ケダモノ、148円ナリ

菱沼あゆ

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ケダモノは、やはりケダモノでした

おにいさまを好きだった理由

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「知っていました、私。
 それでもおにいさまが好きだったんです」

 勝手に人の上に乗ったまま黙っている貴継に明日実はそう言った。

 貴継は一度、目を閉じ、開けて言った。

「いや……わかったよ」
と。

「だから、お前はおにいさまが好きだったんだ」

「え?」

「お前は、兄である顕人が、自分に好きだと言ってくるはずがないとわかっていた。

 イバラの中で、ふわふわ恋愛っぽいものを夢見ているだけで済んで、なにも傷つかないとわかっていたから、お前は『おにいさま』が好きだったんだ」

「そんなこと……」

 そう言いながら、少し、どきりとしていた。

 気づいたからだ。

 顕人のことを思い浮かべるとき感じる感情は、恋物語の本を読んでいるときと同程度のものでしかないと。

「お前の顕人への気持ちは恋じゃない。
 ……だったら、もう遠慮しない」

 今まで遠慮してましたっけっ!?
と思っている間に、貴継は今までになく、強く口づけてきた。

「心配することはない。

 大丈夫だ。
 お前が好きなのは、俺だ」

 手首を押さえていた手を緩め、そっと指先を絡ませてくる貴継に、

「なんでいつもそう、自信満々なんですか」
といっそ、感心して訊いてみる。

「……自信満々にしてないと、不安になるからだよ。
 俺が間違ってるんじゃないかと」

 え?

 意外な言葉だった。

 だが、そのとき、確かに貴継の目に不安がよぎったし、なんだかそれは、自分とのことだけを言っているのではない気がした。

「間違ってると思っているのなら、引き返したらどうですか?」

 明日実は貴継の目を見つめて言った。

 なにか彼の中に不安定な部分があるのに気づき始めていたからだ。

 この人、なにを迷っているんだろう、と思う。

「今からでも遅くありません。
 引き返しましょう」

 貴継の腕に触れ、そう言うと、貴継は、
「……お前、なんのことを言ってるんだ」
と訊いてくる。

「わかりません」
「わかりません?」

「わかりませんけど、貴方が凄く迷ってるのはわかります。

 そうか。
 わかりました。

 それで、情緒不安定になって、珍妙な行動を取ったり、私にご無体な行動を取ったりしてたんですね?」

「いや、そこのところは、恐らく、いつも通りだが」

 どさくさに紛れて失礼なことを言う奴だ、という顔をする。

「なんだかわかりませんが、引き返しましょう、貴継さんっ」
と明日実は強く貴継の腕をつかんだ。

「……いやだ」

「なんでですか」

「今、やめたら、なんのために、この会社に入って。
 自分たちを追い出した奴らの許で、あんなアリみたいにあくせく働いてきたかわからないからだ」

「なんのために働いてきたかわからないって。
 好きだからですよ」

 貴継の表情が止まった。

「貴方があんなに馬車馬みたいに働いてるのは、働くのが好きだからですよ。

 そして、今の会社が好きだからです。
 ボンクラな社長を一致団結して追い出したあとの、あの会社が」

 おい……という顔を貴継はした。

「仕事してるときの自分の顔、見たことありますか?
 私、いつも暇なとき、貴方を見てるんです。

 すごくいい顔してますよ。
 どんなに大変そうなときでも、本当に楽しそうに仕事してるんです」

「お前、……まだ、何日も会社に来てないよな?」

「それでも、そう感じたくらい、貴方は仕事してるとき、楽しそうなんです。

 ああ、この人、今、充実してるんだなあって感じがします。

 貴方が今、なにをしようとしてるのか知らないですけど。

 もし、なにか強引な真似をしようとしているのなら、やめてください。

 周囲との軋轢あつれきを産んでしまったら、貴方の大好きな仕事も上手くいかなくなりますよ」

「説教か」

「忠告です。
 私、仕事が上手くいかなくなって、家で膝を抱えている貴継さんなんて見たくないですから。

 鬱陶しいので」

 だが、言いながら、そういう方がちょっとキュンと来るかも、と思ってしまっていた。

「言いたいだけ言ってくれたな。
 お前のような、下僕の言うことは聞かんっ」
と貴継は、振りほどかないまま絡ませていた左手の指に力を入れた。

 いたたたたたっ、と明日実は顔をしかめる。

「俺は、お前も会社も手に入れる!」
と言いながら、口づけてくるので、離れた貴継に言った。

「わかりました。
 貴方が私にこだわる理由がっ。

 私が、おにいさまが決して自分を振り向かないと知っているので、おにいさまを好きだったと言うのなら。

 貴方は、私が貴方を振り向かないと知っているから、手に入れたいだけなんですよっ。

 今のままでは、決して手に入らない会社と社員を欲しがるみたいにっ」

 痛いですってばっ、離してくださいっ、と言うと、
「莫迦なことを言うなっ。
 お前が俺に振り向かないなんて想定外だっ」
と言い返される。

「だいたい、そんなことわかるわけないだろう。
 そんな、ほよーっとした顔して、此処まで意志が強いとかっ。

 それに言わなかったか。
 一目惚れだっ。

 そんな先のことまで考えて惚れられるかっ!」

「一目見ただけでわかることもありますよっ。
 私は、一目見たとき、貴方のことがわかりましたよ。

 とんでもないケダモノだってっ」

「わかってたんなら、声をかけるなっ」

「最初に声をかけてきたのは、貴方だし。
 婚約者に仕立て上げたときは、そこに居て、ちょうどよかったからですっ」

「お前は夢物語の中で生きてきた女だ。
 お前の婚約者は顕人みたいな王子様みたいな男じゃないと、許されないはずなんだ。

 つまり、俺は、ぱっと見られただけで、お前の中の王子にのし上がったんだっ」

「顔だけですよっ。
 見た目だけですっ。

 もう~っ。
 なに言ってんですかっ」

「うるさいっ。
 下僕っ」

 下僕っ!?

 そういや、さっきも言ったなっ、と今、気づく。

「お前のために、婚約者のふりをしてやってるんだっ。
 俺に黙って従ってればいいんだ、この下僕がっ」

「もうっ、出てってくださいっ、王様っ!」

「ああ、出てってやるともっ」
と貴継は部屋から出て行く。

 すぐに、どたん、ばたん、と隣りの部屋の戸が閉まる音がして、静かになった。

 ……いや、この家から出て行けと言ったんだが。

 だが、もうっ、と思いながら、布団を被る。

 そして、あ、こっちが貴継さんのベッドだった、と気づいた。

 立派な広いベッドだ。

 なんか私が使ったら申し訳ないような、とつい思ってしまう。

 今、貴継に向かって、怒鳴ったことを思い出していた。

 ……全部図星だったようだな、とその顔を思い出しながら思う。

 うう。
 明日、仕返しされそうだ、と明日実は布団の中で丸くなった。



 明日実に怒鳴られ、貴継は明日実の部屋に引き上げた。

 本当はそんなに怒っていたわけではなかったのだが、引っ込みがつかなかったから、そういうポーズをとっただけだった。

 だって……

 莫迦じゃないのか? あいつ。

『私、いつも暇なとき、貴方を見てるんです』

『仕事が上手くいかなくなって、家で膝を抱えている貴継さんなんて見たくないですから』

『私は、一目見たとき、貴方のことがわかりましたよ』

『顔だけですよっ。
 見た目だけですっ』

 あいつ、自分がなにを言ってるか、わかっているのか、と吹き出しそうになるが、明日実に聞こえてはまずいと、なんとか、こらえた。

 どれも、随分と、熱烈な愛の告白なんだが、と今閉めたばかりのドアを振り返る。

 だが、今日は放っておいてやろう。

 きっと今頃、言い過ぎたと、俺への罪悪感に身悶みもだえしていることだろう。

 明日、落としやすくなる。
 仕事の根回しと一緒だ、と思ったときに気がついた。

『例の件、そろそろいいよ』

 そう社長は言ってくれたのに、明日実のことと、明日の仕事のことしか気にならない。

 貴方はただ、働くのが好きなんですよ。
 あの会社が好きなんです、という明日実の言葉が聞こえた気がした。

 ドアに背を預け、考える。



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