ケダモノ、148円ナリ

菱沼あゆ

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ケダモノが膝を抱えています

過去のものには囚われないでください

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「おや、いつもは早い人事部長様が遅かったね」

 貴継はロビーで大和に声をかけられた。

「女で失敗しないようにしろよ。
 そこの先で明日実ちゃん降ろしたようだけど、俺が見てたみたいに、何人かは見てるよ」

「関係ない。
 近いうちに、明日実とは結婚するから」

 へー、と言った大和が言う。

「お前、なんでもすぐ突っ走るけど、明日実ちゃんの気持ちはちゃんと確認したの?」

「なにか物言いたげだな」

 本当は大和は違うことを言いたいのではないかと感じて、そう問うてみた。

「貴継……。
 今、専務になるのはやめろ」

「なんで知ってるんだ」
と言うと、もう結構広まっている、と言う。

「みんなは、いずれ、の話だと思ってるようだが。

 でも、俺は、お前がそういう性格じゃないのを知っている」

 貴継、と大和は真剣に呼びかけてくる。

「もう十年あとでもいい。
 それでもまだ、若すぎるが。

 今はまだ、クーデターの記憶が生々しすぎる。

 お前はまだ、オッサンたちの間では、あのボンクラ社長の息子にしては、よくやっている。

 お坊ちゃんのわりには、という程度の評価しかもらえていない。

 ……お前のせいじゃないが」

 そう大和は言いにくそうに言ってきた。


 危ないところでした、と思いながら、明日実は貴継より遅れて会社に向かう。

 少し離れた小道で降ろしてもらったせいだ。

 貴継はもう、一緒に乗っていっても構わない感じだったが。

 いやいや。
 まだ入社もしていないのに、そんな浮ついたことはよくないです、と思っていた。

 入社かあ。

 なんだか遠くに感じていた入社式だが、後少しになったな、と思う。

 もう随分長く会社に居る気がしてるんだけど。

 いろいろありすぎて、とハハ、と笑う。

 ……それにしても、本当に危ないところだった。

 遅刻するから、という言い訳がなければ、あれ以上は貴継を拒めなかった。

 そんなことを考えながら、ロビーに入ったときに、気がついた。

 大和と話している貴継を離れたところから見ているおじさんが居るのに。

 おじさん……。

 いや、確か、面接のときに見た役員のひとりだ。

 睨むように貴継を見ている。

 例の話のせいだろうと気がついた。

 ど、どうしよう、と思った明日実は、つい、おじさんの視線の先に立ち、足を止めていた。

 おじさんが変な顔をする。

 貴継たちも気づいて振り向いたようだった。

「明日実ちゃん?」

「明日実、なにをやっている」

「い、いえ、別に」

 まさか。
 貴継さんが睨まれるのが嫌で、間に入ってみました、とは言えない。

 迷っておじさんがこちらにやって来た。

 そんな彼に向かい、貴継が、
「波田常務」
と呼びかける。

 ああっ。
 常務だったかっ。

 そりゃ、貴継さんのこと、よく思わないですよねーっ、と思ってしまう。

 こんな若造に一気に頭を飛び越えていかれては。

「君は?
 確か新入社員の」

「はっ、はいっ。
 佐野明日実と申します」
と頭を下げると、ああ、佐野さんとこのお嬢さんね、と軽く言われた。

「君は貴継くん……天野部長とは?」
と問われ、ええっと、と言いよどんでいると貴継が、

「近いうちに結婚する予定です」
と言うと、波田常務は笑う。

「なるほど。
 佐野の一族をバックにつける気か。

 それはそれは、根回しも完璧だね」

「違いますっ」
と明日実は言った。

「そういうの関係ありませんっ。
 うちの親は貴継さんのことは知りませんしっ。

 貴継さんは私が……」
と言ってしまったので、引っ込みがつかず、

「……私がレストランで見かけて声をかけただけです」
と続けた。

 なに言ってんだ。
 これでは、私がナンパしたみたいになっている、と思ったのだが、貴継が計算高く動いていると思われたくなかったので、そのまま黙った。

 正直言って、自分の親も祖父も、この人の前ではそうたいしたものではないような気がしていたからだ。

 言ったら、親に殴られそうな気はしているが……。

「違う。
 その前に、俺がタクシー乗り場で声かけたんだろ。

 俺が先だ。
 俺の方が見る目がある」
と貴継が言い出し、よくわからないことで、二人で揉め始めると、波田常務は、

「ま……まあ、なんでもいいが。
 ちゃんと親御さんには挨拶に行きなさい、貴継くん。

 特にあの、佐野の爺さんには絶対だぞ、と」
と何故か忠告してくれる。

「まあ、君もよく考えて。
 自重しなさい」
と溜息をついて、波田は行ってしまった。

 貴継はその後ろ姿を見送りながら、
「小さいときはよく遊んでくれてたんだけどな」
と呟いていた。

 彼の目には、また、あの廃墟となった屋敷のかつての幻が見えているような気がしていた。

「はあ、そうですか。
 だから、このくそガキと思っても、切って捨てられずに忠告してくれたりするんでしょうね」

 誰がくそガキだ、と貴継が見下ろしてくる。

 それには構わず、明日実は訊いた。

「貴継さん、子どものときは、どんなだったんですか?
 やはり、お可愛らしかったんですか?」

「俺は写真見たことあるよ」

 多香子たかこさんが見せてくれた、と大和が笑う。

「なんか転んで泣いてる写真だったけど、可愛かったよ」
と言われ、貴継は赤くなる。

 だが、
「……そうだ。
 明日実、今度見せてやろう。

 きっと、顕人がこけたときより、きゅんと来るはずだっ」
と言い出した。

「いえあの、私、別に、こける幼児が好きなわけじゃないんですが……」

 変な趣味の人として広まりそうだ、と思っていると、誰かがロビーの外からこちらを覗いているのが見えた。

 真冬だ。

 ノースリーブは着ていないが。

「モスクワに居るんじゃなかったんですか」
と思わず呟くと、

「うち出てったの、さっきだろ」
と貴継が後ろから言ってくる。

 ちょっと、どきりとしてしまっていた。

 貴継の口から、『うち』という言葉が出たことに。

 そうなんですよね。

 貴継さんにとっては、もうあそこがうちなんですよね。

 だったら、もう、会社にも、あの屋敷にも――

 過去のものには囚われないでください、と思ったのだが、貴継の気持ちを思って言えなかった。

「行ってこい」
と背中を突かれる。

「俺がお前の出社は確認したから、会社には来てるってことで」

 お使いだ、と小銭を渡される。

「そこのコンビニで切手買ってこい。」

 切手、棚にあったけど、と思いながらも、はいっ、とそれを手に玄関を出た。


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