35 / 37
隠し神
左衛門の秘密
しおりを挟む「さっきの本、俳諧の本だったな。
左衛門殿と立派な字で書かれていたが。
どなたか有名な俳諧師の方から直接もらった本なのか?」
無事に扇花屋に戻ったあとで、那津は左衛門にそう訊いた。
だが、左衛門は、ふいと視線をそらして言う。
「私は俳諧などたしなみません。
楼主たるもの、そんなことして気取って浮かれていたら、吉田屋と同じになってしまう」
いや、あの本、ずいぶん読み込んでいたようなんだが……。
かなり、よれた感じだった。
しかも、肌身離さず持っていた石の仏と一緒に持ち歩いていたようだし。
なにを盗まれたのか言わなかったのは、盗まれたのが、あの本だと知られたくなかったんだな、と那津は気がついた。
左衛門は非道な楼主かもしれないが。
そんな仕事に誇りを持ちつつも、人として、下の下の仕事だと恥じてもいるところもあるようだった。
だから、吉田屋のように、立場を忘れ、文化人と交わろうとする楼主たちを嫌っているのだろう。
それなのに、そんな自分も実は俳諧にはまっているなどと、人に知られたくなかったのに違いない。
「まあ、すり替えておきましたので。
これで、隠し神が本を返してこなくとも、あの箱を穴蔵から引き上げればいいだけです」
石の仏はなんの価値もないので、返してくるでしょう、と左衛門は言う。
「……隠し神の正体は暴かなくていいのか」
「盗人風情のことなど、どうでもいいです。
大金持って我が妓楼に来るのなら、もてなしてさしあげますけどね。
さて、那津様。
お礼になにを差し上げましょうか」
「礼などいいが……。
咲夜を楽にしてやってもいいだろうか」
左衛門は渋い顔をする。
このところ、咲夜の顔色が悪い。
長太郎の霊は、咲夜を客から守ってくれてもいるが、本人が咲夜に夜な夜なまとわりついて厄介なのでは、と思っていた。
「仕方ありませんな」
と左衛門は目を伏せる。
生きていたときには、表立って情をかけることはなかったとは言え、実の息子だ。
霊となっても、そこに居てくれるのなら、見ていたかっただろうが。
自分のところの出世頭の遊女につきまとい、ボロボロにされても困るだろう。
「では、また来る」
と帰ろうとすると、
「今、長太郎を祓っていかなくて良いのですか?」
と左衛門は訊いてくる。
覚悟を決めたから、もうやってくれ、という感じだったが。
「いや――。
その前にやっておくことがある」
と言い、那津は行こうとした。
だが、気になっていたことがあり、振り返る。
「あんた、最近、ずっと俺にあらたまった態度をとっているが、なんでだ」
「……私は利用できるものは、なんでも利用するたちでして。
こんなところにずっと居ると、外の正解では到底聞こえてこないような、噂話も耳に入ってくるのですよ」
――那津様、と呼びかけ、左衛門は笑った。
0
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』
月影 朔
歴史・時代
江戸、天明三年。未曽有の大飢饉が、大坂を地獄に変えた――。
飢え死にする民を嘲笑うかのように、権力と結託した悪徳商人は、米を買い占め私腹を肥やす。
大坂の米問屋「稲穂屋」の女房、お凛は、天才的な算術の才と、決して諦めない胆力を持つ女だった。
愛する夫と店を守るため、算盤を武器に立ち向かうが、悪徳商人の罠と権力の横暴により、稲穂屋は全てを失う。米蔵は空、夫は獄へ、裏切りにも遭い、お凛は絶望の淵へ。
だが、彼女は、立ち上がる!
人々の絆と夫からの希望を胸に、お凛は紅蓮の炎を宿した算盤を手に、たった一人で巨大な悪へ挑むことを決意する。
奪われた命綱を、踏みにじられた正義を、算盤で奪い返せ!
これは、絶望から奇跡を起こした、一人の女房の壮絶な歴史活劇!知略と勇気で巨悪を討つ、圧巻の大逆転ドラマ!
――今、紅蓮の算盤が、不正を断罪する鉄槌となる!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あやかし吉原 ~幽霊花魁~
菱沼あゆ
歴史・時代
町外れの廃寺で暮らす那津(なつ)は絵を描くのを主な生業としていたが、評判がいいのは除霊の仕事の方だった。
新吉原一の花魁、桧山に『幽霊花魁』を始末してくれと頼まれる那津。
エセ坊主、と那津を呼ぶ同心、小平とともに幽霊花魁の正体を追うがーー。
※小説家になろうに同タイトルの話を置いていますが。
アルファポリス版は、現代編がありません。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる