星と花

佐々森りろ

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第十七章 千冬の想い

千冬の想い

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 目覚ましがいつもより一時間早く鳴る。すぐに布団から起き上がると、部屋を出てリビングへと進んだ。あたしの部屋は部屋と部屋の真ん中にあって、天井に明かりを取り込む窓があっても、外が見える窓がない。だから、リビングまで行き、広い窓から外の様子を伺った。
 どんよりとした雲が街の上に渦巻いていた。今日の天気は良くないらしい。

「おはよ。早いな」
「おはよう。うん、千冬のとこ行くから」

 すでに起きていたのか徹夜していたのか、春一はコーヒーをマグカップに注ぎながら眠たそうに言った。

「台風来てるって。ニュースで言ってた」
「え! そうなの?」

 春一がテレビの電源を入れるから、振り返って画面を見ると、日本列島に渦が近づいている映像が映っていた。

「……あんまり強く降らなきゃいいなぁ」

 もう一度空を眺めて呟くと、準備を始めた。
 外はまだ雨は降っていないけれど、湿った風が強く吹きつけてきた。東京に来てから慣れない事ばかりだけど、最近やっと一人でも人混みに戸惑うことなく出歩けられるようになってきていた。もうすっかり、体が病院までの道のりを覚えていて、あたしは雨が落ちてくる前に病院にたどり着いた。
 病室のドアをノックして開くと、いつもよりぎこちない笑顔の千冬がそこにいた。

「あ、なずなちゃん……おはようっ」
「おはよ。早くにごめんね」

 ドアを閉めて近づきながら言うと、千冬は首を横に振った。光夜くんが持ってきた花は、昨日春一が棚に置いたあの時のままの状態で一方に片寄っていた。とても、飾っているとは思えなかった。

「千冬、あのね、昨日の事……聞きたくて」

 責めるわけじゃないけれど、あんな風に大きな声をあげる千冬に不安になったから。

「あたし、千冬が光夜くんにあんな事言うなんて、信じられなかった。ね、千冬。なにか原因があるなら、話してほしいんだ」

 あたしは千冬の助けになりたいから。

「なずなちゃん……」
「あたし、光夜くんがどんなに千冬の事想ってるのか、知ってる。千冬との今までを話してくれて聞いていたから。悔しいけど、ものすごく大きいんだ」

 あたしなんかじゃ、足元にも及ばない。

「千冬が春一のことを好きなんだったら、それでもいい。けど、光夜くんにあんな態度をとるのは、可哀想だよ……」

 言いきってから千冬を見ると、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳であたしを見つめ返してきた。

「なずなちゃん……あたし、あの物語の中だけで素敵な恋愛が出来ればいいの。あたしは、現実では、恋は、しないよ……」

 キュッと両手を布団の上で握り、うつ向いた千冬は消えそうな声で呟いた。

「………出来ないよ」
「……千冬?」
「あたし、光夜くんの気持ち、受け止める自信がないの。だって……あたしは……」

 震える体を両腕で抱きしめるように包みながら、千冬は今までにない絶望に満ちた瞳で、ただ一点を見つめていた。

「いついなくなるか、わからないんだもん」

 スッと、冷たい何かがあたしの全身を通り抜ける。

「千冬……?」
「今日かもしれない。明日かもしれない。毎日夜が来ると眠れないの。朝が来て目覚めると、真っ先にここがどこか、ちゃんと生きているか、確認するの。毎日が……不安で……怖いの……」

 始めて見えた千冬の弱い部分に、あたしは何も言えなくなってしまった。

「日常がよく分からないし、みんなといると楽しいけど、楽しすぎるから、一人になった時に、物凄く孤独を感じる……だったら、最初から、みんなといない方がいいのかなって……思ったりもする」

 かける言葉も見つからずに、千冬の声をただただ聞いているしかできない。

「あ……ごめん……あたし……」

 きっと、落ち込んでいく気持ちが顔に出ていたのかもしれない。あたしを見て千冬は慌てて謝ると、布団を強く握り締めた。
 やりきれない思いが強くて、自分に対する苛立ちと病気に対する恐怖と、千冬の中はきっと、大きな不安が渦巻いているのかもしれない。目の前にいる千冬が、小さくて、脆くて、今にも消えてしまいそうに見えて、壊れてしまわないように、消えてしまわないように、握られた手にそっと触れた。

「千冬、千冬は一人ぼっちなんかじゃないんだよ」

 あたしの言葉に顔を伏せたまま、千冬の手がピクリと反応する。

「あたしは……あたし達は、千冬と一緒にいることがすごく楽しいの。千冬が病気でこんなに苦しんでいたなんて……あたし、ずっと気付いてあげれなかった。十年も、知らずにいてごめんね……ごめん……千冬っ……」

 言葉を並べているうちに感情が沸き上がってきてしまって、あたしは頬を流れる涙が止まらなくなった。だけど、それでも続けた。

「千冬、あたし達をもっと、頼っていいんだよ。苦しみは分かり合えないかもしれない、代わりになんてなれるわけない、だけど……もっと伝えてほしいよ。本当の千冬の想いを……」

 そうじゃなきゃ、千冬はずっと、我慢してばかりじゃないか。そんなの、苦しすぎるよ。
 最後は千冬にすがるように出た言葉で。溢れ出てきて止まらなくなった涙を押さえるのに精一杯だった。病室には、あたしのしゃくり泣く声だけが、響いている。

 外は予報通りに雨風が激しくなってきて、窓を打つ激しい雨音が、まるであたしの涙のように窓ガラスを濡らしていた。

「なずなちゃん……」

 しばらくすると、千冬の穏やかな声で名前を呼ばれた。ハッとして顔をあげると、目にいっぱい涙を溜め込んで、落とさないようにと、ゆっくり千冬が言葉を紡ぐ。

「……あたしね、明日が検査なの。すごく不安。もう、みんなにも会う自信がなくなって来てた。こんなあたしを、みんな鬱陶しく思わないのかなって。勝手に、思ってた……だって、みんな本当に、優しいからっ……」

 そこまで言うと、千冬はいきなり声を出して泣き始めた。溜め込んでいた涙は一気に溢れ出し、千冬の青白い頬を流れていく。次から次へと。泣きながらも、一生懸命に伝えてくれた千冬の言葉を、あたしはしっかりと受け止めた。

「……っ……ほんっとは……嬉しかった……の……」

 落ち着こうと深呼吸をする千冬に、あたしはそっと背中に手を当てて摩ってあげた。

「あた、し……光夜くんの気持ちに、ずっと気付いてた……それなのに。こんな、いついなくなるかも分からないあたしの事を好きになってくれるなんて……光夜くんに悪いと思って……だから、あたしは、絶対に叶わない架空の人物のハルイチが好きだって、嘘ついてた……」

 千冬は眉を思い切り下げて、困ったような表情でわざと笑っている。涙でぐじゃぐじゃで、向けられた笑顔はなんだか罪悪感を持っていて、あたしまで切なくなった。

「なずなちゃん、ごめんね……あたし、なずなちゃんに光夜くんと付き合ってもらえば、悲しむことないのかなって思って、そうなればいいなって、自分勝手に思ってた……」
「……じゃあ、千冬の好きな人って……」

 不安な気持ちが表情に出ないように戸惑うあたしに、千冬は本音をこぼしてくれた。

「……光夜くんがいてくれたから、あたし、ここまで頑張れたって、思ってる」

 やっぱり、千冬と光夜くんの絆はしっかりと繋がれていた。
 お互いに想い合えていたんだ。それなのに、自分の気持ちを押し殺して光夜くんのことを突き放そうとした千冬のことを思うと、胸が張り裂けそうに苦しくなる。

 しばらく、病室には外の嵐の強さが増していくのを知らせる様に、雨がガラス窓を叩きつける音だけが聞こえていた。

「……皆に、迷惑かけすぎてるね、あたし。こんな自分も、嫌なんだけど」

 苦笑いしてポツリと俯く千冬は、そばにあったタオルで目元を押さえて言った。
 次の瞬間、あたしは勢い良く椅子から立ち上がる。ガタッと言う音が、やけに大きく部屋の中に響いた。

「な、なずなちゃん?」

 驚いて顔を上げた千冬の赤くなった目が、まんまるに見開く。

「千冬‼︎ 光夜くんにその想い伝えて! じゃなきゃ……じゃなきゃさ、四人で楽しくショッピングもランチも、おしゃべりだって出来なくなっちゃう! あたし、そんなの嫌だからねっ‼︎」

 息継ぎもしないまま勢いよく言い切ったあたしは、吐き出した酸素を取り戻すように呼吸を整えつつ、また静かに椅子に座り直した。

「なずなちゃん……」
「あたし、光夜くんのことは友達にしか思ってないよっ。だって、光夜くん、千冬のことしか見てないし、千冬にゾッコンだもん!」
「……ゾッコン……って……?」
「なんかよく分かんないけど、青ちゃんがいつも〝俺はあげはにゾッコンだからな〟って言ってるのを、思い出したの!」

 出かける前とか少しの間離れる時とか、青ちゃんがよく言っているのを急に思い出した。あれはきっと、姉のことがめちゃくちゃ大好きって意味なんだと思う。だから、きっと光夜くんもそうなんだと思って、思わず口から出てしまったんだ。
 千冬が驚いた顔をしているから、二人で目が合うと、プッと吹き出してしまった。
 それまでの重たい空気が、プツリと切れたように明るい笑い声が病室に響いた。
 
「……光夜くん……怒ってないかな?」

 千冬が不安そうに言うから、あたしは笑って頷いた。

「大丈夫! 怒ってはないでしょ。めっちゃくちゃ落ち込んではいそうだけどね~」

 からかうように言うと、千冬は先ほどとは違って血色を取り戻したピンク色の頬を膨らませた。そして、照れたように微笑んでくれた。

 千冬の本当の気持ち、聞けて良かった。
 あのまま放っておいたら、きっとあたし達は、バラバラになっちゃう所だったよね?

 千冬のラブストーリーは、春一の思惑通りに、上手く進んでいったよ。

 千冬、千冬は幸せだったかな?

 あたしや、春一、光夜くんといた、わずかな日々……
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