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第五部
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すっかり集中モードに入ってしまったイナリさんに声をかけることも出来なくて、モデルに徹してどのくらいの時間が経っただろうか。前後左右と、軽く描いているだけのようなので、そこまで時間が経過したわけじゃないと思うが、立ちっぱなしだったのでそこそこ疲れた。
ようやく解放されたわたしは、時計をつい見てしまう。
時計は十一時を少しばかり過ぎた時間を表示していた。少し早いけれど、昼食を作り始めてもおかしくない時間帯だ。料理の手際がいい方じゃないので、このくらい早めに作り始めたっていいだろう。日本ともシーバイズとも違うキッチンは少しばかり使いにくいのだ。
「イナリさん、お昼は何食べますか? 何か作りますけど」
「いらない。今、僕食べてる余裕ないから。お金あげるから勝手に食べてくれば」
財布はその辺、と、布の山の付近をイナリさんは指さした。多分、その山の中、あるいは周辺に財布が埋まっているんだろう。
三食食べないでよく動けるな……と思うが、まあ、そういう人もいるか。と、納得しかけたのも一瞬だった。
「ちなみに僕の家、調理器具ほとんどないから作るのは無理だよ」
見れば分かる、と言われたので、失礼してわたしは彼のキッチンを探った。
確かにこのワンルーム造りの部屋はキッチンと部屋が区切られていないので、キッチンの何もない様子が一見して分かるのだが、備え付けの戸棚やコンロと流し台の下にある棚、引き出しになにかしら入っていると思ったのだが。
「ほ、本当に何もない……!」
冷蔵庫の中が空っぽ、調味料が少しだけしかない、とかいう次元ではなかった。フライパンも鍋もない。包丁が一本しまってあるだけである。包丁はあるのに、まな板すらなかった。
「い、いつも何食べて生活してるんですか?」
「パン」
短いその答えにくらくらする気分だった。この調理器具のなさに加えてその回答。冗談抜きでパンのみで生活してるんだろう。
料理が趣味と仕事であるフィジャは別格としても、研究を始めれば他のものに手を着けなくなるイエリオや、料理が一切出来ないというウィルフですらもっとちゃんと食べていたのに。
イエリオは研究をしている間の食事がおろそかになるだけで区切りがよくなればしっかり食べるし、ウィルフは冒険者という職業上、携帯食のようなエネルギーを取るだけ、という食事でも我慢できるけれど、どちらかと言えば結構美食家だ。彼と一緒に生活していた期間はほとんど城壁の外にいたが、街にいたときはたくさんのお店に連れて行ってもらって、そのどれもが美味しいお店だった。
でも、イナリさんは違う。
本当にパンだけという、生活をしているんだろう。たまにフィジャたちと集まるときに食べるご飯以外にパンではない栄養を取っていないように見える。
そんなヤバい生活をしているという説得力が、このガラガラなキッチンにはあった。
「――買いに行きましょう」
「は?」
「調理器具を買いに行きましょう! こんな生活、流石に駄目ですよ!」
わたしは靴を脱いで、ベッドの上を乗り越えて、散乱するスペースに足を踏み入れ、イナリさんからスケッチブックを取り上げた。流石に土足でこのスペースに入る勇気はなかった。
「買うって……。どうせあと半年で皆集まるんだから、荷物増やしたところで無駄でしょ」
……確かに、フィジャの荷物の中にほとんど調理器具が揃っているだろう。余剰分もあるかもしれない。
でもだからって、あと半年もこの生活を続ける、というのは余りにも健康に良くない。完璧な栄養バランスを、とまではいかないが、パンだけで生活するよりはマシな食事をしないと。
「じゃあ、外へ食べに行きましょう。ほら、立ってください!」
わたしがそう言うと、イナリさんはどうしようもないと悟ったらしい。渋々立ち上がり、「じゃあ準備するからどいて」と言うのだった。
ようやく解放されたわたしは、時計をつい見てしまう。
時計は十一時を少しばかり過ぎた時間を表示していた。少し早いけれど、昼食を作り始めてもおかしくない時間帯だ。料理の手際がいい方じゃないので、このくらい早めに作り始めたっていいだろう。日本ともシーバイズとも違うキッチンは少しばかり使いにくいのだ。
「イナリさん、お昼は何食べますか? 何か作りますけど」
「いらない。今、僕食べてる余裕ないから。お金あげるから勝手に食べてくれば」
財布はその辺、と、布の山の付近をイナリさんは指さした。多分、その山の中、あるいは周辺に財布が埋まっているんだろう。
三食食べないでよく動けるな……と思うが、まあ、そういう人もいるか。と、納得しかけたのも一瞬だった。
「ちなみに僕の家、調理器具ほとんどないから作るのは無理だよ」
見れば分かる、と言われたので、失礼してわたしは彼のキッチンを探った。
確かにこのワンルーム造りの部屋はキッチンと部屋が区切られていないので、キッチンの何もない様子が一見して分かるのだが、備え付けの戸棚やコンロと流し台の下にある棚、引き出しになにかしら入っていると思ったのだが。
「ほ、本当に何もない……!」
冷蔵庫の中が空っぽ、調味料が少しだけしかない、とかいう次元ではなかった。フライパンも鍋もない。包丁が一本しまってあるだけである。包丁はあるのに、まな板すらなかった。
「い、いつも何食べて生活してるんですか?」
「パン」
短いその答えにくらくらする気分だった。この調理器具のなさに加えてその回答。冗談抜きでパンのみで生活してるんだろう。
料理が趣味と仕事であるフィジャは別格としても、研究を始めれば他のものに手を着けなくなるイエリオや、料理が一切出来ないというウィルフですらもっとちゃんと食べていたのに。
イエリオは研究をしている間の食事がおろそかになるだけで区切りがよくなればしっかり食べるし、ウィルフは冒険者という職業上、携帯食のようなエネルギーを取るだけ、という食事でも我慢できるけれど、どちらかと言えば結構美食家だ。彼と一緒に生活していた期間はほとんど城壁の外にいたが、街にいたときはたくさんのお店に連れて行ってもらって、そのどれもが美味しいお店だった。
でも、イナリさんは違う。
本当にパンだけという、生活をしているんだろう。たまにフィジャたちと集まるときに食べるご飯以外にパンではない栄養を取っていないように見える。
そんなヤバい生活をしているという説得力が、このガラガラなキッチンにはあった。
「――買いに行きましょう」
「は?」
「調理器具を買いに行きましょう! こんな生活、流石に駄目ですよ!」
わたしは靴を脱いで、ベッドの上を乗り越えて、散乱するスペースに足を踏み入れ、イナリさんからスケッチブックを取り上げた。流石に土足でこのスペースに入る勇気はなかった。
「買うって……。どうせあと半年で皆集まるんだから、荷物増やしたところで無駄でしょ」
……確かに、フィジャの荷物の中にほとんど調理器具が揃っているだろう。余剰分もあるかもしれない。
でもだからって、あと半年もこの生活を続ける、というのは余りにも健康に良くない。完璧な栄養バランスを、とまではいかないが、パンだけで生活するよりはマシな食事をしないと。
「じゃあ、外へ食べに行きましょう。ほら、立ってください!」
わたしがそう言うと、イナリさんはどうしようもないと悟ったらしい。渋々立ち上がり、「じゃあ準備するからどいて」と言うのだった。
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