こじらせΩのふつうの婚活

深山恐竜

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1話

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「だって私はΩなんだもん」 

 
 これが俺——宮間裕貴を産んだ男Ωの口癖だった。言葉は運命になるという偉人の言葉通り、まさにこの人はΩらしい運命の人生を送った。 

 彼は高校卒業と同時に鬼才と呼ばれたαに嫁いだ。2人は運命の糸で結ばれていたらしく、αはΩを溺愛した。しかし、俺が生まれてすぐにαは交通事故で死んでしまい、何もできないΩが残されてしまった。 

 
「私はΩだから、ひとりで生きられないよ」 

 仏壇の前で、彼は無気力に座り込んでいた。俺はその背中を見て育った。骨ばって、猫背で、線の細い背中だ。 

 俺が小学校に入学したときも、テストで100点をとったときも、中学受験に合格したときも、彼は俺に背中を向けていた。 

 幸か不幸か、家にはαが残した金があった。祖父母がお手伝いさんを雇ってくれたおかげで、日常生活に支障はなかった。俺は清潔な服を着て、温かい食事を食べて、それなりの教育を受けることができた。ただ一点、親の愛情というものだけは与えられなかった。 

 

 そんな親が、一度だけ俺の方を向いたことがあった。 

 それは俺が中学3年生のとき、バース検査で「Ω」と判明したときのことだ。 

 俺は自分がΩであることに動揺して、親の背中に話しかけた。「大丈夫だよ」という言葉を期待したのかもしれない。もうずっと会話がなかったとはいえ、家族であることに違いはないのだから。 

しかし、彼は少し考えたあと「じゃあ、悠貴もαにかわいがってもらえるね」と言った。 

 

「え?」 

 

 驚く俺を置いて、彼は寝室へ行き、そして何かを片手に戻ってきた。 

「いいものがあるよ」 

 そう言って、白いレースの布を渡された。広げてみると、女が穿くような下着だった。 

「なんだよ、これ」 

「昔もらったけど、これは着なかったんだ。いっぱい似たようなのを持っていたから。Ωはかわいくしとかないとね。いつヒートがくるかわからないし。いいなあ、これからαに可愛がってもらえるなんて、うらやましい」 

 --この言葉に、ぞっとした。 

 

 俺は俺の運命を呪った。αに可愛がられて、そのまま何もできない大人になって、取り残されれば無為に生きるだけの存在。それが俺の知るΩで、俺がこれからそうなっていくことが耐えられなかった。 

 親に渡された白い下着は、俺の中で強いショックとともに記憶に刻まれた。 

 若い俺は、この白いレースに憤怒の感情を覚えたのだった。 

 

 

* 

 

 

「普通のΩでいいんだよ、普通の」 

 ラーメンを啜っていた俺の耳にこんな会話が聞こえてきた。 

「そろそろ見合いを始めようと思っているんだ。どこかに普通のΩがいたら紹介してくれ」 

「見合い? へぇ。お前、恋愛結婚するって豪語していたのに?」 

「気が変わった。恋愛なんて、この社内では絶望的だろ。仕事をしているΩなんてα勝りな奴ばかりだからな」 

「ほんと、ろくでもない時代になったよ」 

 

 昼時、台湾フェアを開催中の社員食堂にはいつもよりスパイシーな香りがただよっていた。食堂にはいろいろな部署の人間、正社員も派遣社員も、出入りの業者も入り混じってひとときの休息を得ている。 

 

 2人のαらしい人物は、まわりにも聞こえる声でさらに続ける。 

「Ωに仕事なんて、無理だろ」 

「だから言っているだろ、仕事しているΩはΩじゃない」 

 男たちは営業課を示す緑のラインが入った社員証を首に下げていた。 

 

 俺はうんざりした気持ちで最後のひとくちを飲み込むと、トレーを片手に席を立った。そして大股で男たちのところへ近づくと、スマホをとりだして録画ボタンを押した。社員証と顔を記録するためだ。 

 

「な、なんだ、お前」 

 俺は食堂中に響く大きな声でこう言った。 

「差別主義者がいるって、人事部に通報しときます!」 

 俺の怒声を聞いて、食堂中の人間は一斉に俺に注目した。男たちは目を白黒させて、ばつの悪そうな顔をした。 

 少しの静寂のあと、周りからひそひそと話す声が聞こえた。「例の変わり者のΩだ」「ああ、広報部のね」その声がひとつではなかったので、俺に向かう好奇の声は渦になって俺の鼓膜を打った。 

 俺はその渦を背中に受けながら食堂を出た。 

 肩をいからせて、足音を立てて。 

 俺が抱く感情はただひとつ。「怒り」だ。俺はずっと怒り続けている。Ωのおかれている理不尽な状況に、腹を立てている。 

 

 

* 

 

 

 午後に自分のデスクで人事部にメールを打っていると、耳元に息を吹き掛けられた。 

「うわあ!」 

俺は思わず悲鳴をあげて、それから耳を押さえて振り返ると、人事部の課長が書類片手に立っていた。 

「高梨課長! セクハラですよ!」 

 俺は顔がほてるのを必死に誤魔化して指摘する。この高梨課長——αはいつも距離が近い。肩肘を張って生きている俺でも、Ωの常としてときめいてしまうときがある。 

高梨課長は実にαらしく、優秀な頭脳と魅惑的な外見をもっているし、何より俺の主義主張に一定の理解をしてくれている。ときめかない方がおかしいが、俺の生き方の都合上、そうもいっていられない。 

 

 俺の心中を知らず、彼はニヤっと悪い笑顔を浮かべた。 

「社員食堂のこと、聞いたぞ。また喧嘩したらしいじゃないか」 

 俺は肩をすくめる。 

「喧嘩だなんて……俺はただ、『抗議する義務』を果たしただけですよ」 

「中谷宇吉郎の本まで読むのか。お勉強は結構だが、少しは波風立てない方法を学んでくれ」 

 課長は俺が引き合いに出した偉人の名前を的確に当てると、ぽん、と丸めた書類で俺の頭を叩いた。俺は叩かれた箇所を撫でて「暴行罪ですよ」とつぶやいた。 

 

 Ωの社会進出が本格化してから5年。αを無意識に誘惑して乱してしまうΩの採用には反対する意見が根強い。 

ネット上ではΩと他のバースの対立構造を煽り立てるような記事が並び、働くΩのことを「ヒメガ」と「姫のように扱ってもらって仕事をするΩ」の意味をもつ蔑称で呼ぶことも広がった。 

現に俺も、Ωであるという理由で優遇を受けた。俺が広報部において、28歳で主任になれたのは、間違いなく「Ωを出世させる新しい会社」というPRをしたい会社広報の思惑がある。 

だから、社内では俺に対して風当たりが強い。 

俺は社会進出を果たしたΩとして、あとに続く後輩たちのためにこれらのすべてに抗議しなければならない。 

 

「俺以外に抗議する人がいないんです。みんな怖がっている」 

 俺の言葉に、高梨さんは頷いた。Ωをいちはやく採用したこの会社には、もうすでに20名近いΩがいるが、その多くは不平等や差別に対して沈黙を貫いている。俺はそれは逃げだと思っていた。 

 俺の義憤を高梨さんはよく理解してくれている。こうして人目に付く場所で俺を叱ることで、俺が職場に馴染めるように頑張ってくれている。 

 それはわかる。理解している。しかし、理解と納得は別の感情だ。 

 

「一朝一夕では無理だ。気長に行こう」 

 高梨さんは背中を俺の背中を叩く。やさしい手つきだ。その手に反して、俺の腹の中のマグマは熱をもったままだ。 

 ——なら、いつまでだ。俺はいつまで戦えばいい?  

 喉まで出かけた言葉を飲み込む。その答えは出ている。「いつまででも」だ。 

俺は高梨さんの言葉に頷いた。 

 

 「偏見」「差別」「好奇」「誤解」「誹謗中傷」これが俺を取り巻くものだ。入社して5年、俺がどれほどの成果をあげようとも、どれだけ仕事を覚えても、俺の評価には「Ωである」という事実がつきまとう。 

 俺がΩと判明した日から始まった俺の戦いは、今もなんら戦況に変化がないまま続いている。つまり、——劣勢だ。 

 

 

* 

 

 

 俺がこの会社に入社できたのは、高梨課長の存在が大きい。 

 バース雇用均等法が施行された一年目、多くの企業はΩの採用を見送る方針だった。俺が入社した駆瀬総合商社も採用については慎重論があった。 

 俺が駆瀬総合商社にESを送ったとき、俺はすでに20社に不採用になっていた。俺は普通の方法では内定を勝ち取れないことをさすがに察していた。 

 こんなときの対策方法を、俺はすでに学んでいた。ようするに、直訴と奇襲だ。 

 俺は駆瀬総合商社社長の出勤を待ち伏せした。 

 

「私はΩですが、御社で働きたいと思っています! 面接をお願いします!」 

 俺の直訴を、社長は目を丸くして眺めていた。駆瀬総合商社の社長はすでに御年70歳で、すでに第一線は退いていたらしいのだが、俺はそんなことは知らなかった。 

 ただ闇雲にがむしゃらだった。やれることは全部やりたかった。 

 社長はちょうど送迎の車から降りて社屋に入ろうとするところだった。ここは会社の敷地内であり、俺は立派な不法侵入をしていた。 

 社長はちょっと首を傾げたあと、駆けつけてきた警備員を目線で制すと、俺を社長室へと招いた。 

 

「座りたまえ」 

「はい」 

 通された社長室は一面ガラス張りで、絨毯もふわふわで、俺はますます緊張した。警備員にすぐにつまみ出されると思っていたこともあり、これは想定外だった。 

 示されたソファに座ると、尻がぐっと沈み込んで、そのまま倒れてしまいそうだった。 

「いま、人事部の人間を寄越す。飲み物はコーヒーでいいかね?」 

 社長は穏やかに俺に対応してくれた。ここにきて、急に仕事の邪魔をして申し訳ないという気持ちが沸き上がった。 

「あの、お忙しいところお邪魔をして……」 

「まったくだ。だが、面白いものを見せてもらった」 

 老爺は歯を出して笑う。かっかっか、という老人特有の笑い声だ。 

「時代は変わる。否応なく。なら、後ろをついていくよりも先頭で流された方が面白いに決まっている」 

 彼はそう言って、目をつむった。目じりには深いしわが刻まれていて、彼の生きてきた年月の長さを思わせた。 

 秘書が静かにコーヒーを持ってきた。俺はそれに手がつけられなかった。湯気がゆっくりと立ち上って消えていくのをただ眺めた。 

 

 沈黙が落ちた社長室にノックの音が響いた。 

「社長、和仁です」 

「入れ」 

 やってきた男は、俺に対して丁寧に名刺を差し出し、腰を折った。切れ長の目と、その下のほくろが特徴的な長身の男だった。名刺には高梨和仁とある。肩書は人事部の課長のようだった。 

 

 彼は俺を見て、少し目を見開いたあと、にっと笑った。 

「君の話を聞かせてもらいに来たよ」 

「あの」 

 俺がどういうことかを尋ねるより前に、社長が答えた。 

「採用面接だ。儂はもう隠居の身。ぜんぶ若い者たちに任せておる」 

 俺は背筋を伸ばした。 

 

 俺はこの面接のために賭けてきたのだ。たった20分間、しかし永遠にも思える時間、俺はすべてを出し切った。 

 質問が終わったあと、高梨課長は「合格でいいと思いますよ」と言った。 

 ——合格。 

 喉から手が出るほど欲しかった言葉だ。俺は思わず震えた。 

 

 高梨課長は机をとん、と叩いて注意を促した。 

「問題は、発情期の対策です。政府の方針によると、採用するΩはすでに番を得ている、または発情期がないことを2名以上の医師によって証明されているΩを優先するとされています」 

「ふむ」 

 社長はただコーヒーをひとくち飲んだだけだった。 

高梨課長が続ける。 

「宮間くん、君はそのへんはどうなんだい?」 

「はい、クリアしています!」 

 立ち上がって、俺は用意していた書類を高梨課長に渡した。 

「診断書です。俺、ヒートがきたことがないんです。ホルモンが人より少なくて」 

 俺はΩでありながら、まだ体はΩになりきっていなかった。 

 高梨課長はその診断書に目を通したあと、目の前に立つ俺の手をぐっとひっぱった。 

 

「あっ」 

 バランスを崩して、高梨課長に凭れる形になる。彼は俺を片手で抱きとめて、俺のうなじに顔を摺り寄せた。 

「——本当だ。Ωの匂いがない」 

 その言葉で、俺は目の前の人物がαであることにようやく気が付いた。 

「あ、あ、えっと」 

 俺があわてて体を離すと、高梨課長は茶目っ気たっぷりに片目をつむった。 

「いまのはセクハラじゃないぞ。面接の一環だからな」 

 俺は顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせるしかなかった。 

 

 何はともあれ、こうして俺はいろいろな手順をすっとばして内定を獲得したのだった。 

 

 
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