高潔な人柄。養子といえど家督を約束された伯爵家嫡男。
――間違いない。優良物件である。
「グッフフフフフ……」
壁に張りついたマグダレーナが、壁に張りついたまま横滑りに移動する。エリアスの姿を正面から眺められる、個人的最高の位置で徘徊を止めた。
「ねえエリアス様、そろそろ伯爵家にも馴染まれた頃合いでしょう?」
「そうですわよ。後継者としてのご準備も始めるべきではございませんこと?」
「そうそう、たとえば婚約者をお決めになられたりとか」
少々あからさまではあるものの、攻めの姿勢自体は素晴らしい。
マグダレーナはにんまりと笑みを浮かべた。さてさて、これではさすがの彼も逃げられまい。
逸る気持ちを抑えて見守っていたら、エリアスは困ったような笑みを浮かべた。
「婚約者、ですか……。実は養父と義母からも、意中の相手がいるのなら早めに申し込めとせっつかれておりまして……」
「んまぁあっ!」
まるで「意中の相手」が己のことであるかのように、令嬢たちは目を血走らせた。
互いを押しのけ合いながら、我先にとエリアスに群がっていく。
(おお。エリアス様に意中の相手だと……!?)
いるわけがない。
マグダレーナは即座に心の中できっぱりと否定した。
何せマグダレーナは筋金入りのエリアス観察者。
一見すると非の打ち所のない完璧な彼であるが、実は高くそびえ立つ壁で常に己を覆い隠している。人当たりの良い笑顔でごまかして、決して他人に本心を覗かせることはない。
本当は小うるさいご令嬢たちを追い払いたいくせに、伯爵家養子という立場が邪魔をして無下にもできない。夜会に出席するたび、エリアスは毎回多種多様なご令嬢たちから擦り寄られている。
ああもう、うんざりだ。最近の彼の笑顔からは、そんな感情がありありと透けて見える。
(あの爽やかな笑顔、そしてそれに反して全くもって笑っていない冷たい目。最高だ……!)
「グフッ、グッフフフフフ……!」
喜びを抑えきれず、マグダレーナがひときわ高い笑い声を上げたその瞬間。
エリアスが弾かれたようにマグダレーナを見つめる。
――バチッ
音がしそうなほどはっきりと二人の視線が絡み合った。
けれどマグダレーナは慌てず騒がず、ハンカチで顔を隠して再び壁を横滑りする。美しいエリアスの視界に入ることなど、マグダレーナは別に望んではいないのだ。
(壁のマンドラゴラは、壁のマンドラゴラらしく……だな)
『壁の花』ならぬ『壁のマンドラゴラ』。
それは社交界でのマグダレーナの通り名だった。
マグダレーナは由緒あるブラッドリー伯爵家の令嬢にして、唯一の趣味が人間観察という変人だった。
華奢な体に抜けるように白い肌、灰色にくすんだ地味な髪色。ドレスもまた容姿に合わせて淡い色のものを好んで身につける。
華やかさの欠片もなく目立たないのをいいことに、マグダレーナは夜会ではいつも壁の花に徹していた。
欲望に愛憎、嫉妬のうずまく社交界はマグダレーナにとっては最高の狩場。いつも壁を這うように移動しては、誰に気づかれることなく趣味に勤しんでいた。
……などと信じていたのは、当のマグダレーナばかりで。
誰もいないと思っていた背後の壁から、突然奇っ怪な笑い声が響いてくる恐怖。ぎょっとして振り返ればいつもそこには、にやにやと笑み崩れる気味の悪い令嬢の姿があった。
夜会の参加者たちは戦々恐々と噂した。あれは『壁の花』なんて上等なもんじゃない、『壁のマンドラゴラ』である、と。
初めにそう言い出したのは誰だったろう。
それはわからないが、二つ名は今ではもうすっかり社交界に定着してしまった。
しかしマグダレーナは気にしない。
壁のマンドラゴラ、なかなかどうして結構じゃないか。マグダレーナとマンドラゴラ、どちらもマから始まって語感が良い。
(さて、もう充分か)
壁伝いにかなり移動したはずだ。
マグダレーナは逃げるのを止め、広げたハンカチを顔からはずす。
「――こんばんは。ブラッドリー伯爵令嬢」
「ん”ん”ッ!?」
おっさんの咳払いみたいな声が出た。
270
あなたにおすすめの小説
『壁の花』の地味令嬢、『耳が良すぎる』王子殿下に求婚されています〜《本業》に差し支えるのでご遠慮願えますか?〜
水都 ミナト
恋愛
マリリン・モントワール伯爵令嬢。
実家が運営するモントワール商会は王国随一の大商会で、優秀な兄が二人に、姉が一人いる末っ子令嬢。
地味な外観でパーティには来るものの、いつも壁側で1人静かに佇んでいる。そのため他の令嬢たちからは『地味な壁の花』と小馬鹿にされているのだが、そんな嘲笑をものととせず彼女が壁の花に甘んじているのには理由があった。
「商売において重要なのは『信頼』と『情報』ですから」
※設定はゆるめ。そこまで腹立たしいキャラも出てきませんのでお気軽にお楽しみください。2万字程の作品です。
※カクヨム様、なろう様でも公開しています。
ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件
ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。
スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。
しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。
一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。
「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。
これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。
役立たずのお飾り令嬢だと婚約破棄されましたが、田舎で幼馴染領主様を支えて幸せに暮らします
水都 ミナト
恋愛
伯爵令嬢であるクリスティーナは、婚約者であるフィリップに「役立たずなお飾り令嬢」と蔑まれ、婚約破棄されてしまう。
事業が波に乗り調子付いていたフィリップにうんざりしていたクリスティーヌは快く婚約解消を受け入れ、幼い頃に頻繁に遊びに行っていた田舎のリアス領を訪れることにする。
かつては緑溢れ、自然豊かなリアスの地は、土地が乾いてすっかり寂れた様子だった。
そこで再会したのは幼馴染のアルベルト。彼はリアスの領主となり、リアスのために奔走していた。
クリスティーナは、彼の力になるべくリアスの地に残ることにするのだが…
★全7話★
※なろう様、カクヨム様でも公開中です。
嘘告されたので、理想の恋人を演じてみました
志熊みゅう
恋愛
私、ブリジットは魔王の遺物である“魔眼”をもって生まれ、人の心を読むことができる。その真っ赤な瞳は国家に重用されると同時に、バケモノと恐れられた。平民の両親に貴族の家に売られ、侯爵令嬢として生きてきた。ある日、騎士科のアルセーヌから校舎裏に呼び出された。
「ブリジット嬢、ずっと前からお慕いしておりました。俺とお付き合いしてください。」
(ああ、変な賭けしなきゃよかった。どうして、俺が魔眼持ちに告らなきゃいけないんだ。)
……なるほど、これは“嘘告”というやつか。
私は魔眼を活かして、学園卒業後は国の諜報員として働くことが決まっている。でもその前に少し、普通の女の子らしいことがしたかった。
「はい、分かりました。アルセーヌ様、お付き合いしましょう。」
そんな退屈しのぎに始めた恋人ごっこが、やがて真実の愛に変わる!?
嘘告から始まる純愛ラブストーリー!
☆小説家になろうの日間異世界(恋愛)ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/11/6)
☆小説家になろうの日間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/11/6)
☆小説家になろうの週間異世界(恋愛)ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/11/12)
☆小説家になろうの週間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/11/12)
【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!
たまこ
恋愛
エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。
だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。
愛されていないはずの婚約者に「貴方に愛されることなど望んでいませんわ」と申し上げたら溺愛されました
海咲雪
恋愛
「セレア、もう一度言う。私はセレアを愛している」
「どうやら、私の愛は伝わっていなかったらしい。これからは思う存分セレアを愛でることにしよう」
「他の男を愛することは婚約者の私が一切認めない。君が愛を注いでいいのも愛を注がれていいのも私だけだ」
貴方が愛しているのはあの男爵令嬢でしょう・・・?
何故、私を愛するふりをするのですか?
[登場人物]
セレア・シャルロット・・・伯爵令嬢。ノア・ヴィアーズの婚約者。ノアのことを建前ではなく本当に愛している。
×
ノア・ヴィアーズ・・・王族。セレア・シャルロットの婚約者。
リア・セルナード・・・男爵令嬢。ノア・ヴィアーズと恋仲であると噂が立っている。
アレン・シールベルト・・・伯爵家の一人息子。セレアとは幼い頃から仲が良い友達。実はセレアのことを・・・?
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる