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ケダモノは、やはりケダモノでした
おにいさまを好きだった理由
しおりを挟む「知っていました、私。
それでもおにいさまが好きだったんです」
勝手に人の上に乗ったまま黙っている貴継に明日実はそう言った。
貴継は一度、目を閉じ、開けて言った。
「いや……わかったよ」
と。
「だから、お前はおにいさまが好きだったんだ」
「え?」
「お前は、兄である顕人が、自分に好きだと言ってくるはずがないとわかっていた。
イバラの中で、ふわふわ恋愛っぽいものを夢見ているだけで済んで、なにも傷つかないとわかっていたから、お前は『おにいさま』が好きだったんだ」
「そんなこと……」
そう言いながら、少し、どきりとしていた。
気づいたからだ。
顕人のことを思い浮かべるとき感じる感情は、恋物語の本を読んでいるときと同程度のものでしかないと。
「お前の顕人への気持ちは恋じゃない。
……だったら、もう遠慮しない」
今まで遠慮してましたっけっ!?
と思っている間に、貴継は今までになく、強く口づけてきた。
「心配することはない。
大丈夫だ。
お前が好きなのは、俺だ」
手首を押さえていた手を緩め、そっと指先を絡ませてくる貴継に、
「なんでいつもそう、自信満々なんですか」
といっそ、感心して訊いてみる。
「……自信満々にしてないと、不安になるからだよ。
俺が間違ってるんじゃないかと」
え?
意外な言葉だった。
だが、そのとき、確かに貴継の目に不安がよぎったし、なんだかそれは、自分とのことだけを言っているのではない気がした。
「間違ってると思っているのなら、引き返したらどうですか?」
明日実は貴継の目を見つめて言った。
なにか彼の中に不安定な部分があるのに気づき始めていたからだ。
この人、なにを迷っているんだろう、と思う。
「今からでも遅くありません。
引き返しましょう」
貴継の腕に触れ、そう言うと、貴継は、
「……お前、なんのことを言ってるんだ」
と訊いてくる。
「わかりません」
「わかりません?」
「わかりませんけど、貴方が凄く迷ってるのはわかります。
そうか。
わかりました。
それで、情緒不安定になって、珍妙な行動を取ったり、私にご無体な行動を取ったりしてたんですね?」
「いや、そこのところは、恐らく、いつも通りだが」
どさくさに紛れて失礼なことを言う奴だ、という顔をする。
「なんだかわかりませんが、引き返しましょう、貴継さんっ」
と明日実は強く貴継の腕をつかんだ。
「……いやだ」
「なんでですか」
「今、やめたら、なんのために、この会社に入って。
自分たちを追い出した奴らの許で、あんなアリみたいにあくせく働いてきたかわからないからだ」
「なんのために働いてきたかわからないって。
好きだからですよ」
貴継の表情が止まった。
「貴方があんなに馬車馬みたいに働いてるのは、働くのが好きだからですよ。
そして、今の会社が好きだからです。
ボンクラな社長を一致団結して追い出したあとの、あの会社が」
おい……という顔を貴継はした。
「仕事してるときの自分の顔、見たことありますか?
私、いつも暇なとき、貴方を見てるんです。
すごくいい顔してますよ。
どんなに大変そうなときでも、本当に楽しそうに仕事してるんです」
「お前、……まだ、何日も会社に来てないよな?」
「それでも、そう感じたくらい、貴方は仕事してるとき、楽しそうなんです。
ああ、この人、今、充実してるんだなあって感じがします。
貴方が今、なにをしようとしてるのか知らないですけど。
もし、なにか強引な真似をしようとしているのなら、やめてください。
周囲との軋轢を産んでしまったら、貴方の大好きな仕事も上手くいかなくなりますよ」
「説教か」
「忠告です。
私、仕事が上手くいかなくなって、家で膝を抱えている貴継さんなんて見たくないですから。
鬱陶しいので」
だが、言いながら、そういう方がちょっとキュンと来るかも、と思ってしまっていた。
「言いたいだけ言ってくれたな。
お前のような、下僕の言うことは聞かんっ」
と貴継は、振りほどかないまま絡ませていた左手の指に力を入れた。
いたたたたたっ、と明日実は顔をしかめる。
「俺は、お前も会社も手に入れる!」
と言いながら、口づけてくるので、離れた貴継に言った。
「わかりました。
貴方が私にこだわる理由がっ。
私が、おにいさまが決して自分を振り向かないと知っているので、おにいさまを好きだったと言うのなら。
貴方は、私が貴方を振り向かないと知っているから、手に入れたいだけなんですよっ。
今のままでは、決して手に入らない会社と社員を欲しがるみたいにっ」
痛いですってばっ、離してくださいっ、と言うと、
「莫迦なことを言うなっ。
お前が俺に振り向かないなんて想定外だっ」
と言い返される。
「だいたい、そんなことわかるわけないだろう。
そんな、ほよーっとした顔して、此処まで意志が強いとかっ。
それに言わなかったか。
一目惚れだっ。
そんな先のことまで考えて惚れられるかっ!」
「一目見ただけでわかることもありますよっ。
私は、一目見たとき、貴方のことがわかりましたよ。
とんでもないケダモノだってっ」
「わかってたんなら、声をかけるなっ」
「最初に声をかけてきたのは、貴方だし。
婚約者に仕立て上げたときは、そこに居て、ちょうどよかったからですっ」
「お前は夢物語の中で生きてきた女だ。
お前の婚約者は顕人みたいな王子様みたいな男じゃないと、許されないはずなんだ。
つまり、俺は、ぱっと見られただけで、お前の中の王子にのし上がったんだっ」
「顔だけですよっ。
見た目だけですっ。
もう~っ。
なに言ってんですかっ」
「うるさいっ。
下僕っ」
下僕っ!?
そういや、さっきも言ったなっ、と今、気づく。
「お前のために、婚約者のふりをしてやってるんだっ。
俺に黙って従ってればいいんだ、この下僕がっ」
「もうっ、出てってくださいっ、王様っ!」
「ああ、出てってやるともっ」
と貴継は部屋から出て行く。
すぐに、どたん、ばたん、と隣りの部屋の戸が閉まる音がして、静かになった。
……いや、この家から出て行けと言ったんだが。
だが、もうっ、と思いながら、布団を被る。
そして、あ、こっちが貴継さんのベッドだった、と気づいた。
立派な広いベッドだ。
なんか私が使ったら申し訳ないような、とつい思ってしまう。
今、貴継に向かって、怒鳴ったことを思い出していた。
……全部図星だったようだな、とその顔を思い出しながら思う。
うう。
明日、仕返しされそうだ、と明日実は布団の中で丸くなった。
明日実に怒鳴られ、貴継は明日実の部屋に引き上げた。
本当はそんなに怒っていたわけではなかったのだが、引っ込みがつかなかったから、そういうポーズをとっただけだった。
だって……
莫迦じゃないのか? あいつ。
『私、いつも暇なとき、貴方を見てるんです』
『仕事が上手くいかなくなって、家で膝を抱えている貴継さんなんて見たくないですから』
『私は、一目見たとき、貴方のことがわかりましたよ』
『顔だけですよっ。
見た目だけですっ』
あいつ、自分がなにを言ってるか、わかっているのか、と吹き出しそうになるが、明日実に聞こえてはまずいと、なんとか、こらえた。
どれも、随分と、熱烈な愛の告白なんだが、と今閉めたばかりのドアを振り返る。
だが、今日は放っておいてやろう。
きっと今頃、言い過ぎたと、俺への罪悪感に身悶えしていることだろう。
明日、落としやすくなる。
仕事の根回しと一緒だ、と思ったときに気がついた。
『例の件、そろそろいいよ』
そう社長は言ってくれたのに、明日実のことと、明日の仕事のことしか気にならない。
貴方はただ、働くのが好きなんですよ。
あの会社が好きなんです、という明日実の言葉が聞こえた気がした。
ドアに背を預け、考える。
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