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宮殿へ
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「こほん。陛下は晩餐会に凜風様を招かれました。今回は細かな礼儀については不問に処すとのことなので、さっそく向かうことにしましょう」
わざとらしく咳払いをする維さんだった。心なしか私への言動が柔らかいものになった、気がする。
「我が孫ながら単純なことで……」
肩をすくめる張さんはやはりどこか楽しそう。
『……凜風。宮廷になんて行くことはない』
維さんを睨み付けながら浄がそっと耳打ちしてくるけれど、そういうわけにもいかないのよ。梓宸は『皇帝劉宸』なのだから。
まぁ少しお話しすれば梓宸も満足するだろうし、たまには幼なじみのワガママも聞いてあげないとね。
『……お前はもう少し自分の魅力を自覚しろ』
不満そうな顔ながら一歩退く浄。少し前までだったらもっと食い下がっていただろうに。何だかんだで成長しているみたいでお母さん嬉しいわ。
「浄。先に帰って、お父様たちに少し遅れると伝えてくれる? あまり遅くなるようならもう一泊していくから」
『……宮廷に泊まるわけじゃないよな?』
「あんな野獣がうろつく場所に泊まるわけないじゃないの」
野獣とはもちろん浮気系幼なじみのことだ。
『わかった。すぐに伝えて、すぐに戻ってこよう』
そう言い残して転移する浄。まぁ彼の場合は私ほど神仙術が得意じゃないのでまた戻ってくるまで時間がかかるでしょう。いい術の行使には十分な集中、十分な休養が必要なのだ。
縮地を見るのは初めてなのか、いきなり消えた浄を見て維さんは目を丸くしていた。
「御爺様から噂で聞いていましたが……なんと非現実的な……」
言葉が続かなかった維さんだけど、そこはさすがの現役宰相。すぐに冷静さを取り戻して腕で玄関を指し示した。
「表に馬車を待たせてあります。さっそく向かいましょう」
おぉ~、馬車? 馬車とか人生で初めて乗るわ私。狩りのために馬に乗ったことは何度もあるけれど。馬車は未経験なので乗り心地はどんなものだかちょっと楽しみ――
「待て、維。儂は腰が悪いから馬車には乗れん」
そうか張さんの腰は玻璃細工並の脆さだものね。何かと揺れるらしい馬車に乗るのは辛いものがあるか。
「しかし御爺様。歩いて行っては時間がかかりすぎます。陛下や上級妃もお待ちなのですから急ぎませんと」
おっと聞き捨てならない発言が。上級妃? それって四夫人のことですよね? 位階で言ったら正一品。とてもえらい。何でそんな方々が……あ~、妃のお仕事の一つに『接待』があるものね。皇帝が『労をねぎらう』ときに妃が侍るのは当然のことなのか。
しかし、四夫人(昔私と結婚の約束をした男が今現在色々な意味で仲良くしていて子供も産んでいる女たち)に接待されるとか何の拷問だ。嫌がらせか。私の繊細な胃が死ぬぞ。昨日の殴打をまだ根に持っているのか梓宸のやろう。
「うむ、あやつは後宮での女性経験は多いですが、それだけですからな。寄ってくる女の相手はできても、離れた場所にいる女の口説き方は分からぬのでしょう」
私の不満を読み取ったのか張さんが苦笑していた。こっちは笑い事じゃないんですけどね。
「凜風殿。ここは儂の腰を助けると思って『縮地』で宮廷まで連れて行ってはくださらぬか?」
「え~? まぁいいですけど、正直行きたくないですよねぇ。あの男、しばらく見ないうちに中々の阿呆になっていませんか? 労をねぎらうのに奥さんたちを侍らせるとか……喧嘩売ってるのか……」
「まぁまぁ、そう言わずに。後宮などという特殊な空間に出入りしていれば多少の感覚は狂ってしまうのでしょう。誰も見ていないところでしたらあの男を殴っていいですから」
維さんがいるから一応『あの男』と隠語を使う私と張さんだった。まぁたぶんバレているけれど。こういうのは直接口にしないのが重要なのだ。後々言い逃れするために。
「しょうがない。さっさと行ってさっさと帰りますか」
私はため息をついてから張さんと維さんの手を取った。一緒に『縮地』をするなら手を繋いでいた方がやりやすいし。失敗して一人だけどこかに飛んでいってしまいました、なんて事故は笑えないもの。
「……凜風様。一体何を……」
突然手を繋いだせいか維さんが固い声を出した。
「あぁごめんなさい。手を繋いだ方が術を行使しやすいので。少しだけ我慢してくださいね?」
「…………」
眉間に皺を寄せる維さん。頬が赤い気がするのは――やはり庶民の女に触れるのは誇りが許せなくて怒っているのかしら?
「ここまで鈍いといっそ笑えてきますな。……うちの馬鹿孫は若いうちに花街にでも放り込んでおくべきだったかのぉ。まさか手を握られただけでこれとは……」
張さんが小声で何か言っていた。たぶんまた悪巧みでもしているのだろうから別に気にしなくてもいいか。
他の人も一緒に転移するので、今回ばかりはちゃんと呪文詠唱することにする。
「――虎行千里归一千里」
「――天皇天帝陛下へ願い奉る。虎は千里を往って千里を還ると云うも、人は十里を往って十里を還れず。矮小なる我らを憐れに思わば、ご慈悲を賜りますよう恐み恐み申す」
瞬間。
私たちの視界が光に包まれた。今回はきちんと集中したので失敗はない。光が収まり、まばゆさで閉じていた瞳を開けると――宮廷の正門前に無事転移していた。正門なら帝都に来たとき何度か見たことがあるので転移先としての想見(イメージ)がしやすいからね。
……あ、しまった。室内で転移したから外用の靴を履いていないわ。張さんや維さんならとにかく、私が今履いているのは刺繍が施された布靴。幸い地面は石畳が敷かれているのでほとんど汚れていないけれど、さすがにここから歩いて移動する勇気はない。これ、借り物。布靴、汚れが中々落ちない。
「ええい仕方ない! もっかい転移! 今度は室内に!」
宮廷の内部構造なんて知らないから目的地――梓宸の姿を思い浮かべながら再び術を起動させる。
「よし成功!」
「ぐふぅ!?」
どこかは分からないけれど豪奢な装飾が施された室内に転移できたので成功だろう。多少間違っていても張さんに道案内してもらえばいいし。
しかし、「ぐふぅ」? なにやら妙に聞き慣れた呻き声というか叫び声というか鶏を絞めたような声が響いたような? 足元から。ついでに言えば足元の感触がずいぶんと柔らかいような……。
もしかして誰か踏んじゃった? 下敷きにしちゃった? 私が恐る恐る視線を下に向けると、そこにいたのは無意味なまでに豪奢な服を着込んだ男性だった。
「……なんだ梓宸か。なら踏んでもいいか」
さすが玉座。私と梓宸が乗っても軋みすらしない。いや私の体重は羽根のように軽いから軋むわけないけれど。
「よ、よくない……。早くどいてくれ……けっこう重い――ぐふう!?」
一度地面(という名の梓宸)を踏みしめてから降りる私。女性を重いとか、此奴は一度死んで人生をやり直した方がいいのではなかろうか?
と、私と梓宸がいつも通りなやり取りをしていると、
「え? は? ここは、宮廷……?」
はじめて『縮地』を経験した維さんは頭を左右に振りながら存分に混乱し、
「……凜風殿。そういうやりとりは二人きりの時にやっていただきたく……」
張さんは痛そうに頭を抱えていた。ちなみに二人は幸いにして梓宸を踏みつぶしていない。よかったわね官僚と元官僚が陛下を足蹴にしたとあっては大問題だもの。
「なんだ!? 何の騒ぎだ!?」
入り口で警戒をしていた孫武さんが部下らしき兵士数人を引き連れて部屋に入ってくる。孫武さんは剣に手を掛けつつ室内を見渡し……私の姿を見つけて気を緩めた。
「なんだ嬢ちゃんか。また何かやらかしたのか?」
「またとは失礼ですね、またとは。昨日出会ったばかりの孫武さんからそんな風に言われる筋合いはないですよ」
私が反論するとなぜか白けた顔を向けられてしまった。
「……で? 一体何をしているんだ?」
孫武さんの視線の先には玉座の上で悶絶する梓宸の姿が。羽根のように軽い私に踏まれたくらいで情けない男である。
「あら、梓宸。苦しそうにしてどうしたの? もしかして毒でも盛られたのかしら?」
「いや嬢ちゃん。宮廷じゃ冗談にもならないからな、それ」
なにそれ宮廷恐い。
「う、ぐ、まだ許してはもらえないか……」
苦しそうな声を上げながら立ち上がる梓宸。自覚があるようで何より。ひとの結婚適齢期を逃させたのだ、本来なら岩に頭を叩きつけて自害するべきところ。この程度で我慢している私、とても偉い。
さて、一段落したし、まずはお招きいただいたお礼を言わないとね。
「陛下、本日はお招きいただきありがとうございます。私は平民ですので基本的な礼儀作法も知りませんが、細かき失敗がありましても陛下の寛大なる御心でご容赦いただければ幸いです」
片膝を突いてテキトーな口上を述べる私。だって宮廷作法とか習ったことないし。先祖が南朝貴族だろうが今現在の地位は平民だもの。それに張維さんも細かいことは不問に処すと言っていたし。
「……皇帝を踏みつぶすのは細かいことじゃないからな?」
「あ゛ん?」
「……よ、よく来た許凜風。今夜は多少の無礼には目をつぶろう。大いに楽しんで行ってくれ」
ようやく立ち上がった梓宸は衣装についたホコリを振り払い、威厳を取り戻すかのように咳払いをした。
「では、まずは宴会場に向かうとするか。妃たちも待っているから紹介しよう」
そう言って梓宸は私の返事も聞かずに歩き出してしまう。え? 今まで宴会場で待たせていたの? 一番偉い妃たちを? 平民の私が?
そんな宴会場に突入させるとかなんだその拷問。ちったぁ考えろこの鈍感男。その無防備な背中に跳び蹴り食らわせてやろうかしらと足に力を込めたものの、色々察したらしい孫武さんに羽交い締めされたので諦めた。仕方ないので大人しくついて行くことにする。
「私は仕事が残っているので、これにて」
宰相である維さんが頭を下げてくる。初対面の時はふんぞり返っていたくせに。やはり皇帝陛下の前では猫を被るのかしら?
「この鈍さ、わざとなのかと疑いたくなりますな……」
なぜか呆れる張さん。
そんな彼の間隙を縫うように維さんが私の前に立ち、じっと見つめてきた。う~ん改めて真正面から見ると良い男だわ維さん。梓宸や孫武さんにはない線の細さがまた。
「いいですか凜風殿。後宮には各地から美しい女性が集められていますが、気後れする必要はありません。着飾ったあなたは決して負けないでしょう」
維さんからの呼び方が凜風殿になった。さすが宰相、皇帝の前での変わり身も凄い。
あと、「着飾ったあなたは」という言い方はどうかと思います。いや素の状態で妃様に勝てるとは思っていないし服の力を借りなきゃいけないのは分かっているけど、それでも私にだって女性としての尊厳があるのだ。せめて「勝てますよ!」と断言して欲しい……。
「……このバカ孫には女性の扱い方を一から教えないといけませんなぁ」
悩ましげにつぶやく張さんだった。
わざとらしく咳払いをする維さんだった。心なしか私への言動が柔らかいものになった、気がする。
「我が孫ながら単純なことで……」
肩をすくめる張さんはやはりどこか楽しそう。
『……凜風。宮廷になんて行くことはない』
維さんを睨み付けながら浄がそっと耳打ちしてくるけれど、そういうわけにもいかないのよ。梓宸は『皇帝劉宸』なのだから。
まぁ少しお話しすれば梓宸も満足するだろうし、たまには幼なじみのワガママも聞いてあげないとね。
『……お前はもう少し自分の魅力を自覚しろ』
不満そうな顔ながら一歩退く浄。少し前までだったらもっと食い下がっていただろうに。何だかんだで成長しているみたいでお母さん嬉しいわ。
「浄。先に帰って、お父様たちに少し遅れると伝えてくれる? あまり遅くなるようならもう一泊していくから」
『……宮廷に泊まるわけじゃないよな?』
「あんな野獣がうろつく場所に泊まるわけないじゃないの」
野獣とはもちろん浮気系幼なじみのことだ。
『わかった。すぐに伝えて、すぐに戻ってこよう』
そう言い残して転移する浄。まぁ彼の場合は私ほど神仙術が得意じゃないのでまた戻ってくるまで時間がかかるでしょう。いい術の行使には十分な集中、十分な休養が必要なのだ。
縮地を見るのは初めてなのか、いきなり消えた浄を見て維さんは目を丸くしていた。
「御爺様から噂で聞いていましたが……なんと非現実的な……」
言葉が続かなかった維さんだけど、そこはさすがの現役宰相。すぐに冷静さを取り戻して腕で玄関を指し示した。
「表に馬車を待たせてあります。さっそく向かいましょう」
おぉ~、馬車? 馬車とか人生で初めて乗るわ私。狩りのために馬に乗ったことは何度もあるけれど。馬車は未経験なので乗り心地はどんなものだかちょっと楽しみ――
「待て、維。儂は腰が悪いから馬車には乗れん」
そうか張さんの腰は玻璃細工並の脆さだものね。何かと揺れるらしい馬車に乗るのは辛いものがあるか。
「しかし御爺様。歩いて行っては時間がかかりすぎます。陛下や上級妃もお待ちなのですから急ぎませんと」
おっと聞き捨てならない発言が。上級妃? それって四夫人のことですよね? 位階で言ったら正一品。とてもえらい。何でそんな方々が……あ~、妃のお仕事の一つに『接待』があるものね。皇帝が『労をねぎらう』ときに妃が侍るのは当然のことなのか。
しかし、四夫人(昔私と結婚の約束をした男が今現在色々な意味で仲良くしていて子供も産んでいる女たち)に接待されるとか何の拷問だ。嫌がらせか。私の繊細な胃が死ぬぞ。昨日の殴打をまだ根に持っているのか梓宸のやろう。
「うむ、あやつは後宮での女性経験は多いですが、それだけですからな。寄ってくる女の相手はできても、離れた場所にいる女の口説き方は分からぬのでしょう」
私の不満を読み取ったのか張さんが苦笑していた。こっちは笑い事じゃないんですけどね。
「凜風殿。ここは儂の腰を助けると思って『縮地』で宮廷まで連れて行ってはくださらぬか?」
「え~? まぁいいですけど、正直行きたくないですよねぇ。あの男、しばらく見ないうちに中々の阿呆になっていませんか? 労をねぎらうのに奥さんたちを侍らせるとか……喧嘩売ってるのか……」
「まぁまぁ、そう言わずに。後宮などという特殊な空間に出入りしていれば多少の感覚は狂ってしまうのでしょう。誰も見ていないところでしたらあの男を殴っていいですから」
維さんがいるから一応『あの男』と隠語を使う私と張さんだった。まぁたぶんバレているけれど。こういうのは直接口にしないのが重要なのだ。後々言い逃れするために。
「しょうがない。さっさと行ってさっさと帰りますか」
私はため息をついてから張さんと維さんの手を取った。一緒に『縮地』をするなら手を繋いでいた方がやりやすいし。失敗して一人だけどこかに飛んでいってしまいました、なんて事故は笑えないもの。
「……凜風様。一体何を……」
突然手を繋いだせいか維さんが固い声を出した。
「あぁごめんなさい。手を繋いだ方が術を行使しやすいので。少しだけ我慢してくださいね?」
「…………」
眉間に皺を寄せる維さん。頬が赤い気がするのは――やはり庶民の女に触れるのは誇りが許せなくて怒っているのかしら?
「ここまで鈍いといっそ笑えてきますな。……うちの馬鹿孫は若いうちに花街にでも放り込んでおくべきだったかのぉ。まさか手を握られただけでこれとは……」
張さんが小声で何か言っていた。たぶんまた悪巧みでもしているのだろうから別に気にしなくてもいいか。
他の人も一緒に転移するので、今回ばかりはちゃんと呪文詠唱することにする。
「――虎行千里归一千里」
「――天皇天帝陛下へ願い奉る。虎は千里を往って千里を還ると云うも、人は十里を往って十里を還れず。矮小なる我らを憐れに思わば、ご慈悲を賜りますよう恐み恐み申す」
瞬間。
私たちの視界が光に包まれた。今回はきちんと集中したので失敗はない。光が収まり、まばゆさで閉じていた瞳を開けると――宮廷の正門前に無事転移していた。正門なら帝都に来たとき何度か見たことがあるので転移先としての想見(イメージ)がしやすいからね。
……あ、しまった。室内で転移したから外用の靴を履いていないわ。張さんや維さんならとにかく、私が今履いているのは刺繍が施された布靴。幸い地面は石畳が敷かれているのでほとんど汚れていないけれど、さすがにここから歩いて移動する勇気はない。これ、借り物。布靴、汚れが中々落ちない。
「ええい仕方ない! もっかい転移! 今度は室内に!」
宮廷の内部構造なんて知らないから目的地――梓宸の姿を思い浮かべながら再び術を起動させる。
「よし成功!」
「ぐふぅ!?」
どこかは分からないけれど豪奢な装飾が施された室内に転移できたので成功だろう。多少間違っていても張さんに道案内してもらえばいいし。
しかし、「ぐふぅ」? なにやら妙に聞き慣れた呻き声というか叫び声というか鶏を絞めたような声が響いたような? 足元から。ついでに言えば足元の感触がずいぶんと柔らかいような……。
もしかして誰か踏んじゃった? 下敷きにしちゃった? 私が恐る恐る視線を下に向けると、そこにいたのは無意味なまでに豪奢な服を着込んだ男性だった。
「……なんだ梓宸か。なら踏んでもいいか」
さすが玉座。私と梓宸が乗っても軋みすらしない。いや私の体重は羽根のように軽いから軋むわけないけれど。
「よ、よくない……。早くどいてくれ……けっこう重い――ぐふう!?」
一度地面(という名の梓宸)を踏みしめてから降りる私。女性を重いとか、此奴は一度死んで人生をやり直した方がいいのではなかろうか?
と、私と梓宸がいつも通りなやり取りをしていると、
「え? は? ここは、宮廷……?」
はじめて『縮地』を経験した維さんは頭を左右に振りながら存分に混乱し、
「……凜風殿。そういうやりとりは二人きりの時にやっていただきたく……」
張さんは痛そうに頭を抱えていた。ちなみに二人は幸いにして梓宸を踏みつぶしていない。よかったわね官僚と元官僚が陛下を足蹴にしたとあっては大問題だもの。
「なんだ!? 何の騒ぎだ!?」
入り口で警戒をしていた孫武さんが部下らしき兵士数人を引き連れて部屋に入ってくる。孫武さんは剣に手を掛けつつ室内を見渡し……私の姿を見つけて気を緩めた。
「なんだ嬢ちゃんか。また何かやらかしたのか?」
「またとは失礼ですね、またとは。昨日出会ったばかりの孫武さんからそんな風に言われる筋合いはないですよ」
私が反論するとなぜか白けた顔を向けられてしまった。
「……で? 一体何をしているんだ?」
孫武さんの視線の先には玉座の上で悶絶する梓宸の姿が。羽根のように軽い私に踏まれたくらいで情けない男である。
「あら、梓宸。苦しそうにしてどうしたの? もしかして毒でも盛られたのかしら?」
「いや嬢ちゃん。宮廷じゃ冗談にもならないからな、それ」
なにそれ宮廷恐い。
「う、ぐ、まだ許してはもらえないか……」
苦しそうな声を上げながら立ち上がる梓宸。自覚があるようで何より。ひとの結婚適齢期を逃させたのだ、本来なら岩に頭を叩きつけて自害するべきところ。この程度で我慢している私、とても偉い。
さて、一段落したし、まずはお招きいただいたお礼を言わないとね。
「陛下、本日はお招きいただきありがとうございます。私は平民ですので基本的な礼儀作法も知りませんが、細かき失敗がありましても陛下の寛大なる御心でご容赦いただければ幸いです」
片膝を突いてテキトーな口上を述べる私。だって宮廷作法とか習ったことないし。先祖が南朝貴族だろうが今現在の地位は平民だもの。それに張維さんも細かいことは不問に処すと言っていたし。
「……皇帝を踏みつぶすのは細かいことじゃないからな?」
「あ゛ん?」
「……よ、よく来た許凜風。今夜は多少の無礼には目をつぶろう。大いに楽しんで行ってくれ」
ようやく立ち上がった梓宸は衣装についたホコリを振り払い、威厳を取り戻すかのように咳払いをした。
「では、まずは宴会場に向かうとするか。妃たちも待っているから紹介しよう」
そう言って梓宸は私の返事も聞かずに歩き出してしまう。え? 今まで宴会場で待たせていたの? 一番偉い妃たちを? 平民の私が?
そんな宴会場に突入させるとかなんだその拷問。ちったぁ考えろこの鈍感男。その無防備な背中に跳び蹴り食らわせてやろうかしらと足に力を込めたものの、色々察したらしい孫武さんに羽交い締めされたので諦めた。仕方ないので大人しくついて行くことにする。
「私は仕事が残っているので、これにて」
宰相である維さんが頭を下げてくる。初対面の時はふんぞり返っていたくせに。やはり皇帝陛下の前では猫を被るのかしら?
「この鈍さ、わざとなのかと疑いたくなりますな……」
なぜか呆れる張さん。
そんな彼の間隙を縫うように維さんが私の前に立ち、じっと見つめてきた。う~ん改めて真正面から見ると良い男だわ維さん。梓宸や孫武さんにはない線の細さがまた。
「いいですか凜風殿。後宮には各地から美しい女性が集められていますが、気後れする必要はありません。着飾ったあなたは決して負けないでしょう」
維さんからの呼び方が凜風殿になった。さすが宰相、皇帝の前での変わり身も凄い。
あと、「着飾ったあなたは」という言い方はどうかと思います。いや素の状態で妃様に勝てるとは思っていないし服の力を借りなきゃいけないのは分かっているけど、それでも私にだって女性としての尊厳があるのだ。せめて「勝てますよ!」と断言して欲しい……。
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