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新しい妃
洋蘭の秘術
しおりを挟む皇帝となった自分を苑楊と呼ぶものはもうあまりいない。
久しぶりにそう呼ばれたせいか、苑楊はつい、師匠に本心をもらしてしまう。
「今、私は自分が皇帝であることを煩わしいと思っているところです」
あっ、こらっ、なんてことをっ、という顔で、いついかなるときも側にいる李常が見上げてきた。
ほほほほ、と師匠は笑う。
「そうは言っても、お前は選ばれし者。
皇帝となる定めなのだよ。
どれだけ抗おうともな。
お前がその地位を捨てて、とんでもない奴が皇帝になり、民に圧政を強いても良いのか?」
「いや、良くないですけどね」
と反射で答えると、師匠はまた笑った。
「苑楊。
いつぞや、私が玉座の上の玉に殺されかけた話をしたであろう。
お前が玉座に腰かけても、龍の玉は落ちてはこない。
お前は皇帝に選ばれし者なのだ」
「いや、ですから、それはたまたまでは――?」
「たまたまではない」
そう言った師匠は本を膝に置き、遠くを見つめる。
今まで長い眉で隠れていたが、理知的な美しい瞳だ。
太皇太后がこの人を忘れられなかったのもよくわかる、と苑楊は思った。
「玉座には不思議な力がある。
皇帝になれなかった者たちの思いが集うておるのではないかな?」
そうなんですかね? と半信半疑に聞いてはいたが。
そう断言されると、頑張らねばという思いも湧いてくる。
この広い国の頂点に、こんな若造が立っていていいのかという不安が常にあったからだ。
そこで、苑楊は、ふと気づき、師匠に問うてみた。
「あの、ここに積んである本は?」
廊下の椅子に、あまり見ない西洋の立派な装丁の書物と我が国の書物が積み重ねられていたのだ。
「ああ、その辺は洋蘭が読んでおる本だ」
そう言われ、その中の一冊を手にとってみたとき、
「苑楊。
こんなところでなにをしているのです」
と太皇太后の声がした。
久しぶりに間近に太皇太后を見たが、いかつさが消え、女性らしい顔つきに戻っている気がする。
恋とは恐ろしいものだな、と思いはしたが。
女性らしくなったといっても、この人の呼ぶ『苑楊』という言い方には、親しみの欠片もない。
相変わらずの切って捨てるような口調だ。
これで、孫の中ではお前が一番可愛い、などと言うのだから。
あとの孫は一体、どんな扱いを受けているのか。
もはや、恐怖でしかない。
「苑楊。
いつまでも、こんなところにいないで、さっさと仕事なさい」
そんな体のいいことを言われ、宮殿から追い払われた。
「へー。
太皇太后様はそんなにお綺麗になられているのですか」
苑楊から太皇太后の話を聞いた洋蘭は、そう感心する。
「最近、会っていないのか?」
「この間の騒動のあとから、会ってないです。
あ、いえ。
ちょっと前に、いろいろなお礼を兼ねて、化粧水をお持ちしましたね」
秘伝の化粧水です、と言う洋蘭に苑楊は、
「単にそれのせいじゃないのか、太皇太后様が綺麗になったの」
と言う。
「いえいえ。
やはり、そこは愛だと思いますよ」
と洋蘭は笑った。
「……秘伝の化粧水か。
恐ろしいな。
そうして、お前は人心をつかんでいくのだな」
なに言ってらっしゃるんですか、と洋蘭は皇后の宮殿の庭先で、ぐつぐつ、どんぐりを煮ながら言う。
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