2 / 37
隠し神
夏の吉原
しおりを挟む「このところ暑いし。
たまには、猪牙舟で行くか」
と隆次が言った。
確かに川を舟で行く方が涼しいだろう。
だが、周五郎が川を流れていったのは、少し前のことだ。
自分で見たわけではないが。
記憶が生々しいうちは舟で川を行くのはまだ抵抗があった。
結局、二人で歩いて吉原に向かう。
うっかり駕籠に乗ったりすれば、酒代までねだられたりするので、たいした金もないなら、歩いていくにこしたことはない。
衣紋坂を下ると、大門の向こうに、先程までとは別世界のような明るく華やかな世界が垣間見える。
桜も菖蒲も終わり、夏真っ盛りの旧暦の六月。
吉原の人出はいつもより少ない時期ではあるが。
それでも、やはり江戸の何処よりも艶やかで賑やかな場所であるように那津には感じられた。
遊女を買うわけでもないので、二人で夜でも明るい仲の町をブラブラしていると、やがて、花魁道中がやってきた。
遊女の定紋のついた箱提灯を手にした若い者。
そのあとに続く、愛らしい禿や新造たちですら引き立て役のように見える花魁がやってきた。
誰もが目を奪われるその女は吉田屋の愉楽だった。
「何故、神仏はあんな女に、あんな見てくれを与えてやったのかね?」
その気性の激しさから、悪名高い愉楽には見惚れもせずに、隆次は言う。
だが、麗しい遊女を眺めに来た他の客たちは満足げだった。
みんなが愉楽の美貌を褒め称えていたそこに、新たな花魁道中の灯りが見えた。
花魁に傘を差し掛ける男が一瞬、長太郎に見えて、どきりとしたが、違った。
見たことのない細い色白の男だった。
まあ、自分以外の誰もその男には注目などしていないだろう。
何故なら、みなの視線はその花魁に吸い寄せられ、彼女以外のすべてが影のように見えてしまうからだ。
隆次が横で満足げに頷いた。
「やはり、咲夜が一番美しいな」
……この兄莫迦め、と那津は思っていたが。
確かに自分にもそう見える。
月の光と提灯の光に照らし出された白い咲夜の顔は、身につけている豪奢な衣装よりも輝いて見えた。
目元の紅い色のせいで、より肌が白く見え、この世のものではないかのような美しさだ。
周囲で話しているのが聞こえてくる。
「二代目明野だ」
「桧山や愉楽に比べると、迫力には欠けるが、初々しくていいな」
誰もがうっとりと咲夜を見ていたが、那津は隆次と同時に呟いていた。
「……すごいな、化粧の力」
その呟きが聞こえたのか聞こえなかったのか。
目の前を通った咲夜と目が合った……ような気がした――。
0
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』
月影 朔
歴史・時代
江戸、天明三年。未曽有の大飢饉が、大坂を地獄に変えた――。
飢え死にする民を嘲笑うかのように、権力と結託した悪徳商人は、米を買い占め私腹を肥やす。
大坂の米問屋「稲穂屋」の女房、お凛は、天才的な算術の才と、決して諦めない胆力を持つ女だった。
愛する夫と店を守るため、算盤を武器に立ち向かうが、悪徳商人の罠と権力の横暴により、稲穂屋は全てを失う。米蔵は空、夫は獄へ、裏切りにも遭い、お凛は絶望の淵へ。
だが、彼女は、立ち上がる!
人々の絆と夫からの希望を胸に、お凛は紅蓮の炎を宿した算盤を手に、たった一人で巨大な悪へ挑むことを決意する。
奪われた命綱を、踏みにじられた正義を、算盤で奪い返せ!
これは、絶望から奇跡を起こした、一人の女房の壮絶な歴史活劇!知略と勇気で巨悪を討つ、圧巻の大逆転ドラマ!
――今、紅蓮の算盤が、不正を断罪する鉄槌となる!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あやかし吉原 ~幽霊花魁~
菱沼あゆ
歴史・時代
町外れの廃寺で暮らす那津(なつ)は絵を描くのを主な生業としていたが、評判がいいのは除霊の仕事の方だった。
新吉原一の花魁、桧山に『幽霊花魁』を始末してくれと頼まれる那津。
エセ坊主、と那津を呼ぶ同心、小平とともに幽霊花魁の正体を追うがーー。
※小説家になろうに同タイトルの話を置いていますが。
アルファポリス版は、現代編がありません。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる