ケダモノ、148円ナリ

菱沼あゆ

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ケダモノが膝を抱えています

やめてくださいっ

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「貴継さん……?」

 深夜、なにも言わずに誰かが部屋に入ってきた。

 だが、その気配だけで、違う、と思った。

 貴継ではない。

「嫌ですっ。
 やめてくださいっ」

 ふいに上に乗ってきたその男を押し退ける。

 顔を引っ掻いてしまったようだ。

 いてっ、と男が声を上げた。

 たが、間近に香ったその男の匂いで、すでにそれが誰だかわかっていた。

 昔は近くにその人が来て、その落ち着いた香りを嗅ぐだけで、どきどきしていたのに。

「……おにいさま」

 何処から入ってきたのですか。

 なんで私の上に乗ってるんですか。

 いろいろと訊きたいことはあったが、なんだか恐ろしくて言葉にならない。

「……おにいさま、やめてください」

 明日実、と顕人は明日実の両腕を抵抗できないよう、強く押さえつけて言う。

「ずっとお前を見てたよ。

 これからも見守っていくつもりだった。

 それで俺は満足なんだと思おうとしてた。

 でも、こんなことになって初めて、そんな気持ちはまやかしだと気づいたんだ。

 明日美、お前が俺の妹でも構わないっ」

「離してくださいっ」

 強く明日実に口づけたあとで、顕人は言う。

「なんで、俺はお前があんな男に汚される前に……っ」

「えっ?
 あ、あのっ、貴継さんには、まだなにもされてませんけど?」

 顕人の動きが止まる。

「……なにも?」
と顕人が暗がりで自分を見つめる。

 なにも、と頷くと、
「……そうか。
 たいした男だな」
と顕人は感じ入ったように呟いた。

 はい、とホッとしかけたが、
「よかった。
 俺が一番最初で」
と言いながら、明日実の胸に唇を寄せてくる。

 やっぱりおやりになるんじゃないですかーっ。

「貴継さんっ。

 ……貴継さんっ、助けてくださいっ!」

 そのとき、入り口で声がした。

「今帰ったぞ、明日実」

「貴継さんっ!」

「だが、さらばだ、明日実」

 ええっ?
 何故ですかっ?

 私がおにいさまに襲われてるからですかっ?

 おにいさまに汚されたと思っているのですか?

 せめて助けてからにしてくださいーっ、と思っていると、
「俺には行くところが出来たんだ」
と言い出した。

 ええっ?
 また違うどなたかに、148円で買われたとかっ? と思ったが、貴継は、顕人の首根っこをつかんで、強引に明日実から引きはがすと、

「刑務所だっ」
と叫んで、顕人を床に転がす。

「そして、お前にも行くべきところがあるぞ、顕人っ。

 もちろん、あの世だっ!」
と馬乗りになって首を絞めようとする。

 死にますっ、死にますっ。
 その勢いだと、確実に死にますっ。

 顕人は何故か抵抗する気もないようで、おとなしく絞められている。

「ま、待ってくださいっ、貴継さんっ」
とベッドから駆け下り、明日実は、その腕に飛びついた。

「うるさいっ。
 なんだっ。

 俺は少々刑務所に入ってくるがっ。
 それでこいつを殺せるなら、本望だっ」

「私は本望じゃないですっ。
 っていうか、大体、人を殺して、そんな簡単には出られませんっ」

「莫迦め。
 近親相姦の兄が妹を襲おうとしたんだぞ、婚約者の目の前で。

 正当防衛だろうが~っ」
と顕人の襟元をつかんで揺さぶる。

 なすがままになっている顕人を見ながら、明日実は叫んだ。

「それは私が殺した場合ですっ。
 貴方では過剰防衛ですっ」

「じゃあ、お前が殺せっ」
と貴継は言う。

「嫌ですっ。
 私が刑務所に入るのも、貴継さんが刑務所に入るのも嫌ですっ。

 貴方なんて、今、評判悪いから、誰もかばってなんてくれませんよっ。

 病気の専務を追い出して、自分が後釜にすわろうとしているらしいですねっ」

「一家離散した挙げ句、父親はアシカになり。

 やっと一生を共にできると思った相手を見つけたと思ったら、その女は、近親相姦の兄に上に乗られてたんだぞっ。

 錯乱くらいしてもいいだろうっ」

 ……そ、それはちょっとそうかも、と思いそうになってしまったが、それでも貴継の腕をつかんだ。

「でも、やめてくださいっ」

「いいや、こいつだけは殺しておくっ。
 あの女の居るモスクワに骨だけは送ってやるよっ」

 もふもふの毛布に包んでなっ、と貴継は叫ぶ。

「今送っても受け取り手ありませんっ。
 真冬さん、日本ですっ。

 それに、嫌ですっ。
 貴継さんが刑務所に入るなんてっ。

 貴継さんが居なくなったら、誰がカウンタックを運転してくれるんですかっ。

 誰が炙りサーモン作ってくれるんですかっ。

 まだ使ってない、キャンプ道具も二人で使いたいしっ。
 また一緒に水族館にお父様を見に行きたいですっ」

「いや、うちの父は見せ物とは違うが……」

「行かないでくださいっ。

 私、貴継さんと結婚したいですっ。
 ずっと一緒に暮らしたいんですっ」

 そこで一息ついたら、泣きそうになってしまった。

 貴継が来てくれて、緊張の糸が切れたのと一緒になって。

 がっちり貴継の腕をつかんだまま、明日実は泣き出す。

「嘘ですっ。
 もう貴方の顔なんか見たくないです~っ。

 なんでこんなに私を振り回すんですかっ。
 貴方と出会ってから、私っ、一時も感情が休まるときがないんですっ。

 なんでですかっ。
 私が貴方を好きだとでも言うんですかーっ」

 ぷっと貴継が笑った。

 顕人から手を離したが、明日実は貴継の腕を離さなかった。

「退け」
と静かに顕人は言い、立ち上がる。

「……悪かった、明日実。

 今日、此処に来るまでは、まだ俺にも少しは希望があるんじゃないかと思ってた。

 お前はいつも、俺の後をついて来てくれてたから」

 すまない、と明日実に謝った顕人に、貴継が、
「俺には謝罪はないのか」
と言う。

「お前は俺の首を絞めただけだろうがっ。

 いいか、明日実が泣いたら、すぐに取り返しに来るからなっ。

 いや、二、三年経ったら、明日実はお前に飽きるに違いない。

 その頃、颯爽と俺が現れるから。
 それまで、せいぜい明日実を大事にするんだなっ」

 ……おにいさま。

 なんとなく感謝をしながら、……するべきところだろうかな、と思いながらも、見送ろうとしたのだが、

「待て、顕人」
と去ろうとする顕人を呼び止める。

「鍵、返してけ」

 顕人は振り向かずに、鍵を投げた。

 だが、ドアが閉まったあと、貴継は呟く。

「……あいつのことだから、コピー持ってそうなんだが」

 鍵を自分のポケットに入れたあとで、振り向き言う。

「ところで、俺と結婚するのか?」

 えっ、と詰まった明日実は、
「あっ、あれは、犯罪者になるのを思いとどまらせようと思って言っただけです」
と言ったのだが、

「いいや、俺は聞いた」
と抱き上げられる。

「きょ、今日は嫌です。
 此処は嫌ですっ」
と明日実のベッドに寝かそうとする貴継に言った。

 またか、という顔をする貴継に言う。

「だって、嫌な記憶とワンセットになっちゃうじゃないですか」

 少し考えた貴継は、よし、と明日実を下ろす。

「じゃあ、もう一度、風呂に入って寝ろ」

「はい」
 ありがとうございます、と言おうとしたら、腕時計を見、

「一時間したら起こす」

 もう明日だから、と言い出す。

「……やっぱりケダモノじゃないですか」


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