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第十四章 東京進出
東京進出
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行き当たりばったりって言葉が、今のあたしにはぴったりの言葉だろうと思う。春一が青ちゃんちを出ていった次の日には、あたしも荷造りをして東京へと向かった。宿もなければ、働く先もない。こんな人ごみの中を歩くことさえままならない。
高い建物を珍しげに見上げながら歩くあたしの周りには、何をそんなに急いでいるのかと思うほどに、機敏に歩く人、人、人!!
「む……無理だあたし」
流れに酔いそうになって、とうとう立ち止まりスマホを取りだした。
学生の頃は何度も遊びにきたりしていたけれど、ここ数年はすっかり地元が好きすぎて離れることなく、むしろ「星と花」で引きこもっていたから、久しぶりの都会の喧騒に体がついていかない。
なるべく人と接触しないように気をつけながら建物の壁に身を寄せて、春一に助けを求める電話をかけた。発信音が何度も繰り返し鳴っているのに、春一は一向に出る気配がない。ガックリと肩を落として壁に寄りかかった。
しばらくそうしていると、人ごみの中から名前を呼ぶ声が聞こえた。
「なずな!」
声のする方に振り返ると、走って近づいてくる見慣れた顔。
「春一ぃ……」
あたしは思わず込み上げて来た涙を必死に堪えて、目の前まで来た春一に周りの目も気にせずしがみついた。
「何やってんだよ」
半分呆れたような優しい言葉でコツンと額を突かれるから、あたしは「だって……」と、情けなくなって春一からすぐに離れた。手にしていた荷物を持ってくれて、春一はもう片方の手を差し出す。
「ほら、行くぞ!」
「え⁉……ど、どこに?」
驚いて聞くと、春一はまたしても目を細めて呆れた顔をしてから、グイッとあたしの手を掴み歩き出す。
「俺のマンション。部屋余ってるから、使えばいーじゃん」
「え‼ いいの⁉」
「別にいいよ」
本当は、少しだけ期待していた。春一に、部屋の片隅にでもいいから置いてもらえないかなと。だから、そんな甘い考えを抱きながらやってきたあたしにとって、春一の言葉はかなり嬉しい。
しかし、たどり着いた先の光景に、あたしは開いた口が閉まらない状態でいた。
今置かれている状況が、余りに理解しがたくてそうなっているのだが……
ピッ。機械的な音がして、春一がカードキーを通し部屋番号を入力する。丁寧に磨かれて自分の姿がくっきりと映るくらいにピカピカのガラスドアの前に立つと、ドアは自動的に開いた。
「行くぞ」
「えっ……あ、う、うん」
玄関だというのに、家一つ分くらいありそうな敷地に、高い天井、床は高級そうなじゅうたん。まるでお城にでも来たかのような錯覚に陥る。それでも、あたしは足を一歩一歩進め、しっかりと春一について歩く。そして、またしても高級そうなドアの前で立ち止まった。
「ここ、俺んち」
カードキーをまたスッと通すと、鍵が開いて、中へと誘導される。
「ひっろ!!」
第一声で唖然として叫んだ。
「適当に奥の部屋使って。俺の部屋以外は自由に使っていいから」
「……春一って……スゴいね」
開いた口が閉まらないまま、荷物を下ろしてソファーの隅っこに座った。一人で住むには広すぎるその部屋は、シンプルで白と黒を基調にすっきりと片付いている。
「あ、広海のもんとかあったら、よけといて」
春一の口から出た名前に思い出す。
そっか。春一、一人じゃなかったんだ。ここは、春一が愛した広海さんとの空間。
って、そんな大事な場所にあたしってば転がり込んじゃって平気なのかな⁉
「ね、ねぇ! もし、広海さんが帰って来たらどーしよう?」
「どーもしねーよ。気使うなよ、あんまり。青さんちとおんなじようにしていいから。なずなは気心しれてんだし」
まぁ……確かにそうだけど。
それでも、気にしてしまう。
「俺、部屋に籠るけど、なずなは好きにやっていいから。これ鍵」
ゴールドのカードキーを渡されるから、そっと受け取ると、春一は部屋に入って行ってしまった。
「……ベストセラーって……凄い」
いまだに追いつかない思考に戸惑いながら呟き、とにかく千冬にメッセージを送った。
》東京に来たよ! まだ仕事はないけど、とりあえずは春一のところでお世話になることにした。って言っても、何もないから安心してね! 落ち着いたら、お見舞いに行くね!
「ヨシッと」
スマホをバックにしまってソファーの横に置くと、家の中を探検する気持ちで立ち上がって奥の部屋に行ってみた。
ドアを開けてすぐに目に飛び込んできたのは、ピンクのカーテンにレースのテーブルクロスやソファー。ふわっと甘い香りが鼻をくすぐる。この部屋って、もしかして。
「……広海さんの痕跡がありすぎるんだけど」
部屋の中まで入るのはやめて、すぐにドアを閉めた。
「い、居づらい……」
広海さんがいつ帰ってくるのかと思うと、誤解されそうで怖い。どんな人なのかも分からないし、勝手に部屋の中を見てしまったことを、心の中で「すみませんすみません、何も見ていませんっ」と、土下座をする勢いで謝った。
気を取り直して、広海さんの部屋の向かいの小さなドアが気になり開けてみた。
そこは一変、ガランとして何もない部屋だった。だけど、開けてすぐに気が付いたのは、部屋の角に一つだけ置かれた、見覚えのある棚。
「これって……」
ゆっくり近づいていくと、やっぱり見覚えがありすぎる棚は、青ちゃんのお店にあったあたしが気に入っていた棚にそっくりだった。
「これ……春一が買ったんだぁ……」
そっと棚に触れてみる。キラキラと輝くラインストーンや立体的な配列のいろんな石が装飾されていて綺麗だ。
誰か知らない人に買われていったんだとばかり思っていた。
「……やっぱり可愛いな」
青ちゃんのセンスに惚れ惚れしていると、ピンポーンと部屋中に響き渡るインターフォンの音。慌ててリビングに戻ってみるけれど、春一が部屋から出てくる様子はない。
誰か来たんだけどな。よっぽど小説を書くのに夢中なんだろうか。そう思って、壁に備え付けてあるドアフォンに代わりに出ることにした。
「こんにちわー! 原稿貰いに来ましたー」
「……原稿?」
もしかして、仕事の方かな。一向に出てくる気配のない春一の代わりに、玄関に行ってドアを開けた。
「あれっ? ハルイチさんは……」
玄関先に立っていたのは、あたしと同じくらいの背丈の眼鏡をかけたサラリーマン風の男性だった。
「すみません、春一、部屋から出てこなくて……」
あたしが代わりに謝ると、男の人はものすごく驚いた顔をしている。とりあえず春一がいないことには始まらないのだけれど。困ってしまっていると「お邪魔しますね」と、男が止める間もなく家の中に上がり込んでいく。慣れた様子で持っていたカバンを下ろし、テーブルにパソコンを開いた。
たぶん春一の関係者なんだろうけど、勝手が分からずにお茶も出せない。とりあえず助けを求めるために春一の部屋をノックしてみた。
「春一ぃ、なんかお客さん来たんだけど」
あたしが呼んでも出てくる気配がない。
「あぁ、ダメですよ。ハルイチさんはヘッドフォンしながら執筆してるので、周りの音をシャットアウトしてるんです。なのでこれで」
男はスッとポケットから鍵を取り出すと、ドアの鍵穴へと差し込んだ。
「この先は私一人で行かせていただきますので、お待ちください」
「え? ちょっ……」
止めようとするのも聞かずに、男は素早くドアを開けてすぐ様閉めた。一瞬だけ中が見えたように感じたが、良く分からない。仕方なく、リビングに戻ってソファーにうなだれた。慣れない場所は何だか疲れる。
数分後、再びドアがガチャリと開かれて、うとうとしてしまっていた眠気が吹き飛び、振り返った。
「いやぁ~、ハルイチさんの小さい頃からのお友達とは知らずに、何だか失礼な態度をしてしまってすみません」
さっきとは変わって、にこやかに照れ笑いをするさっきの男が春一と共に出てきた。
「しかも、今度の新作のイラストまで手掛けてくださるそうで! ありがとうございます!」
とても嬉しそうに男は近づいてきて目の前に立つと、深々とお辞儀をした。
「私、ハルイチさんの担当をさせていただいております、沢田と申します。宜しくお願い致します」
丁寧に挨拶をされて名刺を差し出されるから、慌てて姿勢を正して受け取った。
「あ、新堂なずなと申します」
「わぁ、可愛いお名前ですね」
沢田さんは人懐こく微笑んだ。馴れ馴れしい……と言うか、気さくな方だ。
「っていうか、あたしが絵を描く事に決定なの? ほんとにいいの?」
振り返って、春一に確かめる。だって、春一は多くの人に認められた小説家で、あたしなんかの遊び程度の絵で、小説の価値を下げたりしてしまわないか不安に思ってしまう。
「なずながいーんだよ」
「……え?」
「沢田さん、後説明してもらえますか」
「はい。分かりました」
春一はそう言って、また部屋へと戻ってしまった。沢田さんと二人きりになってしまい、なんだか緊張してしまう。姿勢を正してソファーに座り直した。テーブルを挟んで向かい側に沢田さんが座り、封筒から紙の束を取りだして差し出された。
「これが、前回分のハルイチさんが書き終えた原稿です」
真新しい綺麗なままの原稿を目の前に、何か特別な宝物を見せてもらっているかのように、胸が高鳴った。
「この、作品の表紙に、なずなさんのイラストが入ります」
「え……」
「原稿はまだ完成していないんです。ハルイチさんの希望で、次の小説は連載形式にしてほしいとの事で。これからなずなさんと一緒に作り上げて行きたいとおっしゃっていました」
「あたしと……一緒に……?」
沢田さんの表情はとても穏やかで、あたしは思わず涙が出そうになった。手にした書きかけの原稿に視線を落とす。一枚目を読んで、それだけで目頭が熱くなってきて、涙で文字が滲んでしまった。
『星と花』
原作・ハルイチ 絵 ・ナズナ
僕たちが出逢ったのは、僕たちが出逢えたのは、
かけがえのない、大切な宝物で
キラキラと輝く“奇跡”なんじゃないかなって、思うんだ。
「……なずなさん?」
「……っ……ありがとうございます。あたし、頑張って絵、描きます。描かせてください」
泣いてしまったのをごまかすように精一杯笑って、沢田さんに頭を下げた。優しく微笑んで、沢田さんはあたしにティッシュを差し出してくれるから、あたしは素直に受け取って思い切り鼻をかんだ。止まらなくなった涙は嬉し涙だ。あたしのやりたいことが、好きなことが、春一の物語と一緒になる。物語はきっと、千冬や光夜くんのことを綴っていくんだろう。
「星と花」は、千冬にとって大切な大切な宝物になるんだろう。春一が千冬の為に、あたしや光夜くんの為に書いてくれる物語だから。
最後はハッピーエンドで終わるのかな? そうであってほしい。先の事は誰にも分からないけれど、あたしはきっと、どんな小説にも負けない素晴らしい作品になることを、心の何処かで確信していた。
高い建物を珍しげに見上げながら歩くあたしの周りには、何をそんなに急いでいるのかと思うほどに、機敏に歩く人、人、人!!
「む……無理だあたし」
流れに酔いそうになって、とうとう立ち止まりスマホを取りだした。
学生の頃は何度も遊びにきたりしていたけれど、ここ数年はすっかり地元が好きすぎて離れることなく、むしろ「星と花」で引きこもっていたから、久しぶりの都会の喧騒に体がついていかない。
なるべく人と接触しないように気をつけながら建物の壁に身を寄せて、春一に助けを求める電話をかけた。発信音が何度も繰り返し鳴っているのに、春一は一向に出る気配がない。ガックリと肩を落として壁に寄りかかった。
しばらくそうしていると、人ごみの中から名前を呼ぶ声が聞こえた。
「なずな!」
声のする方に振り返ると、走って近づいてくる見慣れた顔。
「春一ぃ……」
あたしは思わず込み上げて来た涙を必死に堪えて、目の前まで来た春一に周りの目も気にせずしがみついた。
「何やってんだよ」
半分呆れたような優しい言葉でコツンと額を突かれるから、あたしは「だって……」と、情けなくなって春一からすぐに離れた。手にしていた荷物を持ってくれて、春一はもう片方の手を差し出す。
「ほら、行くぞ!」
「え⁉……ど、どこに?」
驚いて聞くと、春一はまたしても目を細めて呆れた顔をしてから、グイッとあたしの手を掴み歩き出す。
「俺のマンション。部屋余ってるから、使えばいーじゃん」
「え‼ いいの⁉」
「別にいいよ」
本当は、少しだけ期待していた。春一に、部屋の片隅にでもいいから置いてもらえないかなと。だから、そんな甘い考えを抱きながらやってきたあたしにとって、春一の言葉はかなり嬉しい。
しかし、たどり着いた先の光景に、あたしは開いた口が閉まらない状態でいた。
今置かれている状況が、余りに理解しがたくてそうなっているのだが……
ピッ。機械的な音がして、春一がカードキーを通し部屋番号を入力する。丁寧に磨かれて自分の姿がくっきりと映るくらいにピカピカのガラスドアの前に立つと、ドアは自動的に開いた。
「行くぞ」
「えっ……あ、う、うん」
玄関だというのに、家一つ分くらいありそうな敷地に、高い天井、床は高級そうなじゅうたん。まるでお城にでも来たかのような錯覚に陥る。それでも、あたしは足を一歩一歩進め、しっかりと春一について歩く。そして、またしても高級そうなドアの前で立ち止まった。
「ここ、俺んち」
カードキーをまたスッと通すと、鍵が開いて、中へと誘導される。
「ひっろ!!」
第一声で唖然として叫んだ。
「適当に奥の部屋使って。俺の部屋以外は自由に使っていいから」
「……春一って……スゴいね」
開いた口が閉まらないまま、荷物を下ろしてソファーの隅っこに座った。一人で住むには広すぎるその部屋は、シンプルで白と黒を基調にすっきりと片付いている。
「あ、広海のもんとかあったら、よけといて」
春一の口から出た名前に思い出す。
そっか。春一、一人じゃなかったんだ。ここは、春一が愛した広海さんとの空間。
って、そんな大事な場所にあたしってば転がり込んじゃって平気なのかな⁉
「ね、ねぇ! もし、広海さんが帰って来たらどーしよう?」
「どーもしねーよ。気使うなよ、あんまり。青さんちとおんなじようにしていいから。なずなは気心しれてんだし」
まぁ……確かにそうだけど。
それでも、気にしてしまう。
「俺、部屋に籠るけど、なずなは好きにやっていいから。これ鍵」
ゴールドのカードキーを渡されるから、そっと受け取ると、春一は部屋に入って行ってしまった。
「……ベストセラーって……凄い」
いまだに追いつかない思考に戸惑いながら呟き、とにかく千冬にメッセージを送った。
》東京に来たよ! まだ仕事はないけど、とりあえずは春一のところでお世話になることにした。って言っても、何もないから安心してね! 落ち着いたら、お見舞いに行くね!
「ヨシッと」
スマホをバックにしまってソファーの横に置くと、家の中を探検する気持ちで立ち上がって奥の部屋に行ってみた。
ドアを開けてすぐに目に飛び込んできたのは、ピンクのカーテンにレースのテーブルクロスやソファー。ふわっと甘い香りが鼻をくすぐる。この部屋って、もしかして。
「……広海さんの痕跡がありすぎるんだけど」
部屋の中まで入るのはやめて、すぐにドアを閉めた。
「い、居づらい……」
広海さんがいつ帰ってくるのかと思うと、誤解されそうで怖い。どんな人なのかも分からないし、勝手に部屋の中を見てしまったことを、心の中で「すみませんすみません、何も見ていませんっ」と、土下座をする勢いで謝った。
気を取り直して、広海さんの部屋の向かいの小さなドアが気になり開けてみた。
そこは一変、ガランとして何もない部屋だった。だけど、開けてすぐに気が付いたのは、部屋の角に一つだけ置かれた、見覚えのある棚。
「これって……」
ゆっくり近づいていくと、やっぱり見覚えがありすぎる棚は、青ちゃんのお店にあったあたしが気に入っていた棚にそっくりだった。
「これ……春一が買ったんだぁ……」
そっと棚に触れてみる。キラキラと輝くラインストーンや立体的な配列のいろんな石が装飾されていて綺麗だ。
誰か知らない人に買われていったんだとばかり思っていた。
「……やっぱり可愛いな」
青ちゃんのセンスに惚れ惚れしていると、ピンポーンと部屋中に響き渡るインターフォンの音。慌ててリビングに戻ってみるけれど、春一が部屋から出てくる様子はない。
誰か来たんだけどな。よっぽど小説を書くのに夢中なんだろうか。そう思って、壁に備え付けてあるドアフォンに代わりに出ることにした。
「こんにちわー! 原稿貰いに来ましたー」
「……原稿?」
もしかして、仕事の方かな。一向に出てくる気配のない春一の代わりに、玄関に行ってドアを開けた。
「あれっ? ハルイチさんは……」
玄関先に立っていたのは、あたしと同じくらいの背丈の眼鏡をかけたサラリーマン風の男性だった。
「すみません、春一、部屋から出てこなくて……」
あたしが代わりに謝ると、男の人はものすごく驚いた顔をしている。とりあえず春一がいないことには始まらないのだけれど。困ってしまっていると「お邪魔しますね」と、男が止める間もなく家の中に上がり込んでいく。慣れた様子で持っていたカバンを下ろし、テーブルにパソコンを開いた。
たぶん春一の関係者なんだろうけど、勝手が分からずにお茶も出せない。とりあえず助けを求めるために春一の部屋をノックしてみた。
「春一ぃ、なんかお客さん来たんだけど」
あたしが呼んでも出てくる気配がない。
「あぁ、ダメですよ。ハルイチさんはヘッドフォンしながら執筆してるので、周りの音をシャットアウトしてるんです。なのでこれで」
男はスッとポケットから鍵を取り出すと、ドアの鍵穴へと差し込んだ。
「この先は私一人で行かせていただきますので、お待ちください」
「え? ちょっ……」
止めようとするのも聞かずに、男は素早くドアを開けてすぐ様閉めた。一瞬だけ中が見えたように感じたが、良く分からない。仕方なく、リビングに戻ってソファーにうなだれた。慣れない場所は何だか疲れる。
数分後、再びドアがガチャリと開かれて、うとうとしてしまっていた眠気が吹き飛び、振り返った。
「いやぁ~、ハルイチさんの小さい頃からのお友達とは知らずに、何だか失礼な態度をしてしまってすみません」
さっきとは変わって、にこやかに照れ笑いをするさっきの男が春一と共に出てきた。
「しかも、今度の新作のイラストまで手掛けてくださるそうで! ありがとうございます!」
とても嬉しそうに男は近づいてきて目の前に立つと、深々とお辞儀をした。
「私、ハルイチさんの担当をさせていただいております、沢田と申します。宜しくお願い致します」
丁寧に挨拶をされて名刺を差し出されるから、慌てて姿勢を正して受け取った。
「あ、新堂なずなと申します」
「わぁ、可愛いお名前ですね」
沢田さんは人懐こく微笑んだ。馴れ馴れしい……と言うか、気さくな方だ。
「っていうか、あたしが絵を描く事に決定なの? ほんとにいいの?」
振り返って、春一に確かめる。だって、春一は多くの人に認められた小説家で、あたしなんかの遊び程度の絵で、小説の価値を下げたりしてしまわないか不安に思ってしまう。
「なずながいーんだよ」
「……え?」
「沢田さん、後説明してもらえますか」
「はい。分かりました」
春一はそう言って、また部屋へと戻ってしまった。沢田さんと二人きりになってしまい、なんだか緊張してしまう。姿勢を正してソファーに座り直した。テーブルを挟んで向かい側に沢田さんが座り、封筒から紙の束を取りだして差し出された。
「これが、前回分のハルイチさんが書き終えた原稿です」
真新しい綺麗なままの原稿を目の前に、何か特別な宝物を見せてもらっているかのように、胸が高鳴った。
「この、作品の表紙に、なずなさんのイラストが入ります」
「え……」
「原稿はまだ完成していないんです。ハルイチさんの希望で、次の小説は連載形式にしてほしいとの事で。これからなずなさんと一緒に作り上げて行きたいとおっしゃっていました」
「あたしと……一緒に……?」
沢田さんの表情はとても穏やかで、あたしは思わず涙が出そうになった。手にした書きかけの原稿に視線を落とす。一枚目を読んで、それだけで目頭が熱くなってきて、涙で文字が滲んでしまった。
『星と花』
原作・ハルイチ 絵 ・ナズナ
僕たちが出逢ったのは、僕たちが出逢えたのは、
かけがえのない、大切な宝物で
キラキラと輝く“奇跡”なんじゃないかなって、思うんだ。
「……なずなさん?」
「……っ……ありがとうございます。あたし、頑張って絵、描きます。描かせてください」
泣いてしまったのをごまかすように精一杯笑って、沢田さんに頭を下げた。優しく微笑んで、沢田さんはあたしにティッシュを差し出してくれるから、あたしは素直に受け取って思い切り鼻をかんだ。止まらなくなった涙は嬉し涙だ。あたしのやりたいことが、好きなことが、春一の物語と一緒になる。物語はきっと、千冬や光夜くんのことを綴っていくんだろう。
「星と花」は、千冬にとって大切な大切な宝物になるんだろう。春一が千冬の為に、あたしや光夜くんの為に書いてくれる物語だから。
最後はハッピーエンドで終わるのかな? そうであってほしい。先の事は誰にも分からないけれど、あたしはきっと、どんな小説にも負けない素晴らしい作品になることを、心の何処かで確信していた。
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