星と花

佐々森りろ

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第十八章 失恋

失恋

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 千冬の検査は明日。窓から見える景色は真っ黒な空から相変わらずに激しい雨粒がシャワーのように降り注いでいる。そんな外の嵐とは反対に、あたしはしばらく千冬とのおしゃべりを楽しんでいた。

「あ、そーいえば、お花! 春一ってば、適当なんだから」

 思い出すように視界に入った花瓶の前に行って、薔薇2本とカスミソウをバランスよくこちらに向くように飾った。

「春一くんって、なんかすごいよね。あたしの中で彼は……ヒーローなんだっ」

 千冬が後ろで嬉しそうに言うから、あたしは直ぐに振り返った。

「え? やっぱり千冬、春一が好きなの⁉︎」
「え⁉︎ あ、違う違う! あたしはヒロインにはなれませんっ。憧れの人って事! いつもあたしに、嬉しい言葉や行動をくれるから」

 千冬は微笑んで、花瓶を指差した。

「そのお花も、きっとあたしが寂しくないようにって事だと思うの」

 あたしは花瓶の花を見て、春一のことを思い出す。
『これは、俺と春一となずなだよ』
 光夜くんがそう言っていたけど、お花を選んで用意したのは春一だと思った。

「春一は、ヒーロー……かぁ。確かに」

 頷いて納得すると、千冬と目を合わせて微笑んだ。

「春一ってさ、なんか大人なんだよね。久しぶりに会った瞬間は、全然変わらないって思ったけど、やっぱりあたしの知らない五年間があるわけだし……」

 あたしはピンクの薔薇を見つめて思い返す。春一が青ちゃんの家に来た時のことや、小説のこと、そして、春一がたった一人、愛していた広海さんのこと。

「……もしかして、なずなちゃん」
「え?」
「ううん、何でもない」
「何それっ! 気になるんだけど、なに? 千冬」

 何かを言いかけて、言うのをやめた千冬にあたしは詰め寄る。

「いーのいーの! 気にしないで」

 笑ってごまかす千冬に、あたしは気になりつつも問い詰めるのをやめて聞いた。

「明日、検査早いの?」
「ん、確か午後からだよ」
「そっか。光夜くんにメールするんだよ、千冬。パワーもらわないと!」

 念を押すように、あたしは千冬の目の前にスマホをちらつかせた。

「……あれ? なんか通知来てるよ?」

 千冬はあたしのスマホの画面に視線を止めて指差す。

「ほんとだ。メッセージだね」

 誰からだろうと見てみると、春一からメッセージが届いていた。

 》まだ千冬んとこか?
 さっき、光夜からメールが来て、明後日から一週間くらい北海道まで写真撮影に行くらしい。アゲハさんについてくらしいよ。多分、なずなや千冬には言ってないと思ったから、一応教えとく。

 春一からのメッセージにどう返信しようかと悩んでしまう。だけど、目の前で「何だろう?」と素知らぬ顔でこちらを伺う千冬には、教えてあげないといけない気がした。

「光夜くん、明後日から北海道だって!」

 あたしの勢いに目をぱちくりさせた後に、千冬は少し考える風なポーズをとった。

「じゃあ、ラベンダー買ってきてもらっちゃお!」
「へ⁉︎」

 満面の笑みで笑う千冬に、あたしは脱力してしまった。
 
「あたし、検査頑張る! 光夜くんが戻って来た時に、びっくりするくらいに、元気になる! だから、想いは光夜くんがラベンダーを買ってきてくれたら伝えるよ」

 目の前の千冬は、目を疑うようなくらいに希望に満ちていて、あたしの方が圧倒されてしまっていた。どうして、千冬はこんなに強いんだろうって。

「メッセージ、送ってみるね」

 にっこり笑って、千冬は自分のスマホを手に取り、早速メッセージを入力し始めた。

「千冬……」
「ん~?」
「……頑張ってね」

 検査を乗り越えて、また、あたし達と海に行けるように。体のことを気にしないで遊べるように、十年越しのこの友情が、いつまでも続きますように……

「うん、ありがとう」

 微笑む千冬に、あたしも微笑んだ。

「あたしもね、お母さんと喧嘩しちゃってるから、今度ちゃんと話してみる」
「え! 喧嘩してるの⁉︎ なにか……あったの?」

 少し聞きづらそうにそっと聞いてくるから、あたしは困った様に笑った。

「あたしが意地張って怒っちゃっただけなんだ」

 あたしからみんな離れて行ってしまうんだって、あの時は寂しくなってしまったから。

「……なずなちゃんも、頑張ってね」
「……え」
「なずなちゃんなら、ちゃんと素直になれるはずだよ。だから、仲直り、頑張ってね」

 微笑む千冬は、十年経っても変わらずに優しくて心強くて、湧き上がってきそうになる涙をグッと堪えてあたしは笑顔に変えた。

 話に夢中になっていたら、いつの間にか外は穏やかになっているのに気が付いた。

「あれっ? 千冬! 外……」

 空には灰色の雲に混じって、明るい白と青色が所々覗いていた。

「台風……行っちゃった?」
「……のかなぁ?」

 驚いてあたしは窓際に立ち、外を見渡す。

「……あ……」

 見下ろした地上、雨上りの水溜まり。車の水滴に反射する太陽の光。そして、見覚えあるシルエットが目に入ってきた。

「……なずなちゃん……」

 千冬が声を振るわせてあたしの名前を呼ぶから、慌て振り返った。千冬がスマホを握りしめて、困ったような顔を向けてくる。

「……光夜、くん。今、病院に来てるって……」

 やっぱり。見覚えあるシルエットは、光夜くんだった。
 千冬は「どうしよう……」と、いつになく弱気におろおろと焦っている。そうこうしているうちに、光夜くんはここへ向かっているはずだ。
 あたしは、千冬の肩にそっと手を置くと、微笑んだ。

「千冬、さっきあたしに伝えてくれたみたいに、ちゃんと光夜くんに伝えるんだよ。千冬の本当の気持ち」

 ねっと言って、あたしはバックを手にして、千冬に手振る。

「また来るからね」
「ちょっ! なずなちゃーん」

 千冬に引き止められるけれど、お構いなしにあたしは病室を出た。
 エレベーターのある方向とは逆に歩き出す。廊下の陰に隠れるようにして壁によりかかると、聞こえてきた足音が徐々に近づいてくる。あたしは振り向くのを懸命に我慢した。やがて、その足音は千冬の病室の前で止まり、ドアを静かに開けて、中へと入って行った。
 立ち聞きしてしまうのは悪いとは思いつつ、あたしは千冬に頑張って欲しくて、病室前に戻った。すぐに、光夜くんの戸惑うような低い声が聞こえてきた。

「千冬。突然、ごめんな……明後日から、北海道に行くんだ。検査の日いつかわかんねぇけど、たぶんいないから、それだけ、伝えたくて」

 何も千冬の返事が返ってこないから、あたしは焦ってしまいつつも、じっと我慢する。きっと、千冬にも勇気がいることだから、頑張ってほしい。あたしは祈るように胸の前で手を組む。

「……じゃあ、それだけだから」
「ま……まっ……て! 光夜くん……ごめんなさい。あたし、ずっと光夜くんに側にいてもらっていたのに、あんなヒドイこと言って、ごめんなさい……」
「……千冬?」
「……検査、明日なの」
「え?」
「あたし光夜くんなしじゃ、今まで頑張ってこれなかった。光夜くんがいたから、頑張れたんだよ……だから……だから……これからも、側にいっ……」

 あたしまで胸が苦しくなる。千冬の勇気が光夜くんに届いてほしいと願った瞬間、途切れた千冬の言葉。驚いたように光夜くんの名前を呼んだ千冬の声が、くぐもって聞こえた。

「いるから、ずっと、俺は千冬の側にいるから」

 力強い光夜くんの言葉を聞いて、あたしはほっとして組んでいた手にこめていた力を緩めて、顔をあげた。

 突き当たりの窓から、外が見える。虹色が視界に入った気がして近づいていくと、ビルとビルの間を通りながら架かる、綺麗な虹があった。端と端は全然見えなくて、いつも青ちゃんちから見ていた虹よりもずっとずっと小さくて。向こう端が見えなくて、不安で、なんだか少しだけ、心にぽっかり穴が空いた様な気になった。
 千冬も光夜くんも、ちゃんと想いを伝え合えた。もう心配いらない。そう思うと、無性に泣きたくなってくる。

 本当は、喜ばなきゃいけないのに。本当は、祝福してあげなきゃいけないのに……どうしても、あたしの気持ちは、あの虹の様に、終わり端が見えないまま、きっと静かに消えて行く。知らずに抱いていた恋心は、意外と大きかったことに気がついた。だけどもう、この想いは、あとは綺麗に消してしまうしかない。

✳︎
 午後からマーメイドに来るように言われていたあたしは、病院を出てすぐに向かった。約束の時間どころか、お昼よりも前に着いてしまった。入り口の木のドアを静かに開けると、穏やかな風と香ばしいパンの香りが吹き抜ける。

「こんにちわ」
「あらっ! なずなちゃん? 早かったわね~」

 カウンターで作業をしていた由花さんが、すぐにあたしに気が付いて近づいてきた。

「すみません、早く着いちゃいました……」

 はははっと笑って、あたしは中に入った。

「ちょうどお昼にしようと思っていたのよ。あたし一人じゃ寂しいから、良かったら一緒に食べて!」

 そう言いながら、あたしを椅子へと誘導して、あっという間にテーブルには美味しそうなパンやハンバーグや鮮やかな野菜サラダ、フルーツジュースが並んだ。

「わぁ……」

 思わず感動の声を上げた。目の前に由花さんが座ると、由花さんはあたしを見つめてきた。

「……なずなちゃん、悲しい事でもあったの?」

 困った様な表情をして、由花さんはあたしに首をかしげて聞いてきた。

「あ……えっと……」

 さっき泣いたから、まだ目が腫れていたのかもしれない。トイレでさっとメイクは直したつもりだったけど。気がつかれてしまった。あたしも、誰かに聞いてほしいと思っていたのかもしれない。

「失恋……しちゃったんです」

 わざと明るく笑って見せると、由花さんは目を見開いた後で、お皿に乗ったプチトマトのヘタの部分を掴むと、目の前にマイクみたいに差し出してきた。

「良い恋だった?」
「え?」

 真面目な顔で聞かれて、あたしは一瞬戸惑った後で、なんだか胸の重りがゆっくりと降りていくのを感じながら答えた。

「はいっ、とても」

 満面の笑みで返事をすると、真面目な顔を緩めて、由花さんは優しく微笑む。そして、ヘタを外してプチトマトを自分の口にポイッと放り込んだ。

「良かった。きっと素敵な人を好きになったのね?」
「はい」
「じゃあ、次に好きになる人は、もっともっと素敵な人よ!」
「ほんとですか⁉︎」
「そうよ!」

 由花さんの言葉には、根拠はないんだけど、なんだか今のあたしには、すごく温かい言葉で、本当にそうだったらいいなぁと、思えた。

「オープンの日が決まったんだけど、それまでにいろいろと準備があるから、なずなちゃん一週間くらい続けて手伝ってもらってもいい?」
「はいっ、もちろんです。オープンっていつですか?」
「来月からよ。大変だろうけど、宜しくお願いします」

 ペコリと頭を下げる由花さんにあたしも頭を下げる。街中マーメイドのオープンは、千冬の検査の結果も出て、落ち着いた頃だろう。けど、その前にオープン準備があるから、ちょっと忙しくなるなぁ。
 千冬には、光夜くんがいる。大丈夫。検査も何の問題もなく終わるはずだよ。
 千冬の検査が明日だって、帰ってから春一に伝えないと。そして、千冬が光夜くんにちゃんと本当の気持ちを伝えたことも。
 春一は喜ぶんだろうな。あたしも、素直に「良かったよね」って、笑えるように、帰り道、笑顔の練習をたくさんした。
 すっかり日も沈んで春一のマンションに着くと、ドアを開けた瞬間にいい香りが漂ってきて、あたしのお腹は正直に鳴った。

「春一ぃ、ただいま~!」

 元気よくリビングに向かうと、春一が笑顔で待っていてくれた。

「おかえり」

 こんな生活にも慣れてきて、何だか悪くない。春一といるのは、安心するの。居心地が、すごくいいんだ。だから、あたしは笑顔で居られる。
 だからね、今日の失恋話もきっと、笑って話せるよ。

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