ケダモノ、148円ナリ

菱沼あゆ

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何故か、ここにもケダモノがいます

その言葉のつづきが聞きたいです

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「明日実?」

 貴継は、明日実の身体が傾ぐのを見た。

 横に倒れる前に抱きとめる。 

 ……フォーク持ったまま寝るな。

 少し笑ってその寝顔を見たあとで、抱き上げ、ベッドに運んでやった。

 レースのカーテンの中に入れてやりながら、ちらと天蓋を見上げ、
「……せっかく買ってやったのに、爆睡か」
と愚痴る。

 寝ている明日実に、責めてキスだけでも、と思ったのだが、
『駄目ですっ。
 私、誰ともそんなことしたことないんですっ』
と言った明日実の言葉を思い出し、ちょっと笑う。

 記憶に残らないファーストキスじゃ、俺も嫌だな。

 だが、まあ、せっかくだから、と寝かせた明日実の側に手をつき、その頬に軽くキスした。

 頬にだけ、と思ったのだが、そのやわらかさにどうしようか迷う。

 明日実はこんな怪しい自分を信じ切っているかのように、あどけない顔で眠っている。

 側に腰掛け、しばらくその顔を眺めていた。



 ……………………………………寝かしといてやるか。



 迷いを振り切り、ようやく、立ち上がった。

 明かりを消してやりながら、振り返る。

 なんで家を持たないんですか? という明日実の言葉を思い出していた。
 


「おはようございますー」

 電車で明日実は安田と出会った。

 もちろん、駅まで乗せてきてくれたのは、貴継だ。

 今日もあの女子高生たち、こっち見てたなー。

 昨日、貴継に乗せてきてもらった自分を羨ましいと言って見ていた子たちだ。

 足を止めて待っていたようだった。

 余裕だなあ、と感心する。

 自分の学生時代など、いつも遅刻ギリギリで走っていた気がするのだが。

 大学のときなんか坂の上にあったので、毎朝着いたときは死にそうになっていて、一限目は行き倒れていて、授業など聞いてはいなかった。

 入学したとき教授が、
「どんな人でもうちの大学に入って何年か経つと、スタイルが良くなります。
 みんな、朝、あの坂を死に物狂いで駆け上がるからです」
と言っていたのを思い出し、なるほど、これのことか、と思っていたものだ。

「おはよう。
 今日も早いね」
と安田課長に言ってもらえる。

 ちょっと嬉しく思いながら、それは、貴継さんのお陰ですよーと思っていた。

 あの人、絶対、遅刻とかしそうにない人だからな。

 仕事の上での弱みとか絶対見せそうにないというか。

「まあ、研修中はみんな早いんだけどね。
 だんっだん、遅くなってっちゃうんだよね~」
と安田課長は、あの人の良さそうな顔で、はは、と笑う。

 うーん。
 貴継さんより随分年上だよね、この人。

 あんな若造にいきなり部長になられて、嫌じゃないのかなあ。

 っていうか、あの若造はどうして、部長なのかなあ。

 確かに切れ者のようだが、それだけで、あの若さで大企業の部長になるのは難しいような気がするのだが。

『この産業スパイがっ』
という謎のおじさんの捨て台詞を思い出していると、

「仕事にはもう慣れた?」
と課長が訊いてくれる。

「あ、いえ、まだ全然。
 でも、みなさん、よくしてくださるので、なにもかも覚えやすいです」
と言うと、

「いや、君はかなり飲み込みが早いから」
と言ったあとで、

「天野部長がいらしてから、ずいぶん、部内の雰囲気が良くなったんだよね」
と言い出した。

「ああ見えて、ひとりひとりに気配りしてくれるてるし。

 部内の風通しがよくなったって言うか。

 部下のことを良く見てて、事あるごとに改善されたポイントを褒めてくれるから、みんに、すごくみんなやりがいがあるみたいで。

 まあ、怒ると怖いんだけどね」

 ……まあ、確かに。
 昨日一日見ていただけでも、そんな感じはあった。

「さすが天野の……」

 そこで、安田課長は言葉を止めて、呑み込む。

 天野の……?

 ん?
 天野?

 そういえば、確か、と思ったとき、
「あー、着いたね」
と誤摩化す風でもなく、やんわりと課長は言う。

 でも……今、誤摩化しましたね、と思った。

 そうと感じさせないように言う、この誤摩化し方。

 さすが人事課長。

 穏やかそうで、人が良さそうだが、なかなか侮れなさそうだ。

 気をつけねば。

 ……って、私が産業スパイか。

 貴継と暮らしていること以外に、特に秘密はない。

 一緒に電車を降りながら、明日実は訊いた。

「あのー、ところで、私は何故、人事部付なんですかね?」

 貴継に訊いても、なにやら、すうっとはぐらかされてしまうのだが。

 あー、と安田課長は笑ったまま、ちょっと困った顔をした。

 その表情に固まり、
「や、やはり、使えないからですか?」
と訊く。

「いや、そんな、しょっぱなから明らかに使えないような社員取らないよ」

 うーん、とちょっと迷ったあと、課長は少しだけ話してくれた。

「あのね、君は、もともと人事部配属だったんだ。
 でも、何故か、天野部長が人事部付にしておいて欲しいと上にかけあったみたいで」

「そんな権利、あの人にあるんですか?」

 うっ、しまった。
 あの人とか言っちゃった。

 新入社員が上司を呼ぶ口調じゃないな、と思ったのだが、安田課長は特に反応しなかった。

 それにしても、幾ら人事部長とはいえ、そこまでの権限があるのだろうか、と思っていると、
「ま、天野部長は特別だからね」
と課長は笑う。

 特別? どういう意味で?

 特別頭がおかしいとか、特別強引だとか?
と思っているうちに、駅で同期の子たちと出会ったので、話はそこまでになってしまった。


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