ケダモノ、148円ナリ

菱沼あゆ

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ケダモノを148円で買いました

ただの一社員でございますっ

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 いつもの電車に乗っていると、扉が閉まる寸前、奥さんに支えられた安田課長が乗ってきた。

「か、課長……」

 なんで居るんですか。

「きょ、今日、入社式だから」

 ……死にますよ。

「大丈夫ですよ。
 貴継さんが……

 あ、失礼。
 天野部長が、安田課長が入念に準備をしてくださってたから、円滑に進められるって言ってましたよ。

 どうぞ、ゆっくり養生されてください。
 安田課長が早く元気になってくださらないと、貴継さんも困ってしまいます」

 結局、貴継さんと言ってしまいながら、そう言うと、
「うん。
 ごめんね。

 わかってるんだけどね」
と安田課長は、何故か謝ってくれる。

「ほら、あなた、帰りましょう。
 部長の奥様がこうおっしゃってくださってるんですから」

 いえ、あの、まだ妻じゃないんですけど、と思ったが、今、否定するのもな、と思い、はは、と笑う。

 安田課長も痛がりながら、少し笑っていた。

「安田の家内でございます」
と頭を下げられ、ひいいっ、私、ただの一社員でございますっ。

 っていうか、入社式も終わってないので、社員でもないですっ、と思いながら、明日実はペコペコ頭を下げた。



 そんなこんなで会社に着くと、車の貴継の方が駅から歩く時間がない分、早かったらしく、もう先に来ていた。

 ロビーの端、備品室に続く廊下に貴継の姿が見えた。

 はっ、貴継さん。
 また、睨み合ってらっしゃいますっ。

 誰か重役の人が近くに居た。

「おっ、おはようございますっ」
と言いながら、その視界を遮るように間に入り、

「おはようございますーっ」
とまだ名前も知らないその重役の人に向かい、頭を下げた。

「だから、間に入るな……」

 どんな無礼な社員だ、と貴継が言う。

「だってっ、貴継さん。
 あのっ、みなさんと仲良くしてくださいっ」

「無理だ。
 会社ってのは、そんなところじゃない」

「わかっています。
 でも、だったら、何故、貴方は此処でそんな良い人のお面を被ってらっしゃるんですか?」

「待て。
 俺は良い人だ」

 えっ?

「……大変な勘違いですね」

 いつの間にか、その重役の人の側に居た黒崎部長が吹き出した。

「強引に専務になるのはやめたようだな」
と言う。

「まあ、幾ら創業者一族だといっても、段階を踏んでいかないと古参の人間は納得できないぞ。

 私やこの人みたいな人間は特にな」
と言う。

 な? と気安く肩を叩いて、重役の人に苦い顔で、
「此処は会社だ、黒崎」
と言われていた。

 友だちか、同期かな、と思う。

 だが、あれ? と思った。

「部長、貴継さんが上に立つこと自体はお嫌じゃないんですか?」
と問うと、

「仕事ができる上司は悪くない。
 上が莫迦だと下は苦労するからな」
と言って、重役に、

「……俺のことか?」
と言われていた。

 言ってねえだろ、と黒崎は言いながら、
「だから、私は今の社長にもついて行こうと思ったんだ。
 前の社長は、会社に愛着がなかったからな」
と貴継をちらと見て言う。

「まあ、そもそも、あの人は社長なんて、やりたくなかったんだろ」

「生き生きしてるしな、今」
と溜息をついて、重役の人が言う。

 どうやら、この人もお孫さんとでも見に行ったらしい。

「だが、貴継。
 お前の父親は知能犯だったな」
とその重役の人は言った。

「いつかこうなる日を見越して、お前をみんなに引き合わせていたのかな。
 お前の強引なやり方に、お前を怒鳴ろうと思っても、どうも小さいときの顔がちらついて」
と言い出した。

「やはり、お可愛らしかったんですか?」
とつい、訊いて、

「何処に食いついてんだ、お前は……」
と貴継に言われてしまう。

「貴継、お前の父親は、頭は良かった。
 仕事も切れた。

 なのに、やる気がないから、みんな腹を立ててたんだ」

 あははははは、と笑いながら、楽しげに輪っかを放っている貴継の父を思い出し、すみません、と何故か明日実が頭を下げていた。

 ……能力的な意味ではなく、適材適所ってあるよな。

 恐らく職場ではあの笑いがムカついただろうしな、と思いながら、去って行く二人を見送った。

「黒崎部長は良い人ですね」
と言うと、

「あれが良い人なら、俺も良い人だろ」
と貴継は言ってくる。

「クーデターを起こしたことに対する贖罪のため、私が専務に推薦したのに、貴継くんは断ったと言っておきましたよ」

 ふいにした声に、えっ? と明日実たちは振り返る。

 社長が立っていた。

「私の提案を、君が、今の自分では能力的にも人望的にも適任ではない、と言って断ったということにしました。

 その方が君の株も上がるでしょう」

 人望的にもって、おい、社長、それが本音か、という顔を貴継がする。

 だが、社長はこちらを見、
「まあ、人望は……ありましたかね」
と貴継を守ろうとするように、ひっしと貴継の腕をつかんで立つ明日実を見て、社長は笑う。

「いや、これは私の妻ですから、私を溺愛していて当然です」
と貴継は言い、明日実を後ろに下がらせる。

「だっ、誰が妻ですかっ。
 誰が溺愛してるんですかっ」
と訴えると、

「いや、お前、結婚してないのに、ああいうことしちゃいかんだろう」
と言いながら、既に記名済みの婚姻届を出してきた。

 えっ、と言う明日実の側で社長が笑う。

「君、いつか、いいこと言ってましたね。

 働け。
 会社のために働け。
 アリのように働け」

 淡々と社長は言い、笑う。

「社長も所詮、アリの一匹です。
 女王様は、みんなの働く、この会社そのものです。

 君もいつか社長になるのなら、心しておくように。

 ところで、私は、ひとつ、君に逆らいます」
と社長は言った。

「人事部付、佐野明日実。
 配属は秘書室」

「え」

 貴継も驚いた顔をした。

「君はいずれ、専務になる自分のために彼女を秘書にしようと思って、人事部付にしてくれと言って、彼女の配属を保留にさせていたんでしょう。

 だから、私が先に鍛えておいてあげますよ。

 君が重役になったときに、彼女の方が上から物を言って、サポートできるように」
と社長は笑う。

 貴継が顔をしかめた。

「……そんな秘書はいりません」

 明日実は社長と顔を見合わせて笑う。



 貴継は今日は忙しいので、そのまま行ってしまった。

 さて、自分も朝の仕事を済ませて、式に備えなければ。

 って、これからなんか入社なのに、なんか変な感じだな、と思いながら、感謝込めて、社長に深々と頭を下げ、行こうとしたが、
「佐野くん」
と社長に呼び止められた。

「君は前社長にお会いしたんでしょう?
 ならば、気づいているかもしれませんね」

「……本当は貴継さんのお父様が自分で、自分を追い出せと言ったんじゃないですか?」

 貴継の父が本気でボンクラだったとはどうしても思えない。

 昨日、貴継に電話をかけてきてたときの話し口調を聞いても、そう思えた。

 有能で切れ者なのに、やる気がないから、みんな腹を立てていたのだ。

「クーデターは社員の心をひとつにするために必要だったんてす。

 昔からの殿様商売気質が抜けない会社に嫌気がさして、優秀な人材がいっぱい引き抜かれていきました。

 まあ、村松くんが言う通り、社長があんまり仕事好きじゃなかったから、クーデターの話に乗ったっていう人も結構居ましたけどね」
と苦笑いする。

 まだ貴継の父を社長と呼んでいるようだった。

 って、さっきの人、村松さんって言うんだったのか、と今知った。

「私は、社長の大学の後輩だったんです。

 昔から、あの人は本当に頭のいい人で、今の貴継くんによく似ていて、みんなの憧れでした」

 それが、水族館で、あははははと笑っていては、後輩たちは、みな、びっくりするかもしれないな、と思う。

 楽しそうだが。

「私は社長から会社を預かっているだけです。

 そう思って、社長に恥じないように日々、頑張っています」

 その言葉を聞き、やっぱりまだ、貴継より、貴継の父の方が人望があるな、と思った。

「さあ、佐野明日実くん、入社式です。
 今日から気を引き締めて、アリのように働いてください」

 はいっ、と明日実は返事をし、頭を下げた。


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