行き遅れた私は、今日も幼なじみの皇帝を足蹴にする

九條葉月

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いざ、後宮

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 とりあえず後宮内の一室に泊めてもらうこととなり。
 私は神仙術を使って地元にいる弟と連絡を取り合った。逓送(駅伝)とも狼煙のろしとも違い、声を直接届けるこの術は、欧羅式魔術で念話パスと呼ばれているらしい。

 そんな念話が弟の呆れ声を伝えてくる。

『姉さん、12年経っても梓宸さんには甘いんですね……』

「ちょっと、そんな深々としたため息をつかないでくれない? 私のどこが梓宸に甘いのよ? むしろ尻に敷いているでしょうが」

『確かに。一見すると姉さんが梓宸さんを尻に敷いていましたね。実際は梓宸さんが姉さんの手綱を握っている感じでしたが』

「……あの頃、あなたってまだ9歳か10歳くらいよね? 私のことをそんな目で見ていたわけ? もうちょっと人を見る目を鍛えた方がいいわよ?」

『はいはい』

 肩をすくめたような声を上げてから弟が改めて確認してくる。

『では、しばらく王宮に宿泊し、事件を調査するんですね?』

「というより心の看護ケアかしら? 欧羅の物語に出てくる『探偵』なら嬉々として犯人捜しをするんでしょうけど……。どちらにせよ2~3日じゃ帰れそうにないわね。報酬はぶんどるつもりだから安心して?」

『危機感がない……。そういうことを言っていると、後宮から出られなくなりますよ?』

「え、なにそれ怖い話? そんな昔話あったっけ?」

『そうではなくて……ま、いいでしょう。ボクとしてはそちらでも構いませんし』

「うん?」

『父さんと母さんには上手いこと伝えておきますよ。浄さんの説得は自分でやってください』

 浄には弟たちへの連絡を頼んで、一足先に地元へ帰ってもらったのよね。神力の回復のため、あと数日はこっちには戻れないでしょう。

 ちなみになぜ『念話』があるのに浄を直接向かわせたかというと……あのままだと私が王宮に招待されることに反対し続けそうだったからだ。今の梓宸は皇帝なのだから、そう簡単にお願いを無下にはできないし。足蹴にしやすいから忘れがちだけどね。

「ああ、大丈夫よ人助けなんだから浄も納得してくれるでしょう。それに梓宸とは仲良さそうだし」

『……可哀想に』

「かわいそう?」

『いえ、何でも。じゃあ、くれぐれも気をつけてくださいね? 今の梓宸さんは皇帝陛下なんですから。昔の感覚で殴ったり蹴ったりしていたら首が飛びますよ? 僕たちの分まで』

「…………。…………。……だ、大丈夫よ。梓宸はあのくらいじゃ怒らないから」

『姉さん? たった一日でもうやらかしたんですか?』

「あー、そろそろ寝る時間ねー、じゃあ弟よあとは頼んだー」

 弟との微笑ましい通信を終え、寝台の上に身体を投げ出す。

 なんともはや。天井にまで豪華な絵が描かれていた。たぶん建国神話における『神判の矢』だ。

 初代皇帝は風雨吹き乱れる中、自慢の強弓によって悪龍を退治し、この地に平穏をもたらしたという。それにあやかって皇帝から就任七年目には弓を使った神事が開催され、庶民の間でも話題となる。

 そういえば、梓宸の『神判の矢』も二年後くらいか。まぁ梓宸は弓も得意で、よく私と一緒に狩りをしていたから平気だろうけど。

 梓宸は皇帝になるため反乱を起こし、多くの戦場で勝利を収めたという。いや、それ以前でも前皇帝の使い勝手のいい駒として各地の戦線を回らされていたのだとか。その中には、弓矢で敵を討ち果たしたことだってあるはずだ。

(私の知っている梓宸は、人を殺せるような人間じゃなかった)

 そもそも、私以外の女性に興味を抱くなんて想像できないし、子供を産ませるなんてもってのほかだ。……私が知っている・・・・・・・彼ならば。

 弟とのやり取りを思い出す。

(忘れるな。今の彼は梓宸ではなく、大華国九代皇帝・劉宸|《リュウチェン》陛下だ)

 そんなことを考えているうちに私の意識は睡魔に敗北したのだった。


                        ◇


「さぁ! 凜風!! 素晴らしい朝が来たぞ!!!」

 朝に相応しくない大声を上げながら。私が借りた部屋に入ってきたのは劉宸皇帝陛下だった。

 欧羅の王宮とは違って、この国の後宮には鍵がない。
 もちろん一般家庭には鍵というか用心棒があるのだけど、後宮にないのは『貴人は鍵など付けなくとも護衛を雇えばいいのだ』みたいな価値観や、『いつでも皇帝陛下を迎え入れます』という意思表示らしい。昨日部屋に案内してくれた女官さんが解説してくれた。

 だから私の部屋に皇帝陛下がやって来て、ズカズカと室内に入ってくるのはそういう場所・・・・・・なのだから当然のことなのだけど――

「――朝っぱらから! うっさいわよ!」

 枕を投げると皇帝陛下の頭に直撃。したのだけれど、彼に気にした様子はない。

「はっはっはっ! 朝から元気だなぁ凜風は!」

 皇帝――いややはり梓宸でいいや。コイツは皇帝じゃなくて悪ガキのままだ。そんな悪ガキは床に落ちた枕を拾い、私に軽く投げ返してから部屋のとう(椅子)に腰を下ろした。

 最近の流行は欧羅式の高足椅子なのだけど、後宮ではまだまだ伝統的な家具が使われているらしい。

「さて凜風。今日から雪花の元に通ってもらうが……その前にまずは後宮内を一通り案内しよう」

「は? 梓宸が?」

「お、俺では不満なのか!?」

 今にも泣きそうな顔をする梓宸だった。面倒くさっ。

「そうじゃなくて、あなた皇帝じゃない。皇帝が案内するとかあり得ないでしょうが。常識で考えなさい、常識で」

「安心しろ! 俺と凜風の関係は常識では計り知れん!」

「あなたが非常識なだけじゃない。こっちを巻き込まないでよ」

「つれないなぁ凜風は。まぁそういうところも可愛いのだが」

「…………」

 コイツ、こんなに気安く女を口説く男だったっけ?

「……私はもう『可愛い』なんて歳じゃないわよ」

「そんなことはないぞ! 凜風は今も昔も可愛いからな!」

「……少しは声量を抑えなさいよ、ばか」

 力なく枕を投げつけると、やはり梓宸は避けることなく頭で枕を受け止めたのだった。


                        ◇


 他の国ではどうなっているかは知らないけれど。大華国の後宮は王城の中心部に存在する。幾重にも重なった城壁群の真ん中。皇帝が寝起きをする皇宮。その皇宮のすぐ後ろ、城壁でぐるっと囲まれているのが後宮だ。

 案内の一環として、まずは梓宸が皇宮と後宮を隔てる城壁の上へと連れて行ってくれることになった。とはいえ、妃の逃亡防止のため、後宮の内側からは壁の上に登れないそうだ。

 そうなると一旦後宮から出て、階段を上って城壁の上に行かなきゃいけないのだけど……正直、面倒くさい。

 なので私は梓宸と手を繋ぎ、縮地でさっさと壁の上に移動してしまったのだった。

「お、おぉおおぉ……。これが、維の言っていた『縮地』か……」

 私の手をギュッと掴んだまま、腰が引けている様子の梓宸だった。おもしろい。

 そういえば、梓宸と縮地を使うのは初めてだっけ? うーん、幼なじみのせいか『梓宸なら知っているでしょう』という感覚が抜けないわね……。

 十二年。
 梓宸は神仙術士として生きてきた私を何も知らないし、私は皇帝として生きてきた梓宸を何も知らない。

 十二年の歳月を感じさせないほど気安く接してきたけれど。それでも私たちの間には十二年という年月が確固たる壁としてそそり立っている。

 私の知っている梓宸は人を殺すような人間じゃなかったし、女性相手に『可愛い』なんて口にできる人じゃなかった。ましてや不特定多数の女を抱いて、子供を何人も作るだなんて……。でもまぁ、これは昔の思い出にしがみついている私が未練がましいだけなのでしょう。

 そんなことを考えながら、私は梓宸から視線を外した。

 ――空が広い。

 そして、眼下に広がる後宮もまた広かった。

 各位の妃とその侍女、そして彼女らが生活するために必要な人員を含めると数千人が生活しているらしいし、それも当然か。下手な地方都市くらいの人口があるものね。

 ――空が広い。

 しかし、いくら空が広くても人は空を飛ぶことはできず。飛んで逃げることなどできず。中には自分の意思に関係なく後宮に入れられ、皇帝のお通りもなく、一生を後宮で終える人間もいるという。

 なんだかそれは酷く狭苦しいように感じられた。

 後宮全体から澱んだ『気』が立ちこめているのも詮無いことなのだろう。


                        ◇


「誤解しないで欲しいが、後宮から出さないのは一種の生活保障だ」

 さっき感じた後宮はドロドロしているわね系の話をすると、梓宸は少し慌てた様子で弁明してきた。

「なにせ彼女たちは実家から『次の皇帝を!』と期待されて来たり、顔が良いという理由だけで後宮に連れてこられたりするんだからな。子供が期待できない年齢となってから後宮を追い出しても実家は受け入れてくれないだろうし、長い時間『後宮』という隔絶空間で暮らしていると世間に馴染むのも難しいからな。後宮の中に留めて養蚕などをしてもらうのも彼女たちを救う一手なんだ」

 なんともまぁ早口の言い訳ですこと。この男、どうやらよほど後宮が気に入っていると見える。

「そもそもこんなに女性を囲い込むな。という指摘ツッコミをしていいのかしら?」

「ぐっ、いや、後宮は後宮で女性に働く場を与える公共事業みたいなものだから……」

 ごにょごにょと言い訳を続ける梓宸だった。後ろめたいことがある、つまりはそんな公共事業でずいぶんとお楽しみ・・・・であるみたい。

 グダグダと言い訳しないだけ、発情期の猿の方がまだマシかもね。


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